57 幕引きと開幕
サンルアン国王ファウスティノは寝ているところを起こされ、事態を把握するまでずいぶん時間がかかった。
侍従に言われて窓の外を見ると「他者に漏らしたら一族郎党断首刑」という厳しい法律で守られてきた航路が、ビッシリと並べられた白い浮きで丸見えになっている。しかもその航路を通って続々と連合国のものと思われる小船が陸地目指して進んでくる。どの船にも二十名近い兵士が乗っていた。
「なんてことを!今すぐあの浮きを取り除け!」
「それが、すでに連合国の兵士が我が国の船を全部押さえていて動かせません!」
「侵略ということかっ?」
「そうかもしれませんが、船を押さえている以外は何も」
「弓兵はどうした?」
「待機部屋を確認しましたが一人も見当たりません!」
(どういうことだ……)
取るものも取りあえず謁見の間へ向かうと、王宮内の要所要所には既に連合国の兵士が立っていた。彼らは自分を見ても冷ややかな視線を送るだけで動かない。近衛兵は観光客用の見た目最重視で選んだ若者ばかりだが、その近衛兵の姿もどこにも見当たらない。
いつ斬りつけられるか捕らえられるかと冷や汗を流しながら、ファウスティノは係の者がドアを開けるのも待てずに自分で大扉を押し開けて謁見室に入った。
謁見室の中はぐるりと兵隊が壁際に立ち、その中央にはエーレンフリート皇弟殿下、クラウディオ第二皇子殿下、そして初めて見る黒髪の男は間違いなく連合国のセシリオだろう。その隣にはベルティーヌが椅子に座らずに立っている。
三人の男とベルティーヌがこちらを見ていた。この国の王である自分が入って来たというのに男たちは三人ともくつろいだままで立とうともしない。
「ベルティーヌ!なぜここに?皇弟殿下、これはいったいどういうことです!」
それに応じたのはセシリオだった。
「やっといらっしゃいましたか、ファウスティノ国王陛下。我が連合国軍の船を目の当たりにしているのにまず帝国側に事情を尋ねるとは。聞きしに勝る間抜けっぷりだ」
「なっ!なんという無礼な物言いだ!」
そこへ息を切らしてエデル王妃とオダリス王太子が駆け込んできた。
そこでセシリオがゆっくり立ち上がり、大股で王家の三人に近づきながら低い声で話し始めた。
「揃ったか。無礼なのはお前だファウスティノ。戦争で負けた側でありながら賠償金を値切って臣下の娘を差し出す国など、聞いたこともない。国家間で交わした調印を反故にした罪は重いぞ。調印に記された支払い期限からもう三年になる。払う気がないようだから不足分の代わりにこの王宮を貰い受けに来た」
それを聞いたエデル王妃の布を切り裂くような甲高い声が響いた。
「馬鹿なことを言わないで!払えばいいのでしょう!大金貨千枚程度のことでこのような騒ぎを起こして!どういうつもりなの!」
目を吊り上げたエデル王妃が侍従に
「金貨を持っておいで!早くしなさい!」
と怒鳴りつけた。セシリオは動こうとした侍従に短く
「止まれ。動けば罰する」
と声をかけて王妃に近寄った。侍従はセシリオの声のあまりの迫力に凍りついたように動きを止めた。
「おかしいな。この国の法では正当な手続きを踏まず、支払いが滞ることへの弁明もせず、借金を支払期限から一年以上放置した場合はその者の土地または建物から相当分を没収できる、とあるが?」
エデル王妃は反論を思いつかず唇を噛んだ。
「しかもその場合、貸し出した期日に遡って年利二割の懲罰的利子を課す、とある。三年分の利子を計算したら元金と合わせて大金貨千七百二十八枚だが?」
「いますぐ払うわよ!」
「金貨はもう不要だ。連合国はこの王宮を貰うことにした」
「ベルティーヌは我がサンルアンの宰相の娘よ?ベルティーヌを手に入れておきながら賠償金も渡せと言うつもり?」
ベルティーヌが一歩前に出てはっきりとそれを否定した。
「私は閣下とは上司と部下の関係でしかありません。私は連合国で働いて自立しております。それを証言するためにここに参りました」
「そんな……」と消え入るような声は国王ファウスティノだ。
「そんなだと?帝国軍に軍資金を出しておいて今更無関係だと言うつもりか?」
「まあまあまあ、セシリオ閣下。その辺で許してやりましょうよ。この者たちは王家の器ではないのです。なにしろ賠償金の代わりに臣下の娘を差し出す人たちですから。私もいつの時代の話だと耳を疑いましたよ」
エーレンフリートの言葉を聞いても事情が飲み込めずにエデル王妃がエーレンフリート皇弟に声をかけた。
「皇弟殿下?」
「欲をかきすぎたね、エデル王妃。セシリオ閣下の言い分はもっともだよ。我が国だってそんな対応をされたらこの国に攻め込むさ。三年も待たない。だが帝国はサンルアンとはそこそこの付き合いがある。だからここは帝国が間に入ろうと思って同行した次第だよ」
国王と王妃と王太子の顔に希望が宿る。
そこでクラウディオが初めて口を開いた。
「セントール帝国第二皇子、クラウディオだ。セントール帝国皇帝陛下からこれをそなたたちに渡すよう預かってきた」
クラウディオの持つ書類にエデル王妃が駆け寄って目を通すなり「だめ!だめよ!」と小さくつぶやく。ファウスティノ国王も近寄ってそれに目を通した。
「国王の座をクラウディオに譲ることを命ず……命ず?」
国王の力ない声を聞いて王太子オダリスが叫んだ。
「乗っ取りではないか!帝国と連合国が手を結んでこの国を乗っ取ろうと言うのか!そんな道理があるか!」
そこに新たに宰相のマクシムの声が響いた。
「オダリス殿下、王妃殿下のご判断が間違っていたのです。陛下と王妃殿下は宰相の私に隠していらっしゃいましたが、セシリオ閣下は花嫁ではなく賠償金をと、我が娘がこの国を出る前に伝えて下さっていました。あの時きちんと賠償金を支払っていればこんなことにはならなかったのです」
「マクシム!お前が裏切ったのか!」
「父を責めるのは筋違いです、殿下」
「ベルティーヌ!お前たちは親子揃って国を裏切ったのだな!」
興奮したオダリス王太子がいきなり剣を抜いてベルティーヌと宰相に斬りかかろうとした。周囲にいた軍人たちが動くより早く、近くにいたセシリオが剣も抜かずに長い脚でオダリスの腰を横から蹴り飛ばした。すぐにオダリスの手首を強く叩いて剣を落とし、落ちた剣を蹴って遠ざけた。
「エデル、お前の息子は頭も弱いが剣の腕もからっきしだな」
「オダリスになんてことをっ!」
オダリス王太子は連合国の兵士たちに押さえつけられた。国王夫妻も帝国軍の軍人に取り囲まれる。
「王太子殿下は王妃殿下が何をなさっていたか、何もご存知ないのでしょうね」
ベルティーヌの声には怒りよりも悲しみの色が濃かった。
興味深そうに一連の様子を眺めていたエーレンフリートが声を張り上げた。
「そろそろこの辺でいいかな。サンルアン王家はさすがに帝国と連合国の双方に逆らうつもりはないだろう?では、今この時をもって、サンルアン王家の支配は終わった。正式な儀式はのちほどとするが、今、この時よりこの国の王はクラウディオ・アウグスト・セントール陛下となられたことを宣言する」
帝国から従ってきた兵士たちがまず膝をつき、宰相マクシムがそれに続いた。
セシリオとエーレンフリート、ベルティーヌ、連合国の兵士は胸に手を当てて深く頭を下げた。
クラウディオは堂々たる声で
「頭を上げよ」
と声をかけ、元王家三人に語りかけた。
「帝国の皇帝陛下からお前たちへのお言葉がある。『帝国内の領地を与えるゆえ、己の才覚で領地経営を成し遂げよ』とのことだ。『臣下は望む者がいれば連れて来ればよい』ともおっしゃっている」
すぐさま宰相マクシムが言葉を挟んだ。
「おそれながら陛下。主な貴族たちには既に意思確認を終えております。結果、ファウスティノ前国王とエデル前王妃に付き従って帝国に移住すると申し出た者は一人もおりませんでした。前国王様、元王妃様、お疑いでしたらご自身でのご確認をお願いします」
シーンとした謁見室。
しばらくして最初に声を出したのは前国王とされたファウスティノである。
「なるほど。誰一人付いては来ないか。それが全てを物語るな。マクシム、お前には散々世話になった。エデルがしていることを知っていながら止めなかった私の罪ということか。ずっと前から民や臣下たちが私をどんな目で見ていたか気づいていたよ。なんとかなると思っていたのは私だけだったのだな」
「陛下!帝国の領地など嫌です!わたくしは参りません!」
やれやれという顔をしていたセシリオが仕方なさそうに声をかけた。
「エデル、命が惜しくば帝国の情けに縋れ。帝国の皇帝は俺よりはるかに気が短いぞ。今が最後の機会だ。恥と引き際を知れ」
「うるさいっ!この……この……」
エデルが言葉を探していると、ベルティーヌが冷静に割って入った。
「閣下は国と国民のために全身全霊で向かい合って働いていらっしゃいます。私は連合国に送られて以来、ずっと閣下のお仕事振りを見て参りました。父を利用しながら枷をはめ続けた人とは違います。閣下を侮辱することはやめてください」
ベルティーヌの低めの声は皆の耳に届いたが、元王妃と元王太子はベルティーヌを睨みつけるだけだった。
その日、すぐに役人の手配によってサンルアンの国中に王家の交代、国名の変更が知らされた。早朝の連合国上陸に怯えていた人々は『帝国の第二皇子が国王になる』と聞いて喜んだ。
「これでもっと帝国相手の商売がしやすくなる」
「今までの王家は頼りにならなかった」
「連合国まで味方に付いてるならこの国はもう安泰だ」
自らの才覚で商取引をして生きてきた国民たちは、それまでの王家との別れを悲しまなかった。『商取り引きで失敗する者は能力がない者』というこの国の流儀がそうさせたのである。





