59 ここが私の居場所
セシリオとベルティーヌの結婚式は、国中の族長とクラウディオ国王、セントール帝国の皇弟夫妻を招いて盛大に執り行われた。
連合国の慣習に従ってベルティーヌは真っ白な花冠を頭に載せ、緋色の布で作られた華やかなドレスを着た。セシリオは真っ白な軍服姿だ。その日の二人の絵姿は、後に連合国の津々浦々の家と店、集会所に飾られることが決まっていた。
結婚式を終えて庁舎二階のバルコニーに二人が現れると、詰めかけた民衆から歓声が沸き起こった。国の英雄とその花嫁は、落ち着いた様子で手を振ってそれに応えた。
国民へのお披露目が終わるといよいよ族長たちを迎えた宴会が待っていた。
ベルティーヌに会ったことのない族長の中には「サンルアンの女など!」と批判的な者もいた。しかし公用語はもちろんカリスト地区の方言まで使いこなすベルティーヌと会話した彼らは、彼女の連合国への愛の深さと知識の広さに驚いた。何の話を振っても即座に返す。連合国の酒や食べ物にも詳しい。
「なかなかいいじゃないか。あの気の強さが実にいい。あの調子では、閣下は早くも尻に敷かれているのではないか」
「夫人はこの国にとんでもない富を呼び込んでいると眼鏡秘書官が絶賛していたぞ。金の卵を産むガチョウだそうだ」
「サンルアンの女と聞いたが、俺にはどっかの族長の娘にしか見えなかったな」
大広間で各テーブルを回って挨拶をし、酒を注ぎ注がれてどんどん飲み干しているベルティーヌをセシリオが心配そうな顔で見ている。
「適当に飲めばいい。注がれるのを全部飲んでいたら倒れるぞ」
「ええ。でも気を張っているせいか、いくら飲んでも不思議と酔わないんです」
「そうか。でも半分は俺が飲もう」
そう言ってひとつのグラスをベルティーヌが少し飲み、残りをセシリオが飲み干す。それを見ていた族長たちは
「ほぉ。あの仕事しかしなかった男が洒落たことを」
「閣下ももういい年だ。やっと手に入れた嫁が可愛くてたまらんのだろう」
などと言い合った。
ドロテは舞台裏でずっと嬉し泣きをしていた。
「ドロテ、泣くな。祝いの席だぞ」
「そうですけどディエゴさん、お嬢様と閣下はこのまま結婚なさらないのかと思ってたんですよ。だからもう、嬉しくて嬉しくて」
「お嬢様は縁遠かったからなあ。お空のカリナ奥様もさぞかし……」
ディエゴも思わず目頭を押さえた。ドロテはチン、と鼻をかんでからディエゴに話しかけた。
「ディエゴさんは自宅に帰るんでしょう?」
「ああ、お嬢様が閣下と一緒にお暮らしになるのならもう安心だ。俺の娘は俺が留守の間に結婚して孫も産んだよ。そろそろ家に帰らせていただくつもりだ。ドロテはどうするんだ?」
「私は身体が動く限りお嬢様にお仕えするつもりです」
「今日からはもう奥様だな」
「あぁ、そうでしたね」
そこでまたドロテの目から涙がこぼれ、ディエゴがハンカチを差し出した。
マクシム・ド・ジュアンは花嫁の父として長男と共に式に参加していた。長男のヘラルドは妹の花嫁姿に目を赤くしている。
侯爵が会場の様子を眺めながらクラウディオ新国王に話しかけた。
「陛下、来月末をもって宰相を交代いたしますが、あの者も十分役に立つはずです。陛下と国のために働いてくれるでしょう」
「何から何まで世話になった。宰相には感謝してもしきれないよ」
「わたくしこそ最後に充実した仕事をさせていただきました。思い残すことは何もございません」
侯爵は宰相引退後は息子に家督を譲り、しばらくは連合国を旅して回るつもりでいる。「連合国は私のような老人をもワクワクさせてくれそうだ」と言って。
しばらく新郎新婦を目で追っていたクラウディオ国王は静かにため息をついた。
「私があと数年早く生まれていたら、彼女を王妃に迎えられたかもしれないのに。そう思うと本当に悔しいよ」
「へ、陛下?」
驚いて目を剥くマクシムに少々寂しそうな笑顔を向けるクラウディオ国王。
「あんなに活力と才能と魅力に溢れた女性を見た後では、どの女性を見ても、ね」
父としては娘を褒められて嬉しいが、宰相としては心配になるお言葉である。
「いつか陛下にふさわしい方が見つかりますよ。陛下はまだお若いのですから」
そう言いつつ(数年早くお生まれになっていたら陛下と娘とは巡り合わなかっただろう)と思う。何もかもが縁という名の経糸と緯糸で織りあげられて今がある。ほんの少し事情が変わっても若き国王は誕生せず、娘も連合国代表の妻になっていなかっただろうから。
その後、ベルティーヌが世に送り出した緋色の布、ヒリ、各種瓶詰めは順調に連合国を潤した。ヒリは帝国を経由してその隣国のアズダール王国に伝わり、そこでも評判になった。武器製造が盛んなアズダール王国は、船を使って海岸線を回り込んで南下し、帝国を経由せず連合国に直接接触してきた。
ある日突然沖合に現れた大きな船を見て、連合国の人々は「敵襲か!」と驚いた。だが小船に乗り換えて砂浜にやって来た男たちは「ヒリ!ヒリ!」と口々に叫んだ。
人々がヒリを差し出すと「これを買いたい」と身振り手振りで訴えた。彼らは侵略者ではなく熱心な商売人だった。
セシリオの父デリオは、アズダール王国の船が帆に頼らず機械で動いているのに注目した。
(彼らが帰る前に)と急いでそれをセシリオに知らせると、セシリオは川船で駆けつけ、船を動かすその仕組みを船ごと買い受けたいと申し出た。
セシリオと共に駆けつけたベルティーヌは、その交渉の最中に船の中を案内してもらった。そして船を動かしている大きな機械の燃料が石炭であることを知ると、
「石炭ならいくらでも我が国で採れるじゃない。これは船を一隻二隻ではなくてあの機械を大量に買い付けるべきよ。まとめ買いして船で運んでもらいましょうよ」
と、この商談の規模を大きくすることを勧めた。
その場に同席していたイグナシオはそれを聞いて(また金の卵が産まれる気配!)と察して財務部の人間に
「ありったけの予算を回せ。これは買いだ」
と指示した。
最近ではベルティーヌとイグナシオの息がぴったり合っていて、セシリオは
「イグナシオ、最近のお前はだんだんベルに似てきたな」
と真顔で言う。
「次の錬金術師」とルカが言った通り、ベルティーヌの商売の勘は経験を重ねて磨きがかかっていた。
「この国にもこの手の機械に興味を持つ人が必ずいると思うの。イグナシオさん、修理ができる人を育ててみない?そうじゃないと壊れても修理もできないでしょう?まずはアズダール王国から修理ができる技術者に来てもらうことからになるけど」
「そうですねえ、確かに修理できなければ壊れた瞬間から鉄の塊ですね」
さっそくアズダール王国側に人を送り、修理と整備の知識と技術を学ばせてほしいと伝えた。アズダール王国からは技術指導はヒリと引き換えに受け入れる、と答えが返ってきた。ここで役に立ったのが新しく建てられた学校だった。
全国の学校の最上級生を対象に「船を動かす動力の修理や整備に興味がある者で留学希望の者には奨学金を出す」と告知したところ、わずかだが希望者が現れた。
「ほらやっぱり。のんびりしている国民性でも中には違う人もいると思ったのよ」
ベルティーヌは嬉しそうだ。
希望者は面談の上、まずは十名が基礎的なアズダール語を学んだ。国はエバンスが世話になった商会から講師を呼び寄せた。生徒たちは生活に困らない程度に言葉を学んだ上でアズダール王国に留学することになった。将来の技術者になる彼らにベルティーヌは
「焦らなくてもいいの。第一陣のあなたたちは三年間かけて修理できるようになれば大成功。でもね、それよりも全員が無事に帰ってくるのが一番大切なことよ」
と話しかけた。
庁舎に集められ、これから外国に送り出される緊張感でカチカチになっていた五人の若者たちは、美しい代表夫人に優しく励まされてホッとした。
後日、彼らは異国の地で挫けそうになるたびに「無事に帰ってくるのがまずは大切」と送り出してくれたベルティーヌを思い出してまた勉強に取り組んだ。
二人の結婚から数年後。
セシリオとベルティーヌは三人の男の子に恵まれ、五人家族になっていた。
一家は首都イビトに私邸を構えた。広い敷地には普通のレンガ造りの屋敷と、草葺き屋根の楕円形の大きな平屋が並んで建てられている。その風変わりな家は、田舎から出てきた者が首都観光のついでに必ず見物に来る名所になっていた。楕円形の家を設計したエバンスの名前は、今では連合国だけでなく帝国やアズダールでも知られている。
アズダール王国から買い付けた動力は次々と川船に取り付けられた。国を縦断する大河のサラン川は主要な移動経路へと変わった。現在、川には大小多くの船が帆船時代とは比較にならない速さで行き交っている。
三人の子どもたちは主に草葺の家で育ち、セシリオに良く似た大柄な男の子たちは皆活発だった。セシリオに言わせると
「俺の子どもの頃より遥かにやんちゃだ。外見は俺似だが、中身はほぼベルティーヌだな」
だそうである。
ベルティーヌと三人の子どもたちは、忙しいセシリオを首都に留守番させてたびたびカリスト地区に出かけている。貸し切りのカリナ号を使って通い、エミリオとデリオを喜ばせた。子どもたちもカリスト地区の青い海が大好きだった。
ドロテは侍女長となり、一家の内向きを取り仕切っている。
使用人は全員ドロテが選んだ。
以前のセシリオの公邸にいた使用人たちをドロテは選ぶつもりがなかったし、彼らもまた『奥様はお許しくださり引き止めてくださるが、私たちにはその資格がない』と辞退した。
「奥様、本日はダリラ様がお立ち寄りくださる日ですね」
「ええ。最近は頻繁にお会いできて嬉しいわ。今度はどこのホテルをご利用だったかしら」
「今回は西海岸のホテルだそうですよ」
「えーと、巨大な岩みたいなホテル?」
「いえ、三段重ねの草葺き屋根の方です」
「あれも人気よねえ」
「はい。エバンス様はいまや売れっ子建築家ですよ」
「うふふ。荷物を盗まれておなかを空かせていたあの日が懐かしいわ」
絶望から立ち上がり走り続けたあの日々を二人同時に思い出してしまう。
「ベルティーヌ様はいつでもわたくしの自慢の主でいらっしゃいます」
「急にどうしたの?でもね、いつもありがとう。感謝しているわ。あなたがいてくれて本当に幸運だった。あなたがいてくれたからこそ、私は今ここにいるのよ」
ベルティーヌの声が少しだけ震え、目と鼻の先が赤くなる。
外からは三人の息子たちとセシリオが遊んでいる声が聞こえて来る。セシリオは(この人にこんな一面があったのか)と驚くほど子どもの世話をし、遊び相手をしてくれる。彼の子育ては落ち着いていて余裕があった。
「いい年になってから父親になったんだ。じっくり子育てを楽しみたいんだよ」
とセシリオは笑う。
キャッキャとはしゃぐ子どもの声。「こっちだぞ」と呼びかける夫の声。それを聞きながらベルティーヌは(ここが私の居場所だ)と思う。
「ねえドロテ。私あの時、生きることを諦めなくて本当によかったわ」
ベルティーヌはそう言って穏やかに微笑んだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
たくさんの応援をいただいてたどり着けました。
次の小説の公開は、都合により少し間が開くと思いますが、新作公開の際はお暇な時にお立ち寄りいただければ幸いです。
ではまた。
守雨





