37 頑張るエバンスとネックレスの完成
一人で帝都に来ているエバンス。
彼はとある老人の家で内弟子として暮らしている。
最初は建築を学ぶ学校に入ろうとしたのだが、通訳の同行が認められずに途方に暮れていた。
「申し訳ございませんが」を連発して対応した学校職員の態度には南部出身のエバンスに対する差別意識が見え隠れしていた。エバンスは気づかなかったが、通訳のヘルマンはエバンスの隣で通訳しながらそれに気づいた。
ヘルマンは(長く働けるいい仕事だと喜んでいたのに初日に仕事を失うのか)とがっかりしたし、シオシオとうなだれている気立ての良さそうな大男を気の毒に思った。
なのでヘルマンは自分が所属する商会の会長にエバンスの窮状を訴えた。
「会長、なんとかしてあげられませんか」
それを聞いて商会長はその日のうちにエバンスを呼んで話をした。
「あなたはベルティーヌお嬢様のご紹介ですのでこのまま知らん顔はできません。ジュアン侯爵様には商会を立ち上げたばかりのころからずいぶん良くしていただきましたので、ご恩ある侯爵様のためになんとかしなくては」
エバンスの顔に希望が宿る。
「エバンスさん、うちが以前通訳の仕事でご一緒した有名な建築家の先生をご紹介します。紹介状をお渡ししますからダメで元々の覚悟で頼み込んでごらんなさい。引退したとはいえ、そのお方は帝国だけでなく他国でもとても有名な建築の先生ですから」
「商会長、ありがとうございます!俺、誠心誠意その方に頼み込んでみます」
こうしてエバンスはエッカルト・ベックの家を訪問した。
通訳の助けを借りながら
「自分の理想の家を建てるための勉強がしたい。だけど建築科の学校は通訳付きだと受け入れてくれなかったんです。どうか先生のご指導を受けさせてください」
とエッカルトに訴えた。
エッカルトは小柄な老人で、年齢は六十を超えていた。老眼鏡を鼻にかけて上目遣いで向かいの椅子に座る大男のエバンスを見た。
「ふうん。それでお前さんはどんな家を建てたいんだい?」
「こんな家です。ご覧ください」
エバンスはスケッチブックをテーブルの上に置き、お気に入りのページを見せた。エッカルト・ベックはそれを受け取ってパラパラとめくって眺める。どの家も奇妙奇天烈な建物ばかり。皿に立てた卵のような家、キノコのような家。妖精が棲むのかと聞きたくなるような家。
エッカルトは思わず「フフフ」と笑ってしまう。だが、最後までエバンスの描いたスケッチをめくり、じっくりと見た。
「お前さんは建築科の学校に入らんでよかったよ。あそこで学んでいたらこの発想は消されていただろう。あの学校は即戦力を育てるところだからな。こういう家は全否定されるんだよ」
「そうでしたか」
「いいかい。建物は人が使う。だから一番重要なのは安全かどうかなんだ。お前さんの考える建物はそこが抜けている。大風、大雨、どちらにも耐えるように建物の強度を考えなきゃいけない。見た目はそれが保証されてからの話だ。まずは我が家に住み込んで、安全な家の建て方の基本を学ぶといい」
エバンスが思わず立ち上がってしまう。
「俺に教えてくださるんですか?」
「ああ。お前さんの発想は面白い。私はもう教鞭を執ることからは引退したが、お前さんの考える家を現実にするのは面白そうだ。最後の建築仕事にふさわしい面白さだよ。いや、実に面白い。こんな発想が浮かぶお前さんが羨ましいよ」
こうしてエバンスは老元教授の内弟子となったが、これはとても幸運なことだった。
多くの実務経験があり、まだ建築への情熱を失っていない人物と出会えたことはこの先のエバンスの人生の大きな助けになった。
翌日から通訳と二人でエッカルトの講義を受ける。
その合間に通訳から帝国語のレッスンも受ける。
更にそのあとにはエッカルトの家の下働きもする。
族長の息子として使用人に仕えられて生きてきたエバンスにとっては決して楽な生活ではなかったが、エバンスは弱音を吐くことも泣き言を言うこともなかった。
自分の才能を信じてくれて大金をこともなげに手渡してくれたベルティーヌの期待に応えるためなら、どんなことも平気だった。
「ベルさん、待っててくれ。俺は絶対にベルさんの役に立ってみせる」
こうしてエバンスは日々忙しく暮らしながら建築について学んでいた。
一方こちらは連合国首都のイビトにいるベルティーヌ。
何ヶ月もかけて丁寧に作り続けていたネックレスがやっと完成した。銀の細かな部品を繋ぎ合わせ、小粒なピンクサファイアとガーネットをふんだんに組み込んだ。赤みがかった金髪のディアナ様が身につければ、きっと映えるだろうと思いながら。
帝国の貴族たちには大粒な宝石がもてはやされるが、このネックレスのデザインに大粒な宝石はそぐわない、とベルティーヌは考えていた。
「よし、完成!」
「ついに完成ですか、お嬢様」
「ずいぶん長くかかってしまったけど、やっと完成よ。さて、これをダリラ様を通してディアナ様にお届けしたいわ」
値の張るものだから送るわけにはいかない。直接届けなくては。
ベルティーヌはすぐにダリラ夫人に手紙を書いた。
今までにないデザインのネックレスを自分が作ったこと。
ぜひディアナ様に使ってほしいこと。
都合の良い日を教えてほしいこと。
急ぎの馬車に手紙を託してダリラ夫人からの返事を待った。
やがてダリラ夫人から「この日ではいかが?あなたの都合が良ければ楽しみに待っています」という返信が来た。
「ではまずは荷造りね。この日時だとあまり余裕が無いわ。準備が終わり次第帝都に向かいましょう。ちょうど瓶詰めがたくさん届いたことだし、急がないと」
バタバタと荷造りをしているところへ庁舎から伝令が走り込んできた。
「セシリオ様からのお手紙をお持ちしました!」
「はい。ご苦労様でした。今すぐお返事を書くので少しお待ち下さい」
何事かと急いで封を切って中の手紙を読むと、『自分も帝国に出向かなければならない案件があるから帝国で合流しよう、ダリラ夫人に自分も挨拶をして顔を繋いでおきたいから同席させてほしい』という内容だった。
「連合国の代表ともなるとなかなか帝国に足を運ぶことも無いでしょうしね。ついでと言ったら失礼だけど、ダリラ様にもお会いしたいのでしょうね」
「セシリオ様がご一緒してくださるなら心強いですね、お嬢様」
「そうね。ディアナ様にもお会いしたいけれど、皇帝陛下のご側室ともなるとそうそう気軽に宮殿から出ることはできないでしょうねぇ。クラウディオ殿下にも一度はお会いしたいけど、きっと無理ね」
翌朝にはウルスラの店長をしてくれているイザベラに留守を頼んで帝都に出発した。
「最近のお嬢様の移動距離は恐ろしいほどですね」
「そうね。北は帝都、南はカリスト地区。大忙しね」
苦笑するベルティーヌを見てドロテも笑う。狭いサンルアン王国にいた頃に比べたらここ最近の移動距離は天と地ほども違う。
「それでも私は私を必要としてくれる場所があるならどこへだって行くわ。ドロテ、私ね、こんなに楽しい日々が過ごせるとは思いもしなかった。打ちひしがれてサンルアン王国を出た日が何十年も前のことのように思えるわよ」
ドロテがウンウンとうなずく。
「本当でございますね。わたくしはお嬢様が生き生きとなさってるのが何よりも嬉しいです。神の庭の奥様も、きっとお喜びですよ」
「私のこの状況をお父様はどうお考えかしらね。一度ルカを経由して手紙を届けようかしら。私の名前で手紙を出したらお父様の手に届く前に捨てられるかもしれないし」
ドロテは実家に手紙を出すのにさえ神経を使うベルティーヌが不憫で胸が痛んだ。だから敢えて明るい声を出した。
「それがよろしいですよ。ルカ様と旦那様のやり取りなら怪しまれませんよ」
「あの、お嬢様」
おずおずと声をかけてきたのはディエゴだ。
「私は二ヶ月だけ帝国で遊んでこいと奥様に言われたのですが、もう何ヶ月もこちらにおります。このまま連合国にいても大丈夫でしょうか」
「そうよね。きっとお義母様はいくらなんでもディエゴの帰りが遅すぎると思っていらっしゃるはず。その件もお父様に相談しておくわ。お父様ならきっと上手くやってくれると思う」
「そうですか。それなら安心いたしました」
あの日、先の見通しが無いまま足を踏み入れた南部連合国。
だがいつの間にかベルティーヌの周りにはドロテだけでなく店長イザベラ、セシリオ、イグナシオ、族長ブルーノ、妻のカサンドラ、息子エバンス、族長クルト、セシリオの父デリオ、支配人ルカ、と人脈が広がっていた。





