第七十七話「力と速と……」
翌日、朝のラジオ体操にはバートンの姿があった。
「……軍艦とは思えん」
朝から何度目かの呟きをもらす。
その目線の先には甲板に集まってくる人々の姿。
確かに一部軍人の様な集団が見えるが、他にも若い女性から老人、子供、はては明らかに人では無い者まで、いろいろな者が入り乱れて体操をしていた。
バートンも初めは危ない儀式かと思ったそれは、皆が楽しそうに参加している様子を見るにつれ考えを改めていった。
そしてバートンはゆっくりと後ろを振り返る。
そこには天高くそびえる鋼鉄の塔が鎮座していた。
「まるで浮かべる城だな……」
バートンは艦橋を仰ぎ見て、そう呟いた。
「おい、そこの!」
「ん?」
バートンは後ろから掛けられた声に振り向いた。
そこには、漆黒のドレスに身を包んだ少女……いや、幼女が一人。
赤毛混じりの金髪を潮風に揺らし、真っ赤な瞳はバートンを見つめる。
「……また、子供?」
バートンが呟く。
「お主、いきなり失礼なヤツじゃの。……まぁ、よい。ほれ!」
そう言うと、少女は右手を差し出してきた。
訳が分からないバートンは反射的にその手を握り返す。
「違うわ馬鹿者! スタンプカードじゃ! スタンプカード!」
「『すたんぷかーど』?」
スタンプカードとやらが何か分からない。
「お主、ラジオ体操の参加者じゃろう? 我自ら判を押しにきてやったのではないか!」
目の前の少女はそう言って小さな胸を張っていた。
「……今、恐ろしく不愉快な念が……」
「……副総統閣下!」
すると一人の若い兵士が駆け寄って来た。
「やぁ、お腹の具合は良いのかね?」
「ご心配おかけしました……じゃなくて!」
少女はバートンと兵士のやりとりを怪訝そうに眺めていたが。
「…………っ! お主! 件の捕虜か!? 貴様! 監視対象をほったらかしてどこに行っておった!?」
「すいません! 昨日、食べ過ぎちゃって……」
若い兵士は少女の怒りに身を縮めながら弁解する、しかし、受け入れられる様子は無い。
バートンは少しその光景を眺めていたが、兵士に助け舟を出すために声を上げた。
「……まぁ、その辺にしてやってくれ”姫君”」
「プリンセスとは……褒めてもなにも出んぞ?」
言いつつ少女は、はにかんでいる。
バートンは少女と兵士のやり取りを見て、少女は王族であると踏んだ。
兵士に対して影響力があり、上等なドレスを身に纏う、教養のありそうな少女。
この条件から王族、それも姫であると推測した。
実際、少女は大和帝国のNo.2であるのであながち間違いではないのだが。
「そうじゃなぁ、良い事を教えてやる。 ”油断大敵”、これを肝に銘じておけよ? 総統と闘うならな」
バートンはその言葉の意味がわからず首を傾げた。
「……ふむ、来たな」
少女は近付いて来る気配にそう呟いた。
それを聴きバートンも目線を向ける、そこには。
「……隊長? バートン隊長!?」
「……ジョーンズ! 無事だったか!!」
グリフォン隊の隊員たちが五人。
皆、体に包帯を巻き、脚を引きずり、ある者は肩を持たれて歩いてくる。
「生き残れただけで奇跡だな……」
そして、少し遅れて近付いて来る昨日の少女。
「……おはよう、お嬢ちゃん」
「おはよ、おっちゃん」
近付いて来るミーシャとバートンは軽く挨拶を交わす。
「お、お嬢ちゃん!? おい! 総統閣下に向かってお嬢ちゃんとは何事か!! 閣下も捕虜相手に馴れ馴れしくしないでいただきたい!」
バートンの言葉に若い兵士が怒鳴った。
「……総……統?」
今度は兵士の言葉にバートンの顔が引きつった。
「あれ? 言って無かったっけ?」
ミーシャはからからと笑っていた。
壊れたおもちゃのようにギリギリと首を回し笑い声の主を見るバートン。
「……あぁ、私の言い方が悪かったのか……そうだな、実質的な最高権力者は誰かな?」
「だから、それが私だ」
ミーシャは自分を指差す。
「……では、次席は……」
「ふはははは! 我が大和帝国副総統マシリー・ノイルンである!」
今度は、黒ドレスの少女が声をあげる。
バートンの前には肩を並べる、七歳児と見た目五歳児。
「……おっと、決闘は可決されたからな、取りやめは無しだ」
ミーシャは昨日開いた会議を思い出す。
「がっはっはっはっ!! 反対なはずがなかろう!」
大和帝国陸軍長官 ヴァルヴェルト・ブーン中将 『賛成』
「「面白そう〜!」」
大和帝国陸軍情報部長官 ポール中将 ボール中将 両名 『賛成』
「……ええんちゃう?」
大和帝国空軍長官兼参謀本部長 ヴィーナ・パーム中将 『賛成』
「こういう機会も必要で御座いましょう」
大和帝国武装親衛隊長官兼特殊警察長官 ゴーザス・ベックマン 『賛成』
「許可出来るわけないだろう!?」
大和帝国海軍長官 メアリ・ノックス中将 『反対』
「ふっはっはっはっは!! 大賛成であるぞ!」
大和帝国軍全軍統括 マシリー・ノイルン大将 『大賛成』
「まぁ、当事者だが。もちろん賛成だ」
大和帝国軍最高責任者 ミーシャ・ラダッド元帥 『賛成』
以上、賛成7、反対1。
賛成多数で可決。
「……というわけで、稽古だと思って付き合ってくれよ」
そう言ってミーシャは通常より少し長めの両手剣の鞘を片手で持ち、差し出した。
バートンは両刃のその剣を受け取り鞘から抜いて眺める。
昨日、兵士に得意な武器を聞かれ、バートンが指定したのが両手剣だった。
通常よりリーチが長く、破壊力を増すために重量も通常より重たい。
ガゼル帝国の、いや、この大陸の剣術の大半は大剣重量主義であり、重たい剣を剛腕で振り抜きあらゆる物をなぎ倒す。
重厚な鎧を身に纏い、大剣で相手の鎧を打ち砕く、それが常識だ。
それ以外の剣は魔法に特化した者か、前線に出ないような高級貴族だけであり、大剣の『剛と破』に対して『速と突』の剣術を用いる刺突の剣術だ。
特に貴族の剣は装飾や持ち運びを重視している、重量や大きさは求めれない。
そして、グリフォン乗りは、特に騎乗からの攻撃の為に槍か長剣を好む、ゆえにバートンも扱いに長けている。
ずっしりとした重みの剣を握り決意した。
「……わかった、加減はできんぞ?」
いささか不満があったもののバートンは了承の意を口にする。
「時間無制限、範囲は甲板上、先に有効打を入れた方が勝者だ」
ミーシャは返事を聞いて勝利条件をのべる。
「まぁ、有効打で相手を殺傷したとしても構わないけどな」
ミーシャが言った最後の言葉に眉をひそめながらバートンはミーシャと距離を取る。
「では、我が合図を出そう! 両者ともに良いな?」
「おーけー」「うむ」
バートンはミーシャと対峙して剣に手を掛けた。
距離にして十歩ほどの位置に佇む少女、片手には細身の反りのついた剣を握っている少女、黒髪を潮風に揺らし構えるでも無くただ佇む少女。
……おそらく、勝負にならない。
バートンは内心ため息をついた。
『油断大敵、これを肝に銘じておけよ』
ふと、マシリーとか言う少女の言葉が脳裏をよぎる。
そして、バートンは思い出した。
少女が、ミーシャが、この重たい長剣を”片手で差し出した”のを。
「……初め!!」
「っ!!」
ダンッ!
本能的な動きだった。
咄嗟に剣を抜き、左側からの斬撃に防御体制を取った。
見えていたわけでも、殺気を感じた訳でもない、一瞬の本能に従って行動した。
ギイィンッ!!
甲板に響く鉄のぶつかる音。
力強く踏み込み、一瞬で間合いを詰め、恐ろしい剣速で横薙ぎの斬撃を繰り出してきた少女、ミーシャを見て愕然とする。
「……さすが、隊長だな」
そう呟くとミーシャは大きく飛び退く。
ギャリイィッ!
と嫌な音たて擦れる剣と刀。
ブォン!
バートンが遅れて長剣を横薙ぎに振り抜く。
「な、何と!?」
バートンは競り合っていたミーシャを吹き飛ばすつもりで振り抜いたのだ、まさかそれよりも早く飛び退くとは思わなかった。
脳が、体が、心が、警告を鳴らす。
目の前の物体は、七歳児の少女などでは無いと。
バートンは重心を落とし、剣を構える。
(本当に加減出来なくなった、殺る気で向かわねば、殺られる!)
ダンッ!
バートンは踏み込み、距離を縮める。
大振りの横薙ぎ。
ブォン!
(これは躱される)
ミーシャはバックステップでかわした。
これは予想通り。
バートンは体をひねり、横薙ぎの力を使って長剣を振り上げた。
流れる様に振り上げられ、頭上から振り下ろされる必殺の一撃。
それは、ミーシャの頭部を的確に捉えていた。
ミーシャは刀を頭上に構え、防御体制を取る。
(そんな細い剣で受け止められるものか!!)
数秒後には剣ごと叩き潰される少女、それがバートンには見えた。
次の瞬間。
シャリイィンッ!
甲高い音と共にバートンは仰け反っていた。
振り下ろしたはずの長剣は、振り下ろした時以上の勢いで振り上げられる。
一瞬、何が起きたかわからなかったバートン。
しかし、彼の頭脳は直ぐに理解した。
頭上に剣を構えたミーシャは受け止めるでも、避けるでも無く、受け流したのだと。
実際、バートンの斬撃を刀で受けたミーシャは刀身で力を殺さずに受け流し、小さな円を描くように長剣を絡め取って真上に返した。
バートンの剣の常識は『受ける』か『避ける』であり『流す』それも『返す』などは知識どころか発想すらありはしない。
あまりの出来事にバートンは体制を崩し後ろによろける。
目の前にはバートンの斬撃の力を借りて小さく飛び上がり、刀を振り上げたミーシャが迫っていた。
ーー死
そんな言葉が脳裏によぎった、次の瞬間。
ゴッ!
バートンを襲ったのは身を引き裂く斬撃でもなく、身を貫く刺突でも無かった。
鈍い音と額に激痛。
刀の柄頭で殴られたバートンは体制を崩したのも手伝って甲板に倒れ込んだ。
「ぐっ!?」
慌てて上半身を起こしたバートンの目の前には太陽の光にきらめく切先があった。
「そこまで! 勝者ミーシャ!」
マシリーの声にミーシャは刀を鞘に戻す。
此度の決闘、時間にして三分ほどの出来事だった。
「……おみそれしたよ」
「どうも。おっさんも怪我人がここまで動けりゃ、たいしたもんさ」
バートンはゆっくりと立ち上がる。
「……まさか、こちらが稽古をつけられるとは……」
「ミーシャの初撃を防いだだけでも称賛に値するぞ? 我が軍でもそうそう居らんからの」
近づいて来たマシリーがバートンに声をかける。
「まぁ、本気で勝ちに行くミーシャには勝てる奴は居らんがな」
そう言ってマシリーは考え込んだ。
そして。
「……丁度良い機会じゃな。ミーシャ! 我が相手をするぞ! 本気の決着付けておこうではないか!!」
マシリーからの宣戦布告が大海原に響いたのだった。




