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小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨


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40 ヒリのお披露目

明けましておめでとうございます。

本年もお時間のあるときにお立ち寄りいただければ幸いです。

 ルカに渡された白と黒のヒリは料理長に届けられた。

 料理長は味見をし、初めて経験する香りと刺激に目を見開いた。


「支配人、これもお嬢様のお仕事ですか?」

「うん。南部連合国のどこかで見つけたらしいよ」

「黒が肉で白は魚、なんですね?」

「それが合うようだよ。好みでいいとは言っていたけどね」


 料理長はしばらく腕組みをしてヒリを見つめる。今夜は牛頬肉の煮込みがメインだ。煮込む時に使ったほうがいいのか。それとも最後に振りかけた方がいいのか。


「ちょっといろいろ試してみます。これは俺の腕が試されますね」

「これもシロップ煮のようにお客様の注文が入るかもしれないね」

「売るんですか?これ、まだ他の料理人に渡したくないなぁ。しばらくは待ってくださいよ。ヒリ、でしたっけ?これをこのホテルに泊まった客だけが味わえる特典にしたらいいじゃないですか」

「うーん」


 ホテルのことだけを考えればその通りだが、自分としてはベルティーヌの儲けを増やしてやりたい。侯爵様あってのローズホテルなのもある。ここはベルティーヌを優先すべき、とルカは判断した。


「ではヒリがある程度認知されてから小分けにして値を高くして少し様子を見ることにしよう」


 その方針でいいかどうか、ベルの許可を取らなければ。

 それにホテルの所有者である侯爵様にベルの活躍をお知らせしたい。ベルからも侯爵様への手紙の転送を頼まれている。

 ルカはホテルで販売している焼き菓子の中に二通の手紙を忍ばせた。

 ローズ夫人も帝都のホテルからの荷物ならば疑わないだろう。

 贈り物らしくリボンをかけ、「侯爵様へ」とローズホテルの名入りのメッセージカードを添えて送った。




 料理長にヒリが渡ってから一週間後。

 帝都にあるローズホテルでは皇帝の信頼が特に厚い十人の貴族たちによる昼食会が開かれていた。貴族たちの最近の話題は、南部連合国産の小麦の価格が一律に専用荷馬車一台につき大銀貨七枚以上に統一されていることだった。


「ずいぶんと強気の値上げだ。どうやら我が国の慢性的な小麦不足に気づいた人間がいるようだな。皇帝陛下のご指示で我々が個人対個人で買い付けてきたのに」

「食料不足に気づいて値上げさせたのは代表のセシリオだろう?そうじゃなければあの広い国の隅々まで最低価格を徹底させられるはずがない」

「セシリオ一人の登場で、南部連合国は一気に時間が十年、いや二十年は進んでしまったな」

「以前のように部族同士でいがみ合いながら暮らしてくれていたら我々も楽だったのに」

「セシリオはまるで鳩の群れから突如生まれたワシですな」

「厄介な男だよ」


 連合国の国旗に描かれる鷲を思い出した者、苦い顔でうなずく者。貴族たちはそんな会話をしながら前菜を食べ、スープを飲み、ヒラメのバター焼きを食べ始めた。


「ん?この白い粉はなんだ?」

「アドラー伯爵、食べてご覧なさい、素晴らしく香りがいい!」

「何かを砕いた粉だな。刺激的な味と香りだ」


 十人の貴族たちは粉が振りかけられている部分を口に入れて皆驚く。ヒラメに小麦粉をまぶしてただバターで焼いた部分よりも、粉が振りかけられている部分の方が圧倒的に美味しい。粉を噛むと香りが弾ける。


「この粉がヒラメの味を引き立てているな」

「この味と香りを味わってしまってからだと粉がかかっていない部分が物足りなく感じますよ」


 それまでの小麦価格談義はどこかへすっ飛んでしまい、皆がヒラメのバター焼きに集中する。全員が「これはいったい何だ?」と思いながら食べ終えたところで皿が下げられ、仔牛の煮込みが出された。

 料理を運んできたウエイターに貴族の一人が尋ねる。


「君、ヒラメに何か見たことがない粉のようなものが振りかけられていたが、あれは香草の一種かい?」

「あれは新しく仕入れたもので、ヒリという香草の種、と聞いております」

「ヒリ?」

「はい、ヒリでございます」


 そして仔牛の煮込みの皿を見るとこちらにも何かを砕いたような黒い粉が振りかけられている。今度は全員がその黒い粉を肉と一緒に口に入れる。


「おや!白い物より香りが強い」

「辛味も強いがなんともかぐわしい」

「これは、是非とも正体を知りたいものだ」

「これは売れるだろう。いや、その前に我が家に持ち帰って料理人に使わせたい」


 もはや話題の中心は完全に小麦からヒリに移ってしまった。


 「黒が気に入った」「白の穏やかな風味も捨てがたい」「これを買って帰りたい」と盛り上がったところでチーズの蜂蜜がけと菓子が出された。菓子には黄色い柔らかな果物のシロップ煮と真っ赤なソースが添えられている。

「ずいぶん鮮やかなソースだが、ベリーのたぐいとは香りが違うような」

「この果物も見たことがない。濃厚な香りがいい」

「このチーズの蜂蜜がけに白いヒリが合うんじゃないか」

 早くもヒリのとりこになりつつある者もいる。


 会食後、ヒリについて聞きたいと料理人を呼んだら支配人が現れた。


「支配人、あのヒリという物はすばらしく香りがいい。食が進むね」

「ありがとうございます。あれはたまたま手に入った貴重なものでして、このくらいの瓶で白と黒を一本ずつ贈られたものでございます」

 ルカは「このくらい」と言いながら手を胸の前で少し離して瓶の大きさを表した。


「一本ずつ?それしか無いのか」

「はい、今のところは」

「いずれは入荷するということか?」

「はい、安定して手に入れられるよう、現在当ホテルが全力で交渉しているところでございます」

「ではヒリを食べたければここに来るしかないのだな?」

「恐縮でございます」


 済まなそうな顔を作り丁重に受け答えをしながらも、ルカは顔が緩みそうになる。

 ベルからは「ヒリ販売の最初の拠点になってくれると嬉しい」と頼まれているのだから間違いなく入手できるのだが、人というものは「貴重な、限定の」という言葉に弱い。だがそれも価値に見合う価格に留めなければそっぽを向かれる。そのギリギリの線を見極めるのは商人の才覚だ。


 貴族の昼食会は小麦の値段で始まりヒリの話で終わった。そのどちらにも一人の令嬢が関わっていることを、貴族たちは知らない。




 ヒリの噂はあっという間に新しい物好きな貴族の間で広まった。

 ローズホテルのレストランは予約で三ヶ月先まで埋まる事態となり、遠くから噂を聞いて食事をしに来る客はホテルに泊まる。宿泊業務も大忙しである。


 ヒリは貴族だけでなく裕福な商人たちにも広まり、やがて南部連合国から届けられるヒリは売れに売れた。中瓶一本のヒリは小さなガラス瓶八本に詰め替えられ、小瓶一本分が大銀貨一枚の値を付けても飛ぶように売れた。中にはそれを三倍五倍の値段で転売する者もいて、ついにはその噂が皇帝の耳にも入った。


「ヒリとやらが帝都では大人気だそうだな。香草のたぐいだそうだが、一度食してみたい」


 皇帝のひと声でヒリはルカの手によって宮殿に納入されることになった。

 宮殿で使用されれば一気に帝国内で広まるだろう。ルカは興奮を隠して宮殿の食材担当者に面会し、ヒリの白と黒を小瓶ではなく輸送されてくる中瓶で三本ずつ納入した。


「たった六本だけか?皇帝陛下のお声がけだぞ」

「ヒリは湿気を吸うと香りが落ちますし、湿気(しけ)ってカビが生えれば全てを捨てることになります。少量ずつお買い求めいただくのがよろしいかと存じます」

「ふうむ」


 ルカの助言を聞いた食材担当者はヒリが湿気ないよう、使う分だけを取り出したあとは瓶ごと油紙に包み、更に密閉できる木箱に収めた。使い方の留意点をルカが連れて来たホテルの料理長が説明し、その夜からヒリは皇帝の食卓に上がり、皇帝に気に入られた。


 ある夜、ディアナのいる離宮を訪れた皇帝が

「今度離宮の厨房にもヒリを届けてやろう。香りが良いぞ」

と語りかけた。

 離宮には母のダリラからヒリも果物の瓶詰めもとっくに届けられていた。ベルティーヌからの付け届けだ。だがディアナは「もう持っています」などという可愛げのないことを言うつもりはない。


「まあ。楽しみですわ。陛下、ヒリは存じませんでしたが南部連合国の果物のシロップ煮がございますの。母が送ってくれました。わたくしとクラウディオはデザートとして食べるのが好きですが、辛口のお酒にも合うんです」


 そう言って侍女に目配せをする。

 素早くバターを塗ったソーダクラッカーの上に薄くスライスされた果物のシロップ煮を載せられたつまみが運ばれた。甘いものが嫌いではない皇帝は「ほお。これが南部の果物か」と興味深そうに食べながら酒を飲んだ。


 この夜以降、皇帝が離宮を訪れる時は毎回違う種類の果物の瓶詰めが趣向を変えながら供されるようになった。

 結果、しばらく後に宮殿の厨房でも連合国産の果物のシロップ煮は常備されるようになった。最深部にその知らせが届くと、ブルーノとクルトは顔を合わせて酒を飲んだ。


「帝国の皇帝がねえ。小麦はわかるが、俺達の集落で作ったシロップ煮をそのまま皇帝が食べるわけだろ?」

「少し前なら考えられなかったな」

「親父の世代もその前の世代も、聞いたら腰を抜かすぞ」

「あっはっはっは。聞かせてやりたかったな」


 ブルーノとクルトは笑い合って星の実の酒を飲み干した。


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書籍『小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する』1・2巻
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