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後日

「君はあの審議をどう思った?」

 グウェンが検事局の自分のデスクで仕事をしていると、意外な人物がやってきて開口一番にそうたずねる。

「エピソネ弁護士、お久しぶりです」

 今日もあつらえたばかりの様なチャコールグレーのスーツをまとい、気が付けば、フロアにいる他の検事官からの視線を一身に浴びていた。

「それで……?」

「あの、このではなんですので、応接室に」

 グウェンは立ち上がると、エピソネの背中を押して、応接室に押し込んだ。

「すみません」

「いや、こちらが押しかけてしまったから。あの裁判で、君の立場が悪くなったらいけないと思ったが、大丈夫そうだね」

「お気遣いいただきありがとうございます。負け戦にになると最初からわかっていましたから。どうってことはありません」

 リリーはあの後、グウェンの所に挨拶に来てくれた。抑留は確かに大変だったが、グウェンが担当検事官だったからよかったと。そんな言葉をかけてくれたのを思い出す。

「もし、私が検察側だったのなら、勝利をおさめただろうと言っても?」

「え……?」

 グウェンは一瞬、なにを言われているのかわからなかった。エピソネ弁護士は、ただ微笑みを湛えたままで、口を堅く閉ざす。なぜかは教えてくれないようだった。

「リリー・アスセーナス様はお元気でいらっしゃいますか?」

 王都の一画で、自身のネイルサロンを経営していると話していたのを聞いていた。だから、また、きっとネイルサロンを再開しているのだろうと思っていたのだが、現在も休業中だと知って、グウェンなりに心配をしていた。

「彼女は今アンバー王国にはいない」

「旅行中ですか?」

「さあ」

 エピソネの言い方には含みがある。

「先ほど仰られた、エピソネ弁護士だったら裁判に勝てたと言うのはどういった意味です? 私の力が至らないのは充分わかっておりますが、今回の裁判は私自身準備をして、正直勝てる見込みがないと逆に確信していました。けれど、先ほどの言い方ですと、私自身に見落としがあったと。そう言われているような気がしたものですから」

 グウェンは思っているまま、そのままに言葉にした。エピソネ弁護士が検事局まで出張ってきて、わざわざ裁判についてどう思うかをたずねて来るなんて、現実問題としておかしな気がした。つまりは、彼がここぶ来るだけのなにか事情がある訳だと。

「多分、君だってそれについてはわかっていると思う。その手がかりは私よりも君の方がよく知っているはずだから」

「私の方がよく知っている?」

 グウェンは首を傾げるばかりだ。エピソネの視線がグウェンの手元に移動したのを見て、自身の手を見る。ここに来る時に筆記用具も資料も書類も全て自分のデスクに置いて来たので、今は何も持っていない。あえて言うとすれあ、ジェルネイルがつやつやとしているくらいだろう。

 あの時、リリーに施術してもらってから、はまってしまい、逆にジェルネイルをしていない爪が自分じゃないような気がしてしまっていた。リリーネイルが休業のため、現在は、別のサロンを自分で見つけて通っている。もちろんそれはそれで満足をしているのだが、未だに初めてリリーにネイルを施術してもらった時の衝撃を越えることはない。

「私の手元になにかありますでしょうか?」

 エピソネは笑みをもらし、

「君はあの鉄格子の中で、お嬢様にネイルの施術を受けた。間違いないね?」

「それは……」

「別に責めている訳ではない。今日、私がここに来たのは、貴女の行動の是非を問いたい訳ではないので。それに、その時の状況は想像できます。多分、お嬢様の方からやらせてほしいと申し出たのでしょう」

 グウェンが顔色を悪くしたのを見て、エピソネはやんわりとそう言った。

「でも多分、今されているネイルはお嬢様が施術したものとは異なっていますよね?」

「……はい」

 リリーと最後に会ったのは三か月も前のことだ。

「じゃあ、君はもう答えを解ける材料をすでに手にしているのです」

「私がですか? そう仰られても、何のことだかさっぱり」

 エピソネは息を吐くと、足を組み、腕を組んだ。

 解けないなぞなぞを提示され、それが解けないことに対して、さらに怒られているような居た堪れない気持ちになる。

「うーん。説明するのが少々難しいですね――率直にききますが、お嬢様の施術されたネイルと、他のネイルサロンとでは仕上がりは一緒でした? それとも違うと思われましたか?」

「私の率直な感想を申し上げると、違うと思いました」

「どう違うと思いましたか? 明確に答えられずとも自分の感覚でお話していただければ結構ですよ。別にここは法廷でもないですし、先ほども申し上げましたが、私は君の責任や過失を追及したい訳ではないのです。気を楽にしてお話ください」

 流れてくるエピソネ弁護士の噂では、誰かを陥れるような性格ではないらしいと聞くので、言葉の通りなのだろうと信じて、グウェンは自身が思ったことを素直にそのまま口にした。

「どちらの方が満足できる出来栄えだったかと聞かれれば、それはやはりアスセーナス様だと思います。他に行ったサロンと言っても、一か所だけですけれど、使われている道具に関しても、アスセーナス様のところで使われていた道具と確かに似ているんだけれども、多分、性能が違うといいますか。あとは、カラージェルの色ですね。やはりアスセーナス様のところで使用している色の方が洗練されている感じがあるなと、そう言った印象を受けました。彼女の技術もしかりだと思います。他のネイルサロンがダメだと言う訳ではないのですが、なんとなく根本的になにかが違うと、思いました」

 グウェンがそう言い切ったのをエピソネ弁護士は興味深そうに聞いていた。

「君は、もう核心部に近づいているんですね」

 などと言うのだから、なおさら彼が何を言わんとしているのか、さっぱりわからない。

「ごめんなさい。エピソネ弁護士が本当に何を言いたいのか、見当もつきません」

 困ってしまい、思わずそう言葉がついて出た。

「まず、ジェルネイルの出来栄えがお嬢様と他のサロンとは異なると仰られました。そして、その理由について、もちろん個人の技術もあると思うが、使用している機器や道具が異なると」

「はい」

 そう感じたのは嘘ではない。グウェンは頷く。

「なぜ、機器や道具が異なるのだと思います?」

 エピソネ弁護士の不思議極まりない質問に視線を泳がせる。

「アスセーナス様はその血筋から、フリッツ商会とも深い繋がりがあります。ですから、ネイルサロンで使用される一式についても、フリッツ商会から仕入れられて云わば使用権を独占的に持っていらっしゃって、他のネイルサロンには卸せないようにしいているのでしょう。ですから、他のネイルサロンで使用されているのは、見様見真似で製作された汎用品だからと言うことでしょうか。――別に、アスセーナス家は貴族の家柄ですし、独占するのが悪だとかそういったことを言いたい訳ではありませんから」

 エピソネ弁護士は大きく頷く。

「もちろん。その認識は多分君だけではなく、リリー・アスセーナスに関わった誰もが抱く印象でしょう。ですが、その認識がもし根底から間違っていたものだとしなたらどうでしょう?」

「それはつまり?」

「ここに一つの動かぬ事実があります。実は、フリッツ商会では、ネイルサロンのインテリアに使用している家具や調度品は全て提供をしていると言うことですが、ネイルサロンで使用している――例えば、ネイルライトやジェル、筆だとかの提供は一切行っていないのです」

「…………え?」

 グウェンは思いっきり大きく目を見開いた。

「フリッツ商会の担当者も困っていたそうです。他のネイルサロンから、リリーネイルで使用している、ジェルや道具など一式を購入したいと申し出があっても、フリッツ商会ではそもそも取り扱っていない訳ですから、泣く泣く断るしかないと」

「フリッツ商会ではないとすると、アスセーナス様はどちらから、仕入れているのでしょうか。まさか、サマン重工?」

「それはないですね。あの裁判の一件で私もサマン重工について調べましたが、そういった事実は一切出て来ませんでした」

「じゃあ、一体どこと取引をして?」

 エピソネ弁護士は意味深長な視線をグウェンに投げかける。

「アスセーナス子爵家でもフリッツ商会でも、その部分については誰もが疑問に思っていたそうです。肝心のお嬢様に直接たずねても、企業秘密だからと言って。多分、側近のエドとアリには話していたようですが、彼らはお嬢様に絶対的な忠誠を誓っていますので、間違っても漏らすようなことはないでしょう。ですが、ご家族も万が一を考えて、そのことを私に相談されていました」

「それで、どこかわかったのですか?」

 エピソネは首を横に振る。

「私の持ちうる限りの全てを使って調べましたが、お嬢様と取引をされた、業者、商会、一切ありませんでした」

「でも、それはおかしいですよね? ならばどうやってネイルの施術を?」

 財産をちょろまかすために、架空会社をつくり、嘘の発注をかけてと言うような話は聞いたことがあったが、彼女の技術は本物だ。リリーネイルは本当にネイルサロンとして間違いなく稼働していた。グウェン自身も体験して知っている。

「そこで、私は一つの仮説を立てたのです。もしかして、お嬢様はご自身でネイルの道具を製作されているのではないかと」

「そんな、まさか」

 冗談交じりに返したが、エピソネの表情が、この上なく真剣であるのと、逆にエピソネが提示した仮説以外の可能性があるかどうかを考えた時、リリーが自身で道具を製作していた可能性がエピソネが言うように一番可能性が高いと思ってしまった。

「ですが、どうやって?」

 気が付くとそう口にしていた。エピソネは心なしか身を乗り出し、小声で、

「私が法廷でお嬢様のスキルについて明かしたことを覚えていますか?」

「はい。確か、”創造力”と」

 プライバシーの観点からみだりに他者のスキルについてはなすべきではないと、自分に戒めを課していたため、なんとなくぎこちない言葉遣いになる。

「そうです」

「そのスキルがなにか関係あるのですか? 法廷では確か、人よりもソウゾウする力があると言うことだけだと」

「それは、周囲の人の認識で、お嬢様が自身のスキルに関してそう話したわけではありません」

 エピソネの言葉がぴしゃりと響き、彼は夢物語で言葉を話す訳がない、何か確信があってここまで話をするのだと思い息をのんだ。

「ソウゾウと言うのは、空想する力ではなく、何を生み出す、創り出す力があるとおっしゃりたいのですか?」

 おそるおそる述べた言葉にエピソネは満足そうに微笑んだ。

「仰る通りです。ですが、すべて仮定の話ですので、これを話したのは君が初めてです。でもそうするとすべてがつながってくると思いませんか?」

「確かにリリー・アスセーナス様が経営されていたネイルサロンがあそこまでの反響をあったことについて納得ができます」

 彼女が作ったから、リリーネイルは唯一無二なのだ。他のサロンと仕上がりも何もかもが違ってることについて納得がいく。

「私が言いたいのは、そこではなくあの法廷で審議されていた件だ」

 グウェンはきょとんと、首を傾げる。

「スティーブン・シャーマン氏の殺害についてですか?」

「シャーマン氏を殺害した犯人について進展はありましたか?」

「いえ」

 事件は迷宮入りしそうな雰囲気が漂っていた。グウェンも様々な方面に助言を求めて捜査をしてみたが、完全に手詰まりだった。

「犯人を知りたいと思いませんか?」

「もちろん。私が関わった事件です。最後まで取り組みたいと思っています」

「ここから私が話すことは、もう公になることはないだろう。だから、君の胸の内だけに留めて置いてほしい。そもそも、全てが仮説であり、証拠がある訳ではないのだから」

「わかりました」

「スティーブン・シャーマン氏を殺害したのは、リリー・アスセーナス嬢です」

「え……」

 グウェンが、呆然としているのを横目にエピソネは話を続ける。

「状況的に考えてそれしかない、君だって、スティーブン・シャーマン氏の執務室に簡単に第三者が立ち入る事は出来ないと説明していたでしょう」

「確かにそれはそうですが――でもどうやって? 動機は?」

「私が説明できるのは”どうやって”の部分だけです」

「つまり?」

「凶器を、創造力のスキルをつかって殺傷力の高い武器を作ったのです。多分、お嬢様のスキルは、自分が創造したものを生み出せるようなスキルなのではないかと思いますので」

「まさか……でもそれが本当だとすると」

「すごい力です。多分、彼女は自分のスキルの力の本質をわかっていたのでしょう。だから、誰にもスキルの詳細については話さず、ただ空想に長けたスキルだと認識させていた。話を戻すと、シャーマン氏の執務室でスキルの力を使い、シャーマン氏を殺傷しうるだけの凶器を作り出した。恐らく彼女がオリジナルで製作したものだから私達が見たこともないもので、ただ、形状が刺傷が出来るも。シャーマン氏を殺害し、彼女はどこかにスキルを打ち消す道具を所持していたのだろう。その道具を駆使して、凶器や痕跡を消失させた」

 グウェンはその話を聞いてドキリとした。あの日、裁判所で追いかけてきたエリアナは何と言っていただろうか。

「しかし、彼女の創造力スキルをいくら行使したとしても出来上がったものは物質ですよね、それをスキルとして打ち消すことは可能なんですか?」

「実証済だ。実は、アスセーナス家のとある方に協力を頼んで、彼女が使い終わったネイルサロンで使用していた一部備品を預かり、実験してみると、そのゴミは消失した」

 グウェンは口をつぐんだ。こうなると、エリアナから聞いた話を言うべきか言わないでいるべきか迷ったが、目の前のエピソネはもう全てを分かった上で、今ここで話をしているのだろうとも思った。

「エピソネ弁護士は、シャーマン氏と執務室に二人きりになった時に、アスセーナス様が自分のスキルで凶器を作り出し殺害。そして、道具を使って凶器を消失させた。そして、なにくわぬ顔で、あたかも会談中に急にシャーマン氏が倒れたと言って外部に助けを求めたと」

「そうです」

「でも、そうすると、動機は……?」

「それだけが、私にもわかならい。いくら調べてもお嬢様とシャーマン氏の接点はほぼない。もし挙げるとするならば、君が法廷でも取り上げていた、エド・ヴァルマのこと。彼女は自分の周囲の人間をとても大切にしていたから。ただそれも、エド・ヴァルマが亡くなっていたなら、殺害に至った強い動機として鮮明になるのだが、そうではない」

 エピソネ弁護士はお手上げだと言わんばかりに両手を頭上にやる。

「もしかしたら、アスセーナス様には私達の知らない誰か大切な人がいて、その人をシャーマン氏に殺害されていたのかも」

「それが誰かは?」

「……わかりません。アスセーナス様の交友関係は私も一通り調べてみましたが、サマン重工が絡んでいる、もしくは説明のつかない不審な死を遂げた人はいませんでしたから」

「そう、そうなんだ。だから、私が考えた道筋も結局仮説の域を出ない」

 グウェンは腕を組み、

「もしかしたら、前世にそんな人がいたのかも」

「ん?」

「いえ、なんでもありません」

 言葉にして自分の考えがあまりにも突拍子もなく、ばかばかしく思われた。

 エピソネが、「もし可能性があるとするえば、そのぐらいだろう」と、小さくつぶやいたのだが、彼女の耳には入らなかった。

「ところでアスセーナス様はどちらに行かれたのです?」

「さあ、戦争も終結したこの国にも様々な形でメスが入るだろう。もしかしたら、貴族の身分自体がなくなるかもしれないとまことしやかに囁かれているぐらいだから。まあ、お嬢様はあまり身分に強いこだわりのある方ではありませんでしたけれど、居心地が悪くなるのは目に見えていますからね。この国にいるよりも、別のどこか他の国に行った方がいいと思われたのではありませんか?」

「なるほど」

「エドとアリを引き連れて三人で世界を見に行くと、そう言ったきり。もしかしたら、今頃、別の国でネイルサロンを開いているかもしれません」

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