夜空の夕映えネイル 6
「奥様」
執事がこちらに早足で向かって来る。取り澄ました声ではあるが、その形相からよっぽの何かがあったのかと察せられた。
近づいてくる執事を見て、エントランスであった者とは別の人だとわかった。エントランスにいた執事よりも幾分若い。手の先まできっちりとお仕着せに包まれている。ドロシアと隣にいるリリーに一礼し、ドロシアの方に向きなおると、
「伯爵様の事で少し」
と、耳打ちするので、ぎょっとして立ち上がる。
「よろしければ私もご一緒に」
冷静なリリーの声に支えられ、執事に続いた。
庭園を横切る時、他の来客から変な目で見られない様にぴしっと背筋を伸ばした。執事は、人気のない小部屋に到着すると、
「あまり、驚かれないでください」
つまり心の準備が必要であると。ドロシアに前置きをした上で、そう伝えた。
中はちょっとした応接室になっており、部屋の真ん中に置かれたソファーに倒れ込む様に座る、黒髪の美丈夫の姿。
「あっ……」
声にならない悲鳴がもれ、かけよった先に居たのは”生”の色がない男。胸元には短剣が突き刺さっている。
だが、ほっとしたのは、一見クレイグ伯爵に見えるが、目の前で倒れ込んでいるのはラルフではないということ。ドロシアだって何度かしか会ったことがないけれど、夫がそうじゃないかぐらいはわかる。
この男はアダム・ルイスで間違いなかった。
「伯爵様……なのでしょうか?」
リリーはドロシアの後ろでそう聞くのので、振り返って小さく横に首を振った。
しかし、一体、この状況下で何をどう説明しえたらいいのだろうか。そう考えると、胃も頭もずきずきと痛む。
「違う。違うのよ。彼がアダム・ルイスだわ。私、一体どうしたら」
そう言いながら、涙があふれてくるのを止められない。
「大丈夫。大丈夫ですから」
リリーはドロシアを抱きすくめる様にして、とんとんと優しく背中をたたいてくれた。
「でも、まさか。こんな事になるなんて」
小さく呟いた。
「一体これはどう言ったことでしょう?」
背中の後ろから驚愕する声が聞こえ、振り返る。
先ほど、エントランスでドロシアを迎えてくれた、フランジス家の執事が部屋の中を見て唖然としている。ドロシアたちを、ここまで引き連れてきた執事の姿は見えなくなってた。
「こんな状況下で申し訳ございませんが、当家としてもこのままにはしておけませんので、騎士団の方にパーティーがひと段落つきましたら、連絡を差し上げてよろしいかどうか伺いたく思うのですが」
執事は恐縮した様子で、ドロシアを見る。
執事はこの目の前の男が、ラルフ・クレイグと疑っていないのだろう。この国の英雄とも言うべき伯爵が亡くなった。普通ならもっとパニックに陥ったとしてもおかしくないだろうが、そうならないのは、この執事がそれだけ有能であるあかしだろうか。
「ええ、もちろん」
ドロシアはかろうじてそう言葉を発するものの、目の前に倒れているのが伯爵本人ではないと言おうと思って言葉が出なかった。この弁明を、理由を、どう説明したらいいのか。言葉が見つからない。
「ねえ、この件について騎士団のデュラン隊長に直接話を通してもらえないかしら。私の名前を出して構わないから」
「あ、かしこまりました……ご婦人は」
「リリー・アスセーナス。それとここに倒れているのはクレイグ伯爵ではないわ」
リリーはつかつかと死体に歩みよると、黒髪を無造作につかむ。
「え、あっ……」
冷静沈着だった執事から驚嘆の声が漏れる。黒髪のかつらがすぽっと外れ、中なから現れたのは全く別の色。
執事は何かを察したらしく、「かしこまりました」とだけ言って部屋を出て行った。
「この男性は先程お話されていた、アダム・ルイスと言う人物で間違いないかしら」
リリーは振り返りドロシアを見た。
「間違いありません。ただ――一体なにがどうなっているのか。彼はこの屋敷にいつ来たのでしょう? 私が殺人犯として疑われるのでしょうか?」
考えるとがたがたと体の震えがと止まらなくなる。
「それは安心して。私と今の今まで一緒にいたでしょう? 死体からみるに、多分アダム・ルイスは本当に今殺害されたばかりだと思うわ。そうね、でも、この経緯については説明を求められるでしょうね。ごめんなさい。私があんな話をしたから」
リリーはしゅんと項垂れる。
「いえ、私が相談したのです。リリーは逆に巻き込んでしまっているのです。それより今、気が付いたのですが、アダム・ルイスはもしかして旦那様と間違えて殺害されたのでしょうか?」
そう言葉に出した時、足が震えた。
「今はそこについては何とも。今日このパーティーに来るのが、ラルフではなかったこと。ラルフに変装したルイスが来ることを知っていた方は他にいらっしゃるのかしら?」
ドロシアは視線を彷徨わせる。
「わかりません。少なくとも私は、リリーさんに今日会ってお話しただけです。本当はもっと早くにリリーにお会いして話をするべきだったと後悔しています。ただ、そう頻繁に足繁く通うのも……と、思ったので」
リリーはドロシアを真剣に見てこくりこくりと頷き、立ち上がると部屋の中を歩き回っていた。ちょうど窓の所で、入念に何かを調べており、
「外部から侵入した形跡はなさそう。窓も鍵が内側から頑丈にかかっているわ。抜け道? 隠し通路の類もなさそうですし」
「では、ルイスはここで誰かと会っていて、それで何かがあって殺害されたということなのかしら」
ドロシアはそう言って、ルイスの方を見たが、すぐに視線を逸らした。
ようやく、気持ちが少しだけ落ち着き、彼の死と言うものを理解した。それと同時に、流石に、人の死と一緒にいるのが窮屈に感じる。
「その考えは嫌いじゃないわ。でもそうすると誰とこの部屋に居たのかということになるわね」
ドロシアはその問いには答えられなかった。
勢いよく扉が開け放たれる。
「奥様、ご無事ですか?」
入って来たのは執事のピーターだった。
「貴方、どうしてここに?」
「伯爵家の一大事です――こちらの方は?」
ピータ―はソファーで倒れている男を見て、先ほどまでの勢いを失い、代わりに頭上に沢山の疑問符が浮かんでいる様子だった。
「貴方はフランジス家の使用人から連絡を受けて、こちらにいらしたの?」
リリーがよく通る声でピーターにそう聞いた。
「失礼を致しました。ご一緒のご婦人がいるとは存じあげず。ご質問ですが、仰る通りでございます。たまたま、所用で近くまできていたものですから、連絡を受けてすぐに参りましたが、奥様。一体これは?」
ピーターはソファーに倒れている人物が一体誰なのかと聞いている。こうなったからには彼にもこれを一から話さなければならないのだろうかと考えていると、横からリリーが、
「騎士団の方で重要案件として処理されるでしょうから、これ以上の詮索はやめたほうがいいわ。ともかく、騎士団の方々が間もなく到着するでしょうから」
ピーターは恭しく礼の姿勢をとる。
リリーの一言によって以降、ピーターからこの件について詮索されることはなかった。それよりも心なしか、リリーはピーターに対して棘のある言い方をしていたのが気になった。
ピーターが部屋を出ていった後に、理由を聞こうと思ったが、聞く前に部屋の中にフランジス家の執事の案内で騎士団の面々が入って来る。先ほど、ドロシアをここへ案内した執事ではなく、エントランスでドロシアを出迎えてくれたその人だった。
「デュラン隊長、お久しぶりです」
入って来たいかめしい体つきの男にリリー前にでてお辞儀をする。デュランとよばれた男の身なりから、近衛騎士の隊長格の男性だと思われた。そんな人がわざわざ出向いて来たのか。一般的に考えるとあり得ないのだが、それをやってのけるリリーには驚かされることばかりだ。
「こちらこそ。――そちらのご婦人は?」
デュランの視線がドロシアをとらえた時、反射的に淑女の礼の姿勢をとる。
「ドロシア・クレイグと申します」
「では、貴女が?」
デュランはわずかに目を見開き、こほんと咳払いをする。
「この家の執事からの、クレイグ伯爵が亡くなられたと連絡がありました。第二騎士団と近衛では組織が異なるので、彼について私はそれほど詳しくはないのですけれど、関係部署に確認をした所、彼はモーゼルの国境付近に秘密裏に派遣されていると」
「やはりそうなのですね」
リリーは深く頷く。
「私も、旦那様から、場所まではわかりませんがその様に聞いておりました」
ドロシアも冷静に答える。
「しかし、本当は――あまり他言しないでいただきたいのですが、クレイグ伯爵が行方不明なのです」
「まさか、そんな……」
ドロシアは冗談だと信じたかった。だから”まさか”と言うニュアンスを言葉にこめたのだが、それを聞いたデュランの態度を見て彼の言葉は真実なのだと悟った。
「行方不明と言うのは一体?」
ドロシアは自分でもびっくりするほど大きな声が出た。
「言いにくいことですが、言葉の通りです。詳しいことは機密事項にも当たるので、あまり大きな声でこちらも言えないのですが。伯爵が率いた一旅団が消息不明になりまして。現在連絡がつかない状況だと報告が」
「そんな――」
ドロシアはよろめいて後退ったところをリリーに支えられた。ひどくめまいがする。
「ともかく、ここはご婦人ご令嬢がずっといるような場所ではありません。どこか別の部屋は?」
デュランが振り返ると、フランジス家の執事が慌てて「こちらへ」と誘導した。
ドロシアの頭は大混乱を起こしており、リリーに手を引かれながら廊下へ出て、皆の後をついていくのが精一杯だ。
「パーティーの方はどうなっています?」
リリーは先導する執事の背中に向かってそう言葉を投げかける。
「今回来ていただいたのが、近衛の方々だったこともございまして、大きな混乱は起きていません。来られた方も少数精鋭の人数だとのことで、来客の方々は高貴な方の護衛に来たのだと、上手く勘違いをしてくれているようでして」
「それならよかった」
リリーはほっとしたのか、体の強張りが少し解消されたのが肩越しに伝わってくる。
案内された部屋のソファーに体を埋めたドロシアはようやく息を吐ける心地になった。
「お水を持ってきますので」
執事が慌ただしく部屋を出ていくのを眺めていると、
「少し休んでいていください。私は状況を見てきますので」
リリーがそう言って立ち上がるの見て、ドロシアの意識はそこで途切れた。
遠くでドロシアの名前を呼ぶ声がした。
ハッとして意識を現実に取り戻すと、目の前にピーターがいた。
覗きこむ彼の形相は鬼の如く。
言葉が出ない。
もがいて、逃げようとしたところ。
今度は本当に目が醒めた。
体を起こし、キョロキョロとあたりを見回したが、人の気配はない。先ほどのあれが、夢だったことにどこかほっとしてゆっくりと体を起こす。ドレスはしわくちゃだが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
一体どの位の間、気を失っていたのだろう。時計をみると、それほど時間は経っていないように思われた。もっと随分長く時間が経過したようなそんな気がしていたけれど。
机の上には水の入ったグラスが置かれ、丁寧に上はソーサーで蓋がされていた。ドロシアが目を閉じていた間に、執事が持ってきてくれたのだろう。
かちゃり、音とともに扉が開き、リリーとデュランが揃って部屋に入ってきた。
「ごめんなさい。ご迷惑をかけて」
立ちあがろうとしたが、まだ頭がぼんやりとするため立ち上がることは叶わず、こめかみを押さえ、ソファーに寄りかかり座り直すにとどまった。
「いえ、無理をなさらずに」
リリーの声に続いて、デュランがこほんと咳払いをする。
「アスセーナス嬢から簡単に経緯を伺いました。あの部屋で亡くなていたのが、クレイグ伯爵ではないことも断定しております。ですが、念のため奥様から、ご説明をお願いしたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「はい」
ついに来たかと、ドロシアは頷いた。しかし、結婚式で見たあの不思議な白昼夢まで話した方がいいのかとリリーの方を横目で見ると、
「その前に、私とドロシアさんの関係を改めてご説明しますと、フリッツ商会のサマンサ様を通じて、ネイルサロンに来ていただいたのがきっかけです。お話しを伺う中で、クレイグ伯爵様のお仕事が、やはり危険がつきものですので、いろいろとご不安に思われることがあったようで、ご相談に。もちろん、ネイルサロンのお客様でもあります」
リリーの話にこくりと頷き、ようやくドロシアは口を開く。
「旦那様は、本当にお仕事がお忙しいようで。それはある意味異常だと、私は感じておりました。ですから、サマンサ様やリリーさんに少しご相談しまして、表には出ていないけれど、隣国との関係性があまり良くない、また夫を狙う一派もあるのでは――他国にとってクレイグ伯爵の存在は脅威であるから暗殺の可能性は絶対にないとは言い切れない。そんな話を伺いました。私はクレイグ伯爵家の一員として、夫がただ敵の手中に収められまざまざと命を失う様子をただ黙ってみていることはできないと思いまして。リリーさんからも、周囲の状況を観察して、もしかしたら敵の方が直接私に近づいて来る可能性のあるかも知れないと。――そんなときに現れたのが、アダム・ルイスでした。彼は私の古くからの友人だと、近づいてきたのですが、私には彼のことは全く記憶にありません。だから、なぜ彼が私に近づいてきたのか。もしかしたら旦那様に関係があることなのかも知れないと。そう思ってしばらく様子をみていたのですけれど……そんな時、彼かこのフランジス家のパーティーに誘われて。彼はラルフ・クレイグに変装してこのパーティーに参加したいと言って。なぜそんな突拍子もないことをするのかと聞くと、友人との賭けに負けて、などとよくわからない話を。でも、もしかしたら、彼が私に近づいてきた理由を知る手立てになるかも知れないとそう思いまして了承しましたの――だけど、今日。待ち合わせていたのに、一向に姿を見せず。そのことを偶然、パーティー会場で会った、リリーさんに相談していたところ、執事が呼びに来て、そうしたらあんなことに」
ドロシアは涙まじりのため息をつく。
デュランは難しい表情を浮かべ、重々しく口を開く。
「事実は、これから捜査して行きます……これかは、私の個人的な意見ですが、ラルフ・クレイグはそれほどやわな男ではありません。ですから、奥様がそんなに肩肘を張って頑張らなくとも良いのです」
「ですが……」
「もちろん心配なさるお気持ちはわかります。しかし、クレイグが王都に戻って来た時に、万が一貴女に容疑が降りかかり騎士団に拘束されていたなどと知ったら彼はどう思うでしょう? ですから、もう少しご自身について大切にされてください」
「…………」
デュランの言葉は、正論で返す言葉が見当たらない。ドロシアはわずかに頭を下げる。
「それで、アスセーナス嬢。今回のことについてどう考えられます?」
デュランは声色を変え、リリーを見た。
「普通に考えれば、ドロシア様のおっしゃる通り、ラルフ・クレイグ伯爵を脅威と感じる誰かしらから襲撃を受けたのだと。犯人はかなり手際良く今回のことをやってのけていると見受けられます。ですから、ある程度、慣れた存在なのかも知れません。ただ、引っかかることもありまして」
「引っかかるとおっしゃいますと?」
デュランは丁寧な口調で敬意を持って、リリーにそう尋ねる。その対応から今一度、リリー・アスセーナスは一体何者なのだろう。と、ドロシアにモヤモヤとした感情が湧き上がる。もしかしたら、とんでもないことに足を突っ込んでしまったのかしら。
「本当にクレイグ伯爵と間違って殺害されたのかと言うことです」
「では、犯人はクレイグ伯爵ではなく、アダム・ルイスだと知って殺害されたと言うことでしょうか?」
「わかりません。ただ、それにしては出来すぎているなと」
「と、言われますと、つまり?」
「クレイグ伯爵が今、王都にいないことは、一部の人間にしか知らされてない事項なのでしょう? ですが、本当に彼を消したいと思っているなら、いないことを知っている人であるべきだと思うのです」
リリーはそいうったが、ドロシアはイマイチ理解できず、首をかしげる。
それはデュランも同じだった様で、
「すみません。もう少し詳しくご説明をお願いしてもよろしいでしょうか」
デュランのその言葉にリリーは表情を一変させ、
「ごめんなさい。自己完結して終わってしまっていたわ。つまり――私はドロシアさんのお話を伺って、他国との揉め事や、国内情勢にかかる理由から、狙われる可能性あるかなとは想像できました。そしてそれを実行できるのは、ある程度の情報網と地位がある人間だと。ですから、伯爵の暗殺を図るなら、逆に現在の伯爵の居場所について知っていてもおかしくないと思ったのね」
「旦那様が王都にいないことを逆に知っている筈だと」
ドロシアのその言葉にリリーは頷く。
「そうだと思うの。だから、もしここにいるアダム・ルイスを本当に伯爵様と間違えて殺害したというのであれば、先ほど話したのとは別の理由で殺害された可能性があると思うのね。でも、そう考えれば考えるほど迷宮入り。私が知る限り、クレイグ伯爵が王都で個人的な恨みを買って殺害される理由が想像できる?」
くったいのない双眸がドロシアを射抜く。
「そう言われてみますと、思いつかないわ。そもそも伯爵様は、私もまだ深くは知らない部分もありますが、ほとんど仕事が生活の大半を占めているような方ですし。もちろんそれは大切なことでそれについてとやかく言うつもりもありませんが。私の知る限りでは……」
そう言葉にはするものの、実は気になっていることがあった。先ほどのミネラ・フォックスの振る舞いである。理由はなんとなくわかる気もしないでもない。しかし、ドロシアよりも明らかに立場が上の相手である。そんな気がする。と言う位の曖昧な意見なら言わない方が良いと思った。
「新婚であるというのに、この忙しさについては同じ騎士団の人間としてお詫びを申し上げます」
デュランが深く頭を下げる。
「いや、そんな」
ドロシアは全力で否定したが、
「逆に言うとこの国が、騎士団がそれだけ動かなければならないような状況に立たされているとも。そう言うことよね」
リリーはピシャリと言い放つ。
「それについては――まあ、そうとも言えなくないが」
デュランはたじろいだ。
「やはり“剣聖”と謳われる伯爵がこの国から削がれるのは影響力は大きいのかしら?」
「そりゃあ、間違いなく」
デュランは大袈裟にそう言う。リリーはまたそこで考え込んだ。
「ラルフ・クレイグに変装した人物がここで殺害された。そして、伯爵自身も姿をくらませている。この二つの事実に因果関係はあるのかしら」
ぶつぶつとつぶやくリリーの言葉に答えられるものは、誰一人としていない。
「ともかく。あの部屋で殺人があったのは事実です。今回の事件の犯人については、まあ動機は一旦置いて、どうやって犯行が行われたのか。それについてはどう思われますか?」
「凶器については何かわかったことはありまして?」
「ええ。アダム・ルイスの胸に刺さっていた短刀はこの屋敷のものだと確認が取れています。エントランスから入ったところのすぐの部屋。応接室のガラス戸棚の中にあった代物だそうです。今は亡き人となってしまいましたが、かつてご存命でしたフランジス伯爵も武勲を轟かせた方で。彼が使用していた短刀などは、屋敷で丁重に保存されていたそうです」
「その短刀を持ち出せたものは?」
「パーティーに参加していた誰でもですね。応接室は開け放たれて、誰でも行き来することができたそうです。それに戸棚も掛金を外せば誰でも手にとることができたと。それより伺いたいことが。あの死体の会った部屋に一番最初に入ったのはお二人だと聞きました。その時、部屋の鍵は空いていましたか?」
デュランの問いに、ドロシアはこくりと頷く。
「ええ。フランジス家の執事の方が案内してくださって。その方が、鍵を開ける様子はありませんでしたから」
「一番最初に発見したのは、この屋敷の執事の方ですよ」
ドロシアの言葉にリリーはそう付け足す。しかし、どうもまずいことを言ってしまったらしく、デュランはギョッとした表情を見せた。
「この屋敷の執事は、一人しかおりません。そして、その執事は伯爵が呼んでいると伝言を受けあの部屋に行ったと言っていますが」
「……え?」
妙な間があって、口を開いたのは、リリーだ。
「つまり、この屋敷の執事に変装した第三者が紛れ込んでいたと。そういうわけね。この屋敷の執事は、騒ぎを聞きつけてと言いましたが、どういった状況だったのです?」
「キッチンでサーブの指示を出していた執事は突然肩を叩かれ、後ろを振り返ると見慣れない紳士が立っていて、『休憩室でクレイグ伯爵が呼んでいる』と声をかけられ、執事はわかりましたと指示された部屋に向かった。そこで、先に部屋にいらっしゃったお二人と遭遇したと」
「その、執事に声をかけた男性が気になるけど、そもそもルイスはいつ会場に来たのかしら?」
ドロシアがそう口にする。
「それについては執事も首を傾げておりました。招待客の来場については、執事の方で全て把握するようににしていたと聞いております。とくに、奥様が来られた時、伯爵がまだ見えてないためやりとりがあったと。そのため本人も特に気にしていたと言っていたのですが、奥さん、そうなのですか?」
こんな状況ではあるが、“奥様”と呼ばれるのはどこかこそばゆい。
「ええ。エントランスで旦那様と一緒ではないのですか、と聞かれたので、その……遅れていてるようだと伝えました。到着したら教えて欲しいと申し上げました。そもそも本当はエントランスで合流するはずだったのに、いつまで経っても来ないものだから、不安になって……」
リリーはドロシアの気持ちに寄り添うべく頷く。
「執事は指示された部屋に向かい、お二人とソファーにいるはずのない伯爵が殺害された姿を見て大変驚いたそうです」
デュランはそう話を締め括った。
「その私達二人を呼びに来た執事の行方は?」
「その執事ですが、探しているのですが見当たらないのです」
「見当たらない?」
リリーの言葉に、デュランは力無く頷く。
「フランジス伯爵家に執事は一人です。執事に何度も確認しましたが、伯爵と思われる人物が倒れている部屋には、その謎の人物に呼ばれて行った時以外は、今日は一度も部屋に入っていないとのことです」
「ふーん」
リリーは腕を組む。
「お客様の中に、その人物が紛れ込んでいたということは考えられませんでしょうか?」
ドロシアの言葉にデュランは更に表情の影が濃くなる。聞けば、来客はデュランが来て早々に女主人であるフランジス訳を話して、混乱が起こる前に全て帰したとのことだった。デュランは、
「やはり、パーティーの最中に人が亡くなったとなると、やはり色々と――」
そう言葉を濁す。
ドロシアとて貴族の端くれ。状況的にそうせざるを得なかったことは、察せられた。
デュランの部下と思われる男性が部屋の中に入ってきた。ドロシアとリリーを見て、押し黙ったが、デュランが話を促したので口を開く。
「ご報告いたします。凶器の短剣ですが、戸棚の付近で、男が何らや短剣を手に取った人物がいると屋敷のメイドが証言しています。一体何をしているのか疑問に思ったものの、その服装から執事だろう推察したと。それに自身も抱えている仕事があり、特にそれだけでその場を離れたと証言しています。しかし執事に確認しましたが、短剣など持ち出していない。そもそもエントランスとキッチンをずっと行き来していたので、そんな暇はなかったと」
「そうか。やはり何者かがこの屋敷に。パーティーの騒ぎに紛れていたのだと思われるな……そうれはそうと、お二人をその呼びにきた執事と思われる男性の人相は覚えているか?」
デュランのその質問に、リリーとドロシアは顔を見合わせたが、
「それが、その時はもう、屋敷の執事だという認識しかなかったから、人相までは覚えていないわ。そうね、エントランスで会った執事よりも少し若い方かなと思ったくらい」
デュランはその答えに大いに顔を顰めた。
「ごめんなさい」
その態度に対してドロシアは謝る。
「いえ、別にそんな……仕方のないことですから」
デュランは慌ててそう言った。
「デュラン隊長。亡くなったアダム・ルイスについてはこれから調べるのよね?」
「もちろんです。彼が一体何者であるのか。状況によっては、国家問題に発展する可能性もあるかと。それから彼と伯爵の関係についても洗い出して調べる予定です」
リリーはデュランの物言いに満足したのか、こくりと頷く。
「それから、あと残る謎は――本物のクレイグ伯爵が今どこにいらっしゃるのかですね」
リリーはさらりとそう言う。
「それは、我々も知りたいぐらいです」
デュランはそう頷き、ドロシアはこぶしを握り締める。
「どこにいらっしゃるかはわかりませんが、旦那様は帰って来てくださると、そうお約束をなさってくださいました。ですから、私は必ず戻って来てくださると、そう信じております」
願いにも似たその言葉に反論する声は無かった。




