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小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨


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38 ディアナ様の離宮へ

 再び北上する馬車の旅を経て帝都にやってきたベルティーヌと護衛たち。

 まずはルカが支配人を務めるローズホテルに宿を取ってひと息ついた。


「お嬢様、お疲れさまでした」

「ちょっと疲れたわね。でもダリラ様に帝都到着のご報告とセシリオ閣下の顔合わせの件をお知らせしなきゃ」


 ディエゴがその役目を引き受けてダリラ様のいる伯爵邸へと向かった。そのすぐ後に部屋にやって来たのは支配人のルカである。


「やあ、ベル。お疲れ様だったね。瓶詰めを受け取ったよ。もう千個の注文にも応じられるようになったんだね」

「瓶詰めを作ってくれる地区が二つになったの。それに、みんな作り慣れてきたしね。現金収入ができてお役に立ててるといいのだけど」

「役に立ってるさ。この先、南部連合国だって時代の波に必ず飲み込まれる。飲み込まれるのが遅いか早いかの違いだよ。お金はいくらあっても困らない物だ」


 ほんの一瞬、ベルティーヌの顔が硬くなる。


「でもね、ルカ。南部の素晴らしさはお金では作れないわ。あの人柄も。あなたもひと目見たらわかる。お金では作れない素晴らしさなの。私はあの楽園を大切にしたいと思ってる。そうそう、お礼を言ってなかったわ。瓶詰めをたくさん売ってくれてありがとう。しかもずいぶん高値で売ってくれたのね。あなた手数料を取ってないんじゃない?」


 ルカは首を振る。


「手数料はワクワクさせてくれただけで十分さ。うちのお客様は裕福な方ばかりだからあの値段でもよく売れているよ。僕は久しぶりにサンルアンの血が騒いだな。売れる商品を扱うのは胸が躍るね。あんな商品を考え出すあたり、やっぱり君は錬金術師だ」

「その呼び方はやめて。そうだ。いい物を持ってきたのよ。はい!」


 ベルティーヌは白ヒリと黒ヒリを詰めた瓶を二本、荷物の中をあさって取り出した。


「これは、何かの種か?」

「ええ、細かく砕いてから黒は肉料理に、白はお魚に使うの。細かくすればするほど刺激は強くなる。ひとつ取り出して噛んでみてよ。まずは白い方からね。驚くわよ」


 ルカが手の平に白ヒリをひと粒取り出して口に放り込み、カリッと噛んだ。


「うわ!辛いな。でも初めて味わう香りだ。毒はないんだよね?」

「無いわよ!連合国の新しい特産品よ。帝国では育たない植物だわ。ここで使ってもらえると嬉しいんだけど」

「ありがとう。料理長が喜ぶよ。君はこれをいくらで売るつもりなの?」

「料理にはほんの少量で十分だから、ひと瓶あれば相当使えるの。だからひと瓶を小銀貨五枚で売るつもり」


 ルカがニヤリと笑う。


「いいね。効率よく稼げる。しかも帝国では育たない植物なら売れる。間違いない」

「良かったわ。でもね、連合国の人たちに無理をさせる気はないのよ。あの国の皆さんはサンルアンの国民とは違うの」

「違うとは?」

「連合国はね、お金がたいして無くても幸せに暮らせるの。私はあの楽園に自分の小さなホテルを建てて、そこで老後を迎えるつもりよ」


 ルカが怪訝そうな顔になる。


「老後って。君は結婚しないつもりか?」

「しないつもりと言うより諦めたわ。さ、ルカ、このヒリを料理長に届けてよ」

「あ、ああ。わかったよ」


 何か言いたそうな、心配そうな顔でルカは部屋を出ていった。

 ベルティーヌはその表情には気づかず

「ここは蛇口をひねればお湯が出るからありがたいわよねぇ」

などと言いながら浴室に向かう。


 ドロテは二人の会話を聞きながら、酔ったベルティーヌを家の中まで連れてきてくれた時のセシリオを思い出していた。


(閣下は深酔いしたお嬢様をとても大切に扱っていたように見えた。もしや閣下はお嬢様に好意を抱いてくださってるのだろうか)


 だがそれを口にするのはやめておこうと思う。


(お嬢様は十分すぎるほどつらい思いをなさったのだもの。今だってご実家に手紙を送るのさえ工夫が必要な有様。ここで私が余計なことを言ってお二人の関係を損なってはならないわね。卵は大事に温めて雛を育ててもらわなくちゃ)


 そう考えて結局は何も言わないことにした。

 ベルティーヌはそんなドロテの気遣いを知らずにご機嫌で、自分で湯船にお湯を溜めてさっさと湯を使っていた。


 浴室からベルティーヌが出てきた頃にディエゴが戻ってきた。


「疲れてるのに悪かったわね、ディエゴ。で、ダリラ様は何と?」

「お約束している明日、ダリラ様と一緒に宮殿に行きませんか、とのことです。ディアナ様が緋色の布地のお礼をしたいそうです。宮殿に滞在なさっているセシリオ閣下にはよろしければその時ご一緒に、と既にお誘いしてあるそうです」

「ディアナ様にお会いできるのね!何年ぶりかしら十四年?十五年?」



 

 翌日、ダリラ様のお屋敷を訪問したベルティーヌはダリラ様の馬車で宮殿に向かった。

 行きの馬車の中でダリラ夫人はいかに多くの女性があの布を欲しがって夫人の家に手紙を送ってくるかを話してベルティーヌを喜ばせた。


 セントール帝国の宮殿は古くからある城を左右から挟むように建てられている。城はくすんだ白い石造りなのだが、宮殿は大理石が使われている。宮殿は白く光り輝き、細く高い塔が何本も空に向かって伸びている。城と宮殿は全て高い石塀に囲まれ、防御だけでなく見る者に威圧感を与えることを意識して造られている。

 父に連れられて見た子供の頃は、なんて美しく立派な建物だろうと思った景色だが、今は緑の濃いあの地を思い出して(ああ、帰りたい)と思ってしまう自分がいた。耳の奥にエムーの声、猿たちの声、野鳥の声が甦る。


(私、すっかり連合国の人間だわね)と苦笑しているベルティーヌを乗せて馬車は細い石の橋を渡り、宮殿に向かって進む。やがて前方にバラの花が溢れる花壇が見えて、離宮の前に真っ白な正装に身を固めたセシリオとほっそりした少年が衛兵たちに守られるようにして立っていた。


「まあ、殿下だわ!」

 

 孫の第二皇子殿下を見るのは久しぶりらしいダリラ夫人が目を潤ませて口に手を当てている。

「なかなかお会いできないのですか?」

「ええ、そうなの。お会いしないうちにずいぶんと背がお高くなられて!」


 その殿下の隣に立っている正装のセシリオは普段よりもずっと勇ましく美しく見える。

(男の人は正装用の軍服を着ると男っぷりが五割増しね)とベルティーヌは思う。セシリオ大好き娘のビアンカがここにいたらきっとキャーキャー騒いでいるに違いないと思う。


 馬車が止まり、ダリラ様が降りようとするとセシリオが手を差し出す。自分には第二皇子殿下が手を差し出してくれる。


「いらっしゃい。ジュアン侯爵令嬢。離宮へようこそ。母が楽しみにしています」

「ありがとうございます殿下。はじめまして。ディアナ様にお会いできるのも殿下にお会いできるのも楽しみでした」


 品良く微笑む少年は体つきこそ十二歳の少年らしいが、表情はずいぶんと大人びていた。微笑みは完全に社交用のそれで、ベルティーヌは(この方には子供らしくはしゃいだ時期などあったのだろうか)と思う。


「ベル!ベル!ああ、あなたずいぶんと背が高くなって!もうすっかり大人ね」

 はしゃいだその声は聞き覚えがある。

 視線を声の方に向けると赤みのある金髪を複雑に結い上げたディアナがそこにいた。


「ディー!」

 思わず昔の愛称で呼んで駆け寄ったベルティーヌを両腕を広げて抱きしめてくれるディアナ様。

 二人は互いを抱きしめて涙ぐんだ。


「さあ、入ってちょうだい。昨夜は嬉しくて眠れなかったのよ。ああ、ベル。会いたかったわ!」

 

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書籍『小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する』1・2巻
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