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手紙

 一週間後に二学期の始業式を控えたある日のこと。


 ついに、自宅の母親から引き揚げてくるように電話があった。長峰の肖像画も完成して、伯母の家へ滞在する理由がなくなってしまった花蓮は両親が待つ自宅に帰るしかなかった。

 だが、あまりにもタイミングが良すぎたのも引っかかる。

 やんわりと恋愛対象外と言い渡された花蓮にとって、長峰とこれ以上一緒に過ごすことは針のむしろだった。

 母からの電話は救いだったのである。

 蓮実か伯母が自宅に何かしらの報告をしたのかもしれない――そう気づいたのは、新学期がはじまってだいぶ後になってからだ。

 それまでは心の余裕などまったくなかった。


 長峰は、何もなかったように不愛想な態度で花蓮たちを送り出してくれた。恋愛ごっこの相手はできないという彼の言葉どおり、自分は恋愛対象にはならなかったのだろうと思った。

 暢気に手を振って見送ってくれた顔を思い出すと、多少ムカつきもしたが嫌いになれるものではなかった。

 長峰の本心が垣間見えてからは、尚更――



 9月も中旬になって、やっと残暑も落ち着いてきた。

 学校の演劇部は、いよいよ活動内容が問われる怪しいものになってきた。

 成り行きで部活の顧問になった教師もようやく体調が回復して部室に顔を出すようになった。生徒の自主性を尊重すると言っているが、文化祭や演劇コンクールの参加さえしてくれれば余計な活動を推奨せずことなかれ主義の姿勢を保っている。

 自分にやる気があっても埒が明かないと思いはじめたときに、母親が初めて舞台の芝居を見に行こうと誘ってくれたのだ。

 母はとくに見たい芝居があったわけではなかったようだが、「花蓮が演劇部に入ったのなら、勉強がてらに楽しめるでしょう?」と当日チケットを購入できる小さな劇団の芝居を見に行った。


「私が演劇に興味を持ったから誘ってくれたの?」

「そうねぇ、あなたもお芝居の面白さぐらいはわかる年頃かなぁと思ってね」


 母が選んでくれた作品は、温泉旅館を舞台にしたラブコメディーだった。

 主人公は東京の大学を卒業して実家の旅館を継ぐためにUターンしてきた女性。個性的な仲居たちを相手に若女将見習いは悪戦苦闘。

 実家の稼業とはいえ、自分に旅館を継ぐ資格があるのか主人公は苦悩する。

 東京で別れを告げてきた恋人が未練を断ち切れずに実家まで追いかけてきたり、地元の幼馴染を初めて異性として意識したりと恋の鞘当ては見事観客を引きつけた。

 おまけに身元を偽った宿泊客のなかに旅館専門の泥棒が潜んでいるとわかり、物語はハプニングの連続で笑いあり、涙ありで客を飽きさせることはなかった。


 母が、自分にも楽しめる作品を紹介してくれたのだとわかり、花蓮は素直に感謝した。しかし、母親は花蓮をさらに驚かせる隠し玉を用意していたのだ。

 舞台裏、つまり出演者たちの楽屋を訪問する許可を取っていたのである。


「ウッチーお邪魔さまぁ~!」

「うぉっ、本当に子連れかよ。」


 なぜか顔パスで楽屋まで案内されてしまった。

 しかも、家を出るときから母が手に提げていた紙袋は、楽屋への差し入れてあることが判明した。


「こちらは座長さんの内田さん。昔飲み友達だったのよ♪ そのうちお芝居見に行くって伝えておいたから警備員にも止められずに済んだわ」

「花帆ちゃんが来てくれるならばなんだってOK出すって! しっかし驚いたなぁ……クローンみたいにそっくり親子だな!」


 紹介された内田という五十そこそこの男性が今回の舞台座長を務めているようだ。芝居のなかでは旅館の支配人役だったが、メイクを落としたその顔は年相応の『オジサン』である。

 見覚えがある顔だが、名前を思い出せないくらいではテレビドラマでちらりと見た程度だろう。

 しかし、内田氏は舞台上の気どった姿よりも砕けた物腰に親しみを覚えた。


「こんな大きな娘さんいたんだなぁ……驚いたよ! 宮越さん元気?」

「元気よぉー相変わらずだけどね。仕事だ何だってかまってくれないから、この子に付き合ってもらったの。今日の舞台も本当に面白かった、ね?」


 母親から同意を求められた花蓮は慌てたが、自分の思ったとおりの感想を述べた。


「旅館であんな騒ぎが起きるなんて笑っちゃいました。ハプニングが次から次に続くら目が離せないし、仲居さんたちの掛け合いがお笑い芸人さんのネタを見てるみたいで面白かったです!」


 舞台用のメイクを落としていた女性たちがパッと自分たちへと視線をよこした。どこか嬉しそうだ。そこで彼女たちが仲居役の女優らであると気づく。メイクや衣装で、ずいぶん印象が変わるものだなぁと花蓮は呆気にとられた。


「ウチの芝居でカムバックしたいってことならいつでも歓迎するよ。ついでに娘さん参加してみる?」


 今でも芸能界では母の、望月花帆の需要があると知り、花蓮は母親に視線を移す。


「そんなつもりはないの。 今回は娘の社会見学の引率者ってことで来てるから」

「じゃあ、娘さんは芸能界に興味があるってことだろ? いつでもおいでよ、人手が足りないから毎回スタッフ募集だし」

「ええっと……」


 こんな簡単に勧誘されるものかと花蓮がたじろいでいると、先程の女優陣が茶々を入れてきた。


「気をつけなさいよ、お嬢さん。内田さんこう見えても人使い荒いんだから!」

「そうねぇ~私も、昔手伝わせてもらったときは大道具作りまでやったのよね。客演女優にそこまでさせる?」


 花帆が相槌を打つと楽屋内に笑い声があがった。


(大道具作りって……高校の演劇部みたい)


 演じ手と裏方の仕事はきちんと線引きされているのが芸能界だと思っていた花蓮には意外だった。小さな劇団ではどんな作業もこなさなければならないのだろう。仕事を選んでいられないという現実を垣間見た気がした。

 

 上演された芝居の準備や稽古中の話を聞かせてもらい宮越親子は劇場を後にした。

 その際に内田氏から本当に芝居に興味があるならば、気軽に連絡してほしいと名刺までもらってしまった。

 名刺には、劇団名と内田氏の名前。携帯電話の番号とメールアドレスが印字されている。それを眺めていた花蓮は別の名刺の存在を思い出した。


「お母さん、トゥインクルプロモーションって知ってる?」

「私が昔所属していた事務所よ。話してなかったかしら?」

「それこそ初耳だけど――」


 初耳だという娘から世話になった事務所の名前を尋ねられたことは意外だったらしい。カフェに入ってスイーツを食べながら、花蓮は伯母の家に滞在していた間にスカウトマンらしき人物に勧誘を受けたことを説明した。


「さっき名刺渡されるまですっかり忘れてた」


 人生初の失恋でそれどころではなかったのだ。あのときもらった名刺はバッグのなかに入れたままだろう。


「芸能界って大変なところよ。努力しても成功できる人間は一握りだもの」


 引退して家庭に入った元女優だからこそ、その言葉に説得力がある。先程の劇団も芝居はとても面白かったが、劇団としての知名度はいまひとつだと聞かされていた。実力があっても成功できるとは限らないのが芸能界だと窺える。


「でも、花蓮が興味があるっていうなら挑戦してみなさい。何だってやってみなけりゃわからないモノよ。お母さんね、お父さんと恋愛するまで結婚なんて考えたこともなかったし、自分が育児に向いてるとも思ってなかったの。でも、母親になればなったですごく楽しかったし……直感を信じて行動するのも悪くないわよ」


 カフェオレを口に運んだ母は柔和な笑みを浮かべて言った。


「チャンスは足下に転がってるものなの。そこに気づけるかどうかが大事なことなのよ」



 花蓮は芸能界に関心を持つ一方、学生の本分も忘れるわけにはいかなかった。

 来月には中間考査試験が控えている。勉強が苦手にしても、追試だけはどうにか避けたいので何とか頑張らなければと自分に言い聞かせた。


 そんな矢先、自宅に宅配便が届いた。大きくて扱いに困る形状に面食らったが、花蓮を驚かせたのは大きさだけではない。


 送り主を確認すると長峰蒼太ながみねそうたとあり、花蓮はこのとき、初めて彼の筆跡を知った。


 茶色の包装紙に包まれた宅配便は、厚手の板にも見える。

 見覚えのある形状からすぐにキャンバスだとわかった。発送伝票の品物欄に「絵画」と書かれている。

 肖像画のモデルをはじめたばかりのころに、完成したら自分がもらってもいいかと尋ねてみたが、まさか本当に送られてくるとは思わなかった。

 モデルである自分の希望を汲んでくれたのか、と長峰の顔を思い浮かべてしまう。やはり、彼が懐かしい。


 両親にも完成品を見たいから早く開けるように促したが、花蓮自身はどうにも決心がつかず開封しないまま自分の部屋に持ち帰ってしまった。


(なんか……時限爆弾みたい)


「なんでこのタイミングで送ってくるかなぁ……」


 新しい挑戦をはじめたばかり、むしろリサーチ中だ。

 長峰に肖像画を描いてもらった夏の時間を、遠い記憶の隅に追いやることができると思えてきたのに。


 躊躇しているうちに、壁に立てかけた未開封のキャンバスと三十分以上にらめっこをしていた。部屋のドアをノックする音で我に返る。返事をする前に蓮実が顔をのぞかせた。


「お姉ちゃん、まだ開けてないの?」

「ちょっ……勝手に入らないでよ、って、何すんの?」


 いまだ包装紙も解かれていないキャンバスを手にとった蓮実は、表裏を確認した後に開封しはじめてしまった。


「いいかげんお母さんたちに見せないと、この夏何してたんだって怪しまれるよ?」


 現品が手元に届いたのは予想外だった。両親が興味を持たないわけがない。見せないのも不自然だろう。考え込んでいるうちに、蓮実がキャンバスから包装紙を剥がし終えていた。直視できず、花蓮は背を向けてしまう。


「キレイに描けてるじゃない! お姉ちゃんが見せるの嫌がってるから、よっぽど出来が悪いのかと思ってたけど――」


 蓮実は夏休みの間に一度も絵を見ていなかった。ぐーたらな姉に付き合った努力の結晶くらい自分で確かめる権利があると主張されては抵抗できるはずがない。


「あれ……お姉ちゃん、これ見て!」


 妹の呼びかけに応じて振り返ると、蓮実はキャンバスの裏側を花蓮に向けて見せた。


「?」


 額縁に入っていないキャンバスの裏面は、キャンバス地の基礎となる木のフレームが露出している。生地とフレームの隙間に四つ折りの紙が差し込まれていた。咄嗟に手を伸ばして、紙を引き抜く。

 紙の手触りに花蓮はハッとした。長峰の使っているスケッチブックの紙質と同じだ。彼が一枚破りとって使ったのだろう。四つに折られた紙を一枚に広げると、送り主と同じ筆跡で手紙が綴られていた。


〈宮越 花蓮へ

 お前のことだから元気でやってるだろう。 

 絵の具が乾いたから自宅に送ることにした。お前が欲しいって言ってただろ。俺が持ってても旅には邪魔になる。大事に持ってろよ。

 ちゃんと夢中になれるものを探せ。 俺が思うに、お前は熱しやすく冷めやすい性格だが、これと決めたものにはまっすぐぶつかっていける根性がある。そうじゃなきゃ、モデルの仕事も途中で逃げ帰ってたはずだ。

 どれだけ時間をかけても、譲れない自分の道を見つけろ。 歩き続けて、一人前になったら認めてやる。

 それでもお前の気持ちが変わってなければ、俺が受けて立ってやる。

長峰 蒼太 〉


 長峰の真意がわからず花蓮は無意識に首を捻っていたようだ。その光景に立ち会っていた蓮実も遠慮がちに声をかける。


「長峰さん、何だって?」


 どう答えていいかわからず、手紙をそのまま蓮実に渡した。手紙に目を通した蓮実も眉間に皺を寄せて、困っているようだ。


「どういう意味かな、コレ?」

「私に聞かれても……でも、この文面からするとお姉ちゃんはまだ失恋してないってことかな」

「え? 何それ! どういう意味?」


 思いがけない言葉に、花蓮を血走った目で妹ににじり寄る。


「お姉ちゃんが一人前の大人になれば、長峰さんもお姉ちゃんのこと恋愛対象として見てくれるかもしれない、そういうことじゃないの?」


(私が、大人になれば……?)


 もう一度、手紙の文面を確かめる。

 譲れない自分の道というのは、長峰と話した夢中になれる、将来に繋がる生き方のことだろう。それを貫いていればまた彼に逢えるだろうか。

 子どもとつき合っていられないと言っていたのは彼の本心だったのだろう。

 結局、今の自分では長峰と釣り合わない。


「未来のことはわからない」


 自分の気持ちさえ変わらなければ、長峰は受けて立つと言ってくれた。

 ただの子ども相手にキスはしないはずだと花蓮は自分に言い聞かせる。今は、そう思いたい。

 彼はいつ帰ってくるかわからないけれど。

 


「お姉ちゃん?」


 握りしめた拳に力がみなぎる。花蓮に生まれた意志で、小さな希望の光が灯った瞬間だ。


「……私、頑張るよ! 長峰さんを振り向かせるくらい、いい女になってやる!」


 彼の隣りに立つ自分が、自分らしく生きていると誇れるように。

 いつか長峰が戻ってきたとき、胸を張って会うために。




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