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ブラウンニュアンスネイル

 モーゼル国との戦争が始まった。

 戦火がいつ王都まで迫ってるかわからない状況であるが、リリーの生活に何ら変わりはない。

「最近は、小麦も野菜も、何もかもが物価が値上がりしていまして、下手をすれば、手に入らない食材もあるとかで。飲食店を営んでいる方は大変だと存じます」

「うちは、飲食店じゃなくて良かったわね」

 皿洗いをするアリの後ろ姿に向かって、リリーはハムとチーズののったパンにかじりつき、しれっと答えながらも、その瞳は傍ら置かれた新聞に釘付けになっている。

「最近はおかしな事件が多いですね」

 アリはリリーの方を見てはいないが、新聞を見ているのだろうと言う口ぶりだった。リリーが今、何をしているのか。長年一緒に過ごしてる感覚から見なくてもわかる様だ。

「ええ、本当に」

 かりっと焼けたパンをかじる音。

 リリーが今、読んでいる記事は、王都の隣町での出来事で、血まみれのナイフを持って『人を殺した』と言って出頭してきた男のことを書いたものだ。

 ピンポーン。

「はい」

 アリは洗い物の手をとめて、ふきんで手を拭うと、玄関に向かって行く。

 エドは、今この家にはいない。

 能力を見込まれ、騎士団の要請を受け、戦地に向かったのだ。

 どうしようもなかった。リリーは末席であってもこの国の貴族の一員である。

 請われれば、断る言葉など持ち合わせていない。

 紅茶で食事を流した時、アリが急ぎ足に戻って来た。

「お客様がお見えになっています」

 アリの言葉にリリーは首を傾げる。

「どなた?」

 リリーが経営していたネイルサロンは戦争が始まって以来、稀に来てくれるお客はあるが、ほぼ開店休業状態である。

 皆、労力もお金も時間も何もかもが、自分が生きて行くのに精いっぱいで、今まで通って下さったお客も足が遠のくのは仕方がないことだった。

 貴族の客もそうだった。なぜかと言うと、戦争が始まり、一番最初にかり出されたのは、貴族達だからである。彼らは、指揮官としての十分な教育を受けたものがほとんどであるで、真っ先に戦地に送られた。

 その中で、やはり激しい戦闘に耐え切れずに命を落としたものも少なくない。最期に身に着けていた遺留品だけが、家に戻って来ると家族は悲しみと共に、喪に暮れる。

 そうすると、ネイルサロンに行くと言う選択肢は無くなって行くのである。

「アマベル・ヨーク様です」

「アマベル様? 一体どうして? 特になにか忘れものがあるだとか、そんな伝言もなかったと思いますが」

 特に今、大変な仕事量に追われているのは、官僚である。

 優秀な騎士、武官は最低限度の人員のみを残し、全て王都の外に出払っている。

 残された者たちで、今まで行って来た仕事とプラスアルファの仕事をこなしているので、文官たちも王都に缶詰になっている者がほとんどだと話を聞く。だからこそ、優秀な文官であるアマベル・ヨークが、わざわざリリーネイルに足を運ぶなんて、青天の霹靂以外のなにものでもない。

「いえ、ネイルをお願いしたいと」

 そう言うアリも困った表情をしている。

「ネイルを?」

「はい」

「やってほしいと?」

「はい」

 リリーはそこまで聞いてようやく事態を理解する。

「ネイルをするのは、それはもちろん問題ないけれど」

「……なんとなく、私が感じたモノですけれど、多分なにかご相談されたいことがあるのではないかと。いらしたご様子から、うっすらと思いました」

 アリの言葉にリリーは納得して、カップに残っていた紅茶を飲み干すと、立ち上がる。

「とにかくお話を聞いてみないことには何とも言えないわね。お客様をサロンに」

「ご案内いたしました」

 仕事が早いアリは、そう言ってキッチンに入ると、アマベルに出すための、紅茶の用意始めている。


「お待たせいたしました」

 ノックと共に扉を開けると、施術机の手前のソファーにちょこんと腰掛けている一人の女性。

 振り返り、リリーの姿を見とがめると、立ち上がって丁寧に一礼する。

「お久しぶりです」

「そんな、お客様なんですから畏まらないでください」

 なんだか久しぶりにお客を迎える緊張感と、以前と打って変わったアマベルの様子にあわあわとしながら、机の向こうに回る。

「いえ、本来であれば事前にご連絡をするべきところなのですが、急に来てしまって申し訳ございません」

「そんな、むしろ覚えて下さったことだけで、嬉しく思っています。大変お忙しい所、わざわざ足をはこんでいただいて」

 アマベルのいつもならきっちりとまとめられる髪の毛は、ばっさりと切られており、お仕着せの官僚服も洗濯をする暇すらないのだろう。袖などにインキのシミがこびりついている。

「では久しぶりにお願いできますでしょうか?」

 アマベルはそう言って、疲れているだろうに綺麗に口角を上げ、笑顔を作った。

「かしこまりました。本日はどのようなデザインにいたしましょう?」

 リリーも仕事のスイッチを入れ、口調を切り替える。アマベルの手を取って、爪の状態をみると、以前の綺麗に整えられた形は見る影もない。手にも消えないインキの跡があり、爪はがたがたと、ささくれと手荒れと。

「ごめんなさい。本来であればもっときちんとケアを自分ですべきだとそう思ってはいるのだけど」

「いえ、お仕事が大変であると言うことは重々承知しているつもりです。ですから、しばらくまたこちらにこなくても大丈夫なようにしたいと考えまして。でもジェルをのせてしまうと、アマベル様自身で除去するのはとても大変になるでしょうし、どうしたものかと……」

「以前、噂で聞いたのだけど、自分自身で除去できるネイルがあると」

「ポリッシュネイルのことかしら?」

「あっ、えっと……ごめんなさい、名前までは憶えていませんでして」

 アマベルは思い出そうと視線を彷徨わせていた。名前まではしっかりと記憶していなかったようで、ポリッシュと言う単語を聞いても、うーんと頭を悩ませている。

「私がお出ししているもので、お客様自身で塗布と除去が出来る商品は、ポリッシュネイルのみなので、じゃあ今日はそれで仕上げましょう。帰りにご自身でも出来るようにセットをご用意してお渡しするので」

「ありがとうございます。でも、出来るかどうか」

「絶対にしてくださいと言う意味ではありませんので気負わずに。ネイルサロンに行く余裕は全くなかったとしても、三十分だけ自分の時間がとれたとします。もし、そうですね、例えば仕事が早く終わって、少しだけ自分の時間がとれた日の夜なんかに、ちょっとやってみると言うのもいいかなと思って。もちろん除光液は絶対に必要だと思うので、必ずお渡しいたしますが」

 リリーはただ、思い出して来てくれただけで嬉しかったのだと、そんな意味をこめてそう話す。アマベルはあまりのリリーの勢いのある話し方に最初こそ驚いていた様子だったが、次第に肩の力が抜け、ゆるりとした笑みを浮かべる。

「ありがとうございます」

 と、言いながら。

 リリーも笑みを返すと、アマベルの左手から、爪やすりで形を整え始める。

「長さは短めに整えますね。多分、その方が仕事の時に良いと思いますから」

「あの、もし、差支え無ければ、少しだけご相談してもいいでしょうか」

 アマベルはかしこまった声でそう話を切り出した。

「ええ、私は作業しながらになりますけれど、それでもよろしければ」

「もちろん大丈夫です。少々、ネイルサロンとはお角違いな話になるのですけれど――――今朝の新聞はお読みになられましたでしょうか?」

「ええ。さっと目を通すくらいですけれど」

「では、血まみれのナイフを持って出頭してきた男の事件については?」

 先ほどリリーが読んでいた新聞紙面が思い当たる。

「血まみれのナイフをもって出頭した男の件ですか? なんとも奇怪な事件ですね」

 アマベルの表情は暗くなる。

「実は……戦争の影響で、ほとんどの騎士団のものが戦地に出払っているものですから、人員がいないんです。それで本当に人が足りない時は、事件の処理なんかも私たち文官の方に時折まわってきておりまして」

「まさか、今回のその事件を?」

 アマベルはバツの悪そうな表情でこくりと頷く。

「はい。それで、かなり行き詰っておりまして、リリーさんのお知恵を拝借できればと思って伺いたいのです。以前、私が窮地に陥った際に、潔白を証明してくださった。あの時のことを思い出して」

「そう言えば、そんなこともありましたね」

 まだ戦争が始まる前の頃、彼女が『今日が最後になります』と言って、神妙な顔でネイルサロンに来た時のことが思い出される。アマベルは以前、恋人殺しの容疑をかけられ断頭台を目の前にしたことがあった。その時に、リリーはアマベルの断頭台行きを阻止したのだ。

「あの時は、私のこと潔白をリリーさんだけが信じて下さって。それで、白のフレンチネイルをしてくださいました」

 リリーは今言葉の紡ぐとあまりに感情が揺さぶられそうだったので、ふっと笑顔を作っただけにして、爪やすりの作業に戻った。

「今回のお悩みについてどこまでお力になれるかどうかわかりませんが、詳しいお話を伺えませんか? 具体的にどんな部分について行き詰っているのか?」

「はい。……この事件で血まみれのナイフを持って出頭してきた男と言うのが、ハロルド・ロウと言う、実は戦争帰りの傷痍軍人なんです」

「まあ」

 戦地にかり出され、そこで戦うことが出来ぬ程の大きな怪我を負った兵隊は除隊され、王都や故郷に帰される。

「彼は、その……右腕を半分なくしていまして」

「その状態で殺人を?」

「本人が言うにはその様です。もう一方の左手に血まみれのナイフを持って、騎士団に出頭してきたのですけど」

 アマベルはそう言葉にしながらも、自分の言葉が半信半疑である状態だった。

「その、ハロルド・ロウの利き手は?」

 リリーの言葉にはっと体に力を入れ、

「それが、右利きなのです。彼は、騎士団の詰め所に来る前日に、その故郷の町に戻って来たそうで、その翌日に人を殺害したと言って来たのです。しかも、利き手ではない腕で殺人を。満身創痍のはずなのに、そんなことが可能なのかと。なんとも不可解なことばかりで」

「被害者との関係は? なにかいざこざがあったとか?」

「それが全く接点が見当たらないのです」

「接点がない?」

「ええ。被害者の男性はデイブ・ラモンと言う、家族で農家をしているの農民なのですけど。まあ、住んでいる街が一緒だからと言っても見知らぬ人は沢山おりますでしょう? そんな感じで。ハロルド・ロウも戦地に赴く前はもともと傭兵として各地を渡り歩いていた人で、探しても被害者とは接点が見当たらない状態です」

「なるほどね。殺害した動機について彼はなんと?」

「戦争から帰って来て、精神的に不安定になり、殺人衝動にかられた。それで、たまたま歩いている時にみかけた男を殺害してしまったと。――万が一これが事実だとしたら、今、国の一大事として戦争をしていますが、誰も志願兵としていかなくなってしまうでしょう。そうなった、どうしたらいいのか」

 最後の方は消え入りそうなほどであった。

「つまり、下手をしたら殺人の動機を作ったのはアンバー王国だということになりかねないとそう言うことね」

 リリーはずばりとそう言った。つまりは、戦争に行ったことが、この哀れな殺人事件を引き起こした要因であると。アマベルはリリーのその言葉を否定することが、出来ず、

「あ、えっと」

 何か返す言葉そうと、視線をうろうろとさせて見せたが、結局うまい言葉がみつからなかった様で、口をつぐんだ。

「ハロルドは、血まみれのナイフを持って、自ら自首してきたということだけど、被害者は、死体はどう言う状況で? ナイフが血まみれだったと言うのなら、刺し殺して、彼も返り血をたくさん浴びているはずだと思うのだけど、彼が騎士団に到着する前に、なにかしらの目撃者とか。被害者の叫び声とか、何かしらあったのだと思うけれど、そういった話しはないのかしら?」

「それについてなんですけれども。目撃者もなにもないんです」

「え? 彼は一体どこで殺害されたの?」

「被害者のデイブ・ラモンさんのご自宅です。居住されている家ではないんですけれど、先ほども言ったとおり、農家さんで、家とは別に作業する器具だとか色々な肥料とか、そう言ったものを保管する、小屋が別にあるのですが、その小屋にうつぶせの状態で、腰のあたりを一突きされておりまして」

「ハロルドはたまたま歩いていたら、ラモン氏の家に行きあたって、わざわざ小屋の中まで入って殺害したと言うことですか?」

 リリーは思わず素っ頓狂な声をあげる。

「そうらしいです。本人の供述によると、ふらふらと歩いていたら、たまたまそこに行ったとそういっています」

「たまたまね」

 嘲笑うようにリリーはそう返した。ちょうど、爪やすりの作業が終わり、次に甘皮の処理を始めるべく、やすりからプッシャーに持ち変える。

「そう、たまたまのようです」

 アマベルはしゅんとした表情を浮かべながらリリーの言葉をくり返した。

 ドアのノック音が聞こえ、アリが紅茶を持って入ってくる。そのアリを引き寄せて、リリーは、

「デイブ・ラモンの家族について調べてちょうだい」

 そう耳打ちすると、アリは頷いて、

「かしこまりました」

 小走りで部屋を出て行った。

「ひとつ伺いたいのだけど、ハロルド氏の身長はどれくらい?」

 アマベルは目を見開いた後、少し首をかしげ、

「確か、一メートル九十はあったかと」

「デイブ・ラモン氏は?」

「同じかちょっと低いくらいです」

「接点がないと言うことですが、デイブ・ラモン氏の家族や、ハロルドの家族は今回の事件についてどう仰っているのですか?」

「ラモン氏には息子さんと、下に歳の離れたお嬢さんがいらっしゃるのですが、お嬢さんは父親が亡くなった悲しみに暮れています。息子さんは、唖然としていると言う感じでしたね。実は彼が、デイブ・ラモン氏の死を発見した張本人でして。まだ十歳なのですが、とてもしっかりとしたと言うか、あまりの驚きで感情がなくなってしまったか、そんな風にも感じられました。奥様は、ヒステリックに泣いて、泣いて。こちらの問いかけもままならないご様子です」

「ハロルドの家族は、なんと言っているのですか?」

「彼に家族はいないのです」

「いないのですか? でも、故郷と言うことは、ご両親か誰かがいらっしゃると言うことなのでは?」

「ハロルド・ロウは孤児なのです。かなり昔に一度結婚されていたことがあったようですが、奥様は体調を壊され亡くなってしまったようです。生前はとても奥様のことを大事にされていたようで。彼女の遺骨が、その町の墓地に眠っているため、年に一度は町に訪れると。そう話しています」

「子供はなかったのですか?」

「そこまでは調べていませんでした。でも、もしいらっしゃらるなら、自分の父親が逮捕されたら、名乗り出てくるものだと思うのですが。そんな人はいらっしゃいませんし」

「そうですか」

 リリーはそう言って頷くと、棚からポリッシュネイルが入ったあたりをがさごそとあさりながら、

「色はどんな色がいいか、ご希望はありますか?」

 と尋ねる。

「茶色ですかね」

「どんな感じの茶色がいいです? 濃いめとか、薄い感じとか」

「本来であれば。その……私がこういった発言をするのは、どうかと思われるかもしれませんが、もし戦争がなければ、今頃紅葉狩りを楽しんでいた季節のはずでした。もう、誰もかれもそんな気力も体力も余裕もないと思うのですけれど。だから、せめてネイルの色だけでも季節の色に」

 リリーはアマベルの言葉には何も答えず、棚の中からブラウンと白といくつかのポリッシュを机の上に置いて並べる。

「せっかく来ていただいたので」

 リリーは、アマベルの爪に、ちょんちょんちょんと、いくつかの色を点で並べ、最後に筆でぐるぐるっと固まり切らない色をかき混ぜる。

「わあ」

 アマベルはそれを凝視していた。

「あんまり派手にしちゃうと、アマベルさんが職場内で変な目で見られてしまっても困ると思ったので。これくらいなら、大丈夫かなと」

「秋の季節が混ざり込んだ様な色ですね」

 アマベルはそう言って、自身の爪を見ながら笑みを浮かべる。リリーは、今日見た中で一番、この時に浮かべたのが自然の笑顔だと思った。リリーは、そのまま他の指の爪も仕上げて行き、最後にトップコートを塗った。

「このまま自然乾燥させて乾くので、すみませんが、どこにも触れず、手はこのままで置いてもらっていいですか?」

「わかりました」

 アマベルは両手の指を広げたまま、そっと机の上に手を置いた。

「お待たせしました」

 トントン、扉が叩かれる音と共にアリが、なだれ込む様に部屋に入って来た。

「こちらで宜しかったでしょうか?」

 アリはノートぐらいの大きさの一枚の用紙をリリーに渡す。

 リリーはちょうどポリッシュの蓋を閉めていた所だったので、閉めたポリッシュを机に置くと、アリが持って来た用紙を取り上げて、頷きながら書かれていた文字を目で追った。

「やはり思った通りです」

「あの、事件のことですよね? 思った通りとは?」

 リリーは手に持っていた用紙から、視線をアマベルの方に向けると、こくりと頷く。

「アリ、亡くなったデイブ・ラモンの家族について近所の評判がどうなっているか教えてちょうだい」

 リリーの隣に立つアリはこくりと頷く。

「亡くなった、デイブ・ラモン氏はかなりの大酒飲みだったそうです。しかも酒癖が悪く、それを知っている街の人は、酒を飲んで暴力的になる彼をみかねて近づかない様にしていたと」

「じゃあ、もしかして、大酒をのんだラモン氏とハロルドが鉢合って喧嘩になり、ハロルドがかっとなって、まあ、それ以外の理由ももしかしたらあるかもしれませんが、それで手をかけたと。そう言うことでしょうか」

 アマベルはそう言ったが、アリとリリーは一度目を見合わせて、

「いえ、それだけだったらよかったのかもしれないけれど、二人の問題はもっと奥底に……アリ、他にはラモン氏の話について聞いていない?」

「はい。あともう一つ、かねがね皆さん仰るのは、子供に対しての仕打ちですね」

「子供?」

 アマベルは眉間にしわを寄せる。

「小さいお嬢さんに対しては、とても親馬鹿らしいのですが、上の坊ちゃんに対しての仕打ちは、かなりひどいそうです。その、酒癖の悪さで、発揮される暴力についても、たいてい坊ちゃんに仕打ちが行くのだとか」

「つまり、ご子息に対して、暴力を振るっていたと言うことですか?」

 アマベルの言葉に、アリは、

「仰る通りでございます」

 動揺する様子は一切見せずに頷いたがアマベルだが、反対に嫌悪と軽蔑が顔色に浮かぶ。

「今、殺されて当然と。そう思われました?」

 リリーの吐いた毒に、否定の言葉をすぐに繰り出せない程、アマベルの感情は沸点に達し、動揺しているようだった。

「……ともかく、被害者の人格についての議論はまた別で、今は、なぜ殺されたのかを」

「その全ての理由がこの用紙につまっているの」

 リリーは見ていた用紙をぺらりとひるがえし、アマベルが見える様に見せる。

「出生証明書?」

「ええ。よく見て」

「誰の? って、えっと、この名前は、今話題に上がっていたデイブ・ラモンの息子の名前……え、? 父親の名前が、ハロルド・ロウ?」

 あまりの驚愕っぷりに、アマベルは目を白黒させ、

「一体、これはどういうことなのでしょう?」

 リリーは出生証明書を机におき、軽い咳払いをして話を始める。

「つまり、デイブ・ラモン氏の息子は養子であの家に入ったのよ。多分、夫婦の間になかなか子供が出来なくて。でも農家なんでしょう? 男の子の働き手が必要だったのだろうと思うの。だから手っ取り早く、養子にだされた、ハロルドの息子を引き取った」

「あの息子さんは……先ほど話していた、ハロルドと亡くなった奥様との息子さんだったのですね」

 神妙な顔でリリーはこくりと頷く。

「ここからは推測の話だけれど、奥様を亡くして、ハロルドは一人で息子を育てているほど器用な人ではなかったのだと思うの。それに彼の仕事は、傭兵でしょう? 手元で子供を育てて出来る仕事ではない。奥様を大切にしていたハロルドだったから、息子を養子に出すと言うのは、苦渋の決断だったと思う。だから、ハロルドがあの町によく帰って来ていたのは、奥様のお墓があると言うのと、あと養子に出した息子を、ほんの遠目からでも見守りたいと言う気持ちが両方あったと思うわ」

「じゃあ、状況を整理してみると、戦争から帰って来て、ラモン家に養子に出された息子の様子を見に行ったところ、酒で酔ったデイブ・ラモン氏に乱暴される息子を見てかっとなって殺害したと言うことですか?」

「それもちょっと違うわね。だって、アマベルさん。凶器は刃物だと仰っていたでしょう? 片手を亡くして、満身創痍の彼が、わざわざ刃物を持ち歩くかしら? それに、乱暴される場面を見て殺害したと言うのなら、殺害は突発的な犯行になるはずよ。もしそうなら殴って殺害したとなるでしょうね」

「では、一体……?」

 アマベルは首を傾げる。

「解決の糸口は、被害者の傷の位置。刺した傷は腰の辺りと言っていたわね?」

「ええ。そうです」

「もし大の大人が刃物を持って相手に向かっていたとしたら刺し傷はどの辺りになる?」

 アマベルは短刀を持つ素振りをして、前に突き出すフリをする。

「胸のあたりか、お腹の上辺りでしょうか?」

「そう。その人の身長にもよるけど、多分上半身の上の方になると思う。それにハロルドは高身長だった。被害者のデイブ・ラモン氏も同じくらいの身長だとさっき言っていたわね? そして刺し傷は腰のあたりだったと。そうだとしたならハロルドが刃物をもって相手の腰に突き刺すとしたら、大分前傾した姿勢で殺害に及んだと言う、不思議な話になってしまう。でも、もし息子さんが刃物を持ってデイブ・ラモン氏に向かっていたとすれば?」

「あ、……でも、……まさか」

「多分、息子さんがデイブ・ラモン氏から日常的に暴力を受けて、耐えきれなくなってしまった。本来であれば自分が継ぐ農家だったのかもしれない。でも妹が出来て、自分はお払い箱になった。だって、妹さんが婿を連れて来ればいいのだから。将来を悲観して、突発的なのか計画的なものだったのか。そこまではわからないけれど、デイブ・ラモン氏を刃物で刺し殺害した。ちょうど、その現場に居合わせたのがハロルド・ロウだった。多分、どうしてそんなことをしたのか怒って問いだたしたのでしょう。でも話を聞けば聞く程、息子がそんなことをしでかした原因は、養子に出した自分自身にあると知ってしまった。だから、息子には全てを黙っているように言って、自分自身が全ての罪を被って、騎士団に出頭することにした」

「……そうだったのですね」

 アマベルは、言葉を吐き出して、頷く。

「まあ、全ては憶測でしかありませんが、あとは騎士団の方の仕事ですので、私はここまで――そろそろネイルは良さそうですね。いかがです?」

 アマベルは、はっとして自身の両爪をみる。

「やっぱり素敵ですね。爪が綺麗だとなんだか落ち着きます。ずっと見て居られる感覚と言うか」

「そう言ってもらえてよかったです。じゃあ、リムーバーと、カラーのポリッシュをセットを作ってお渡ししますね。アリ、お持ち帰り用のボックスを用意して」

「かしこまりました」

 控えて立っていたアリは、きれいに一礼し、サロンを出て行った。

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