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ジェルオフ 1、

 リリーネイルの玄関のベルが鳴り、アリは作業の手を止め、小走りに玄関に向かう。

「お待ちしておりました………………?」

 午後四時からのお客様は、ショーパブLady Moonのキャストである、ユーリ・オリガが来店する予定だとアリの頭の中にあったのだが、扉を開け、立って居た人物はアリの知っているその人ではない。

 ユーリ・オリガ。

 本名かは不明。

 見た目は絶世の美女だが、生物学的性別は男。

 言葉を発しなければ、妖精姫の如く。

 しかし、目の前に居るのは、線の細い男、以外のなに者でもなかった。

「ユーリ・オリガです。予約をしていました」

 見た目に反して、その手の爪先は長い描線を縁取り、きらきらと煌めいている。

「えっと、あ、はい。失礼致しました。どうぞ」

 しゃべり方も、いつもの鼻にかかった口調ではないので、アリは珍しく調子が狂い、戸惑う。

 ユーリは丁寧に一礼してサロンに入る。

「お待ちしておりました……て、……えっ?」

 リリーの反応はアリが予期していた通りだった。

 深いため息の隣で、ユーリは声を立てて笑う。

「そうよ。こう喋った方がわかりやすいかしら」

 弓なりに口角を上がる口角、以前は真っ赤な紅をオーバー気味にひいていたはずなのに、今は健康的な肌の色。

「ユーリさん、ようこそいらっしゃいました。イメージが大分、以前と変わっていらしたので……失礼いたしました。前回からちょうど一か月ぶりくらいでしょうか?」

 リリーが珍しくたじたじになっているのを横目に、アリはサロンの扉を音を立てない様にゆっくりと閉め、キッチンに向かう。

 ユーリに出すドリンクを歩きながら考えていた。

 ちょうどリリーのカフェオレ用に淹れたコーヒーがたっぷりと残っていたので、それを温めて出すことにした。

――もしかしたら、ユーリさんがお客様として来るのはこれが最後になるかもしれない。

 アリはユーリだけではなく、全てのお客様に対して、そう思いながら接っすることを心掛けていたが、ユーリに対してはその気持ちをなぜか殊更強く感じた。

 エドを助けるためには、もう自分たちが行くしかない。

 リリーが出した結論にアリは反論はない。アリだって、エドのことを心配している。

 しかし、そのためには、このネイルサロンを休業しなければならないのは、どうしようもない選択肢であったと思う。

 リリー一人だけ残して、アリ一人で行く訳にも行かない。

 でも、エドを無事に助けだした後には、ネイルサロンの営業を再開させる気持ちは二人一緒だった。

 休業によって離れてしまうお客様もいるだろう。それでも、リリーネイルが良いと思って戻って来てくれたお客様に対しては、きちんと対応していきたいと思っている。

――ただ、ユーリとはきっとこれが最後になるのだろう。

 直感的にそう思う。

 用意した飲み物を持って、サロンに戻ると、リリーが待っていましたとばかりにアリを見る。

「ねえ、一緒に考えてほしいの」

「えっと、一体なんのお話でしょうか?」

 ユーリにコーヒーを出すと、リリーの横に付く。

「ユーリさんはとある大きな出会いがあって、今までの自分を一新させたんですって」

「まあ」

 大きなイメージの変更はこれかとアリは頷く。

「パブも辞めたそうよ」

「さようでございますか」

 アリは驚いた反応を見せたが、そのことだけは実は知っていた。

 リリーのお客様に対しては、常に気を配り些細な噂も耳に入れる様にしていたから。

「なにが、そこまでユーリさんを変えたのか、アリにも一緒に考えて欲しいと思って」

「かしこまりました」

 アリは一礼して、リリーの後ろに控える。

「私達が見事当てた暁には、何があるのでしょうか?」

「面白いことを言うわね」

 笑みを深めた時の表情は妖艶で見知ったユーリの表情そのものだ。

「でも、私これだけはわかる気がする。ユーリさん、好きな人が出来たでしょう?」

 リリーはネイルマシンを用意しながらそう言った。

 ユーリは片眉をピクリと、わずかに動かす。

「……流石ね、やっぱりその部分をピンポイントで当ててくるのは、鋭いわ」

「ユーリさんをそこまで変容させることが出来る事って、逆に恋愛以外はあり得ないと思いまして」

 アリは無表情を貫いたが、リリーの言葉に口角をゆるめた。

「でも、こんなに簡単に当てられちゃうと、ゲームにならないわね。やっぱりさっきの話はなしで」

 ユーリはアリに向かってウィンクをしてみせる。

「じゃあ、これからどうされるの? パブも辞めてしまったとのことですし、新しい恋人に養ってもらう予定なの?」

「……まだ、恋人じゃないわ」

 いじらしく、視線が揺らぐユーリに対して、

「え?」

 客と従業員の仮面がはがれ、素の表情でリリーは声を上げる。

「何回も言わせないでよ」

 感情がこもると、以前のユーリに戻るらしい。

「申し訳ございません。えっと……、恋人ではないけれど、好きな人が出来て、その人のために店を辞めて、新たな一歩を踏み出されたということですが、……一体、何をされているんです?」

 リリーは礼儀正しい口調を保ちながらも、その声は呆れている。そう言いながらも、作業を再開し、

「まず、相手のスペースに入らないと意識もしてもらえないじゃない?」

 ユーリのしれっとした笑顔に、顔を引きつらせ、

「どう思うアリ?」

 リリーはこちらを見るが。アリもどう返すべき迷った末、

「Lady Moonのユーリさんで勝負して、てんで相手にされなかったとなると……」

 言葉を詰まらせる。

 眉間に皺を寄せるユーリなどおかまいなしに、リリーは涼しい顔をして作業を進める。なんとなく険悪な空気を感じ出ないでもないアリは、

「その方はどんな方なのですか?」

 話を切り替える。

 ユーリは機嫌を直した様に緩やかな笑みを浮かべた。

「じゃあ、その人がどんな人かを当ててみるゲームと言うのは?」

 男とか女とか関係なく、美しい人は美しい。

 がらりと見た目を変えても、元々の顔立ちが整っているのは間違いないので、今のユーリもやはり美しいと、言葉には出さないが、アリでもちょっと目を奪われそうになる。

「当てられる自信はないですけれど」

 ユーリの遊び心のある発言は前々からのことなので、リリーは抑揚のない声で答える。

 アリはこのままここに居てもいいのだろうかと思いながら、リリーは何も言わないので、そのままそこに居る事にした。

 ジェルオフする、無機質な音だけが響く。

 しびれを切らした様にユーリが口を開く。

「ねえ、まずは私と彼のなれそめとか、出会いがどうだったとか当ててみてよ」

「飲み歩いていたら、たまたま行った店で会って一目ぼれした」

 考える間もなく、つらつらとスムーズに話し出すリリーにユーリはたじたじになりながら、

「ええ、合っているわ」

「ユーリさん、いつもそんな感じじゃないですか」

「まあ、確かにそうだけど、今回は本当に、本当に本気なのよ」

 リリーは作業の手を休めないまま、ちらりと一瞥する。

「本気だと……(まあ、いつも伺いますけれど)……確かに、ユーリさんの行動から察します。店まで辞めて、そんなにがらりと雰囲気を変えたんじゃ流石に」

「本気も本気。私はこれが最後の恋だと思っているもの。もし、例え叶わなかったとしても、身も心も全てあの人に捧げたいと心から思っているわ」

 ユーリは迷いなくそう言い切った。

「ユーリさんがそこまで言い切るなんて、よっぽどその方にいれこんでいらっしゃるのね。そこまで仰るなら、”誰か”が、逆に気になりますわね」

 リリーの言葉にユーリはぱっと表情を明るくする。

「そうでしょう? だから当ててみてよ」

 多分のろけ話をしたいだけなのだろうと、その魂胆は見てとれた。

 表面上では煙たがる態度を見せるリリーだが、根っこの部分はお人好しで優しい。

「身なりはそれなりに整っている人でしょうね。今までお化粧とか派手……えっと、人目を引くな衣服を取りさっても小ぎれいと言う以上に見た目に気を遣ってますものね?」

「派手な衣服って……まあ、今の状態からみるとそうかもしれないけれど、アレはアレで私自身のアイデンティティだったのよ」

 頬を膨らませるユーリの表情を横目に見ながら、確かにリリーの言った通りだと思う。

 がらりと見た目を変えたが、肌や髪の毛は前以上に手入れに気を遣っている。服のセンスもぱっとみると、凡庸にも見えるが、小物やちょっとした色使いには目をひくものがある。その気配りは以前よりも綿密になされていると思われた。

 つまり、今の想い人の隣に立つことがあっても見た目で引けを取ることが無いよう。そこはユーリのプライドに近いものがあるのかもしれない。

「ん、確かにそれはあるわね。相手に釣り合う様に見た目もマインドも変える様に心がけているの。最近、人が置かれている環境が、その人をまとう雰囲気をつくるって話を聞いたの。それで、クラシック音楽を聞く様にしたわ」

「クラシック音楽?」

 リリーは首を傾げる。

「似合わない?」

「そうは言いませんけれど……今までは正反対の音楽を好んでいたの様に思われましたので」

「否定はしないわ。仕事がらそうだったし、今でもそういうのも嫌いじゃない。そもそも音楽はなんでも大好きよ。ただ今は、とりわけクラシックがお気に入りってだけ」

「それは、今の好きな人の影響?」

 リリーの質問にぐきりとした表情を見せ、少々視線をうろうろとさせながら、

「まあ、そうね」

 と、取り繕う。

「クラシックが好きな男性って、ずいぶん奥ゆかしい趣味でいらっしゃるのね。もしかして、ご自身で音楽、楽器をやっていらっしゃるとか」

 ユーリはさらにギクりとした表情を見せる。

 それ以上は何か言うと墓穴を掘ってしまうと自分自身で察知したのか、具合の悪い表情を浮かべただけで、リリーから視線を外した。今の一連の動作から間違いなくユーリの新たな想い人は音楽に精通する人なのだろうとリリーも確信を得ただろう。

 しかし、ユーリの生活圏内でクラシックの奏者と出会う可能性があるだろうかと、アリは疑問に思う。出会う可能性があるとすれば演奏会に行って舞台でその姿を見て……でも、それは手の届かない偶像を崇拝するのと同じではないだろうか。

 ユーリは一見、軽薄に見られがちだが、頭の回転は速く、物事の分別はつく人物だとアリは認識している。その辺りを加味しても、ユーリの想い人はアリには雲をつかむ様な話に思われるのだが、主人であるリリーの表情を見る限り、そうではないようだ。

 なんらかの確信を持っている。アリにはそう見えた。

「何より一番、気にかかるのは、ユーリさんご自身の見た目をばっさりと変えられたことですよね。美しさを追及する姿勢はご自身のアイデンティティなのだと思っていました。それをがらりと変えてまで、……お相手の方はよほどきっちりとした方なのでしょか? もしくは……なにか固い志を持った人、集団に属しているとか?」

 ユーリは再度、心臓をつかまれた様な表情を見せる。リリーは作業の手を止め、無言でじとりとユーリを見上げた。

 流石にユーリは、

「……ええ」

 と、吐息を漏らすように小さく言葉を吐いた。

「ユーリさん並に、もしくはそれ以上、見目が美しくて、音楽を演奏できる。そして強い志を持つ、もしくはそういった集団に属している男性。で、思い当たる節はない?」

 リリーはアリを見上げた。

 不意に話を振られ、はっとしたが、実はリリーの言葉から、その特徴を有する人物に心当たりが生まれていた。

「サイと言う、ピアニストの方でしょうか。確か、”パブ 赤い馬”にいらっしゃる」

 アリの言葉にリリーはにやりとした表情を見せて、そのままユーリに送る。

 一瞬真顔になり、顔をこわばらせる。次第にお手上げだと言わんばかりに両手をあげた。

「そうよ。どうしてわかったのかしら? 絶対にわからないと思ったのに。だって、この王都にどれだけの人がいると思っているの?」

「ユーリさんが好意を抱く方ですもの。ある程度、情報が絞られてくるじゃない?」

 しれっと言葉を返すリリーに、ユーリは二の句が継げないでいるが、少ししてアリの方を見た。

「でも、本当によくわかったわね?」

 アリはリリーがお膳立てをしてくれたから分かっただけで、自分の主人はそこまで見抜いていたのかと思うと感服する。

「ありがとうございます……」

 何故サイを知っていたのか。それは、以前、別の事件で……と言い出しそうになって、お辞儀をして誤魔化した。

 変にそんなことを口走ってしまえば、根堀葉堀聞かれるだろう。他のお客様のプライバシーもあるし、それは避けなければならない。

 それなのに、意味深長な視線を向けられ、アリは一瞬、どうしたものかと戸惑ったが、ちょうどその時、リリーが、

「ジェルオフ終わりましたよ。このままで大丈夫ですか?」

 と、ネイルオイルを塗り込むので、ユーリの視線が自身の手元に移り、ほっとした。

「大丈夫よ。なんだか、不思議な感じね。自爪って最近はほとんど見ていなかったから」

「そうでしょうね」

「久しぶりすぎて、逆に新鮮」

 ユーリは手を広げて、まじまじと見ている。

「こちらに再び来ることがないことをお祈りするばかりです」

「そんなことを言って、私が来なくなったら淋しいでしょう?」

 冗談交じりのユーリの言葉にリリーはわずかに淋し気に笑う。

「それが……もうすぐ、どちらにしろネイルサロンを休業する予定なんです」

「え?」

 水を打った様に静まりかえる。

 ユーリは表情を失くして、リリーを見つめ、少なくともアリはユーリがこんな表情を見せるのは初めてだと思った。

「ユーリさん。そんなに私のことを見つめたからって、何も出てこないですからね」

 リリーが冗談めかして、言うのだがユーリは真面目な表情のままで、

「何があったの? 役人から何か言われたの?」

「ううん。そうじゃないの」

 リリーが素っと顔を背ける。

 いつもなら空気を読むのが上手いユーリは、そこで自分の意見を引っ込めるのだが、今日は引き下がることなく、ずっとリリーの方を見つめていた。

 仕舞いにはリリーも顔を背けたままでいるので、ユーリの視線はアリに向けられる。ユーリは何も言わないがその鋭い視線には、【一体なにがあったのか?】と、疑問が込められているのはわかっていた。説明するのは簡単だが、主人のリリーが何も言わないのに、アリが勝手に答えてしまってもいいものか。迷っていると、更に強い視線があびせられ、いたたまれなくなり、口を開きかけた時、

「私が決めたの。誰かに言われたからとか、そんなんじゃなくて、エドを助けに行こうと思って」

「エド?」

 ユーリは一瞬、眉間にしわを寄せたが、はっとして、

「執事の子ね?」

 と、言うのでリリーは頷く。

「彼の行方がしれないの。戦場に出たっきり」

「でも、それは……」

 誰もがそうではないかと、恐らくユーリは言おうとしたのだろう。しかし、その言葉の前にリリーは話を続ける。

「エドから、暗号で連絡が来たの。助けて欲しいって。だから私はいかなければならない。だってエドは私の家族ですから」

 リリーは、はっきりとそう言い切った。

 リリーの話の途中で、ユーリは何か言いたげだったが、リリーの言葉を最後まで聞き終えた時には、開きかけた口をつぐんでいた。

 ユーリとリリーはしばらくまっすぐにお互いを見合って、どちらともなく視線を外した。ユーリは額に手をやり、大きなため息をつく。

「じゃあ、ネイルサロンを閉めて、モーゼルに向かうの?」

「”閉める”じゃなくて、”休業”です。――恐らくそうなると思います。でも、やみくもに向かって行ってもただ巻き込まれてそれで、おしまいですから。もう少し情報取集をしなければと思って、アリに頑張ってもらっているのだけど、なかなか情報統制されている中で難しい状態で」

 リリーも、ふうと息を吐いた。

 アリも、これについては反論出来ない。

 エドを助けたいと思う気持ちに嘘はない。ただ、危険地帯に土足で足を踏み入れても、ぬかるみに足を取られ、身動きが取れなくなって終わるだけだ。そうならないためにも、アリが、例えば軍の幹部将校に成りすまして、情報を得ようとするのだが、ほとんどの情報が機密扱いとなっており、情報を手に入れることが出来ない。

 それ以外の方法を考え、直接海外と取引のある企業などに聞いてみる方法もやってみたが、物流の流れも滞っているため、なかなか思う様に情報が入ってこないのが現状だ。

 二人は歯がゆい思いで次の一手をひねり出そうと考えていた、そんな時だった。

「アタシ……いえ、私、環境推進委員会に所属しているの。もし、お二人もここに所属すると言うのなら、今よりも情報が手に入るかもしれない」

「本当?」

 リリーは身をのりだし、先ほどの態度からの変わり様にユーリは思わず笑いをこらえられず吹きだす。

「ふふふ。よっぽど、切羽詰まっているのね。なんだか妬けてしまうわ。リリーちゃんが、表立って婚約者の一人や二人を作らなかった理由って……」

 ユーリに意味あり気な視線を向けられるもリリーはすっと、のりだした上半身を引き戻し、

「婚約者をつくらなかったのは、たまたまご縁がなかっただけ。別に深い意味はなにもないわ。アリとエドは血のつながりはなくても、私と家族同然だから。エドにもしなにかあったらと思うと……」

 リリーの言葉にユーリは上着のポケットからメモとペンを取り出すと、さらさらと何かを出して、ページをちぎるとリリーに差し出した。

「はい。この日時にここに来てちょうだい。どこまで情報を伝えられるかどうかは、くれぐれぐれも期待しないで。それに二人の安全を保障できるものではないこともわかっておいて。私もこの組織に入ったばかりで、全貌をつかめている訳ではないの。それにリリーちゃんが、知りたい情報が絶対に手に入るかと言われると、その約束も絶対とは言えないわ」

 リリーは両手でそのメモを受け取り、

「ご親切にありがとうございます」

 深々と頭を下げた。

  

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