スティーブン・シャーマン氏の秘書サイノの証言
シャーマン氏の第一秘書であるサイノ氏が着る黒の背広は、細身の体形にサイズが合っていないようで、ぶかぶかとしていた。
小さな丸いガラスの眼鏡が何度もずり落ちる度に手で直し、吹きだす汗を反対の手に持っていたハンケチでふき取りながら、検事官の質問に答える。
サイノ氏が話した内容は以下の通りである。
リリー・アスセーナス嬢ですか?
子爵家の家柄のお嬢さんと言うことは存知ておりましたよ。なにせ、サマン重工の仕事柄、様々な立場の方からお話を伺うことですとか、お会いする機会もありますので、そのくらいの一般程度の常識の知識は把握しておりました。――え、アスセーナス嬢に以前に会ったことがあるかどうかですか? それはありませんよ。私は別に貴族の出身ではありませんから。両親はしがない小料理屋を営んでいましたので。そんな私がどうして大きな企業の秘書に抜擢されたか? 私自身、勉強だけは自信がありましたから。サマン重工でもその辺りの能力を引き立てていただいて、秘書への採用をしていただいたのだと思います。ですので、回りくどい言い方になってしまいましたが、平民出身である私自身と貴族令嬢であるリリー・アスセーナス嬢とのそもそもの接点なんて何もありませんよ。
サマン重工と、リリー・アスセーナス嬢の接点ですか?
私が知りうる限りは存知あげませんね。ただ私もサマン重工に勤めて、十年程ですから、それより前の事は知りません。
アスセーナス子爵家やフリッツ商会との付き合いはあるか?
ええ、もちろん。大口ではありませんが、それなりに昔から付き合いがございます。ただ、交渉では商会もしくは子爵家の担当者とのやり取りになるので、直接令嬢と話をしたことはございませんよ。
彼女が経営するネイルサロンとの付き合い?
そりゃ、アナタ。アスセーナス嬢が経営しているネイルサロンとサマン重工がどう関係してくるというのです? 接点なんて全くございませんし、取引に名前すらあがったことございません。ええ、本当です。ですから、先方から社長に対してアポイトメントの連絡が来た際には首を傾げたものです。一体、何の件だろうと。私が最初に連絡を確認しましたのでね。アスセーナス嬢の執事の件でと言われて、最初はちんぷんかんぷんでしたね。アンバー王国の部隊に所属して、サマン重工に無理やり行かせられたのだと話しを聞いてようやく納得がいきましたよ。――え? 本当にアスセーナス嬢の執事がサマン重工にいたことを把握していなかったのかと? はい。神に、アンバー王国の聖女様に誓って申し上げますが、私の方ではそこまでの情報は把握しておりませんでした。と、申しますのも、アンバー王国の軍の一部隊をサマン重工の方で使えるようにしたと言う話はもちろん聞いておりました。しかし、その経緯に関しても…………あの、この私の証言って、どこまで記録されるんですか? え、全部? 参りましたねぇ…………いや、私自身にやましいことがある訳ではなくて、アンバー王国としてもあまり良くないのではと思ったものですから。と、申しますのもね。アナタも王国に仕える身ですから、存じていらっしゃるかもしれませんが、アンバー王国の方から、モーゼル国との戦争で利用する兵器について値下げしてほしいと申し出があったのですよ。それもなかなか一方的で高圧的な態度でね。まあ、私は秘書なので、アンバー王国の担当者と直接のやり取りをした訳ではないのですが、その様な状況だと話は聞いております。それで、うちの担当者が、値下げの件で大変に激怒しましてね。そんな事なら取引をやめる。別にアンバー王国ではなくて、モーゼルと取引をしてもいいのだと、投げたのです。
事実、モーゼル国から、こちらに取引の打診がありました。あっ、……と、これは公にしていない情報でした……まあ、今更ですので、申し上げてもいいでしょう。こちらからその様に申し上げると、アンバー王国の担当者も流石にぎょっとされたようで、泣く泣く財政難のため、少し値段を検討してもらえないか、と、申し出があったとか。それなら最初からそう言えば、こちらだってそれなりにやりようがあったと覆うのですがねぇ。
当初のアンバー王国側の態度で、当社の担当者はかなり気分を害してしまいましたのでね――その担当者は、交渉上手で有名なんですよ。まあ、少々底意地の悪いところもありますが、ある意味そう言う奴が生き残るんだと思います。それでも交渉を再開して――そんな経緯があるものですから、非常に難航しましてね。こちらからぽろっと、戦争に関わているためか、首謀者のわからない襲撃を受けることがあり、困っていると話すと、一部隊だけだが、アンバー王国の精鋭部隊の便宜を図ると、破格の申し出をしてくださいまして。それで双方が歩み寄って、再度契約を交わすに至ったと、そんな話を聞いております。
今のお話でおわかりいただけと思いますが、私はあくまでも秘書ですので、その精鋭部隊の統括は私ではなく、会社の別の部署で行っています。ですから、私の方では全く関知していないことだったので――あ、はい。ですから、アスセーナス家のご令嬢から面会の申し出があった時も、彼女の執事を解放してほしいと言う話にも、さっぱり状況が飲み込めずにおりました。最初に連絡をいただいた際に、ご令嬢が一体なにを言わんとしていらっしゃるのか、要領を得なくてですね、難儀したものです。
ですが、相手は貴族令嬢。フリッツ商会とも関りのあるお方ですしね。あまり無碍にも出来ません。
ご令嬢からどんな申し出があったかですか?
『サマン重工でお世話になっている私の執事のことで、お話をしたい』と。
『社長と、直接話をしたい』と。
そのような連絡を受けまして。もちろん、社長は忙しい身ですので、一切のことは私の方で対応させてくださいとお伝えしました。しかし、令嬢からの返事は芳しくありませんでしたね。そうですね、あえて言うとすれば、ご令嬢は妙に社長に会うことにこだわっている様に私は思いましたね。
うちの社長が、若くて、見た目もよくて。と言うのなら、理由はわかるんですけれど、アナタもご存知でしょう? うちの社長はそう言う人ではありませんでしたから。――もしかして、アスセーナス令嬢との間に何等かのトラブルがあったのかもしれないと思いましたが、正直、社長自身は色恋の類は全く興味がない人でしたね。あの方が興味があるのは、お金だけでしょう。あとは、自分にとって利益になるかならないかだけですから。別に故人の悪口を言っている訳ではないんですけれど、秘書としては女性関係の悪癖がないのは、ありがたいことなんですよ。わずらわしい、トラブルに巻き込まれる心配が、一切ない訳ですからね。まあ、その話は置いて、そのことに気が付いたものですから、アスセーナス嬢はなぜ、そこまで社長に直接話をしたかったのだろうかと思いましたね。え? 社長は面会を突っぱねなかったのか? はい。最初は難色を示していましたよ。まだ年若い貴族令嬢と面会するなんてと。まあ、一般的な男性でしたら、そうではないのでしょうけれど、そこはやはりサマン重工の社長ですから。先ほども申し上げあげた通り、基本的に損得勘定でしか動かない人ですから。
じゃあ、なんで会う会う事を許可したかって?
その辺りについては、私もあまり詳しい事は聞いておりませんで、確かアスセーナス嬢の方から社長に直接見せる様にと封書が届いて。私もその中身は見ていないのでわからないのですが、社長はその封書をみて、突如として面会を許可したのでして、はい…………




