53 ビルバホテルの開業
ベルティーヌが連合国の首都に戻り、また忙しい日々が始まった。
家具、リネン類、食器。買うべき物はたくさんあった。
(あのホテルに合う物を)とカーブが優しいもの、軽いもの、素朴なデザインの家具を選んだ。それらを買って船で運び、現地に着いてからは荷馬車で運んでもらう。
『どんどんホテルらしくなってきている』とフランツさんから手紙が届いた。
川船カリナ号は最近では大商人が南部に向かう時の足としても使われている。当分の間はホテル客と自分たちだけが利用する船にするつもりだったけれど、船員たちが「こんなに暇だと腕がなまる」と言い出したのだ。
「じゃあ、一般のお客様にもお貸ししましょう」
ということにした。
カリナ号の乗船客は最初こそ男性だけだったけれど、そのうち男たちから伝え聞いたその妻、娘、彼女たちの友人と女性客が増えてきた。美しく優雅で旅気分を味わえる川船は食事も上等、家具や内装も上等で女性を満足させたらしい。
ヒリは男性を中心に噂が広まったが、船は女性たちの間で噂が広まっていった。連合国の北部から南部へ。裕福な女性たちは朝に乗船して昼食を楽しんで夜に家に帰るという小さな船旅を喜んだ。思いがけない需要だった。
ホテル開業へ向けての準備は着々と進み、何度もベルティーヌ自ら宿泊して設備と接客に問題がないか確認した。
いよいよお客様を迎えようという頃。
「ねえ、ドロテ。最初にどなたかをご招待したいのだけど、誰をお呼びすればいいと思う?ホテル運営の専門家のお父様に来てほしいけど、無理よね」
「旦那さまは宰相でいらっしゃいますから、お国を留守にするのは無理でしょうねえ。ダリラ様はいかがでしょうか」
「そうね、甘え過ぎかもしれないけど、お願いしてみようかしら」
さっそく手紙を書いて
「連合国の最深部に斬新なデザインのホテルを建てたので泊まりにいらっしゃいませんか。最初のお客様としてご招待させてください。往復は帝国の国境近くから貸し切りの船がございます」
と誘ってみた。するとすぐに折り返してくれたらしい手紙で
「喜んで泊まりに行きます」
と返事が来た。
帝国の宮殿で侍女長まで勤め上げたダリラ様に見ていただければ心強い。設備や接客の足りないところがあれば指摘してくださるだろう。
明後日はダリラ様が到着、という日の夜。
建設に関わった皆でホテル開業のお祝いをした。ホテルの名前は『ビルバホテル』だ。地区の名前をそのまま付けた。
エバンスはずっと嬉し泣きをしていた。
支配人のフランツとその妻エリーゼがそれを見てもらい泣きをしている。建築家のエッカルトは「エバンスは嬉しいとすぐに泣くのだ」と苦笑している。
「エッカルトさん、これでもう帝国にお帰りになるのですか?」
「いいや、ベルティーヌさん。私はこんな楽しい仕事は初めてだった。人生で最初に建物を建てたときよりも楽しかったくらいですよ。エバンスの二番目三番目の家も私が建物の強度の計算係として一緒に建てたいんだ。予定はないのかい?」
「あるといえばありますが、まずはこのホテルを軌道に乗せないと」
エッカルトは自分より少し背の高いベルティーヌを上目づかいで見ながら
「ではそれまでこの国を見て回る旅をするか。これまでがむしゃらに働いて稼いできたのはこのためだったかと思うほどここの暮らしが気に入ったんだよ。この国の気候のおかげだと思うが、ここに来てから膝も腰も痛まなくてね。身体が若返ったのかと勘違いするほどだ」
と笑う。
「あらまあ。ではぜひそうなさってください。次にエバンスが建てる家も、エッカルトさんがいてくれたら心強いです」
「師匠、旅をするなら俺が護衛と案内をいたしますよ」
ホテルじゃなくてもいい。図書館でもいいではないか。費用は自分が出そう。この国の役に立てるのは名誉なことだ。それに、エバンスの考えた建物がこの国のあちこちにあったら面白い。
その夜、ベルティーヌは、みんなが寝静まった時間にホテルの前に立った。
「自分の居場所は自分で作る」そう心に誓ってから走り続けてきて、やっと自分の夢が形になった。このホテルを建てるための費用はこの国の人々とこの国の素材が生み出してくれた。
「ここに来るために私は生まれてきたのだ」
今ならそう言える。
打ちひしがれて国を出たあの日の自分に『大丈夫だから。この先たくさんのいいことがあるから。元気を出してね』と教えてやりたかった。
いよいよホテル開業の日がやって来た。
ベルティーヌはホテルにほど近い森の中の管理棟に泊まり込んでいた。今か今かと待っていると、馬車の音がしてダリラ様が到着した。笑顔で馬車を降りるダリラ様。二人の侍女も一緒だ。
「遠いところまでようこそいらっしゃいました、ダリラ様」
ベルティーヌを先頭に従業員一同が制服を着て出迎えた。
「船が最高だったわ。最初は馬車じゃないのが不安だったけれど、川船の旅が素晴らしかったの。それにしてもすごいホテルねぇ!妖精の棲家みたいじゃない?」
「面白いでしょう?」
「よくこんな建物を思いついたわね」
「これを考えた天才と巡り会えた自分の運の良さに自分で感心しています」
「幸運を引き寄せたのもあなたの力じゃないかしら」
優しい言葉を受け取ったあとでダリラ様に部屋を案内した。
一階の部屋は壁のひとつが大木に貼り付いているので大木の幹に触れることができる。ダリラ様はそれを面白がって
「ああ、残念。画家を連れて来るべきだったわ!」
とおっしゃる。
「ダリラ様、それ、思いつきませんでした。早速画家を手配してこのホテルの魅力をたくさんの方に伝えられるよう描いてもらいますわ」
「そうなさい。できれば二枚ずつ描いてもらって画集にしてくれると嬉しいわ。一冊は私が他の貴族の皆さんに見せて紹介する分にしますから」
「それはありがたいです!急いで手配しなくては」
ダリラ様は
「空中の連絡通路は揺れないの?大丈夫?」
と最初は怖がっていたが、藤のツルであちこちを固定されていて揺れずに渡れることを知ると三階まで登って
「素晴らしい……こんなに深く大きな森なのね。帝国にはない種類の緑の豊かさだわ」
と手すりから身を乗り出すようにして遠くを眺めていた。
翌朝、感想を聞きたくて朝食を届けがてらダリラ様の部屋を訪問すると、興奮しているダリラ様が出迎えてくれた。
「ベルティーヌ、ここは楽園ね!朝、三階の部屋の手すりに野鳥が留まって歌を歌ったのよ!私が長椅子に座っているのに全然怖がらないの。長い歌を歌って、羽繕いをしてから飛び立って行ったわ。真っ赤で小さな小鳥よ!」
「あの小鳥、歌が長くて聴き応えがありますよね。私も大好きです」
「それにあの食事!タマウサギの肉の美味しいこと美味しいこと。帝国の野ウサギの肉とは全然違うわ」
なかなか話が終わらないのでそっと果物の盛り合わせとパン、卵、バター、ジャム、お茶の載ったトレイを差し出す。
「これ!果物の種類が豊富なことと言ったら!シロップ煮もいいけれど、この国の新鮮な果物の魅力に心を射抜かれたわ。私、一週間の予定だったけれど、次は二週間、いえ、ひと月は泊まりたい。でもたくさんの人にここを紹介したら私が泊まれなくなってしまうわね。悩むわ」
(そうでしょう、そうでしょう、わかりますよ)とにんまりするベルティーヌ。
「朝食のあとのお散歩もおすすめですよ。森の中にはたくさんの花が咲いています。それと、ホテルのお客様は果樹園でいつでも果物が食べ放題です。果樹園の持ち主と契約しておりますので。果樹園の脇の道をエムーの群れが歩くのも見られますよ」
「エムー!図鑑でしか見たことがないわ。ベルティーヌさん、あなた、ほんとうにいい場所にホテルを建てたわね」
思わず「うふふ」と笑いが漏れてしまう。
ダリラ様は星の実のお酒がとりわけお気に召したようで、五十本をお土産に買って帰ると宣言し、族長のブルーノを
「こりゃせっせと酒を造らないとすぐに足りなくなるな」
と慌てさせた。
一週間の滞在を終えて、ダリラ様は
「ディアナにもクラウディオ殿下にもここを体験させたかった!」
と繰り返してお帰りになった。
このあと、ホテルの予約を申し込む手紙が帝国からイビトのベルティーヌの家にたくさん届いたことは言うまでもない。ベルティーヌは今のホテルから少し離れた場所にもう一軒のホテルを建てるべく、予算を組むことにした。
後日ダリラ様に送った二冊のホテル紹介用の画集は、ホテルの外観、身近な動物、植物、ホテルの料理などを一冊の本に仕上げたもので、ベルティーヌが全ての絵について解説を書いた。
画集は「友人に一度貸すとなかなか戻ってこない」とダリラ様が愚痴をこぼすほど人気になった。
「画集がほしい」という手紙も届くようになり、急いで画家に同じ絵を何枚も何枚も描いてもらったほどである。
クラウディオ殿下の誕生日まで一年になった。
サンルアン王国では宰相マクシムが着々と道を作っていた。国王と王子が国を導く気力も意欲も無いことを知っている重鎮たちは、マクシムの極秘の話に即座に乗った。帝国と連合国が手を結んで動くとなれば、自分たちが生き残るために選ぶ道は決まっていたからだ。





