第120話 暗がりの海町
「どうだった? 初めての空の旅は」
若干むかつくにやつき顔で伊集院が聞いてくる。だがこっちは、そんなどうでもいい質問に答える余裕があるはずもない。地に足がついた今も腰がふらふらしていて、足元が覚束ない。空を飛んでみたいなんて憧れは当然子供の頃にあったりもしたものだが、あんな問答無用に飛ばされるのはどう考えても本意ではない。
「空を飛ぶのは気持ちがいいけど、飛翔魔法はマナやオドの消費が激しいのが難点だねぇ」
修馬の代わりに、そう回答するココ。だが伊集院は、まるで納得がいかないような顔で振り返った。
「そうか? 俺はまだまだ、余裕で飛べるぞ。今の倍の距離は飛んでられるな」
「へー、イジュは飛ぶのが得意なんだね。凄い才能だと思うよ」
「おい、聞いたか修馬! 大魔導師様が俺のこと凄い才能だってよ!」
大いに喜びを見せる伊集院。だが修馬は、ねたむこともそねむこともなかった。ただただ、今もなお続く浮遊感を何とか落ち着かせない。ただそれだけだ。
「俺はお前と違って高い所が苦手なんだよ」
馬鹿と煙は高い所に上るという皮肉を込めて言ったのが多少はそれが通じたようで、伊集院は表情を失くし、そして東にある港町に目をやった。
「……けどまあ、日が暮れる前に町に辿り着いて良かったな」
西側が高い崖になっているせいか、夕日が隠れて少々薄暗い。空は茜色に染まっているが、ランシスの町は影が差し黒く染まっている。町だけは早くも夜のようだ。
「とりあえず今日はこの町で宿を取りたいところだけど、何だか変な雰囲気だね」
ココが何時になく神妙な面持ちで言った。
「変な雰囲気って?」
「こんなに薄暗いのに、街明かりがまるでないんだ。出歩いてる人もいない。ここは廃墟の町じゃないよね?」
すると数日前までこの町にいた伊集院が異を唱えた。
「廃墟なわけがない。ちゃんと人はいるはず、俺個人としては会いたくないけど……」
この町に良い思い出を持たない伊集院は、とんがり帽子のつばを深く下し顔を隠した。だがココの言う通り、町に人影は無いので、それはあまり意味がないことのような気がする。
「わからないけど、とりあえず行ってみよう。旅には情報が必要だ」
落ち着いてきた足を押さえ、ゆっくりと歩き出す修馬。最早飛翔魔法の世話にならずとも、ランシスの町は目と鼻の先だ。
潮の香りが薄っすら漂う港町。だが辿り着いてみるとそこは本当に閑散としていて、不気味な雰囲気を醸し出していた。
「本当に人がまるで居ないな。どういうことだ?」
伊集院の言う通り、視界に入る中に人間は見当たらない。しかし庭は手入れされ、花壇の花は生き生きと咲いている所を見ると、人々の営みが全く見られないというわけではなかった。どこかに人はいるのだろうか?
「どういうことだろうね? ココ」
「うーん。人の気配なら、薄っすらと家の中から感じられるね。もしかすると、動く死体やら帝国憲兵団やらがいっぱい来たから、皆警戒して家の中に閉じこもってるんじゃないかな?」
ココがそう言った時、丁度海に向けて続いている道の向こうから、浅黒い肌をしたいかにも海の男といった風情の人物がのそのそと歩いてくるのが見えた。ようやく見つけた人影に一安心する一同。
「お前たち、こんな時間に何をしている?」
こちらから話しかけようと思っていたのだが、それよりも早く向こうから声をかけられてしまった。
「あの、この町の方ですか?」
「ああ、そうだ。そういうお前らは旅人か? 命が惜しいなら、暗くなる前にとっとと宿に戻った方が良い」
脅すような口調でそう言われ、一気に緊張感が増してきた。一体この町で何が起きているのか?
「それは、何でですか?」
「何でって、知らないのか? 北にある廃灯台辺りに、あの『動く死体』が現れるんだよ!」
「灯台に死体?」
思わず伊集院の顔を見る修馬とココ。だが伊集院は帽子のつばで顔を隠していて、その表情はうかがい知れない。
「僕たちジュノーの村でそれは捕まったって聞いたんですけど、違うんですか?」
「それはあれだ。前日の情報だ。確かに捕まえはしたんだが、あの時の奴は動く死体の一部に過ぎない。ここ数年見かけることは無かったんだが、最近になってまた動く死体の本体が現れるようになったのさ」
海の男は言う。動く死体の本体とは、どういうことだろうか? 伊集院の件とは別に、そういう魔物がいるということか?
「本体がいるなら、その本体も捕まえちゃえばいいのに」
ココがそう提案するも、海の男はとんでもないことだとばかりに顔をしかめた。
「何てことを言いだす子供なんだ。あんな魔族も近寄らないような得体のしれないもの、捕まえるなんて無理に決まってる! 恐ろしや、恐ろしや……」
こんな屈強な海の男が、あまりにも大げさに怖がっている。魔物よりも恐ろしいもの……。それは一体、どういった類の存在なのだろうか?
「ふーん。ちょっと、興味が湧いてきたなぁ。いる場所がわかっているなら、一先ずそれを倒しに行こうか」
ココは修馬の綿織物の鎧の裾を引っ張りそう言った。だがそう言われても素直に首を縦には振れない。
「おい、お前らこの子供をどうにかしろ。好奇心が旺盛なのはわかるが、動く死体は気が弱い者なら目にしただけで正気を失うほどの化け物だ。だからこうして、皆、家の扉をしっかり閉めて夜に備えているんだ。わかるだろ?」
扉も窓も閉め切った家々を示し、海の男は説明する。
「どうする? ココ」
修馬が聞くと、ココは即答する。
「うん、行くよ」
「じゃあ、しょうがない。行くかぁ……」
「気は確か、あんたらっ!?」
全力で心配してくれる海の男。見た目はかなりいかついが、意外と優しい心を持っているようだ。
「先日、同じようなことを言って、廃灯台に旅立っていった金髪の女剣士がいたが、未だ戻ってきていない。恐らく彼女も動く死体の餌食になってしまったのだろう。本当に申し訳ないことをした」
海の男はうな垂れながら言う。金髪の女剣士。それはもしや……?
「それ、マリナンナのことかな?」
修馬と同じことを考えていたココが聞いてくる。だが別の可能性も否定出来ない。
「いや待って。もしかするとシャンディ准将のことかもしれないよ」
先に蜃気楼の塔から下りていった、彼女の名を上げる修馬。だがそれは海の男にすぐに否定された。
「その女剣士が何者かは知らないが、シャンディ准将ではない。顔を見れば流石にわかる。大体シャンディ准将率いる騎兵旅団は今、緩衝地帯になっている旧首都エクセイルに向かったはずだ。東軍がそこに侵攻しているという噂があるからな」
そういうことなら益々、灯台に向かったのはマリアンナである可能性が高くなった。あまり乗り気ではなかった、灯台での動く死体の討伐。しかしこれではっきりと行く理由が明確になった。だが、先ほど海の男が言った言葉も無視することが出来ない。
東ストリーク国が侵攻し、西ストリーク国と同盟関係にある共和国騎兵旅団とぶつかれば、遂に戦争が始まってしまうだろう。世界を二分する戦争に発展しかねない内戦を止めなくてはいけないが、それを先送りして、マリアンナがいる可能性がある灯台に向かうか。
今、突きつけられる2つの選択。たがココは、笑顔を湛えたまま「東軍が侵攻してるのかぁ。どうする?」と聞いてきた。
深く考えを巡らせていた修馬だったが、ココのその表情を見たら自然と肩の力が抜ける思いがした。
世界を救うことも大事だが、今は手に届く自分の仲間を助けたい。仲間がいなければ、世界の平和何て、自分1人の肩にはあまりにも重すぎる。
「戦争を止めるのも大事だけど、今はマリアンナと合流することが先決だ。俺たちは灯台に向かう。ついでに動く死体とやらも討伐しよう」
修馬の決断に、伊集院も小さく「そうしよう」と同意した。素直な伊集院に違和感があったが、恐らく彼は一刻も早くこの町から出ていきたいだけだろう。
「俺は知らないぞ! お前ら動く死体に取り込まれて、一生夜の闇を彷徨うことになるからな!」
海の男による駄目押しの脅し文句。死体に取り込まれるって何だろう? 例のゾンビに噛まれた者がゾンビ化するっていうあれか?
「ところで動く死体って、どんな魔物なの?」
「魔物なんかじゃない。人間の死体、動物の死体、魔物の死体。それらを全部取り込んで一体化している恐ろしい冥界の化け物だ」
海の男は口にするのもおぞましいといったように口を曲げそう叫ぶと、自分の家があると思われる方向に逃げていってしまった。




