48 エッカルト・ベックの来訪
帝国と連合国によってサンルアン王家がおそらく消えると知った今も、ベルティーヌの生活は以前と変わらない。帳簿を付け、注文を受けて特産品を注文したり発送したりを繰り返している。
だが胸の中は波立っていた。
(閣下はサンルアンのことでどう動くおつもりなのだろう)
自分は自分の意思に関係なく王家によって渦中に放り込まれた側だが、それでも自分が関わっている話なので気になる。セシリオ閣下はいつかその計画を全て自分に話してくれるのだろうか。
「でも、聞かせてもらったところで、私にはどうしようもないこと」
そう自分に言い聞かせてなるべく考えないようにしているが、すぐまた考えてしまう。クラウディオ殿下とエーレンフリート皇弟殿下もサンルアン王家を具体的にどう攻略するおつもりなのか。
なんともモヤモヤする日々を過ごしていた。
ヒリは相変わらずよく売れている。
果物の瓶詰めも魚介の瓶詰めも上々の売れ行きだ。
セシリオの父デリオからの手紙によれば、カリスト地区では皆があちこちにヒリの種を蒔いて育ててくれているそうだ。ヒリの売り上げを貯めて、今使っている船よりも大きな船を共同名義で手に入れることにしたとか。
『大きな船は小船よりも安定しているから遭難の危険も減る。ヒリが皆の命を守る役に立っている』
デリオからの手紙にはそう書いてあった。命を守ることに繋がるのなら、こんな嬉しいことはない。ベルティーヌは手紙を胸に抱いて目をつぶる。
今までの仕事に加えていよいよエバンスとの打ち合わせを始めることにした。
エバンスからは全く知らせが来ていない。筆不精は相変わらずらしい。
仕方なくエバンスに連絡を取るために通訳を派遣する商会に問い合わせたところ、商会長から返事が来た。エバンスは学校ではなく高名な建築家の家に弟子として住み込んでいるという。
「どういうこと?なぜ学校に通わなかったのかしら」
と思いながら手紙を読み進めると、エバンスは建築科のある学校で入学を断られたらしい。
「そういうことなら私に連絡してくれたらなんとかしたのに。まったくもう」
気が利かない弟のようなエバンスにぷりぷりしながら商会長が教えてくれた建築家の住所宛てに手紙を書いた。
『私はあなたの故郷でホテルを建てる場所を決め、帝都のホテルの元支配人に来てもらって準備を進めている。ホテル建設の資金の目処もついた』
そう書き記して帝国行きの配達用馬車に託した。
その返事を待っている間にクラウディオ殿下から手紙が来たので返事を書く。
殿下は極秘で帝王学の他にサンルアン王国の歴史、あの国独特の経済の仕組みを勉強しているのだそうだ。その勉強の家庭教師などの段取りをしてくれたのがエーレンフリート皇弟殿下だという。皇弟殿下は皇帝陛下にこの件の了承も取り付けてくれたらしい。皇后陛下と第一皇子殿下には秘密にして進められているそうだ。
『内密に話は進んでいます。叔父上からベルティーヌ嬢の意見を聞きました。十五歳まで待ったほうがいいとのこと。自分もそう思いました。成人してから動きます。冷静な意見をありがとう。陛下も叔父上も同じ意見でした。慌てず力を付けます。あなたがアッと驚くような人からも参考になる意見を貰っています』
つまりベルティーヌが知っている人物がこの話に加わっているらしい。
(父だろうか?セシリオ閣下だろうか。どちらもありそうな気がする)
クラウディオ殿下の手紙は意欲に満ちていて、この方が王になってくれたらサンルアンの未来は明るいだろう、と思う。
この事態を知らずにいるサンルアンの王家に同情したくなるかと思ったが、そんな気持ちにはなれなかった。国のためだと諦めて我が人生を捧げようとしたら、本当はそうではなかったと知った日の怒りと虚しさは今も忘れていない。
エーレンフリート皇弟殿下は『君がクラウディオ殿下の気持ちを駆り立てた』というようなことをおっしゃったが、あの時の自分はそういう意味でクラウディオ殿下に言葉を送ったわけではなかった。
だが、こうして物事が動き始めてみると、クラウディオ殿下がサンルアンの王に収まるというのは陶器の欠けた部分に別の破片がピタリとハマる奇跡のようだ。
今のサンルアンの王家の三人はどうなるのだろうかと父に尋ねる手紙を書いて送ったが、それに対する父の返事は「お前は何も心配もするな。父に任せよ」という短い文だけだった。
階下の店のドアベルがカランと鳴り、懐かしい声がした。
「ベルさーん!いるかい?」
「エバンス!?」
ベルティーヌより早くドロテとディエゴが階段を駆け下りる。遅れてベルティーヌも急いで下りる。大男のエバンスが大きな荷物を背負ってニコニコと玄関に立っていた。その隣には小柄な老人。
「エバンス!どうしたの!ええと、そちらの方は?」
「ただいま!実はさ、ベルさんの手紙を見せたら師匠が『連合国に向かうぞ』とおっしゃって」
老人が帽子を取って軽く頭を下げた。
「初めまして、ジュアン侯爵令嬢。エバンスの指導をしております、エッカルト・ベックと申します」
ひとまず荷物を下ろしてもらい、二階に案内して座ってもらった。
エッカルトはジャム入りの熱いお茶を飲みながら急な訪問の理由について説明してくれた。
「エバンスに届いたあなたの手紙を拝見して、いてもたってもいられなくなったのです。この大男は言葉が全く足らず、理想の家を建てるのがいつのことか私に言っていなかった。既に現実に計画が動いていると知って『これはいかん』と急いでこちらに向かった次第です」
「どういうことでしょう」と首を傾げてしまう。
「家を建てるには建物にかかるいろいろな力の大きさを計算せねばならんのです。だがエバンスの考える家はあまりに独特です。エバンスがその計算を一人で問題なくできるようになるには、経験を積みながらでは下手をすると十年はかかるでしょう」
「そうですか……」
「私は建築の経験が豊富ですが、六十五歳にもなるとそんな気の長い計画は保証できないのです。途中で私がいつ神の庭に召されるかわからないのですから。エバンスの家を建てる話がもう動き始めているなら、自分が動けるうちにこの目でエバンスの考えた家を見てみたいし建てさせてやりたいのですよ。彼には天賦の才能がある。だから私がエバンスの家を建てるための計算係になろうと思い、こうして押しかけたのです」
そう言ってエッカルト・ベックは頭を下げ、
「私をあなたのホテル建設計画の仲間に入れてください」
と頼み込んだ。
ベルティーヌはエッカルトの名前こそ知らなかったが、彼が設計したという帝国の大きな商会の建物、学院の校舎や礼拝堂を知っていた。聞けばアズダール王国の離宮の建築にも関わったのだそうだ。大変な功績の持ち主だった。
「こちらこそ高名な先生に参加していただけて光栄です。どうぞ先生のお力をお貸しください」
五年後くらいに完成すれば上出来と思っていたホテルが、グッと近づくことになった。
エッカルトは大変なせっかちで
「では早速、現地を見に行きたい。地盤の強さを確認しないと」
と言う。
川船と馬車のどちらを使って行きますか?と尋ねると「早い方で」と即答された。
すぐにディエゴが船の予約を取りに行き、その夜はウルスラの二階に泊まってもらうことにして歓迎会を開いた。
「美味い。なんですかこれは!」
「南の海で採れるシャコ貝のオイル煮です。こちらは大型の魚の肝の白ワイン蒸し」
「美味いですなあ。海辺まで行かずともこんな美味しい海の幸を食べられるとは」
エッカルトはお酒だけでなくポーカーも大好きだそうで、さぞかし川船の旅を楽しめることだろう。
最深部はエバンスが詳しいし、泊まる場所もエバンスの家になるから大丈夫。問題はエバンスが筆不精過ぎることだった。
「ああ、それはご安心ください。私がこまめにあなたと連絡を取ります。進捗状況、問題点、不明なことの問い合わせ、全部私がやりましょう。この大男に任せていては心もとない」
「まあ!助かりますわ先生!」
エバンスはエッカルトとベルティーヌの会話に大きな身体を小さくしている。
「手紙は川船の船員にお金を渡して頼めば、イビトの配達業者に渡してもらえますから」
「了解了解」
「では当座の資金をお渡ししますので、資材の購入や工事費用、生活費などにお使いください」
そう言ってベルティーヌが革袋に入れたお金をエッカルトに渡そうとしたが、エバンスが
「ベルさんに渡されたお金がまだまだたっぷりある。それを使うから大丈夫だ」
と断る。どこまでも嘘のない誠実な人だ、と微笑ましくなった。とんでもない筆不精だけれど。
クラウディオ殿下の成人まであと二年になった。





