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小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨


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42 フランツの訪問と十二歳の決意

 父の推薦状を手に、フランツ・アドラーが妻を伴ってベルティーヌの家にやって来た。

 フランツは元ローズホテルの支配人だけあって姿勢が良く笑顔の穏やかな男性だった。ベルティーヌは彼をひと目見て(この人にホテル全体の指導を頼みたい)と思った。


「とても助かります、フランツさん。こんなに早く来ていただけるとは思っていませんでした」

 フランツと妻のエリーゼが「いえいえ」と同時に首を振る。


「私たちは娘の代わりに孫を育てておりましたが、亡くなった娘の夫が再婚しまして。孫がそちらに引き取られたのですよ。先のことを考えたら孫にとっては老夫婦と暮らすより父親と一緒のほうがいいと判断したのです。納得して孫を渡しましたが妻も私も気が抜けてしまって。ですから侯爵様からのお声がけはありがたかったのですよ」


 お孫さんと別れた寂しさから気分転換を兼ねてこの国に来てくれたのなら、ぜひこの国を楽しんで寂しさを癒やしてもらいたい。


 フランツ夫妻は

「実際にホテル建設がしばらく先の話であっても連合国に住まいを移してベルティーヌさんと共にホテルの立ち上げに尽力したい」

と言ってくれた。

 たくさん積み上げられたトランクを見てベルティーヌは少々慌ててしまう。


「お住まいをすぐに手配いたしますね」

「いきなり来たのですから我々の方で適当に宿を取りますよ。それより、ホテルを建てる場所は決まっているんですか?」


 その件は既に族長ブルーノの了承を得ていた。


「はい。最深部のビルバ地区という緑の濃い場所です」

「周辺住民の許可は?」

「族長さんに許可をもらっています。族長さんは住民と話し合って決めたとのことですから問題ありません。昔の集落があった場所を提供してくれるそうです」

「早めに一度予定地を見てみたいですね」

「わかりました。なるべく早く現地に向かうよう段取りを組みます」


 エリーゼ夫人は

「フランツがせっかちでごめんなさい。久しぶりにホテルの仕事でとても張り切っているのよ」

と困った顔で笑いながらベルティーヌにびる。


 帝国からの旅の疲れもあるだろうから数日は休んでもらうことにして、夫妻をイグナシオにだけでも紹介しようと庁舎に案内した。するとイグナシオは

「三十分なら閣下の時間がとれますから」

とベルティーヌとアドラー夫妻を接客室に案内した。


 やがて接客室に入ってきたセシリオは

「南部連合国代表のセシリオ・ボニファシオです。連合国は古い習慣が残る国ですが、新しく生まれ変わりつつあるところです。この国の魅力を帝国の人々に知ってもらえるホテルになることを期待しています」

と挨拶した。


「その魅力のひとつ、ベルティーヌさんが見つけたというヒリは高価なので私は口にしたのは一度だけですが、あれはいいですね。未体験の味覚です。この国に来たらもう少し気楽な値段で楽しめるといいのですが」


 ヒリなら売るほどあるのだ。ベルティーヌは余裕のある笑顔で返答する。


「はい。お好きなだけ味わっていただけますよ」

「まあ。フランツ、楽しみが増えたわね」

「やっぱり来てよかったな、エリーゼ」


 仲の良い夫婦の会話につられてベルティーヌも笑顔になる。そして少し胸が痛む。

 結婚を諦めている身としては(自分の未来にはこんな仲睦まじい老後を過ごすことも子どもを育てることも、孫を可愛がることもないんだろうな)と思う。

 熱々の恋人たちを見てもたいして心は動かないのに、仲の良い夫婦を見るとチクリと胸が痛くなるのはなぜだろうか。



 庁舎からベルティーヌの家に戻ってからのこと。

「フランツさん、エリーゼさん。今夜は我が家でこの国の料理を楽しみませんか?ヒリもこの国の果物のシロップ煮も海の幸の瓶詰めもあるんです。もちろん新鮮な野菜と肉も用意しますわ」


 そうお誘いするベルティーヌをフォローするようにドロテが控え目に

「こちらの料理もだいぶ上手く作れるようになりました」

と告げる。それを聞いてベルティーヌが少し自慢げに

「ドロテの料理は美味しいんですよ」

と付け加えた。


 その夜は白と黒のヒリをふんだんに使い、シャコ貝のオイル煮や焼いたコブの身の瓶詰め、市場で買ってきた豚肉を焼いたりして夫妻をもてなした。

 フランツは

「ああ、どれも美味しい。ヒリは何にかけても味を引き立たせますね。特にこのシャコ貝と白ヒリの組み合わせは最高です」

と感心し、エリーゼは

「甘い食べ物に白ヒリをかけても風味がシャッキリして美味しいわ」

と喜んでくれた。


 夜になってベルティーヌが呼んだ馬車が到着し、星の実の酒で上機嫌のフランツとニコニコしているエリーゼ、大量のトランクを乗せて馬車はホテルへと去って行った。


「ドロテ、私の頭の中の妄想が現実になり始めたわ。高級ホテルの元支配人がここまで来てくれた以上、もう後戻りはできない。彼らの人生を巻き込むのだから失敗は許されないわね」

「きっと大丈夫でございますよ。お嬢様には手を貸してくださる方がたくさんいるではありませんか。わたくしも全力でお支えいたしますから」


 そうだった、ドロテがいるのだ、と思う。

 絶望した時も、嬉しくてはしゃいでる時も、ドロテはいつも隣で静かに自分を信じて、応援してくれていた。


「そうよね。あなたがいるものね。あなたがいるから私は何度だって、どんなことだって頑張れるわ」

「まあ。お嬢様、そんな珍しいことをおっしゃって。どうなさいました?」

「どうもしないわ。私はね、あなたの自慢のあるじでありたいといつも思っているの」


 そう言ってベルティーヌは台所を片付け始めた。

 ドロテも急いで片付けを始める。テキパキと手を動かしながらそっと嬉し涙を指先でぬぐっていた。




 帝国の離宮。

 クラウディオ第二皇子は図書室から持ち帰った資料を読み漁っていた。

 ベルティーヌとの面会以降、彼の中でひとつの思いがどんどん大きくなっていた。それは『身分を捨て帝国も捨てて生きたい』という思いだ。


 物心がついてからずっと、母と二人で皇后側の人間に目をつけられぬよう息を殺して生きてきた。

 だが勉強や剣の鍛練が始まると、自分が努力すればするほど母が憎まれることに気づいた。その因果関係に気づいたのは何年も経ってからだったが、自分がたくさん褒められたあと、数日すると母の目が泣いたように赤いのだ。


 母を見る目つきで皇后が母を嫌っているのは知っていた。


(第一皇子とは授業の日程全てが違っていて顔を合わせることがない。なのになぜ自分の成果が皇后側に知られるのだろう、先生がわざわざあちらに告げ口するのだろうか)と最初は不思議だった。


 もう少し成長した時点で母に付いている侍女の中に皇后側の人間がいると気づいた。母が微かに緊張して対応する侍女が三人いるのだ。


 ある日、母の実家から付いて来ている侍女が『あの三人の侍女たちはディアナ様と殿下の行動の全てを皇后陛下に報告しているのです』と教えてくれた。

 そして『皇后陛下やその侍女たちとディアナ様が離宮の外で顔を合わせてしまうと、聞こえよがしに嘲笑されるのは日常茶飯事なのです』と涙ぐみながらに告げる。


「母上、何をされて何を言われたのです?」

 何度問い詰めても母は答えない。なぜ陛下に訴えないのか、と聞いても『相手にすれば同じ場所に立つことになる。あら、何かおっしゃいましたか?と気づかぬ振りをするのが一番の対応です』と言うばかりだ。


 なぜ父は母のこんな状態を放置しているのか。父への苛立ちをぶつけたいが、母が『それだけはやめてくれ』と言う。だから自分が目立って相手の苛立ちを刺激しないよう、歯を食いしばって気をつけた。


 だがそんな自分の日々の息苦しさを一気に吹き飛ばしてくれたのがベルティーヌ嬢だ。

 一人の知り合いもいない連合国に送り出され、たった一人で道を切り拓き、大きな仕事を次々にものにしているベルティーヌ嬢。縮こまって生きてきた自分が恥ずかしくなるほど明るい笑顔の人だった。


 あの日以来『希望に至る道はきっと存在します』というベルティーヌの言葉が忘れられなかった。

 それは母と二人でこの国を出て父や皇后の力の及ばない国へと行くことではないだろうか。


 もしかすると父を愛している母は自分とは行かないと言うかもしれない。その時は自分だけでも出国しよう。自分のせいで母がうとまれ、いじめられているなら自分はこの国にいない方がいいのだ。少年はそう結論づけた。


 護衛も連れずに一人で他国に行くことを思うと不安はある。だがベルティーヌ嬢は女一人で生き抜いてあんなに輝いていたではないか。自分もこんな苦痛と不安に支配されたまま生きるよりも、希望と共に生きて死ぬ方がいい。


 十二歳の少年は思い詰め、国を捨てるという考えに道を見出そうとしていた。


 



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書籍『小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する』1・2巻
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