52 王家とは
ホテルは三本の巨木に絡みつくように造られていた。
一本の大木にひと部屋ずつが太い幹にぴたりと貼り付いていて、下から木材が何本も斜めの扇のように部屋の底を支えている。各部屋は屋根付きの宙に浮かぶ廊下で結ばれている。屋根は全て樹皮で葺かれていた。
一番低い位置にある部屋までは大木を半周する華奢な階段で行くらしい。
驚いて見上げていると「ベルさん!」と声がかけられた。エバンスだ。隣にはエッカルトとフランツもいる。
「エバンス!こんなに進んでるなんてひと言も言ってなかったじゃないの!」
「それがさ、村の男たちがみんなで面白がって手伝ってくれて。あっという間にここまで工事が進んだんだよ」
「進んだんだよって」
苦笑しているとエッカルトが近寄ってきて
「いやぁ、実に驚かされた。この村の男たちは足場も使わずに三階部分までスルスルと登るんだ。命綱も不要だと言うから、見ている私の寿命が縮んだよ」
「足場もなしですか?どうやって……」
エバンスが笑いながら説明してくれた。
「俺たちはヤシの実や木の実を採るために木登りはできて当たり前なんだ。大木過ぎて腕が回らない時はロープを回して登るんだ」
「へええ」
フランツもそれは驚いたらしく一緒になって説明してくれる。
「スルスルと登ってロープの片端を下に落として『次の木材を結んでくれ』って言うんですよ。下で木材にロープを結ぶとね、それを数人で引っ張り上げて組み合わせてしまう。その手早いこと手早いこと。魔法みたいでしたよ」
エッカルトにとっては驚異の出来事だったらしく
「この国の人間が帝国で大工仕事をしたらあっという間に工事が終わってしまうよ」
と興奮した口調だ。
それを周りで聞いていた村人たちは
「このくらいの高さに足場なんていらねえよ」
と笑う。
「フランツさん、エッカルトさん、中を見てもいいですか?」
「どうぞどうぞ。ぜひ見てください。帝国の高位貴族だって満足するような造りですよ」
フランツたちに案内されて階段を登って中に入ると、一階は玄関、広々した居間、水回り。すぐ上にある二階は寝室とテラス。
エッカルトの計算の賜物なのは間違いないが、各部屋の下に放射状に組まれた支えや太いロープが張られているとはいえ(なぜこれが安定して幹に貼り付いていられるのか)とベルティーヌは感嘆の念で見渡した。
森の奥のやや高い位置から一階まで細い管が目立たぬように引いてあるから何かと思ったら、湧き水を木製の水路を使って一階の部屋まで誘導したらしい。確かにあの位置まで桶で水を運ぶのは大変だ。
「三階は広いサンルームだよ」
三階の部屋に登ってみれば素焼きの鉢植えに植えられたこの国の草花がいくつか並べられている。誘導したらしいツル性植物があちこちに巻き付いていて、花が咲いたらサンルーム全体が花の香りに包まれることだろう。
置かれている長椅子に脚を伸ばして座ると、遠くまで深い森が見える。腰までしか壁がないから全方向がよく見渡せた。
「いい!いいわよエバンス!」
「えへへ」
大男は照れている。フランツもエッカルトも「エバンスは天才ですよ」と満足げだ。
「あとは家具と壁紙、浴槽、便器、お茶を沸かしたりする小さな炭コンロなどを入れればお客様を迎えられるよ。エッカルトさんが湯船に水と人が入っても重さに耐えられるよう入念に計算してくれたんだ」
「フランツさん、従業員の募集は?」
「集落のみなさんが参加してくれることになりました。私はすっかりみなさんと仲良くなりましたよ」
「じゃあ、もうほぼ開業できるんですね?」
「いえ、あと一年は必要です。従業員の指導はまだまだです。料理人も呼んでメニューも決めないと。料理は大切です。この地区の素材で美味しいものを作れる料理人を見つけてきます」
「ではそこはフランツさんにおまかせして、私は家具を選んで買ってきます」
ホテルを見て感動したまま集落へと移動すれば、久しぶりに訪問したビルバ地区には小さな学校ができていた。公用語を使って基礎的な勉強を教えるらしく、セシリオの理想がひとつ実現されていた。
「ブルーノさん、そう言えば私たちは船で来たんです。貴族でも問題なく乗れる上等な船を建造したんですよ。よかったらご覧になりますか?」
と告げるとブルーノがソワソワする。
「ベルさん、それは俺たちが見物がてら乗るわけにはいかないんだろう?」
そういう顔が「乗りたい!」と訴えているので思わず顔が緩んでしまう。
「ご希望の方を全員お乗せできます。今から行きますか?」
「いいのかい!こりゃ嬉しい」
ブルーノの妻カサンドラが
「この辺の人間は船に乗ることなんてまずありませんから。皆喜びますよ」
と 夫のはしゃぎっぷりの理由を教えてくれた。
ブルーノが家の前の柱に設置している鐘をカランカランカランと三回鳴らしてまた三回鳴らす、を繰り返すと、あちこちから人が集まってきた。
「族長、なにか用事かい?」
「ベルさんがホテル客用の船を造ったんだそうだ。希望者は乗せてくれるっていうが、行きたい者はいるかい?」
そこからが大騒ぎになった。
老若男女が皆「乗りたい!」ということになり、結構な人数で川に向かう。歩けば一時間はかかる道のりをほぼ全員が歩いて行くという。毎度馬車を使っていたベルティーヌたちは申し訳ない気持ちだ。
「私たちはあんたたちとは鍛え方が違うから気にしないでいいよ」
そう言って六十歳は超えてそうな老女が笑う。
桟橋に係留されている船に馬車が着くと、ベルティーヌたちがすぐに戻ってきたのでのんびり休憩していた船員たちが驚いた。
「もうすぐビルバ地区の皆さんが船の見学にいらっしゃるの」
と言うと受け入れの準備を始めてくれた。
やがて見物の集団が到着し、
「おお、真っ白な船だ」
「二階建てだ」
「きれいな船だなあ」
と集落の人々が賑やかに乗り込んだ。中には果物や干し肉、地酒を手土産に持ってきた人もいて、船内はちょっとしたお祭り騒ぎだ。船側も在庫のお酒を出したり軽食を出したりして歓迎し、楽しい時間を過ごすことができた。
夜。
視察を終えたセシリオとイグナシオも合流し、エバンスの実家で豪華な夕食会になった。イグナシオはずっと「タマウサギの肉が美味い!エムーも美味い!」と酔っ払ってはしゃいでいる。セシリオはブルーノの隣に座ってくつろいだ顔で会話していた。
宴会がお開きになるまでおなかいっぱい飲んで食べて、馬車に乗って船に向かう。
「エバンスの考えたホテルを見てきたが、すごかったよ」
「私もあんなに完成に近づいているとは知らなくて。びっくりしました」
「あんな形なのになぜか周囲の森に溶け込んでいたな」
「建材は全部地元の物を使ったそうですから、それもあるのかもしれませんね」
馬車の中はベルティーヌとセシリオの二人だけで、イグナシオとドロテとディエゴはセシリオたちが乗って来た馬車を使っている。
「ベルティーヌ、クラウディオ殿下の成人の日まであと一年と半年になった」
「そうですね」
「サンルアン王国の名は消える」
少し考える。
自分はあの国が帝国の属国のようになったらどんな気持ちだろうか、と想像してみる。
「サンルアンは『いかに帝国の人にお金を落としてもらえるか』をみんなが考えている国でした。国の名が変わっても、それは変わらないでしょう。『民が安全に健やかに暮らせるように』という三代前の国王陛下のお考えからは少し離れてしまいました」
楽しい思い出も悲しい思い出もあるサンルアン王国は名前を変えてもあの場所にある。
王家は変わっても国民の顔ぶれは変わらない。忠誠を誓う相手が変わるだけだ。
愛されない王家が消えるだけだ。
「閣下、王家とは何なのでしょうね」
「王家とは国のため民のために生きる人たちだと俺は思ってるよ」
「それならばサンルアン王国には、もうとっくに王家は存在していなかったのです」
セシリオはそう答えたベルティーヌの表情があまりに哀しげだったので、思わず向かいに座る彼女の頬に右手を当てて
「大丈夫か?」
と尋ねた。
「はい。でももう少しだけこのままでいさせてください」
「ああ。好きなだけそうしているといい」
「変ですよね。名前が変わるだけなのに」
「きっともっといい国に変わるさ」
「そうであることを信じています」
(お金の代わりに女性が差し出されるなんてことが二度とありませんように)と思った。
そんな目に遭うのは自分だけで十分だ。





