27 怒りの炎とダリラ
「君の結婚を邪魔されたのが二度目だったからね。侯爵様はサンルアン王国の発展のために君を国内に留めておきたがっていたけど、さすがに諦めたんだ」
「私に英才教育……」
本当だろうかという気持ちと(ああ、なるほど)という気持ちが半々だ。
ルカは声を一段と低くして、辺りを気にしながら話を続けた。
「君のお父上は心からサンルアン王国の未来を憂いている。以前は『今の王がだめでも、王太子殿下なら』と期待をかけていたんだ。だが成長するにつれて、王太子殿下は母親の強欲さと父親の無能さを引き継いでいることを現し始めた」
それは密やかに貴族たちの間に漏れ伝わっていることだった。
「どうやら次の王も期待できない。次の王妃と次の宰相に期待するしかない」と。
「侯爵様は王家に知られないように帝国で着々と資産を増やしている。サンルアン王国の未来のためだ」
「まさか……父が国家転覆を狙って資金集めをしていると言いたいの?父はそういう人じゃないわ」
「違うよ。侯爵様は国王の座は狙ってはいない。サンルアンを導くにふさわしい人材が現れた時に支援すべく、その時を待っているのさ。宰相として国王の近くにいる以上、表立って自分が次の指導者を育てることはできないからね。年齢的にも侯爵様が王座に座るのは無理がある」
ベルティーヌも王座に座る父など想像がつかない。父は権力には関心が無い人だ。
「侯爵様はいつも『ベルティーヌは本当に優秀だ』と語っておられたよ。だが、侯爵様はご自身が王妃に危険視されてると気づいてからは、君への英才教育を控えて普通の令嬢として育てることに方針を変えたんだ」
一度も優秀などと言われたことはなかったが、確かに父はある時期まで、自分に厳しかった。
父の出した課題は完璧にこなせるようになるまで許されなかった。半泣きになりながら勉強したものだ。
だが、ある時期から商売についての勉強が減り、侯爵令嬢らしい刺繍やマナー、ダンスなどが学びの中心になった。商売にまつわる教育から厳しさが減ったのは……今思えば、ルカの家が破産して婚約話が立ち消えてしばらくした辺りからだ。
「とにかく侯爵様は君を王妃から守りたかったんだよ。俺の家の件の前からローズ夫人が後妻として送り込まれていたしね。侯爵様が王妃に腹を立てながらも君を連合国に送り出したのは、そういう事情だ。それに侯爵様は南部の可能性に昔から注目していらした」
「なるほど。ようやく読めたわ。全ては王妃の思うがままだったのね。へええ」
「ベル?」
「私や父やルカたちの人生が王妃に弄ばれたことを理解したわ」
「おい、ベル、君は何もするなよ?」
一人の強欲で疑い深い女に、自分は二度も人生を振り回され、父は信用されないままこき使われた上に望まぬ再婚もさせられたわけだ。父は父で何か考えがあるはずだが、今は実家に帰って相談することもできない。義母が目を光らせている。
「ありがとう。おかげでいろんな事がわかったわ」
「おい、滅多なことはするな。王妃は強欲なだけじゃない。頭が回る女だぞ?」
「そうね。怖い人だわ。でも、私も変わったの」
「ベル!」
「そう言えばルカ、あなた結婚した?」
「したよ。帝国の女性と結婚した。子どももいる」
「なら家庭の安全を最優先するべきね。わかったわ」
「ベル、侯爵様は君に安全な人生を送って欲しいと願っているんだ。最悪のことを想定しろよ」
「ルカ。私はもう、どんな人生を送るかは自分で決めることにしたのよ」
ベルティーヌは立ち上がり、部屋に戻ることにした。ルカは心配そうな顔で見送っている。
王妃に対する怒りに背中を押されて足早に部屋に戻ると、ドロテとディエゴはベルティーヌの顔を見て「どうかなさったんですか?」と驚いた。それには「なんでもないわ」と答えて考え込む。
慌てることはない。じっくり綿密に計画を立てるのだ。
「まずは緋色の布の売り込みからね」
ルカとの再会の二日後。ベルティーヌは帝都のとある貴族の屋敷にいた。
贅沢だが品の良さを失っていない広い部屋の中で、ベルティーヌがその女性と向かい合って座っている。
相手の女性は美しい白髪を優雅に結い上げ、見るからに上等な深く落ち着いた緑色のドレスを身にまとっている。
「ベルティーヌさんは賠償金代わりに連合国に嫁がされたと聞いていたけれど。まだジュアン姓なのね」
「はい。セシリオ閣下に嫁ぐ代わりに、不足していた賠償金の分を自分で稼ぎ出しましたので」
ククク、と白い喉を震わせて女性が笑う。
「さすがは錬金術師の娘ね。で?今日は珍しいものを持ってきてくれたと聞いたけれど」
「はい。こちらの布です。ダリラ様、じっくりとご覧くださいませ」
ベルティーヌは布張りの箱をテーブルの上に置いた。ダリラと呼ばれた女性が箱を取り上げ、蓋を外して中から折りたたまれた緋色の布を手に取る。
「まあ」
「いかがでしょう」
ダリラが布地を広げて立ち上がり、窓に近づく。
「鮮やかな緋色に見えるのに光を浴びると鈍く光るわね。不思議な布だわ」
「私も最初に見た時は驚きましたの」
「でも、これでドレスを仕立てたら派手すぎない?」
「そうおっしゃると思いましたわ。ダリラ様、こうして見てくださいませ」
ベルティーヌはバッグからごく薄い白い布を取り出し、緋色の布に重ねた。
「緋色の布はこうして透ける布と二重にすることで下にある緋色が穏やかで上品な色に見えます。上の透ける布の色によっては見え方も変わります」
青く染められた薄い布を重ねると、薄い布の上から見える色はなんとも温かみのある藤色に変わる。薄い黄色を重ねると赤みのあるクリーム色に。
「面白いわね、気に入ったけれど、私には少し色が若々し過ぎるわ」
「ダリラ様、この布で注目を集めるべきは、ディアナ様ですわ」
ディアナはダリラの娘だ。
ダリラは伯爵家出身の女性で、行儀見習いのつもりで勤めた宮殿の侍女の仕事で頭角を現した。
そして結婚後も妊娠出産時に休みを取った以外は働き続け、最後は侍女長にまで登りつめた。ダリラは娘のディアナが自分と同じく侍女として働き始めたのをきっかけに退職したのだが。
「まさかあのディアナが皇帝陛下の御子を産むことになるとは」という事態になった。
皇帝には既に皇后がいらっしゃったのでディアナは側室という立場となり、生まれた男児は第二皇子となったものの、ディアナも第二皇子クラウディオも宮殿内では気を使う立ち位置だ。
宮殿内で目立って命を狙われたりしないよう、お二人はひっそりと暮らしていらっしゃる。だが事情通なら皆知っていることがあった。クラウディオ第二皇子のほうが第一皇子よりも全てにおいて優秀かつ人望も厚いのだ。
皇后の側からすればディアナもクラウディオも、存在自体が腹立たしいはず。その上側室の子が我が子より優秀とあれば、皇后が第二皇子を排除したくなるのは目に見えている。ダリラは長年対応に苦慮してきた。
「私が目立つことで娘やクラウディオ殿下にご迷惑がかかっては困るのよ」
「いえ、そこはダリラ様が力を持つことこそディアナ様とクラウディオ殿下を守ることに繋がると存じます」
しばらく考えていたダリラがスッとベルティーヌを見た。
「本音をおっしゃいなさい。あなたの本当の狙いは何?」
「南部と帝国の友好な関係ですわ」
「思っていたよりも平凡な答えなのね」
「そうでしょうか?」
そこからベルティーヌは人払いをしてもらい、昨夜から考えていた『南部連合国と帝国の友好のために必要な策』について説明した。話し終えてもしばらくは二人とも相手の顔を見つめるだけ。ようやく口を開いたのはベルティーヌだ。
「でもまあ、話が大きいですから。もしかすると十年近くはかかります。でも諦めません。私は誰も私を傷つけることができないくらいに力をつけて強くなります」
「今のあなたをカリナに見せたかったわ。少女だったあなたを残して逝くのはどれだけ無念だったか。でもカリナはきっと神の庭から見ているわね」
「ええ。母はきっと『あなたは強かったのね』って笑ってると思います」
笑顔で面会の礼を述べ、ダリラの屋敷を出ていくベルティーヌの顔は、強い決意に引き締まっていた。





