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小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨


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44 皇弟殿下の来訪

 朝十時。

 ベルティーヌの店ウルスラの前に家紋の描かれていない上等な馬車が三台停まった。

 前後の馬車から護衛の兵士が降り、周囲を確認してから真ん中の馬車のドアを開ける。ゆっくり降りて来たのは今年四十歳になるエーレンフリート皇弟(こうてい)殿下である。


 近所の住人が遠巻きにして見つめる中、かしこまって出迎えているベルティーヌたちにエーレンフリートは穏やかな表情で声をかけた。

「騒がせて悪いね、ベルティーヌ・ド・ジュアン侯爵令嬢」

「ようこそおいで下さいました、皇弟殿下」


 店内に入っていただき椅子を勧めたものの、この辺りで買ったお手頃値段の椅子とテーブルが実に皇弟殿下には不釣り合いだった。

 殿下は細身で背が高い。おそらく身長は百九十センチくらいありそうだ。白髪の交じる金髪に薄い青の瞳は寒い国の人に多いひんやりした美しさだ。


「あなたと本音でじっくり話がしたい。他の者は下がるように」


 護衛の兵士を残してディエゴ、ドロテ、イザベルが退出する。それを見届けてから護衛の兵士たちも部屋から出るが、彼らはいつでも入ってこられるようにドアの外で待機しているはずだ。


 エーレンフリートはベルティーヌに穏やかな表情の顔を向けている。


「早速本題に入らせてもらおう。実はクラウディオ殿下があなた宛ての手紙をこっそりローズホテルに出してくれないかと私に頼んできた。手紙はどんな内容なのかと尋ねたら、自分の生き方についてあなたと語り合う内容だと言う。興味を持っていろいろ尋ねてみたんだが、どうやらクラウディオ殿下はあなたに心酔なさっているようだ」

「それは……恐れ多いことでございます」


 そこでエーレンフリート皇弟殿下はドロテが置いていったお茶のカップに手を掛け、砂糖代わりに添えられているピンク色のジャムを眺めた。

「これは?」

「南部連合国で育つレンブという果物のジャムでございます。砂糖代わりに使うと風味がよろしゅうございます」

「どれどれ」


 毒味をしなくてもいいのだろうかと思いながら見ていると、皇弟殿下はためらうことなくスプーンでジャムをすくってお茶に落としてかき混ぜた。香りを確かめ、ひと口飲んで「ほお。これはこれは」と顔を緩めている。


「宮殿でも最近は連合国産のヒリや果物のシロップ煮を常備しているそうだよ。陛下が調べさせたら、どちらも君の仕事だと知って驚いていらっしゃった。ダリラ夫人が取り次ぎ役をしているあの布も君の仕事なのだね。いろいろと賢いやり方だ」


(この方はどこまで私のことを調べたのか。今日の目的はなんだろう。もしかして私は『第二皇子にちょっかいを出す連合国の手先』とでも思われているのだろうか)


「そう緊張しなくてもいい。君を敵とは思っていない」

「……はい」

「サンルアンの今の王家は目先のことに気を取られて大局を見られない。君を大金貨千枚の代わりにセシリオ閣下に差し出したと聞いた時には呆れたよ。あの錬金術師の娘をそんな粗末に扱ったらろくな結果を招かないだろうに。愚かなことだ」

「……」

 

 ここで『その通りですよ、愚かですよね』などと同意できるはずもない。ベルティーヌは曖昧な顔をして、視線を殿下の胸元に落としてやり過ごすことにした。


「君とクラウディオ殿下の手紙のやり取りを許す前に、少し君について質問がしたい。いいかい?」

「はい。何なりと」

「君とセシリオ閣下はどんな関係かな?」

「私は閣下の下で特産品販売特使を仰せつかっておりますので、上司と部下、でございます」

「君は花嫁として連合国に送り出されたんだろう」

「そうでしたが、今の私は仕事をして経済的に自立して暮らしております」

「君は連合国が気に入っているようだが、帝国と連合国の関係についてどう思う?」


(落ち着け私。言質(げんち)を取られるような事は言うな)


「南部連合国にとってセントール帝国は大切な隣人であり取り引き相手です。セントール帝国にとっても連合国は必要な存在だと思っております。今後、両国が友好な関係であるよう願っております」

「ふむ。優等生の答えだね」

 

 エーレンフリートはドロテが細心の注意を払って焼き上げた小さく丸いバターケーキをフォークで二つに切って口に入れた。どうやら気に入ったようで、残りの半分も口に入れた。食べ方が非常に美しかった。


「クラウディオ殿下がサンルアンの王になるかもしれない、と言ったら君はどうする?」


 相手の胸元に向けていた視線を思わず殿下の顔に向けてしまう。

 これは何かの罠だろうか。

 でも自分ごときを罠をかけるためにこのお方がここまで足を運ぶ理由が思いつかない。


「私はクラウディオ殿下のお悩みも、サンルアン王家の実情も少しは存じているつもりです。殿下が成人された時に自らそうお考えなら、その時は応援したいと思います」

「応援、ね。今じゃないんだね?」

「人は変わるものです。ましてや十二歳の殿下のお考えは移り変わるのが普通でしょう。第二皇子殿下がどんなに聡明な方であっても、十二歳の言葉で大人が動いてしまって当のご本人の気が変わったら悲劇です。皇子殿下の一生の傷となりましょう。そんな事態は避けるべきではないでしょうか」

「なるほど」


 その後は沈黙。ひたすら沈黙が部屋を支配した。

 (息が苦しい)とベルティーヌが思い始めた頃、やっとエーレンフリート皇弟殿下が口を開いた。


「君とクラウディオ殿下の文通を認めよう。そして君の言い分はもっともだ」

「皇弟殿下、クラウディオ殿下は『サンルアンの王になりたい』とおっしゃったのですか?」


 エーレンフリートは首を振る。


「いや。彼は母親と共に国を出て連合国へ行きたいと言ったんだよ。そして彼をそう決意させたのはベルティーヌ嬢、君だと私は考えている。我が国はクラウディオ殿下を国外に出すわけにはいかない。利用されては困るからだ。だが本人の意志がとても固くてね。話がこじれて成人後に飛び出されるくらいなら、サンルアンの王になってもらおうかと思ったのだ。君の父上はおそらく反対しないと思うよ。私は侯爵と多少の付き合いがあるが、君の父上は先を見通せる人だから」


 なんとも返答ができず黙り込んでいると、皇弟殿下は今のベルティーヌの暮らしについてあれこれ尋ね、ベルティーヌはそれに正直に答えた。セシリオの個人的なことも聞かれたが、知らぬ存ぜぬを貫いた。

 やがて皇弟殿下は立ち上がった。


「ではこれで失礼する。ジャムもケーキも美味だった」

と言って皇弟殿下はお帰りになった。


(皇弟殿下はおそらく、今回の話を私がセシリオ閣下や父に伝えることを織り込み済みで話した、いや、むしろ伝えて欲しくてしゃべったのではないか。私が閣下と父に内緒にすべき義理も理由も無い。だとしたらわかりやすく『この案に協力してほしい』って言えばいいのに)


 皇族を相手にして腹を探りながら会話をするのはなんとも疲れるものだった。

 



 帰りの馬車の中。

 エーレンフリートはここまでのあれこれを思い返していた。

 しばらく前、離宮の侍女から『クラウディオ殿下が毎日連合国の資料で調べ物をしている』という知らせが入った。

 知らせてきたのは自分が親しくしている貴族の末娘だ。胸騒ぎがしてクラウディオ殿下と二人で会い、話をした。

 殿下は最初こそ『ただ勉強しているだけ』と言い張っていたが、そこは四十歳と十二歳。時間をかけて巧みに本音を引き出した。

「身分を捨て、この国を出て連合国へ行くつもりだ」と聞いて絶句した。


 少し前に離宮にベルティーヌとセシリオが訪問したことは知っていた。

 その直後からクラウディオ第二皇子は連合国の資料を漁り始めた。つまり彼をそうさせる何かを彼女かセシリオが話したのだろう。ダリラ夫人とベルティーヌの母親は親しかったし、側室のディアナ様とベルティーヌは幼馴染みだ。殿下も心を開きやすかったはず。


「国を出たい」という言葉の半分は言葉の通りで、残りの半分は自分と母親の現状を打破したいという気持ちのようだった。そして連合国にはベルティーヌがいる。


 彼の母親は側室だ。殿下は母親が肩身の狭い思いをしているのを見て育っている。それでも最近まではあの母と子は波風を立てないように生きていた。そんな少年にベルティーヌが希望を持たせてしまったのだろう。


 国を出る話を頭から否定はせず「気持ちはわかる」と同調しておいた。あの年頃に頭ごなしは禁物だ。それが功を奏したようで、やがてクラウディオ殿下から『ベルティーヌ嬢と手紙のやり取りをしたい、手を貸してほしい』と言ってきた。


 彼女に実際に会うまでは(背後にセシリオがついている女だ。セシリオが上手に彼女を操っているのかもしれない)と思っていた。

 だが彼女の『殿下が成人するまで待ったほうがいい』という意見を聞いて考えを改めた。殿下を利用するつもりなら、殿下が幼ければ幼いほど利用しやすいはずだから。


 鳩の群れに突然生まれたワシのセシリオと、錬金術師の娘ベルティーヌ。どう考えても危険な組み合わせだ。用心は必須だが、今日の会話で推し量る限り、少なくとも彼女は意図して影響を与えたわけでもそそのかしたわけでもなさそうだった。


 しかしクラウディオ殿下の言葉で思いついたサンルアン奪取という自分の案は悪くない。

 サンルアン王国は帝国の繁栄の上澄みだけを飲んで生きている国だ。それが帝国の属国になっても何の問題もない。おそらくサンルアンの貴族も平民もクラウディオ殿下を歓迎するだろう。


 ここまで親身になってしまったのは、第二皇子として生まれて生きることがどんなことか、エーレンフリート自身がよく知っているからだった。

 

 


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書籍『小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する』1・2巻
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