第5話 『火薬』と『取引』
王子からの早馬で知らせを受けたレイリアは、現場に直行した。首都警備隊から状況を聞いて王子に報告するためだ。
ところが、レイリアが現場に到着すると、なぜかそこに王子の姿があった。
「どうしてエディ……王子殿下がこちらに?」
現場は警備部隊の兵士が大勢いて、慌てて呼び方と話し方を改めた。王子の周囲には彼の護衛を担当する近衛兵の姿もある。
「殺されたのは、ハロルド・グランツ伯爵だ。背中からナイフで心臓を一突きされている」
それを聞いて、レイリアもピンときた。
「ノルヴァンディアの外交担当ですね」
西の隣国であるノルヴァンディア王国とは貿易協定の交渉の真っ只中であり、つい昨日、小麦の密輸入の疑いが持ちあがったところだ。このタイミングで、そのノルヴァンディアとの外交を担当している貴族が明らかな他殺体で発見されたとなれば、無関係とは考え難い。
それで、王子が自ら現場に出てきたらしい。
とはいえ、理由は本当にそれだけだろうか。
訝しみながらも、レイリアは遺体にかけられていた布をめくってみた。
うつ伏せに寝かせられている遺体の背には深々とナイフが突き刺さっている。
顔を覗き見ると、やはり知っている顔だった。数日前に会議で顔を合わせたときには、元気そうな様子で同じ年代の貴族たちと雑談を交わしていたのを覚えている。
「グランツ伯爵といえば、狩りが趣味ではなかったですか?」
ふと思い出して尋ねると、王子が頷いた。
「ああ。彼の銃の腕前はなかなかの評判だった」
「その人を、背中側から近づいて一突き?」
おかしな話だ。狩りが得意ならば、周囲の気配には敏感だろうに。
「従者は一緒ではなかったのですか?」
「昨夜は誰にも行き先を告げず、一人で出かけたらしい」
「こんな場所に?」
現場は首都を囲う市壁のすぐ外。市壁といっても、近年では首都に攻め込まれるような戦争は起こっていないため既に飾りのような城壁だ。ここから外にも首都の賑わいが広がりつつある。といっても中心街ほどではなく、この辺りには街灯もないため夜には人気がなくなる場所だ。
「なるほど。これは相当、きな臭いですね」
「ああ。それと……」
遺体の脇に屈みこんでいたレイリアの隣に王子も膝をつき、周囲から見えないように掌を開いた。その中には、小さな紙片。
「これは?」
「遺体が握りしめていた」
王子が声を潜めるので、レイリアも慎重にそれを見た。
小さな紙片は、手紙か何かの切れ端らしい。血で滲んでいるうえに千切れているので、書かれている文章を読むことはできない。
ただし、二つの単語だけは何とか読み取ることができた。
『取引』そして、『火薬』だ。
「これ……!」
レイリアが単語を読み取れたことが分かったのだろう、王子が一つ頷いた。そして、慎重な手つきで紙片をハンカチで包んで懐に仕舞う。
「だから殿下が現場に来られたのですね」
「これを見た現場の責任者から、私のもとに直接連絡が来た」
「その責任者には後で特別報酬を支払わないと」
この殺人の裏には、国家を揺るがしかねない大事件が動いている可能性がある。現場の責任者はそれを察知して、秘密裏に王子に知らせを送って寄越したのだ。
「かん口令が必要ですね」
「任せる。私は先に戻って国王陛下に報告する」
「承知いたしました」
レイリアの返事を聞いて、王子はすぐさま王宮に取って返していった。
(さて。……しばらくはまともに眠れそうにないわね)
この事件を解決するまで、ルークは休日返上で仕事をしなければならないだろう。だからといってレイリアを休みにできるわけでもない。つまり、削れるとすれば睡眠時間だけだ。
それを想像して、深いため息が漏れたのだった。
レイリアが現場の片づけを終えて王子の執務室に戻る頃には、王子も国王への報告を終えて戻ってきていた。
まもなく昼という時間帯だが、休憩よりも優先すべきことがある。状況の整理と、今後の方針の検討だ。とにかく早く方針を決めて動き出さなければ、対応が遅れて取り返しがつかなくなってしまう。
この大陸で火薬の生産量が最も多いのが、彼らの祖国アルテンベルク王国だ。この数十年で火薬の製造と鉄砲の技術は大幅に進歩した。そのおかげもあって、約二十年前、長く続いていた東の隣国との戦争を終結に導くことができた。
ただし、弊害もあった。火薬の存在が無為に戦火を広げてしまったことだ。
そこで、前国王は火薬の製造と販売に制限をかける法律を制定した。王家と議会の承認を受けた一部の事業者だけが火薬を製造し、同じく承認を受けた商人だけが火薬を取り扱うことを許されている。そして、その使用目的も国防のための最低限の武器と土木工事などに制限されている。火薬を大量に生産して世界中に輸出すれば莫大な利益を得ることもできたが、敢えてそれをしなかったのだ。
その火薬が王家のあずかり知らぬところで取引されていたとなれば一大事、というわけだ。
「小麦の件と火薬の件、無関係ではないだろうね」
レイリアがつぶやくと、王子が頷いた。
「まるで謀ったかのようなタイミングだ。小麦の密輸は隠れ蓑か。……西側の情勢は?」
問われて、レイリアはすぐさま机の上に地図を広げた。中央にアルテンベルク王国、そして、その西隣に位置するのがノルヴァンディア王国だ。さらにその西側にも大陸は続いている。
「フェルディナント公国とルゼンツァ連邦の間には紛争が絶えない。ここ数年は大きな衝突は起こってないけど、一触即発状態が続いてる」
「相変わらず、か」
「うん。膠着状態、ってやつだ」
「……ここに大量の火薬が投入されれば、事態は急変する」
「その通り」
二人の間に沈黙が落ちた。最悪の場合を想像したのだ。
もしもこの二国に大量の火薬が持ち込まれることがあれば、戦火の拡大は避けられない。
「ノルヴァンディアの目的は、火薬の密輸による経済利益と、周辺国家の紛争を煽って消耗させ、相対的な優位を築くことだな」
「リスクはあるけど、得られる利益も大きい。理に適った戦略だ」
思わずこぼしたレイリアを、王子がじろりと睨みつけた。感心している場合ではない。対策を考えなければ。
といっても、やるべきことは既に分かっている。
「我が国の裏切り者を見つけ出して、密輸取引の現場を押さえよう」
ノルヴァンディア王国が火薬を手に入れるためには、当然、この国の誰かと取引をしなければならない。その人物こそが、裏切り者だ。
「まずは、ハロルド・グランツ伯爵の周囲を探る」
殺されたグランツ伯爵がどのような形で関わっていたのかは分からない。真実を知って消されたのか、それとも彼自身が密輸に関わっていたのか。いずれにせよ、彼の周囲を探れば何かが分かるだろう。
やるべきことは決まった。
レイリアはすぐさま踵を返して書棚に向かった。
彼女が取り出したのは、貴族台帳だ。それぞれの貴族が国に治める納税額を定めるために年に一度更新されている台帳で、各貴族の当主の名前と家族構成、その領地の麦の収穫量の評価や特産品などが記載されている。
家族構成の欄には、誰がどの家から嫁いできたのかも記載されているため、縁戚関係もこれを見れば把握することができる。まずは、グランツ伯爵家の親族からあたろうと考えたのだ。
レイリアはこの台帳に載っている貴族の名をほぼ記憶しているが、さすがに親族関係までは台帳をめくらなければ分からない。
分厚い台帳を机に広げ、グランツ伯爵家の情報をノートに書き留めていく。
そうしていると、なにやら視線を感じてレイリアは顔を上げた。案の定、王子がレイリアの方をじっと見つめていた。
「どうかした?」
レイリアが尋ねると、王子の瞳がうろうろと揺れた。わずかな動きだが、長年の付き合いのレイリアには分かる。いわゆる、バツの悪そうな表情だ。
「言いたいことがあるなら言ってよ」
「……ああ」
そう返事をしたのだが、王子はなかなか口を開かなかった。それほど言い出しにくいことらしい。
王子は思っていることの十分の一も言葉にしない人ではあるが、言うべきことははっきりと口にする人でもある。それが原因で誤解が助長されることもあるが。
だからこそ、こんな風に言葉を探して迷っている姿は珍しい。
「社交の場で調査をするのが効果的なのではないかと、思う」
たしかに。
レイリアは思わず手を打った。




