第2話 君の瞳が
二人の初対面は、王宮の庭園で行われた。国王夫妻にレイリアの父、大勢の臣下に見守られた大仰なものだった。王子に友達ができない問題は、どうやら大勢の大人をやきもきさせていたらしい。
これは頑張らなければ。そんな思いで、レイリアは王子の前に出た。
『王子殿下にご挨拶申し上げます。ルーク・カーディナルと申します』
ぎこちないながらも挨拶をするレイリアの顔を、エドアルド王子はじっと見つめた。
ラピスラズリの瞳が今にもこぼれ落ちてしまいそうなほどまん丸で、
『きれい……』
思わず、頭の中で考えていたことが口からこぼれ落ちてしまった。
驚いたのだろう、王子の瞳がさらに丸くなった。
それを見て、レイリアの顔に笑みがこぼれる。
『落ちちゃいそうだね』
『何が?』
『君の瞳が』
『瞳は落ちたりしない』
『そっか。そうだよね』
このおかしなやりとりに、とうとうレイリアは我慢できずにクスクスと笑い声を上げてしまった。
その様子を、大人たちがはらはらと見守っている。
彼らの不安をよそに、王子はレイリアの方に一歩を踏み出した。
『丸くて落ちそうなものなら、他にもある』
『え?』
驚くレイリアの手を王子が握った。
そして、
『行こう』
王子がレイリアの手を引いて走り出した。
驚き声を上げる大人たちから逃げるように走る王子が向かったのは、庭園の端の端。小さな果樹園だった。
そこにあったのはリンゴの樹。
今にも落ちてしまいそうなほど赤く熟れた実がたわわに実っていた。
『わあ!』
感嘆の声を上げたレイリアに対して、王子の方はそれほど感情が動いていないように見えた。ほとんど無表情で、自らレイリアを連れてきたというのに、無言でリンゴを見つめているだけだった。
(子どもらしくない子どもね)
そう思った。
だが、果たして本当にそうだろうか。
レイリアは、注意深く王子の表情を観察した。
ラピスラズリの瞳に、艶やかなリンゴの赤が映る。
その瞬間、その瞳が何かを訴えるようにキラリと輝いたように見えた。
『リンゴ、とってみようよ』
レイリアの提案に、王子がハッとした表情を浮かべて彼女の方を見た。
『肩車すれば、届くんじゃない?』
大人がいれば止めたかもしれない。だが、その大人たちは二人を見失ったまま。果樹園の向こうから王子を呼ぶ声だけが聞こえている。
『ほら!』
レイリアがかがみこむと、王子は遠慮がちにその肩にまたがった。
五歳の女の子が五歳の男の子を肩車するなど、もちろん上手くいくわけがない。
立ち上がったレイリアの身体はそのままふわりと倒れて、
『うわ!』
二人一緒に草むらに転がることになった。
『いたっ!』
ゴロゴロと転がりながら、情けなく声を上げたのはレイリアだけだったが、王子の方も目を白黒させていて。
そんな彼と目が合うと、レイリアはおかしくてたまらなくなって、腹を抱えて笑った。
『あはははは!』
笑い転げるレイリアとは対照的に、王子は無表情のままだった。だが、どうやら嫌がってはいないらしいことは、その目を見ればなんとなく分かった。それがまた嬉しくて、レイリアは笑いが止まらなかった。
しばらくすると、大人たちが二人を見つけて駆けてきた。草だらけの二人はしっかり叱られたが、レイリアはそれを遮るように父に頼んだ。
『肩車して!』
父は呆れながらもレイリアの我がままに応えて肩を貸してくれた。
王子はレイリアと父の様子をじっと見つめてから、何か言いたげに国王の方をチラリと見た。それを見て国王は驚き目を見開いてから、じわりと目尻に皺を寄せた。そして、ひょいと王子を抱き上げた。家臣たちが驚いて交代すると申し出たが、国王はそのまま王子を肩に乗せてしまった。
大人たちよりもずっと高い場所で、レイリアと王子の目が合った。
やはり王子は何も言わなかったが、今度もその瞳の奥がキラリと輝くのがレイリアには分かった。
それを見て、レイリアは理解した。
王子は楽しくないわけでも嬉しくないわけでもない。ただただ、感情表現が下手なだけなのだと。
その証拠に、この日の翌日にもルークとして王宮に来るようにと王命が下された。王子がルークに会いたがっているという言葉と共に。
こうして、レイリア──もとい、ルークは、王子の友達として王宮に通うことになったのだった。
* * *
本当なら『ルーク』の役割は数年で終わるはずだった。
ところが、王子とルークの絆は日に日に深まり、しかも王子の希望で二人一緒に家庭教師から授業を受けるようになると、王子の成績がぐんぐん伸びていった。勉強だけではない。馬術も剣術も、王子はルークと一緒なら何でも進んで取り組むようになった。
これを見た国王がレイリアの父を説き伏せて、友達役を続けさせたのだ。
さらに、二人が十三歳になった頃、国王はレイリアを王子の婚約者に指名した。
これにはさすがの父も大反対したのだが、
『いずれルークは去る。その時、彼にそっくりな女性が側にいればエドアルドも安心するだろうと思ったのだ……』
と、涙ながらに説得されて、結局ほだされてしまった。
だが、こうなってくると問題もある。
王子に正体が露見してしまう危険性が高まってしまったのだ。
これまでは王子と関わっていたのは『ルーク』だけだったが、婚約したとなれば『レイリア』も度々王子と顔を合わせなければならない。そうなれば、いつまでも正体を隠しておくことは難しい。
そこで国王から発案された苦肉の策が、『悪女レイリア』だ。
王子の婚約者であるレイリアとして過ごす時には、わざと冷淡な態度をとって王子から嫌われるように仕向けることにしたのだ。そうすれば、王子が自らレイリアと深く関わろうという気は起こらないだろうし、ルークとは明らかに性格の違う人物を演じれば、うまく誤魔化せるのではないかと考えたのだ。
さらに、レイリアの性格の悪さが原因でルークとレイリアは仲が悪いという設定も付け加えられた。そうすれば、二人が同じ場に同席しないことの言い訳にもなる。
レイリアにとっては真逆の人物を演じなければならないので苦痛ではあったが、この策が功を奏した。
狙い通り、王子はレイリアのことを嫌うようになったのだ。
手をとってエスコートをしてくれる。ダンスも一緒に踊ってくれるし、帰りは屋敷まで送り届けてくれる。ただし、全て婚約者の義務として。王子は、一貫してそんな態度でレイリアに接した。
彼女がレイリアのとき、二人は目を合わせることはほとんどない。指先が触れ合うときでさえも、二人の肌は冷え切ったままだ。
こうして二人は婚約者同士ではあるが犬猿の仲だと、社交界でもっぱらの評判になった。
もちろん、未だに王子はルークとレイリアが同一人物であることに気づいていない。
それは彼女にとって幸いなことだ。
公爵家のためにも、王子のためにも、王家の未来のためにも、時が来るまではこの一人二役が知られることがあってはならない。絶対に隠し通さなければならないのだから。
だが、気付いてもらえない、その事実が寂しくもある。
そんな複雑な気持ちを抱えながら、彼女は今日も『ルーク』の仮面をかぶって王子の側近として彼の側にいるのだ。
明日からは1日2話、朝(7:10頃)と昼(12:10頃)に投稿予定です!
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