45 王妃の思惑と侯爵の思惑
サンルアン王国の王宮。
エデル王妃が宰相のマクシム・ド・ジュアン侯爵を呼びつけて話をしていた。
「その後、ベルティーヌはどうなったの?セシリオ閣下とは上手くいかないままか?」
「娘は刺繍とアクセサリーの店を開いて生計を立てているようです」
「なんとまあ。セシリオ閣下にはどうあっても気に入ってもらえなかったということか。努力はしたのだろうね?」
「娘がお役に立てず申し訳ございません」
エデル王妃にしてみればセシリオがベルティーヌとの婚姻話を事前に断ってきたのは想定内。
だが見目の良いベルティーヌを強引に送り出して、顔合わせをさせてしまえば気に入られるかもしれない、と賭けに出た。
セシリオがベルティーヌを気に入れば上々。
セシリオと結婚してくれればベルティーヌを通して連合国の宝石の原石をサンルアン王国が扱う道筋をつけられると思っていた。今は連合国内で採掘される宝石の原石は帝国が独占して買い付けている。帝国との間に波風を立てずにそこに食い込めたらもっと王家が潤うはずだった。
ベルティーヌがサンルアン国内の大貴族と結婚して宰相が今以上に力を持つのも防げるから一石二鳥である。
もし花嫁として受け入れてもらえずに彼女が帰国した場合は「国の役に立たなかった」として侯爵家に有無を言わせず我が親戚に嫁がせ、その家には宰相の持っている商売のひとつ二つを「ベルティーヌに与えよ」という名目で宰相から取り上げるつもりでいたのだが。
(結婚も成し遂げず帰国もしないとは。役立たずの上に我の強い娘だこと)
「宰相はベルティーヌを呼び戻すのであろう?」
「いえ。娘は連合国で生活の足場を固めているようですので、しばらくは見守ろうと思っております」
「……そう。花嫁として受け入れてもらえなかったのなら、我が国は未払い分の大金貨千枚を払わねばならないわね?」
「その後、催促は来ておりませんが、どういたしましょう」
瞬間、エデル王妃はわずかな違和感を感じた。
「そうね、もう少し様子を見てもいいかもしれないわね」
そう言って宰相を下がらせた。そして目を閉じて自分が感じた違和感の正体を探る。
宰相は優秀すぎるほどに優秀だ。
彼に任せた仕事は全て順調に収益を上げている。その彼が「催促はされてない」と言うのなら慌ててこちらから賠償金の不足分を届ける必要はないのか、と思う。
だが……戦争終結時の調印の内容に違反しているのは我が国だ。果たして本当にこのままでいいのだろうか。宰相がなんと言ったとしても最終的な責任は王家にある。
(いや、違和感はそこではない)
侯爵の返事がほんのわずか、いつもより早くはなかったか。
恐ろしいほどに頭の回る侯爵は何かを自分に隠していて、そのために素早く「催促はされていない」と言ったのではないか。ならこの話に関して侯爵が隠していそうなものは何か。
そこまで考えたが、判断を下すための材料が不足していて答えが出せそうにない。
王妃は国王の自室へ入った。
陛下は最近、どこかの国の水時計とやらを手に入れて、上から下へと細く水が落ちて時刻を知らせる仕組みに見惚れている。水時計の前は遠い異国のからくり人形に夢中だった。政務は半分以上自分がこなしている。厄介な事案ほど自分に回ってくる。
そのために自分は王妃に選ばれたのだから文句はない。亡くなられた前王ははっきり「そなたを選んだのはその能力を見込んだからだ」とおっしゃっていた。
だが、今回のように国のことで判断がつかない時に夫が当てにできないのが何とも心許ない。
「おやエデル、政務は終わったのかい?」
「ええ、なんとか。宰相が良きように采配してくれていますので」
「そうかそうか。お前もマクシムも優秀だから助かるよ」
「陛下、今度の水時計は面白いですか?」
「ああ、何時間眺めていても見飽きないよ。素晴らしい。もはやこれは芸術品だな。帝国の商人がまた、私の気に入りそうな物をよく見つけてくるのだ」
「それはようございました」
笑顔で夫の自室を出て自分の部屋に入る。侍女に命じて熱いお茶を運ばせた。
王子である一人息子は十六歳にもなっているのに政務は臣下に任せっぱなしだ。注意しても言うことを聞かない。
(私がしっかりしなければ。私があちこちに目を光らせ、家臣たちの手綱をちゃんと引き締めておけばいいことだわ)
そう心に言い聞かせるが、また(侯爵はなぜわずかに早く答えたのだろう)と考えてしまう。
「ううん、少し忘れよう。頭痛が始まりそう」
エデル王妃は全ての思考をいったん手放した。
その日の夜。ジュアン侯爵家の執務室。
ジュアン侯爵家の自宅に、様々な報告が上がって来ている。
帝国人の名義で経営しているローズホテルとレストランの売り上げがここに来て急増している。ベルティーヌが見つけてきたヒリと瓶詰めのおかげだ。
旧知のダリラ夫人からもベルティーヌのおかげで帝国の社交界で力を持つことができた、と礼状が来た。
最後に手に取ったのは、もう何度も読み返した書簡である。
『サンルアン王国の法律の専門家が連合国に招待された』と書いてある。
連合国主席秘書官からの個人的な招待で、極秘扱いで呼ばれた法律家は二人。セシリオ閣下にサンルアンの法律について講義したらしい。そのうちの一人は我が家でベルティーヌの家庭教師を務めた人物である。報告はその人物からだった。
「我が国の法か」
セシリオ閣下の意図がなんとなく透けて見える。
おそらくサンルアン王国の賠償金の不足分の大金貨千枚に関して、敢えてこの国の法を使って動く準備を始めたということだろう。
この情報があったからこそ王妃に賠償金の不足の処置を聞かれた時に「催促はされていませんが」と答えておいた。セシリオ閣下が動くための材料は残しておきたかった。
自分の中では今はもうサンルアン王家よりもセシリオ閣下の方が信頼も尊敬もできる。王妃は国を忘れ王家のことしか考えていない。かと言って今の王の代わりになりそうな人物も全く見当たらない。比べてセシリオ閣下は上に立つ人物として実に望ましく感じられる。
いっそセシリオ閣下がこの国の王を兼任してくれたらと思うことさえあったが、連合国への偏見があるサンルアンの国民感情がそれを許さないことは容易に想像がついた。
そんなことを考えている時に執事が届け物を運んできた。帝国のローズホテルからである。
急いで包みを開けると、ヒリの瓶詰め、果物の瓶詰め、魚らしき物の瓶詰め、そしてベルティーヌからの手紙が入っていた。
手紙を読んで固まる。そして二度、三度と繰り返して読んだ。
「帝国のクラウディオ殿下がサンルアンの王になるお覚悟、か。なんとまあ、まるで神がこの芝居を面白がって役者を選んだかのような人物の登場だ」
手紙によれば皇弟殿下がわざわざ娘の家まで来たらしい。
そこまで手間をかけたと言うことは、帝国側は第二皇子によるサンルアン奪取を本気で考えているということだ。
「これは忙しくなったな」
エーレンフリート皇弟殿下は御年四十歳。十分に若い。優秀な人物であることも知っている。
皇弟殿下が後見人として若き王の補佐をしてくれれば、自分がある程度の地ならしをしてから引退してもサンルアン王国の未来は安心だ。
国民の反応を一応探らねばならないだろうが、まず問題ない。この国は帝国のおこぼれで生きている。その帝国の第二皇子が王になるなら、歓迎されこそすれ反対は起きないはずだ。現王家の評判はすこぶる悪いのだし、王子の評判に至っては最悪だ。
侯爵はベルティーヌのことでずっと暗雲の下に立っているかのような気持ちでいたが、久しぶりに雲の晴れ間から差し込む日の光を浴びたような心地になった。ベルティーヌの手紙によれば、おそらくクラウディオ殿下が十五歳になった時に事が動くだろう、とのこと。あと二年半だ。
「長く生きていると、こんなこともあるのだな」
そうつぶやいて、侯爵は初めて見る瓶詰めの蓋を開けた。
四角く刻んである肌色の物体を、添えられていた華奢なフォークで刺して口に入れてみた。ラベルを読むと『オオグチウオの肝の白ワイン蒸し』と書いてあった。生臭さは全く感じない。豊かな脂肪分と肝の旨味だけが口に広がる。
「これは……美味いな。肝の他は白ワイン、香草、白ヒリ、それに塩か。口の中で肝がとろけるじゃないか」
侯爵は使用人を呼び「酒を」と命じた。
今夜は美味しく酒が飲めそうだ。
あと二年半待てばサンルアンに光が差すのだ。自分が協力できることがあれば全力で協力しよう、と覚悟を決めてグラスの中の酒を飲み干した。
「美味い」
侯爵はもうひとつオオグチウオの肝を口に放り込んだ。





