判決
「審議を再開する」
木槌の音と共に、裁判長が声を張り上げた。
被告人として法廷に着席するリリーは朝見た時よりも、顔色が心なしか良くなっている気がした。もしかしたら、彼女が無罪であることの材料が着実に積みあがっていることに対して、安堵したのかもしれない。検事官として良いか悪かを聞かれると、もちろん良くないのだが、グウェン本人としては、それで良かったと思っている。
ただ、今になって喉の奥に小骨がつっかえているような違和感を覚える様になった。エリアナの話を聞いてからだ。しかし、自分でも違和感の正体をつかみきれていない。
「弁護人側の最後の証人喚問を行う。弁護人」
「はい」
エピソネが返事をして立ち上がる。それと同時に一人の男が法廷に入って来た。全身を黒いローブで覆い、ローブの隙間からぎょろぎょろと鋭い視線が辺りをのぞく。グウェンは仕事柄、様々な職種、立場の人の会うことがあり、なんとなく相対した際に相手の身分はなんとなくわかるようになった。トオガを見て直感的に、この黒いローブの男は堅気の人ではないなと感じる。
「名前を」
「トオガ」
裁判長からの問いかけに吐き捨てるように言ったのをエピソネが睨みつける。トオガは忌々しそうにため息をつき、
「暗殺ギルドに所属するものである」
いけしゃあしゃあと言った。
まさかそんな奥の手を用意しているとは、グウェンは思わず驚きのあまり息をすることを忘れていた。敏腕弁護士と言うのは名前だけではないのだと実感させられる。
「彼の立場上、これ以上名前と姿形を明かすことが出来ないことをご理解いただきたいと存じます。今回、ここに来てもらったのは、うら若き一人のご令嬢が、言われなき罪を突き付けられていることを相談すると、彼女の無罪を晴らすために、心よく応じて下さいまして。その辺りをご理解いただけると幸いです」
裁判長は奇妙な表情を見せながらも、
「よろしい。では、証言を」
異例ともいえる裁判長の判断だと思われるのだが、トオガはそんなことお構いなしに、むしろ早く帰りたいとでも言わんばかりの空気を放ちながら口をひらく。
「依頼主の名前を明かすことは出来ないが、サマン重工に対して、暗殺者を差し向ける様に指示があったのは事実だ」
「ここは法廷です。貴方が知っていることを滞りなく証言していただきたいのですが」
裁判長の言葉に、トオガは地の底から響いてくるような笑い声を立てる。
「アンタ、それを本気で言っているのかね? 世の中には知らない方がいいことがあるってことがわからないのかね――――まあ、別に言ってもいいが、言ったところで、そこにいらっしゃるお嬢さんの裁判どころではなくなることなんて目に見えているが。それでもよろしいか?」
含みのある言い方に背中がぞわりとしたのはグウェンだけではないだろう。
裁判長に視線を向ける。さらに辛辣な言葉を並べるのかと思っていたが、そんなことはなく、むしろ蒼白い顔でトオガを見つめているばかりだった。
「今回の裁判で審議されているのは、被告人であるリリー・アスセーナスがシャーマン氏を本当に殺害したのかどうか。その点です。ですから、依頼主の部分についてはさして重要ではないかと思いますが、いいかがでしょうか?」
助け船を出すエピソネに、肯定の意を示す様に裁判長は頷いた。
「弁護人の言う通りだ。では、話を続けて」
トオガは裁判長の言葉に皮肉ともとれる笑い声をあげる。
「弁護士さんは話が良くわかる人のようだ。話を戻すが――あのスティーブン・シャーマンと言う男は、よっぽど人から恨みを買うのが得意な人間なようで、依頼人は一人ではないということ。だから、いくつかのグループ、何人もの暗殺者を襲撃に向かわせた。しかし、相手も生きることに必死のようで、かなり防衛に対してして人員も資金もさいたようだった。そのため、業務を遂行するのが非常に難しい状況だったと言わざるを得ない。こちらは何度か精鋭部隊を送ったが、向こうもすぐに対抗措置をとってくるような状況でね」
「暗殺の精鋭部隊で、シャーマン氏の執務室の鉄壁を打ち破ることは可能であるか?」
「条件が揃えば可能だ」
「その方法については?」
エピソネ弁護士は伺いを立てる様に下手にでるが、
「それを言う事は出来ない。弁護士さん、アンタに対して悪い気持ちはしないが、それでもこちらの仕事の根幹に関わる部分なのでね」
「それは失礼を致しました。それでシャーマン氏を討ったのですか?」
法廷内はしんと静まる一方で、妙な緊張感が漂っている。一向に口を開こうとしないトウガに対して、裁判長がそれ以上待っていられないと木槌を持った所、トウガがようやく口を開く。
「確かにその日、数人の暗殺者をこちらから差し向けたことは事実ですよ。ですが、遂行の有無については、その向かった彼らが一向に戻ってこないものですから、こちらとしても確認のしようがないのです。もしかしたら、永遠に戻ってくるのが難しい状態なのかもしれません」
その言い方にグウェンはぞわりと得も言われぬ気持ち悪さを感じた。
「まあ、暗殺部隊の連中がどこでどんな恨みを買っているかわかりませんからね。不測の事態はよく起こるものです」
「今回、シャーマン氏を殺害したのは、そちらで用意された暗殺部隊の方だと思われますか? それとも……?」
エピソネは言葉を濁し、ただ視線をリリーの方に送った。濁した言葉の先は、それだけではなく、エブラタル地区のことも暗に指していいるのだろうとも。
「そのお嬢さんかこちらで用意した暗殺部隊に人間かと聞かれたら、そりゃあ、誰に聞いてもお嬢さんだと答える人は誰もいないでしょう。それに狙っていたのは、うちだけじゃないみたいですからね。私もほとほと困っているんです。確実にうちで仕留めたかと聞かれるとそうもいかない。これじゃあ、完了報告も報奨金も、もらえませんから。逆に裁判でうちだと決めつけてくれるとありがたいんですがね」
トウガはにへらと笑って言葉を漏らす。エピソネはそんな言葉などまるっと無視して、裁判長の方を向いた。
「裁判長。今の証人の発言の通りです。シャーマン氏を殺害したのは、特定はできませんが、プロの仕業であり、当事者は行方をくらませている状況。我々がどれだけ捜査をすすめても確実な証拠が出てこないのは、そういった理由からであるのでしょう。そして、この事実自体が、被告人の無罪を立証する事実であると言えます」
エピソネの声が高らかに響く。
「検察官側は反対意見はあるか?」
「ありません」
グウェンはきっぱりとそう答えたのだが、どうしてだか胸に広がる靄が消える気配は一向に訪れない。
判事たちが別室で審議を行った後、程なくしてリリー・アスセーナスの無罪が言い渡された。




