26 七年ぶりの再会
満腹のおなかで思い出のホテルへと向かう。ここも予約はしていない。時間をかけてあちこちの食料品店を回り、少しずつ瓶詰めを置いてもらいながら泊まる場所を決めるつもりだったのだ。
到着したホテルは、やはり家族で年に二度ずつ泊まった高級なホテルだ。
家族で来ていた時はいつも一番いい部屋に泊まり、母がその部屋の内装や家具をとても気に入っていた。今回はもちろん普通の旅行客用の部屋に泊まるつもりだった。
しかし受け付けで名前を書いたとたんに対応してくれていた若い女性の表情が変わり、年上の男性に交代した。
「以前お泊まりになったお部屋が空いております」
と、その男性は例の最上級の部屋を用意すると言う。
「いえ、今日は普通のお部屋で十分です」
「生憎二人部屋が満室ですので料金は二人部屋のままで結構です。どうぞあのお部屋をご利用ください」
十数年ぶりの客になぜここまでしてくれるのか。
さっきのレストランといい、このホテルといい、おかしくないか。
案内された部屋はベッドルームが三つもある贅沢な部屋だ。有無を言わせず案内され「ではごゆっくりおくつろぎください」と従業員が出て行く。
母が存命だった頃に泊まった時と同じ白バラ柄の壁紙。
母が大好きなローズピンクの布張りのソファー。
寝具は母の愛用していたリネン類。
(この部屋はまるでお母様の好みに合わせて設えたように見えるけど、さすがにそれはないわね。そんなことをする理由がないもの)
室内を眺めながらぼんやりそんなことを考えていると、ドロテが
「相変わらず奥様のお部屋によく似ていますね。奥様のお部屋はこの部屋をお手本にしたのでしょうか」
とニコニコしている。
ドロテの言葉でふと思いついて浴室に入ると、母の好きだったハーブの香りがする。
窓際に置かれた匂い袋に鼻を近づけると、ラベンダーとローズマリー、ホワイトローズをブレンドした香りがした。だが、やっぱりおかしい。これは自分と母で試行錯誤してブレンドした香りにあまりに似すぎていないだろうか。それは考えすぎだろうか。
「ドロテ、ディエゴ。私ちょっと部屋を出るけどすぐ戻るから」
そう言って部屋を飛び出した。
廊下を小走りに進み、厨房の近くまで進むと、新品の制服を着た新人らしい少女が床をモップで磨いている。少女はベルティーヌを見て困った顔をした。
「お客様、ここから先は厨房でございます」
「あなたは新人さん?」
「はい。さようでございます」
「支配人はいらっしゃる?」
「はい、おります」
「じゃ、支配人をすぐに呼んできてくれる?」
「ここに、でございますか?」
「ううん。そうね、一階のカフェにお願い。大急ぎで呼んでね」
「はいっ」
ベルティーヌは名前を聞かれる前にすぐにその場から離れた。
一階のカフェに入り、入り口が見える席に座る。
「お茶に少しだけ甘いお酒を落としてくれる?」とウエイターに頼み、入り口を見つめた。
運ばれたお茶を味わいながら入り口を見ていると、急ぎ足の男性が誰かを探しながら入って来た。
その支配人らしき男性を見てベルティーヌの動きが止まる。
同時に男性の視線がベルティーヌのところでピタリと止まった。何秒か互いに見つめ合ったあと、男性はまっすぐにベルティーヌの席に歩み寄ってきた。
「やあ、久しぶりだね、ベル。七年ぶりかな」
「久しぶりね、ルカ。支配人はあなただったのね。どうぞ座って。私が十七の時にお別れして以来だから、七年ね。最上級のお部屋に案内されたのはあなたの配慮なの?あなたはいつからここで働いているの?どうして私に何も言わずに姿を消したの?」
ルカはベルティーヌが十九歳でアンドリューと婚約する前、十七歳の時に婚約するはずだった人。
婚約が成立する少し前に彼の家が事業に失敗し、連絡も取れないまま彼の一家は姿を消した。その二年後、父がアンドリューとの婚約を決めて結婚しようとしたら今度は連合国へと送り出されてしまったのだ。
そのルカがやや硬さの滲む笑みで質問に答えてくれた。
「ひとつ目。最上級の部屋を手配したのは僕ではない。君が予約なしに一人で泊まりに来ることは想定してなかったから驚いたよ。二つ目。僕がここで働き始めたのは我が家が破産して君との婚約話が立ち消えた時からだ。三つ目。我が家が破産したあとはサンルアンから急いで姿を消さざるを得なかったんだ。君に連絡を取ればまた厄介なことになる恐れがあった」
聞きたいことがありすぎて、頭の中が混乱しているが、まずはあの下働きの女の子を庇わなければ、と思う。
「あなたを呼び出した彼女を叱らないでやってくれる?わざと新入りらしい子を選んであなたを呼び出すようにお願いしたんだから」
「君を見た瞬間、そうだろうと思ったよ。他の従業員なら君に『支配人は留守だ』と言っただろうからね」
「それ、誰の指示?あなたじゃないんでしょ?」
返事をしないルカ。
「ねえ、このホテルの所有者って、もしかして私の父?それなら何もかも筋が通るわ。私の名前を見たとたんに受け付け係の対応が変わったのも、有無を言わさず特別室を用意されたのも、特別室が母の好みで統一されていることも、突然サンルアンからいなくなったルカがここで支配人をしているのも、全て」
ルカは無言だ。なのでベルティーヌはカマをかけることにした。
「レストランのセフィリノさんは白状したわよ」
「セフィリノさんが?彼がそんな勝手なことを?」
「ああ、やっぱりあのレストランも父がオーナーなのね」
「ベル!カマをかけたのか」
それには答えず、ベルティーヌが問い詰める。
「父は私にこのホテルやレストランのオーナーであることを隠していたわ。なぜ?知りたいことはまだある。私は結婚直前に連合国の代表に嫁げと陛下に言われたの。でも、連合国側は私が国を出る前に王家に断っていたのよ。父はそれを知らされていなかった。ねえ、私が連合国に行かされた話の裏側に、いったい何があるの?あなたが父と繋がっているなら何か知ってるんじゃないの?」
ルカはベルティーヌの顔をしばらく眺めていたが、腹を括ったらしく話し始めた。
「君の父上は、錬金術師という二つ名で呼ばれるほど商売に秀でた人だ。侯爵様が手を付けた商売は全て成功して、ジュアン侯爵家はどんどん財産を増やした」
「知ってるわ。その腕を見込まれて国の財政まで任されて、ついには宰相に任命されたんでしょう?」
「そうだ。だが、侯爵様は優秀過ぎたんだよ」
そこからルカは、ベルティーヌが知らなかった王家と父との関係を話してくれた。
現在の国王陛下はおっとりした人柄だが、商才に欠ける。
それを王太子時代から補佐し続けたのがベルティーヌの父マクシム・ド・ジュアン侯爵だった。それなりに上手く行っていた国王と侯爵だったが、国王が王妃を迎えて侯爵が宰相になったあたりから歯車は少しずつ噛み合わなくなっていったそうだ。
王妃は頭が回り、強欲で、王家の財産をもっともっと増やしたがった。
ベルティーヌの父に命じてどんどん王家の私財を増やしていったが、次第に宰相の腕前が優秀過ぎることに不安を抱いたのだろう、とルカは言う。
「宰相の能力は利用したい、だが宰相の力が強くなりすぎて王家が支配されることは避けたい、王妃はそう考えたんだと思う。強欲な人間は他人も強欲だと思うものさ。侯爵様は宰相に任命された時、職務に専念するために相当量の商売を手放したのに!」
ルカによると、王妃はベルティーヌが婚約する相手がサンルアン王国でも指折りの大商人であり伯爵家の長男ルカであることを知ると、両家が結びついて宰相の力が強くなることを嫌い、潰しにかかった。
七年前、いよいよベルティーヌとルカの婚約成立、という頃の話だ。
ルカの家が帝国での大きな建築の仕事の途中、「あの家は資金繰りが危ない。これはさる高貴な方からの情報だから間違いない」という噂が流れた。その結果、出資者全員が手を引いた。ルカの父は自前の資金を投入して工事を続け出資者を探したが、新しい出資者は一人も見つけられない。やがて資金が尽きて工事は止まった。
帝国の業者は建築資材を引き揚げ、それまでの支払いを迫った。ルカの父親はサンルアン王国の家と土地、手持ちの財産を支払いに充てなければならなかった。
「なぜあちこちで一斉に根拠のない噂が流れたのか、父は理解できないまま心労で倒れてね。うちの商会は破産した。父は失意のうちに亡くなったよ。僕たちは住む家も失って一家離散かという時に声をかけてくれたのが侯爵様だった」
その後、侯爵の配慮でルカはこのホテルに就職し、当時の支配人の下で厳しく鍛えられた。その仕事の合間に噂のことを調べ続けた。そして嘘の噂を流した人間が全員、王妃の実家に何かしらの関わりがあることがわかった。おそらく本当の黒幕は王妃。だが証拠はない。
「じゃあ、私が結婚する二週間前に連合国へ行くように仕向けたのも、もしかして」
「おそらく王妃の指示だ。こう言っちゃなんだが、国王陛下はそこまで頭が回らないよ」
「大金貨千枚、本当は王家が払えたのね?」
「そりゃそうだよ。君の父上があれだけ稼がせていたんだ。君が今回嫁ぐはずだった伯爵家も商売では凄腕の家だ。だから王妃が再び動いたんだろう。王妃は侯爵様を生かさず殺さずの飼い殺しにしておきたいのさ」
「そんな……」
いや、待て。
父が大きなレストランやこの高級ホテルの所有者なら、それを売り払えばあの時点で大金貨千枚を支払えたのではないのか。ならばなぜ、自分は連合国に送られたのか。
すると、ベルティーヌの思考を読んだようにルカが侯爵の考えを話してくれる。
「ベル、侯爵様は君まで王家の金儲けの道具にされるのを恐れたんだよ。サンルアンに留まっていればいずれ君の価値が王妃に知られてしまう。そして君は王子のために一生働かされるだろう。だから泣く泣く君を連合国へ嫁がせることに同意したんだ」
「待ってよ。私の価値って何のこと?」
ルカが困ったような顔でベルティーヌを見る。
「君は自覚がないんだね。侯爵様は本当に用心深く君を育てたようだ。ベル、君はね、侯爵様に才能を確信され、錬金術師自らが長い年月をかけて英才教育を施した『次の錬金術師』なんだよ」
なぜベルティーヌが24歳まで結婚してなかったのか、やっと書けました。





