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和柄ネイル

「エリアナさん、今日はどんなネイルにします?」

 エリアナ・スピークスは両手をリリーに預けたままで、小首をかしげる。

「ええっと、そうね。ちょうど、新しい年が明けたのだから、新年にふさわしいそんなデザインだといいなぁ、なんて。あ、もちろんこのご時世なのであまり派手すぎないものがいいです。顧客の方に対して、不快な印象を与えるのはあまり好ましくないので」

 エリアナはそう言ってきらきらと瞳を輝かせた。

 リリーはその様子を見て口には出さなかったが内心ほっとしていた。

 少し前に、彼女の夫の秘書をしていた男がとある事件の犯人として逮捕された。彼女の夫が営む、不動産業を巻き込んで。

 それから商売に影響がないだろうかと陰ながら心配していたのだ。

 それとなく聞いてみても、大丈夫だと言っても、彼女自身も浮かない様子であったし。

 何よりも、リリーと同じ”前世のキオク”を持ち合わせているもの同士である。

 この現世では育って、生きてきた世界が異なったとしても、エリアナと話していると同郷の妙な懐かしさを感じていたこともあり、リリーとしても気にかけていた。

「前世の新年だと、たしか和柄とか赤、黒、金。そんな感じの色が新年にはよく出た色かなって思います」

「あと、新年と言えば干支ですよ。辰なんてどうです?」

「辰? えっと、龍ですかね」

「ああ、そうです。龍なんですよね。この世界にはドラゴンがいますけど、なんか違うっていつも思うんです」

「わかります」

 前世で龍と言うと、神格化した想像上の生き物で、場所によっては、”龍神様”と呼ばれ、崇め祀られていたが、この世界でのドラゴンは実在の生き物で、現れると厄災だと言われ、討伐対象になる。

「前世では、龍神様にあやかりたくて、龍神の祀った神社をめぐって御朱印をもらったりしていたんですけど、この世界では絶対にやろうと思わない概念ですよね」

「厄災認定のドラゴンが出現しただけで大騒ぎですからね。できればそこには行きたくありません」

 ドラゴンはそうそう表に出てこないが、姿を現した時は大騒ぎになる。この時ばかりは、国境を越えて、討伐隊が発足される。

「前回出現したのは十年ほど前でしたっけ?」

「そのくらいだったと思うわ。じゃあ、ネイルは厄災認定のドラゴンをモチーフにしてみます?」

 リリーは悪戯な笑みを浮かべる。

「えっと、厄災じゃなくて龍神の方がいいです」

「そうですよね」

 リリーはそう言って笑いとばし、エリアナの前回のジェルネイルを除去し、爪の形を整えていく。

 ネイルマシンを使っていたので、会話は必然的に途切れた。

 ちょうど、マシンの作業が終わった頃合いを見図らって、

「お仕事の方は、順調ですか?」

 何気ない感じで、エリアナにたずねた。

「ええ。戦争があるないに関わらず、誰でも住む場所は必要ですからね。最近は、国境付近が大分荒れているみたいで、命からがら王都に流れてくる人が多いのです」

「そう言った方々に、無償でお家を提供しているのですか?」

 前の事件の際にも、エリアナは困っていた隣国の方に、一夜の宿を提供していたことを思い出してそう聞いた。

「まさか。人数も沢山いらっしゃいますし、流石にそこまでは出来ないです。ただ、国に申請すれば、補助金がおりるので、それを利用してお家を借りられる方はいらっしゃいます」

「なるほど」

 リリーはほっとしてそう言った。

 爪やすりで形を整え、ジェルの用意をしていた所で、ふと目の端に入ったエリアナが所在なく視線を彷徨わせているのを見て、

「何かありました?」

 反射的にそう声をかける。

「ちょっとだけご相談してもいいです?」

「ええ。私でよければ」

 机に今回使用するジェルネイルのコンテナたちをそろえて、リリーが席に戻った所で、エリアナが口を開く。

「私どもが紹介した物件に住んでいた方で、ちょうど今から一年前に入居された新婚のご夫婦の方のことなんですけど」

 エリアナはおずおずと、そう話を切り出す。

 今聞いた、言葉だけでは事件性などみじんも感じられないなと思いながも、リリーはベースジェルを筆に取り、話を促した。

「奥様はジーン・オレンジさんと仰られて、とてもきれい好きな方で、共用部の階段なんかもいつも綺麗にされて。この前みましたら階段が石段なんですけれどもつやつやになるまで磨いていらして。物静かなんですけれども、とても誠実な方なんです。夫のマーク・オレンジさんは、私もお部屋の引き渡しの時にお会いして。短髪の黒髪で背の高い、まさに軍人と言った方でした。ですが、結婚と同時にすぐ戦地に行かれたそうで」

「まあ」

「このご時世ですから、そういったこともある意味、仕方のない話なのかなと思うのです。ただ、ご主人は戦地に行かれて、二か月くらいしてからでしょうか。激戦地で配属の部隊が壊滅したとかで、全身包帯でぐるぐる巻きになった状態で命からがら戻られまして。そんな旦那様を、それはもう奥様が涙ながらに迎え入れて、甲斐甲斐しくお世話をなさっていたのです。ですが、旦那様は階段から転落すると言う不慮の事故で亡くなられてしまって。奥様もだいぶ意気消沈されて、一か月ほど前にお部屋を引き払われたのです」

「そんなことが。とても残念な話だわ」

 リリーは作業をしながらの返事だったので、少々他人事の様に冷たく言ってしまった。

「そうなんですけど。話がそれで終わればそれでよかったんですけど、実は……昨日、国からの通達が奥様のジーン・オレンジ様に届きまして、その内容が――夫であるマーク・オレンジさんが亡くなったと言う内容だったのです」

「え?」

 思わず、リリーは作業中だったにも関わらず驚きのあまり顔を上げた。

「あの、見るつもりはなかったんです。ただ、封書ではなくはがきで送られてきたものですから、見る気がなくとも、どうしても内容が目についてしまうといいますか」

 昔は大抵国から送られてくる手紙と言うのは封書がほとんどであったが、戦時下において、人員が足りておらず、簡易的なはがきで重要な知らせが届くことも少なくなかった。

「ジーンさん宛の手紙ですし、こちらから転送しようと思ったのですが、どうも転居先として伺った住所が間違っているようで、今日、またこちらに戻ってきてしまったのです。それでどうしたらいいのか。と言うかそもそも、マーク・オレンジさんは、戦地ではなく、戦地から戻られて事故で亡くなったと思っていたのですが……なにがなにやら頭が混乱していまして」

「奥様のジーン・オレンジさんにそのことは?」

「転居先の住所しか知らないので、連絡のとりようがないのです」

 エリアナは肩を落とした。

 リリーは作業の右手のベースジェルを五本の指、全てに塗布が終わったので、エリアナにライトに手を入れる様に指示し、自身は筆をおくとアリを呼んだ。

「失礼いたします」

 ほどなくしてノック音と共に部屋に入って来たアリを呼ぶと、マーク・オレンジと言う人物についてと、ジーン・オレンジの行方について調べる様に伝えた。アリはすぐに部屋を出て行った。

 少しの沈黙があって、リリーは次にエリアナの左手を取って、ベースジェルの塗布作業を再開する。

「戦況は芳しくないのですかね」

 気づけばリリーはそんなことを口走っていた。

「新聞ではそこまで明確な表現はしていませんが、仕事柄、他の地域から来られる方とか、それこそ外国の方を話す機会が多いので、話を聞くとそうなのかなと思っていました」

「エリアナさんの前世の物語のキオクでは、アンバー王国の王都は無血開城するのですよね?」

「ええ。そうなんですけど、物語と今の現実が少しずつずれてきている部分があるので、あのストーリー通りに進むかと聞かれると自信がないです。例えば、剣聖と呼ばれるクレイグ伯爵も存命でいらっしゃいますし、なんとも。もしかしたら、状況が大きく変わったために、物語とは別のクライマックスを迎える可能性もあるのかもしれないと思って」

「そうよね」

 リリーは会話を区切り、自身の作業に集中した。

「あの、リリーはさんの所にいた、もう一人の執事の方」

「エドのこと?」

「はい。最近、見かけないので、彼は一体?」

「戦争に行ってるの」

 リリーは顔を上げずに、そう言った。エリアナからひゅっと息が漏れる。

「ごめんなさい。私、自分のことで精いっぱいになっていて、リリーさんのそう言った事情にまで気をまわせずに」

「そんな、大丈夫です。召集されたのは、エドだけではなくって、王都からも沢山行った人はありますし」

「エドさんからご連絡は?」

「それが、先日までは定期的に来ていたのだけど、ここ最近途切れてしまって。もしかしたら、連絡が出来ない区域にいるのかもしれません」

 リリーは努めて冷静にそう言った。

「すみません」

「ううん。本当に、エリアナさんが謝る必要なんかなくって。大丈夫。私は、エドがちゃんと帰って来るって信じているから」

 リリーは顔を上げて微笑んだ。

「でも……」

「確かに、エリアナさんが言う通り、元の物語とはずいぶん違う方に話が向かっているなら、この先どうなるかなんて全く想像もできない。王都が無血開城する補償なんてどこにもないのだから、ある意味、戦闘能力のない私達の方が、先に命を落とす可能性だってない訳じゃなくって」

「それは、確かに仰る通りです。実は私もそのことについては考えていたんです。もとの物語では、剣聖であるクレイグ伯爵様もこの段階では命を落とされていました。隙をつかれたアンバー王国はモーゼルの侵入を許して、そのまま勢いよくこの王都に攻め込んでくる訳ですから、アンバー王国も白旗をあげるしかなかった訳ですけど、実際の現状は辺境伯の国境地帯でなんとか持ちこたえているようですが、ここ戦況がどちらに転ぶかと言うのは、本当にわかりませんから」

「逆に言うと、名もない役であるエドが亡くなる可能性もある。でも、それはもう私、一人の力ではどうしようもないですし。なるべく正確な情報を仕入れるようにしているのですが、ただそれだけで」

「大丈夫ですよ。エドさんはすごい方ですから。ちゃんと、戻ってきます」

 エリアナにそう言わせてしまったことをリリーは申し訳無く思いながらも、ただすこし口角を上げて答えるのが精いっぱいだった。

 ベースジェルを塗布し終わると、うすいベージュのカラージェルを塗布と硬化の作業を繰り返し、次にホワイトのカラージェルのコンテナの蓋を開ける。

 細筆で色をすくい上げ、爪の上に波打つ模様を丁寧に描く。

 エリアナも興味深々という具合で、リリーの描く筆の行く先を目で追っていた。最初はよくわからなかったようだが、描いていくうちにぱっと顔を明るくし、

「ここが龍の尾で、これが手、髭、これは頭の部分ですか?」

 リリーは一本の爪に龍全体を描くのは流石に難しいと思い、五本の指を使って、龍の一部分をそれぞれに描いた。五本の指を全部繋げた時に龍になるように。

「そうです。ベージュに白ですから、一見すると、わからないでしょう? でもよくみたら紋様が描かれているように。そうですね、爪に龍神をまとった、お守りみたいな感じですね」

「わあ」

 エリアナの感嘆の声を聞きながら、反対の手も同じ様に描く。

 そして、トップジェルを筆ですくい、描いた龍を閉じ込める様に塗布し、硬化する。

 ちょうど、塗布が終わった絶妙のタイミングで扉のノック音が響く。

「すみません。時間がかかってしまってお待たせしました」

 入って来たのは、アリだった。

 急ぎ足で、リリーには書類を渡し、エリアナには、新しく淹れなおした紅茶を置いた。

「ありがとう」

 リリーは筆をぬぐって、簡単に作業机の上を片付けたあと、アリが持って来た書類を開く。

「マーク・オレンジさんには、サイモンさんと言う弟さんがいらしたそうです」

「はあ」

 唐突に言った、リリーの言葉の意味が理解できずエリアナはぽかんと口を開ける。

「マーク・オレンジさんが戦地から王都に戻ってきた記録は確認できません。つまり、届いたはがきの内容が正しいと言うことです」

「ええと」

「ですから、二か月程前に戻って来た、マーク・オレンジさんは恐らく本人ではないと言うことですね」

「はい?」

 エリアナはまともに返事をするのが難しくなっていた。リリーの言葉はもちろんわかるのだが、その理解が全く追い付かない。

「ここからの話は、確証がある訳でなはいので、あくまでも推測です」

 エリアナはリリーの言葉にこくりと頷いた。リリーはこほんと咳払いをする。

「二か月前にマーク・オレンジさんとして戻って来た人物は、本人ではなかったとすると、一体誰かと言う話ですが、恐らくそれは弟のサイモンさんだと。調査の状況によると幼いころから容姿が非常にいていた二人のようです」

「弟さんが? でもわざわざどうして?」

「ジーンさんに一目ぼれしたのだと思います」

「え」

「アリが気をきかせて調べてくれたのですが、サイモンさんはお酒の席で、結婚式で初めてあったジーンさんに対する想いをほのめかす発言をされていたようです。そして、マーク・オレンジさんが召集されたのと同じくらいのタイミングでサイモンさん自身も、戦地に行かれています。そして、サイモンさんの居た部隊は全滅。大きな怪我を負って命からがら王都に引き返してきました。その死の淵で思ったのが、ジーンさんのことだったのでしょう。ちょうど、全身包帯で巻かれた状態です。サイモンさんとマークさんは、双子かと思われるほどよく似た兄弟さんだったそうなので、マークさんとして戻ってきてもバレないと思ったのでしょう。そして、もしバレたとしても満身創痍のサイモンさんを優しくて誠実なジーンさんが追い出すまねはしないと思ったのかもしれません」

「では、弟のサイモンさんは兄のマークさんになりすまして、あの家に帰ってきたと言うのですか?」

 エリアナは信じられないと言わんばかりに大きく開いた口が塞がらない。

「恐らくですよ。最初はジーンさんも、その怪我の方に意識が向いて、サイモンさんだとは気がつかなかったかもしれません。ですが、だんだんと過ごしていくうちに、違うと気付いたのではないかと思います」

「そうすると、じゃあ、階段から足を滑らせて亡くなったのは……」

「サイモンさんの方でしょう」

 エリアナはただこくりと頷いた。確かにリリーの今の説明を聞けば、起こっている全ての事象に納得がいく。

「やはりあの手紙の通りマークさんは、戦地で亡くなられたのですね」

「そう言うことになります。ですから、その彼が亡くなったと言う通知のはがきについては、公的機関に転居の旨を申し出て、国の方で対応してもらった方がいいかもしれません。ジーンさんの行方については……わからないようです」

 リリーは少しだけ言葉を詰まらせ、口を閉じる。

「そうですよね」

 エリアナは紅茶を一口飲んだ。

「ちょっとだけ、思ったのですが、サイモンさんの事故死はその通りなのですよね?」

 顔を上げてリリーの方を見る。

「うーん、そうですね。もし宜しければ、その時の状況を、もう少しだけ詳しく教えて下さいませんか? エリアナさんが知っている範囲のことで大丈夫ですので」

「えっと、私も騎士団の方々から事情を聞かれた際に、伺ったことで、確か――ジーンさんが買い物行ってしまって、マークさん、えっとサイモンさんと言った方がいいのかしら。ともかくご主人はお一人で家にいらっしゃって。ジーンさんが出かけた際には、ご主人はうたたねをされていたと。それで、出かけている間に、ご主人が目を覚ましたのでしょう。寝ぼけまなこで階段を下りた時におそらく足を踏み外してしまったのだろうって。その戦地で負った怪我で、体も本調子ではなかったようですから」

 話を聞きながら、リリーは神妙な表情で頷く。

「階段と言うのは、家の中に階段があるのですか?」

「あ、そうではなく外階段のことです」

「じゃあ、オレンジさん一家は二階以上の階にお住まいになっていたと言うことかしら?」

「ええ、二階建ての集合住宅で、ジーンさん達は二階にお住まいでした。各階にお部屋は二つあって、でもその時、二階に住まわれているのはジーンさんたちだけでした。一階には別のご家族は住まわれていましたけど」

 リリーはさらに表情を暗くする。

「あと、夫のマーク・オレンジさん、本物の。何度かお話されたことはあります?」

 エリアナは視線を彷徨わせ、唸り声を上げる。

「引っ越してきてすぐに戦地に行かれてしまったので、本当に数えるくらいですけど」

「エリアナさんからみて、マークさんはどんな方にうつりました?」

「正直に?」

「はい。正直に」

「うーんと、一見とても怖そうです。あまり口数は多くないように見えました。結婚されてあの家にいらして本当にすぐに戦地にでてしまったのであまりよく知らないのです。ただ、一度だけお見掛けした時に、奥様のジーンさん見つめていて、その目がとても優しいものだったので、今でも印象に残っています。戦地に行ってしまわれてからも、ジーンさんから、定期的にマークさんから連絡がくるのだと幸せそうで、でもちょっと不安そうな笑顔で話されていたことがあって。だから、奥様もとてもマークさんを好きでいらっしゃるのだなと思った記憶があります」

「やっぱりこれも、もしかしたらと言う話で聞いて欲しいのですが……サイモンさんを死に導いたのはジーンさんかもしれません」

「まさか、あの方がそんなことをするなんて。そうは全く思えません」

 エリアナはぴしゃりと言い放ったが、リリーは少し眉尻を下げて笑った。

「でも、ジーンさんの夫のマークさんだって、死を迎える前までは、人を殺害していたのですよ。戦争ですから」

「まあ、確かに。それはそうなのですけれど」

「ごめんなさい。エリアナさんをたしなめるつもりはなくって、ただ事実として言ったまでなので……ただ、その、今回のことについては、サイモンさんが外階段から足を踏み外したと言うのが気になって。それで、もしかしたら踏み外すきっかけをつくったのがジーンさんなのではなかとそう思っただけで」

「きっかけをつくった?」

 エリアナは大きく首をかしげた。

「つまり、最初に仰っていましたよね、ジーンさんは綺麗好きで、階段をつやつやになるまで手入れしていたと。石階段をつやつやにするのって、正直かなり大変だと思うんです。水で磨いただけではそうなりませんから。そうすると――油とかなにか滑りやすいものをまいていた可能性があるのかなと」

「……ぇ」

「わかりません。私は実際に現場に居合わせた訳ではないですし、ただ、そういった可能性もあるかもしれないと言うことです。二階にはジーンさんご夫婦以外の住民の方はいらっしゃらなかったのですよね? となるとジーンさんご夫婦以外のかたは日常生活で階段を使う様なことはなかったと思われますし」

「言われてみれば、可能性としてはあるかもしれませんが……でも、どうしてそんなことを? 確かにマークさんに成りすまして戻って来たことは悪かもしれません。でもそれが殺害するだけの動機になるでしょうか?」

「それを考えていて。例えば、マークさんから定期的に届く連絡をサイモンさんに握りつぶされていたとしたら、どうかしら? つまり、サイモンさんが家に帰ってきた時も、マークさんはまだ戦地にいた訳で、彼は律儀に連絡をしていたと思うのです。でも、本物のマークさんから連絡が来たとなると、サイモンさんが偽物だと言うことがすぐにばれてしまします。だから、ジーンさんに連絡が行く前に、サイモンさんの方でにぎりつぶしていた。それを、ジーンさんに知られて。ジーンさんはそれがどうしようもなく許せなかった。でも彼女は誠実な人だから、一時の感情で人を殺害すると言うことまでは出来ない。自分自身で手を下せないとなると……そういった方法をとるかの可能性があるかもしれないと」

「……」

 せっかく笑顔になったエリアナにこんな顔をさせるつもりはなかった。

「ごめんなさい。今、私が話したことが事実かどうかはジーンさん本人に聞いてみなければ真意のほどはわかりません。あくまでも私のこの話は推測にすぎませんから。だけど、誠実で真面目な人であればあるほど、強い怒りをためこんで誰かにぶつけたいと思ってしまって今回のことが起きてしまったのかもしれないと。それだけ、ジーンさんは夫であるマークさんのことを思っていたのかもしれません。確かに結婚されて、すぐに戦地に出てしまって、二人で過ごした時間と言うのは、一般的に言えばそれほど長くはないのかもしれません。けれど、過ごした時間以上に夫のことを深く愛していたのでしょう」

 エリアナはくしゃりと顔を歪めた。

 リリーはそれ以上の言葉を続けず、引き出しからネイルオイルを取り出すと、エリアナの爪の最終確認を行って、オイルを塗りこむ。

「これで仕上がりですが、いかかでしょう」

 リリーは口調を切り替えて、笑顔をつくる。

 エリアナもはっとしたようすで、自身の爪先を確認する。

「龍ですね」

「はい」

「ドラゴンではなく」

「龍です」

 二人でそう言い合って、やっとエリアナは笑顔を見せた。

「龍神様にお願いしましょう。この世界が平和になるように」

「そうですね。一刻も早くこの戦争が終わって欲しいと私は誰よりもねがっています」

 リリーはそう言って、唇を噛んだ。

「戦争が終わったらこの国はどうなるのでしょう?」

 ふとしたエリアナの言葉にリリーは首を振った。

「わかりません。もしかしたら、私はリリー・アスセーナスではなくなっているかもしれませんし」

「それはどういった意味です?」

 エリアナは不安気な表情を見せる。

「もし、モーゼル国がどんな形であれアンバー王国を制圧したとしたなら、きっと貴族もなにもかもが解体されるでしょう。そうなったら……」

「でも、リリーはきっとここでネイルサロンを続けてくれますよね?」

 エリアナは願いにも似たことばだった。

「わかりません。ネイルサロンを営業できる状態なのかもわかりませんし。今だって、本来であれば、この戦時化であまりよく思われないのも事実です。ただ私が貴族の端くれだから誰もなにもいいませんけれど――そういえば、実際の物語では、どうなっていったのでしたか?」

 そう聞き返されたエリアナだったが、少し考えて肩を落とす。

「わかりません。物語にはあの戦いの部分しかなくて、勇者たち一向の幸せな場面しか書かれていませんでした。アンバー王国がその後どうなったかとは、何も。だから、この後のことは誰にもわかりません」


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