43 帝国からの手紙
フランツ夫妻が連合国に着いてから数日後。
「もう疲れは取れた」と言い張るフランツの要望で、ベルティーヌ、フランツ、エリーゼ、ドロテ、ディエゴの五人は川船に乗った。相変わらずの移動距離だ。
「フランツさん、私のホテルでもハンモックを使いたいです」
「いいですねえ。ハンモックは南国でこそ魅力と実力を発揮できますよ」
「ゆらゆら揺らしながら本を読んで」
「サイドテーブルにはお酒を置いておくのが必須ですよ、ベルティーヌさん」
フランツと二人で顔を見合わせて思わず笑ってしまう。
夢を語るのはどうしてこうも楽しいのだろうか。
その後、フランツ、エリーゼ、ベルティーヌの三人は、それぞれ別のグループに混じり、ポーカーをした。誰が一番勝つか密かに勝負していたのだが、ダントツの稼ぎ頭はエリーゼだった。
気弱そうな、善良さが服を着て歩いているようなエリーゼは、相手を油断させることに関しては天下一品だったらしい。一位になる気満々だったベルティーヌが
「勉強になるわ……」
とつぶやくとフランツは
「エリーゼを見た目の通りの女だと思うと火傷をしますよ。私が証人です」
と笑う。
船旅はポーカーとホテルの計画の話で過ぎた。
たどり着いた最深部のビルバ地区で、あちこちの木にたわわに実る南国の果物や森や畑の中をカサコソと歩くタマウサギ、おじさんに誘導されて歩くエムーの群れを見て、フランツもエリーゼも「まるで楽園のよう」と目を丸くしている。
「ベルティーヌさん、これは当たりですね。必ず帝国の貴族が喜びますよ。特に北部の貴族にはたまらないでしょう。陽射しは強いのにカラッとして湿気が少ないのもいい」
「そうでしょう?私も最初に見た時、楽園だと思いましたもの!」
明るい笑顔でフランツが振り返る。
「で、ホテルの開業はいつにするんです?それに合わせて従業員を集めたり教育したりしないと。壁紙や床材、家具や水回りの設備も選んだり設置したりに結構時間がかかりますよ」
「エバンスと連絡を取ってみます。彼が勉強で帝都に向かってからまだ一年経たないので、まだまだとは思いますが」
エバンスは頑張って学校で学んでいるだろうか、建築の知識を蓄えているだろうか、と思う。
その夜はエバンスの父ブルーノの家で歓待され、フランツ夫妻も星の実の酒やタマウサギの肉の柔らかさ美味しさに感動していた。
宴の最中、ブルーノとカサンドラの族長夫婦はベルティーヌに深く感謝していた。
「瓶詰めで手に入れた現金のおかげで薬や本を買えるようになった。医者にも診てもらうことができるようになった。閣下のおかげで最深部にも学校や病院が建てられたが、診察代がなければ我々は診てもらうことができない。それが瓶詰めのおかげで診てもらえるようになったんだよ。もう怪我をしても病気になっても今までとは違う。ありがとう、ベルさん」
良かった、と心から思う。この国の人の役に立てた。
「お金は使い方次第でここの暮らしの薬にも毒にもなるでしょう。ですがこの地区の皆さんならきっといい方向に役立ててくださると思っています」
ベルティーヌの近くで会話の順番を待っていた少年が話しかけてきた。
「僕の妹が病気になった時、ブルーノ様が大きな町の医者まで妹を連れて行ってくれました。瓶詰めのお金があったから診てもらえました。妹は助かりました。ベルティーヌさん、ありがとうございます」
「瓶詰めがお役に立てて良かったわ。お父様とお母様は?」
「父はいません。母はまだ妹が寝込んでいるので家にいます。僕が母の代わりにお礼を言いに来ました」
泣きそうになってしまう。
ベルティーヌは少年の手を握って「こちらこそ。お話をしてくれてありがとう」と笑顔で礼を述べるにとどめた。
酒で少し顔を赤くしたフランツが近寄ってきた。
「ベルティーヌさん、これはチャンスですよ。帝国人の私はこの国の魅力を何も知りませんでした。ほとんどの帝国人が同じでしょう。きっと皆に驚かれますよ。だけどあの船はもうちょっとどうにかしなければ」
「船は考えてあります。閣下に船大工をご紹介いただきましたので、近いうちに貴族の方々にもご満足いただける船を建造する予定です」
「抜かりがないですなぁ」
「ふふふ。ありがとうございます」
ビルバ地区で一週間を過ごす間、フランツ夫妻は精力的に動いていた。
地区の人々と話をしてホテルで働くつもりがあるかどうか聞いて回ったり、どんな果物がどこに実っているか、どこに行けばどんな動物を見ることができるのか、どこの水が安心して飲めるのか。せっせと聞き込みをし、自作の地図に書き込んでいる。エリーゼは地元の料理にはどんなものがあるのかを聞き出して記録して回っていた。
もうそろそろ帰り支度を、という日の夜。フランツ夫妻が笑顔で意外なことを言い出した。
「私たち夫婦はもう少しここに残ろうと思います」
「え?川船は週に一度しか往復しませんよ?来週まで残るということですか?」
「いや。少なくとも半年はこちらで暮らそうと思う。もしかしたら一年二年はいるかもしれません。ここが気に入ったのもあるけど、もっともっとこの土地のことを知らないと魅力あるホテルは造れないと思ってね」
一年、二年。その言葉に唖然とする。
彼らはお金に不自由はないだろうが、この地区はお金ではどうにもならないこともある。(体力的な不便があるだろうに)と心配していると、
「フランツはホテルのこととなると頭が回るのよ」
とエリーゼ夫人が言う。
「我が家で使用人として働いてくれる夫婦と話をつけてあるんだ。彼らに使用人として働いてもらいながら、帝国の貴族が来ても困らないだけの礼儀や暮らしの常識を学んでもらおうと思ってる。ホテル従業員の一人目と二人目ってことです」
「ほぅ……フランツさん、エリーゼさん、あなた方に来ていただいて、本当に良かったです。私一人ではその辺のことまで手が回りませんでした」
「私はそのために侯爵様に声をかけていただいたんですよ。お任せください」
何度も礼を述べてフランツ夫妻と別れる。
心強い仲間の存在はベルティーヌの心を熱くする。
(何としてもホテルの開業にたどり着かなくては。そしてホテルの営業を成功に導かなくては)
強い決意を胸に首都イビトに戻ったベルティーヌをウルスラの店長のイザベルが慌てた表情で出迎えた。
「ベルティーヌさん!大変です!帝国の皇室の紋章の入った手紙が届いています。もう十日も前に届いているんです!私、もうどうしようかとずっとドキドキしていました!」
オロオロしているイザベルの報告を聞いて(ああ、クラウディオ殿下からね。ルカを経由せずに送ってくださったのね)と思ったが、ここの住所をどうやって知ったのか。
「え。エーレンフリートって書いてある。たしか帝国の皇弟殿下……だったわよね」
着替えもせず荷ほどきも放置して急いで封筒を開けて中を読む。
心配そうなドロテとディエゴがそばで何事かと待っている。読み終えたベルティーヌが
「今日は?今日は何日だったかしらっ?」
と叫ぶ。
ディエゴが冷静に「十三日ですが」と答えるとベルティーヌがギョッとした顔になった。
「明日、皇弟殿下がここにいらっしゃるそうよ!私と話したいことがあるんですって」
「お嬢様、その目的はなんと書いてあるんです?」
「書いてないわ、ドロテ。ただ私と話がしたい、とだけ。私的な訪問だから大袈裟にしないでくださいって」
ドロテが物も言わずに荷ほどきを始めた。
「ドロテ、荷ほどきしてる場合じゃないわよ。帝国の皇弟殿下のご訪問よ?明日ここによ?」
「だからこそです。まずは荷物を片付けて、それから大掃除して、買い出しもして茶菓の用意もしなければなりませんよ!」
「あ、うん、それもそうね。それで私は何をすればいいかしら」
「ではお嬢様はお肌のお手入れをなさってくださいませ。すっかり日焼けしてお肌がカサついてらっしゃいますよ!」
「カサついて……はい、わかりました……」
「ディエゴさん、あなたは家中の掃除を始めてください!」
旅の疲れを感じる暇もなく、三人は動き続けた。ドロテが次々指示を飛ばして家の中を磨き、片付けていく。夜になるとさすがに疲れて三人で外に夕食を食べにいくことになった。
「お嬢様、私はドロテにこき使われてひと月分は働いた気分ですよ」
「ディエゴ、私もよ」
「今夜はお二人とも早く寝てくださいませ。私は手抜かりが無いか点検してから眠ります」
「はい」
「わかったよ」
こうして慌ただしく帰宅の日を過ごし、朝が来た。
いよいよ皇弟殿下のご訪問の日である。





