33 川下りの旅
サラン川は帝国の三本の川がひとつに集まった川で、連合国に入ってから名前をサラン川と変える。
連合国内で川幅を広げ、流れは緩やかになり、連合国内を縦断して、最後は最南端のカリスト地区で海に注いで役目を終える大河だ。
帝国では流れが速く土を削り栄養とともに運んできてしまう川の水は、ここ連合国で流れが穏やかになり、運んできた土を沈殿させ堆積させる。
サラン川は長い年月をかけて連合国に肥沃な土壌を作り出してきた。
イグナシオに教わった船着き場には簡単な桟橋があり、脇に管理人用の掘っ立て小屋があった。
ベルティーヌは川べりで立ったまましばらくサラン川を眺めてから管理人小屋に外から声をかけた。
「こんにちは。どなたかいらっしゃいますか?」
そう呼びかけると、四十代の男が出てきてベルティーヌとドロテをジロジロ見る。
「こんにちは。こちらから船に乗れると聞いたのですが、次の船はいつ出るのでしょう」
男は勘違いをしている人に教え諭すように
「船は週に一度出ますが、何か間違えてるんじゃないですか?乗船客は男ばかりで船室では雑魚寝です。貴族様用も女性用も部屋は無いんですよ」
と素っ気ない。
「ええ。知っています。それで、次の船はいつでしょう?」
「三日後の正午ごろですが、本当にお嬢さんが乗船するんで?」
「はい」
「周りはむさ苦しい野郎ばかりですよ?」
「かまいません」
疑わしげな顔をしている船着き場の男に三人分の乗船を予約して帰宅し、ディエゴに「船で連合国の南端に向かうわよ」と告げた。
ドロテが早速具体的な心配をする。
「船で雑魚寝ならお嬢様、衣類を用意しませんと」
「そうね。私は背が高いから小柄な男性用の服を着ればいいかしらね。ドロテは急いで男物を買って丈詰めしないとね」
「お任せください。服は私がすぐに準備いたします」
三日後。男性用のシャツとズボンを着込み、乗合馬車で船着き場に到着した。船着き場には二人の先客が居た。先客の男たちはベルティーヌたちを見て驚き「女の客は初めてだ」と聞こえるようにゴニョゴニョ言う。
「ご迷惑はおかけしません。どうぞよろしくお願いいたします」
「俺らはあっちに着くまでずっとポーカーで遊ぶんです。騒がしくても怒らんでくださいよ」
「もちろん。よければ私もお仲間に加えてくださいな」
「それは構いませんが。こりゃひと儲けできそうだな」
ベルティーヌと彼らの会話を聞いてドロテとディエゴが苦笑していた。男たちは二人の使用人が苦笑しているのを見て(お嬢様のわがままに呆れているのだろう)と受け取った。
やがて船が到着した。
川船はベルティーヌが知っているサンルアン王国の船とはだいぶ形が違っていた。
喫水が浅く、船の幅がかなり広い。まるでどうにか船の体裁を保っている特大の筏という印象だ。
二本のマストには白い三角形の帆が何枚も取り付けられている。船室部分は平たい箱状で質素な造りだ。
ディエゴに手を取られて桟橋から船に乗り込むと、薄暗い船室内にはたくさんのハンモックが天井の梁からぶら下げられている。タバコの煙と酒の香り、男臭い匂いが立ち込めていた。
「あらベッドじゃなくてハンモックなのね。一度寝てみたかったのよ」
「どうやって乗り降りするのでしょうね、お嬢様」
「俺がやって見せます」
ディエゴがハンモックを跨ぎ、上半身を倒してから両脚をハンモックに収めた。
「降りる時はこの逆の手順です。腰掛けてから横たわる方法もありますが、慣れるまではこれが安全でしょう」
ベルティーヌは上手く乗れたがドロテは一度コロンと下に落ちてしまった。先客の男たちがそれを見て笑う。
「ドロテ、愛のある笑いだから気にしちゃだめよ」
「わかっております。すぐに上達してみせますから大丈夫です」
船に乗って荷物を置くか置かないかなのに、早くもあちこちでポーカーが始まっていた。
三人から五、六人の四つのグループが、折りたたみ式のテーブルでゲームを始めている。その様子をベルティーヌが眺めていると、先ほど船着き場で一緒になった男たちが声をかけてきた。
「お嬢さん、やるかい?」
「よろしいんですか?」
「いいともさ。レートは低くしてやるよ」
「ご配慮ありがとうございます」
男たちは全員ニヤニヤしている。金持ちのカモが来たと思って喜んでいるのだ。
だがしばらくするとベルティーヌの前に大銅貨と小銅貨の山ができていた。
「なんだよ、あんたの一人勝ちじゃねえか」
「申し訳ありません。運が良かったようです」
そのやり取りを聞いていた別グループの顎髭の男が声をかけてきた。
「お嬢さん、こっちに入らねえか?ちーっとレートは高いんだが」
「はい、お願いします」
そのグループは丸テーブルに小銀貨のみを積み上げている。髭の男の仲間らしい男が
「いいのかい?貴族なんか相手にして。あとで親に呼び出されるのはごめんだぜ」
と注意している。
「あら、私の親はそんな野暮なことはいたしませんよ。そもそも父が私にポーカーを教えたのですもの。私が負けたら自分の教え方が悪かったと反省するでしょう」
「それじゃ遠慮なく始めますよ、お嬢さん」
そしてまたしばらくのち。ベルティーヌの前には小銀貨の山ができていた。
「嘘だろ!あんたイカサマやってんじゃないのか?」
「見たらわかるじゃありませんか。カードを隠すような場所があるように見えます?」
「ま、まあ、そう言われたらそうだが」
ベルティーヌはそう言われるのを予想して最初から腕まくりをし、ポケットのある上着も脱いでいた。上は薄手のシャツ一枚でズボンもポケットフラップのボタンはかけたままだ。
「五歳の時から父にみっちりしごかれましたので」
「お嬢さんの父親は貴族だろ?」
「サンルアン王国の貴族ですが、ポーカーが大好きな人です」
「かぁー。こんな腕と知ってたら誘わなかったよ」
「初めての川船旅なのに私の一人勝ちでは申し訳ありませんわね。もしカリスト地区の美味しい物について教えていただけるなら、今夜のお酒は全部私が持ちますけど?」
その言葉を聞いて全員がザワッとする。
「お嬢さん、本当かい?」
「おい!お前はまだ勝負もしてねえだろうが」
「たくさん稼ぎましたから皆さん全員にごちそうしますよ。遠慮なく飲んでくださいな。あ、バーは開きます?」
「バーは開かねえが、眼鏡をかけた船員が酒の係だ。金はあいつに渡してくれ!」
「ご馳走になるよ、お嬢さん」
そこからは全員がベルティーヌの周囲に集まり、カリスト地区の美味や見どころについて教えてくれる。
「コブの開きの焼いたのと、シャコ貝のオイル煮以外でお願いしますね」
「なんだ、知ってるんじゃないか」
「トゲウオのオイル焼きが美味いぞ」
「いや、トゲウオは塩を振って炭火焼きに限る」
「俺は二枚貝の白ワイン蒸しが好きだ」
「オオグチウオの肝の酒蒸しは肴に最高だぞ」
「いやいや、筒貝の煮込みがいいだろう。白ワインと香草で柔らかく煮たやつがいい」
その全てをメモに書き取ったベルティーヌがにんまりする。ゲームを楽しんで情報も得られた。出だしは上々である。ずっと苦笑して見ていたドロテとディエゴがそっと近寄る。
「お嬢様、お人が悪うございますよ」
「そうですよ。素人相手に賭け金を根こそぎ巻き上げるなど。大人げない」
「しいっ。いいのよ、ドロテ。全部お酒にして返すんだから。それに私だって素人じゃないのディエゴ」
「お嬢様は素人とは言えません」
ディエゴが手厳しい。
ベルティーヌは五歳でポーカーを教わるとメキメキと腕前を上げ、十歳くらいからたまに父に勝つようになり、十五歳の頃には五分五分、二十歳の頃には八割は勝つ腕になっていた。
二十歳以降は父親相手にならほぼ全勝の腕になっていた。
その秘訣は特に変わったことではない。手札が良くなく引きも悪い時や誰かが大きく勝ちそうな時は早めに小さく負ける。ここぞという時に大きく賭けて稼ぐ。父に教わったのは、欲をかきすぎないことと勝負を運任せにしないことだけだった。だがそれが普通の人間には難しい。
「ベルティーヌめ。年に似合わぬ落ち着いた勝負をする」
と彼女に秘訣を教えたはずの侯爵がよく悔しがっていたものだ。
十日間の川下りの旅は海辺の美味の話とポーカー三昧で過ぎた。
楽しい船旅は無事に終わって三人はカリスト地区に到着した。
年末年始の分も予約投稿済みです。
お暇な時にでもチラリと覗いていただけると嬉しいです。





