第三十三話「少年の心と」
厨房に設けられた店内を伺う為の小窓。
そこから店内を眺めていたミーシャは珍しい来店者に気づく。
その男の子は歳は十歳くらいだろうか。
雪の様に白い髪と中性的で可愛らしい顔つき、男物の上等な服を着ている事から男の子でなおかつ上級区の人間である事がわかる。
美少年と言っても過言ではないだろう。
少しばかり気の弱そうな少年は入口で戸惑っている。
ミーシャの中では警告音が喧しいくらいに鳴り響いていた。
急ぎ問題の人物を探す。
その人物は既に行動を開始していた。
そう、師匠であるニッキー・ノーズ、彼女がこの場においての第一級危険人物だ。
さっきまで厨房で駄弁っていた彼女は、既に優しいお姉さんオーラ全開で並みの男ならイチコロな微笑みを浮かべつつ少年の方に歩き出していた。
しかし、ミーシャは知っている。
この微笑の裏にはとんでもない淫じゅ・・・・・・もとい野獣が潜んでいる事を。
彼女と少年をランデブーさせてしまえば、テーブルに案内するフリをして一瞬で自室に連れ込み、真昼間から夜のフルコースを堪能するであろう。
「ニャル!」
ミーシャはもう一人のウエイトレスに指示を飛ばす。
しかし、優秀なダークエルフは既にオペレーションを開始していた。
いつの間に忍び寄ったのか、ニャルは物音一つ無くニッキーに近づき、素早く足にローキックを叩き込む。
「〜〜〜〜ッ!」
微笑みを凍りつかせたまま痛みに耐えるニッキーを尻目にニャルは少年に歩み寄っていた。
「イラッシャイマセ、ドウゾ」
「へ? あ、あぁ、ありがとう」
流れる様な一連の動作に困惑しつつ少年は席へ付く。
一方、ニッキーはうずくまって痛みに耐えていた。
そんな彼女に注がれる視線は8割が『ざまぁ』で残り二割が『何? この人ナイワー』である。
悔しいのか、痛みを耐えている為なのかニッキーは目尻に涙を浮かべていた。
「・・・・・・・救いはないの?」
(ネーヨ)
ぼそっと呟いた彼女の言葉を心の中で否定し、ミーシャは自分の仕事に戻っていった。
一方、ニャルは少年をテーブルに案内後、水とおしぼりを出して注文を受けていた。
「ゴ注文ハ?」
少年はメニューを見ながら考える、まだ迷っている様だ。
ちなみに料理名と料理の内容を書き込んでいるため若干大きなメニューになっている。
例えば「オムライス」と言われてもこの世界の住人は理解できないためだ。
「じゃ、じゃあ、この『ヒガワリ』これをもらうよ」
それを聞くとニャルは小さく一礼をして厨房のミーシャに声を掛ける。
「アルジ、『ヒガワリ』一人前」
「よし、日替わりな。あぁ、ニャル、あの情けない人を回収しといて」
了解の意を伝えた後、まだ悔し涙を浮かべ歯を食いしばって耐えている師匠を指差す。
「・・・・・・了解」
返事をするとニャルは歩いて行った。
さて、ここチハタン食堂では、定食屋お馴染みのメニューである『日替わり』が存在する。
ちなみに本日の日替わりは
他人丼、大根と玉ねぎの味噌汁、きゅうりとワサビの葉の漬物、である。
デザートに大学芋も付いている。。
「・・・・・・・あっ」
そこでミーシャはあることに気づく。
「なあ、ニャル。あの男の子に食べれない物ないか聞いた?」
そう、異世界において重要な事。
それは食べれる物と食べれない物。
獣人族では玉ねぎなどが食べれない種族も多いし、宗教上の理由で食べれない物や地域的に食べることを嫌がられる食材もある。
「・・・・・・ゴメンナサイ」
ニャルはシュンとうつ向いて謝ってくる。
キュン死って本当にあるんだなと思ったミーシャである。
「ま、まぁ、仕方ないか。うちの日替わりは出てきてからのお楽しみな所あるし。料理を出した時に確認してくれ。問題がある食材があればすぐに取り替えるから」
チハタン食堂の大人気メニューそれが『日替わり』である。
この店にやって来て迷ったすえに選ばれるのがこのメニューなのだが、実は常連客ほど日替わりを選ぶ人が多い。
多くの常連客は今日の日替わりは何かを熱心に論議しながらワクワクしながら料理が出てくるのを待つ。
故に料理の書き出しはネタバレになってしまうので常連客からは非常に嫌われている。
「ワカッタ」
ニャルはお盆を持って少年のところへ向かっていった。
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少年は落ち着かない様子で椅子に座っていた。
まず彼が驚いたのは清潔で暖かいフキンが出てきたこと、それから冷えた水が出てきた事である。
一般の料理店ならフキンなど出てこないし、水も井戸から組み上げられた後、壷に入れられたぬるくなった水が出てくれば良いほうである。
父に内緒で家を抜け出し、最近メイドたちの間で話題の『定食屋』、それがこの『チハタン食堂』だった。
立地的には大通りを外れた悪い場所だが、店舗の横に置かれた不思議なモニュメントのおかげで異色の存在感を放っているその食堂を間違えることはないだろう。
注意深くメイドたちの世間話を聞きその場所を突き止めた彼は、金貨を数枚握って屋敷を飛び出した。
大々的に売り込みをしている訳でも無く、かといって貴族御用達の高級店でもない。
格安で料理を提供し、注文からほんのわずかの時間で料理が運ばれてくる。
そして味はもちろん美味であり、何より異国の地の見た事のないような料理が食べれる。
そんな噂を聞いた彼はいてもたってもいられなかった。
しかし、彼はとても心細かった。
勢いで屋敷を飛び出してしまったが、普段上級区以外のエリアには入った事が無く、屋敷では専属のシェフが作った料理を食べ、まともな金銭感覚も無い。
それがこの少年だった。
それに一般区の料理店は柄の悪い酒場程度の認識しかなく、荒くれ者が集まり昼間っから飲んで騒いでいる場所位のにしか思っていなかった。
実際にアーコードの他の店は大体そんな感じだった。
しかし、ここは違う。
確かに一部、昼から飲んでいる酔っぱらいは居るが。
掃除の行き届いた清潔な店内。
よく言えばさっぱりした、悪く言えば味気ない雰囲気の食堂。
この空間は何か落ち着く様な、どこか異世界の様な、そして平和とはこう言う物だと思える程の雰囲気が満ちている。
そんな事を考えていると先ほどのダークエルフの少女が料理を持ってやって来た。
料理を注文してからあまり時間は経っていない。
少女は料理をテーブルに置くと、先程から喋るときに喉に当てている不思議な道具を使いくぐもった声を出した。
「今日ノ『ヒガワリ』ハ『他人丼』、食ベレ無イ物ガ有ッタラ言ッテ」
そう言うと少女は行ってしまった。
少年の視線はすぐに目の前の料理に戻る。
なんと言い表せばいいのだろうか。
彼は他人丼なるものがなんなのかは知らないが、大きくて深い椀にかけられた卵と思しき黄色い物と時々見える肉。
茶色い良く分からないスープ、それからシワシワになった野菜がちょっと盛られた小皿、茶色いドロドロの物が掛かった角切りのポテト。
彼は落胆を隠す事が出来ない。
(所詮噂は噂か・・・・・・)
そう思った彼だったが、立ち上る香りに彼のお腹は自己主張を始めた。
(せっかくだ少し位は食べてみるか・・・・・・)
彼はスプーンを持って『他人丼』に手を伸ばす。(二本の木の棒が置かれていたがそれがなんなのかわからなかった)
まずは一口。
(・・・・・・・!!!!)
そこで彼は今までの評価を一変させることになる。
口に含んだ瞬間にとろける卵、溢れ出す豚肉の旨味、だしの染み込んだ玉ねぎの食感、そしてそれらを受け止める米。
彼は黙々と食べ続ける。
美味い! この幸福が体中から溢れ出るようだ。
ここで一休みして例のしおれた野菜を一口食べる。
(これも美味しい!)
塩味の聞いたシャキシャキとしたきゅうりとピリッと刺激が鼻を抜ける葉(彼はわさびを知らない)。
ここでスープを一口。
「・・・・・・ほぅ・・・・・・」
思わずため息が漏れる。
幸福なひと時とはこう言う事をだと思う。
不思議な味のするスープだが味の染み込んだ大根と玉ねぎが口の中で旨味を解き放つ。
次に角切りにされたポテトを一口。
外はカリカリで中はホクホク。
甘いソースをまとったソレは幾らでも食べれてしまいそうなほどだ。
ひとしきり味わった彼に次の一言を止める事は出来なかった。
「ウェイター! すまないがこの料理を作った方をここへ連れてきて欲しい!」
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「は? お客が呼んでる?」
ミーシャは思いっきり嫌な顔をしていた。
いくら頭にバンダナを巻いて髪を隠していると言っても『クロ』だとバレるような事はしたくない。
そして、呼んでいるのが例の貴族っぽい少年である。
明らかに面倒な事になる予感がする。
何より料理人を呼んでいると言う時点でよろしくない。
『この丼を作ったのは誰だ!!?』
とか某美食屋の様に言われたくは無い。
相手は貴族なのだ。
『貴様か!? 貴様は死刑だ!!』
とかガチで言ってくる可能性がある。
「デモ、今アルジシカ居ナイ」
ニャルが困った様に語りかけてくる。
ゴットンが買い出しに言っている今、相手をできるのは料理したミーシャしか居ないのだ。
少年の様子を伺うニッキーにはもっと無理だ、彼女は様子を伺っているのではなく獲物を襲おうとしているのだから。
「わかった、わかったよ」
渋々調理場から出て行くミーシャ。
(面倒事じゃあありませんように)
そんな彼女の願いは少年の一言にあっけなく崩れ去った。
「ぼ、ぼぼぼ、僕と結婚してくださいッ!!!」
「「「ハ?」」」
13.05.15 一部修正しました
13.10.17 誤字修正しました。ご指摘ありがとうございます。




