第6話 全く気乗りはしませんが
貴族社会の噂は社交界に集まる。
レイリアは、普段そういう目的で社交界に出入りしているわけではないため、そこに思い至らなかったのだ。
だが、言われてみれば王子の言う通りだ。
「グランツ伯爵は交友関係の広い人物だったから、夜会やお茶会で噂話を仕入れてきた方が話が早いかも」
もちろん噂話だけでは手掛かりにはならないが、噂話を糸口にして調査する場所や人を絞るのは有効な手段だ。
だが、王子はなぜそれを言うのに戸惑っていたのだろうか。
「社交界を探るのはルークには難しいだろう」
「あ」
レイリアはうっかり失念していた。ルークは、ほとんど社交界に出られないという設定になっていたのだ。
というのも、『ルーク』と『レイリア』が同じ場所に出席することができないからだ。
ルークは公爵家の嫡男なので、当然、あちこちの貴族から舞踏会や茶会の招待状が届く。中には、ルークとレイリアの二人に出席してほしいと連絡をしてくる貴族もいる。二人は姉弟なのだから当たり前なのだが、もちろん、この招待に応じることは物理的に不可能だ。
これを断り続けると、一人二役を疑われかねない。
そこで、ここでも『悪女レイリア』の設定を生かすことになった。
『レイリアは兄であるルークのことを心底嫌っており、可能な限り顔を合わせたくないらしい。そんな彼女に気を使って、ルークは最低限の付き合いでしか社交界に出てこない』
という噂を流したのだ。
この噂のお陰でルークとレイリアを同じ場に招待する貴族はいなくなった。ごくまれに、怖いもの見たさで招待状を送って来る馬鹿者はいるが、そういう招待も断りやすくなったというわけだ。
公爵家の嫡男としては社交界での付き合いができないのは痛手ではあるが、いずれいなくなる人物なので下手に交友関係を広げるわけにもいかないため、そういう意味でもこの策は一石二鳥だった。
王子の言う通り、ルークには社交界での調査は難しい。
「じゃあ、社交界での調査はエディに任せるよ」
ルークが無理なら王子が。
そう考えるのは自然な流れのはずだが、レイリアの提案に王子の眉がピクリと動いて眉間に皺が寄った。
「なにか不都合がある?」
レイリアが首を傾げると、王子の眉間の皺がさらに深くなる。
「……そうなると、彼女にも協力を仰がなければならない」
ここまで説明されて、レイリアはようやく合点がいった。
(レイリアと社交界に出る回数が増えるのが嫌なのね)
もしも社交界で調査をするなら、確かにレイリアの協力は必要不可欠だ。
王子とレイリアは婚約しているので、パートナーを伴う場には基本的に二人一緒に招待される。他のパートナーを連れて行くこともできないわけではないが、非常に外聞が悪い。
レイリアは悪女ではあるが、公爵令嬢の最低限の礼儀として、この線引きはきちんと守っている。
社交界で何かを調べるなら当然レイリアを伴うことになるし、そうなれば彼女に事情を説明しないわけにはいかない。また、この調査は急を要する。
これまでよりも頻繁にレイリアと顔を合わせて会話をしなければならないというわけだ。
王子はそれが嫌で言葉を詰まらせていたのだと、レイリアはそう理解した。彼はレイリアのことを嫌っているのだから当然だ。
チクリ。
胸が痛んだ。
(嫌われようとして悪女を演じているのに、嫌われて傷つくなんて)
バカみたいな話だ。
レイリアはそんな馬鹿みたいな気持ちを悟られないよう、明るくほほ笑んでみせた。
「僕から父上に話を通すよ。姉上も、父上からの話なら無下にはしないだろ?」
王子の婚約者としての務めだと言われれば、いかに悪女といえども従うしかない。嫌々ながらも王子に付き合うくらいのことはするだろう。現地では王子に嫌味を言ったり、不機嫌が態度に出たりはするだろうが。
「そうか」
「では、僕は間者を使って親族を探りますので、社交界の方はお願いしますね」
「……分かった」
王子が神妙な表情で頷いたのを確認して、レイリアは再び貴族台帳に視線を戻した。
彼女がレイリアとして王子と顔を合わせたのは、その数日後の晩のことだった。
二人は、とある仮面舞踏会に出席することになったのだ。
「せっかくの仮面舞踏会ですのに、あなたと一緒だなんて。まったく気分が乗りませんわ」
舞踏会に向かう馬車の中、レイリアはわざとらしいほど不機嫌な声音で言いながら、ツンとした表情を作った。
今夜もレイリアは真っ赤なドレスに身を包んでいる。この色を身に着けると『悪女』の気分が乗りやすいのだ。そのため、レイリアのクローゼットには様々なデザインの赤いドレスが並んでいる。
その中から今夜のために選んだのは、黒いレースのあしらいが印象的なドレスだ。赤と黒というわざとらしいほど露悪的な配色のドレスに、黒いレースの手袋、黒いバラの髪飾り、黒真珠のネックレスを合わせた。靴も黒い革のピンヒール。その靴を履いた足を組めば、王子の目にも完璧な悪女に見えているはずだ。
そんな彼女を一顧だにせず、王子が淡々と言った。
「仕事だ」
その言葉に、気分を害されたと言わんばかりにレイリアはピクリと唇を歪ませた。
「ええ。お父様から伺っています。けれど、仮面舞踏会ならば他の令嬢をお誘いになればよろしかったのではなくて?」
仮面舞踏会とは、顔も名も身分も隠して新たな出会いを求める場所だ。例え正体がバレたとしても互いに言及しないというお約束で、男女は一時の逢瀬を楽しむ。配偶者や結婚を約束している人と連れ立って出席する人は、ほとんどいないと言っても良い。
「例の件について、あまり人に知られたくない」
これも、ルークとして王子とは打ち合わせ済みだった。社交界で調査をするならパートナーの協力は必要不可欠だ。そうなると、何を調べているのかを説明しなければならない。だが、事が事なだけに真実を知らせる人物は制限する必要がある。
だから、例え行き先が仮面舞踏会だろうと、王子はレイリアを連れて行かなければならないというわけだ。
「それにしても、どうして仮面舞踏会に?」
レイリアの質問に、王子も窓の外を見つめたままで淡々と答えた。
「ラングレット侯爵が主催しているという噂があるからだ」
「調べるのはグランツ伯爵の周囲なのでは?」
もちろん彼女は何もかも知っているのだが、レイリアがあまりにも全てを理解していては逆に不自然だ。ある程度のことは知らない体で王子に確認する必要がある。
「グランツ伯爵とラングレット侯爵の間で、妙な金の動きがあることをルークが掴んだ」
「それで、ラングレット侯爵も例の件に関わっているのではないか、と?」
「そうだ」
「仮面舞踏会なら顔を見られずに情報のやり取りができる。だから、今夜開かれる舞踏会で何か情報が得られるのではないか、ということですね」
ラングレット侯爵は議会でも大きな発言力を持っている人物だ。彼自身は火薬の製造には関わっていないが、だからといって怪しい金の動きは見過ごせない。そこで、彼の動向を調べることになったのだ。
「全く気乗りはしませんが、仕方がありませんわね」
レイリアは大きくため息を吐いた。そんな彼女を、王子がチラリと見る。
二人の、目が合った。
だが、それは一瞬のことだった。レイリアがすぐさま目を逸らしたからだ。
彼女は、レイリアとして王子と同席する時には極力彼と目を合わせないようにしている。
理由は二つある。
一つは、彼を嫌っているという設定を態度で示すため。
そして、もう一つは。
(……あつい)
火照る頬に、気付かれてはならないから。
こうして、今日も二人は互いにそっぽを向いたまま馬車に揺られたのだった。




