23 侵入者
「では染め方を説明します。絹を染めるんですよね?ベルさん」
「そうね。この薄手の絹でお願いします」
メイラは慣れた手付きで故郷から運んできた木の皮を木槌で叩く。ガンガン叩いて細かくすると、大鍋で煮出した。濃く黒ずんだ赤い液ができたのを見計らって、木くずをザルで取り除き、更に木綿で濾して、下洗いした絹の布地を鍋に入れた。
「弱火にして、でも温度が下がらないようにしながらゆっくりかき混ぜて、染まったのを確かめてから取り出して洗います」
メイラは木の棒で繰り返し布を持ち上げて染まり具合を確かめてから取り出し、何度も水を変えながら絹を洗った。
「洗ったらミョウバンを溶かしたお湯に浸けて、色落ちを防ぐ処理をします」
「ミョウバンはどこで手に入れたの?」
「山で採れるミョウバン石を砕いて煮て、その煮汁を置いておくんです。ミョウバンが時間をかけて結晶になってからまた砕いて粉にしたものです。連合国ではあちこちでミョウバン石が採れるんですよ」
「連合国は本当に豊かな国ね」
「お金はありませんけどね」
ミョウバン液の鍋に絹を入れると布の色が鮮やかになった。
「すごい。色が変わるのね」
「ミョウバン液に浸けると色が鮮やかになりますし、ミョウバン液の代わりに酢に錆びた鉄を入れて溶かした液を使うと暗い赤になります」
「勉強になるわ。作業はそれほど難しくはないのね」
「難しくはないんですけど、全部を毎回同じ色に染めるのは経験ですね。その日の天気や暑さ寒さでも仕上がりの色は少しずつ違ってくるんです。ベルさんはご自分で染めたいんですか?」
「ううん。作業工程を知らずに布地を売るのは説得力がないものなのよ。基礎知識があると売り込みやすいの」
お嬢様はいったい誰に緋色の絹を売り込むおつもりなのだろうとドロテは思う。
大きな計画の最初の一歩なのだろうが、この絹の売り込み先を早く知りたくてたまらない。
「メイラさん、この緋色に染まる樹皮のこと、秘密にしてくれる?」
「最深部じゃみんな知ってますけど」
「ううん、内緒にするのは帝国の人によ。彼らに知られたら、一気にその樹皮を持っていかれる可能性があるわ。木は育つのに年月がかかるから、一気に持ち去られるのは避けたいの。または、その木ばかり植えろと言い出しかねない。それじゃだめなの。この緋色の美しさの価値が下がってしまうし、あの美しい森を損なうわ」
メイラは理解できないらしく、首を傾げている。
「あの森が美しいんですか?なんだかピンとこないです」
「見慣れているからよ。あれは帝国の、特に北部に住む人には間違いなく楽園に見えるはず」
メイラは「そうですかねえ」と眉を下げた。
「その染色液は煮詰めて濃くできるの?」
「できますよ」
「じゃあ、煮詰めたものを持ち込んで、メイラさんが染めた見本の通りに専門家に染めてもらうことにするわ」
メイラは手際よく道具を片付け、
「私、買い物に行ってきてもいいですか?お兄ちゃんにお小遣いを貰ったんです」
とソワソワし始めた。
「レースのついた下着を買うんでしょう?下着なら私が買ってあげるから、お兄さんに貰ったお小遣いは他のものに使うといいわ」
「わあ!ありがとうございます、ベルさん」
染め終えた絹の布地を裏庭に干し、ドロテに留守番を頼んでディエゴと三人で大通りに買い物に出た。楽しく買い物を終えて帰宅し、乾いた絹を手に取る。
「美しいわ。私の勘は間違ってなかった。深みのある緋色だけど、光の当たり具合によっては粉のような金色も混じって見える。こんな色の布、見たことがないわ。メイラさん、ありがとう」
「そうなんですか?私はしょっちゅう見てたから特別な感じはしませんけど」
ベルティーヌは布を見つめたまま首を振った。
「これは間違いなく騒ぎになるわ。高値がつくはずよ。メイラさん、お兄さんにもこのことは言わないでおいてくれる?」
「ええ、言ってません。ベルさんのお供をしてイビトに来たとしか」
「細く長くこの布で最深部にたくさんのお金が落ちるようにしたいのよ」
「え?ベルさんが稼ぐんじゃなくて、最深部にお金が落ちるんですか?」
「私も最深部も稼ぐの。商売はみんなにお金が回らないと続かないのよ。木の皮を採る人、木を育てる人、運ぶ人、染める人、ドレスにする人、買って着る人、皆が幸せにならなきゃ」
ふと思い出す母の言葉。
それを話してくれた時の母の笑顔。
「ドレスは途中のどの過程に関わる人も幸せじゃないとね。誰かの不幸が織り込まれたドレスでは着る人は幸せになれないそうよ。私は母にそう教わったし、母も姑にそう教わったと言っていたわ」
母の実家は服地やドレス、紳士服を手広く扱っていて、祖父母も母も、従業員と取引先を大切にしていた。
母の実家では「商売は皆が幸せになってこそ」というのが口癖だったそうで、「そんな甘いことを」と批判されることもあったらしい。
だがベルティーヌの父は
「父さんはね、カリナとは親同士が決めた結婚だったけれど幸せだったよ。いい育ち方をした女性だなと、最初に言葉を交わした日に惚れ込んだんだ」
と母の命日に優しい顔で教えてくれた。
とかく稼いだ金額がものを言うサンルアン王国だったが、ベルティーヌは母の実家の誠実さと、それに惚れ込んだ父が誇らしかった。自分もそういう商売をしたいと思っている。
しかし、違う考えの人がいることを思い知らされる出来事が起きた。
それはベルティーヌがドロテと二人で老舗らしい染め物業者を訪れた時のこと。
そこの責任者は代を継いだばかりなのか若い人で、メイラが染めた絹をひと目見るなりしつこく染料を知りたがった。
「申し訳ありませんが、それは秘密なんです。この濃縮した液を三倍に薄めた液で染めてくださればそれで」
散々粘った後で引き下がった業者だったが、翌日の夜、ベルティーヌたちの家に不審者が入った。
夜中。
「お嬢様、お嬢様」
「なに?どうしたの?」
ドロテの押し殺した声にベルティーヌは飛び起きた。
「不審な物音がしたんです。ディエゴさんが今、下に降りていきました」
「わかった」
ベルティーヌはすぐに室内履きに足を入れ、実家から持ってきた細長い箱を開けた。中にはライフル銃が収められている。弾を銃身の側面の穴から十発素早く込める。下側のレバーを前に押してから引き戻すと込められた弾が上がって装填された。ベルティーヌは一度ゆっくり呼吸をして廊下に出た。
階下から激しい物音が聞こえてきた。ディエゴと賊が闘っているのだ。
ベルティーヌは「ドロテはここにいるように」とだけ告げてドアを閉め、階段へと向かった。ドロテは両手を組み合わせてベルティーヌの無事を祈る。
階段の上に立ち、右肩に銃床を当てて構えた姿勢のまま音を立てずにゆっくり一段ずつ階段を降りた。
窓から入る月明かりで次第に店舗部分で繰り広げられる闘いが見えてくる。覆面をした二人の男を相手にディエゴが闘っていた。
階段の上の方に立ち、ベルティーヌは片方の男の右肩を狙って引き金を引く。パン!という乾いた音と同時に肩に反動が来てわずかに顔を顰めたが、弾は狙いを外さず賊の肩に命中した。すぐさま銃身下のレバーを前後させて排莢し、次を構えた。
撃たれた男は床に倒れ、肩を押さえて喚いている。
ディエゴと闘っていた賊は突然の銃撃に驚いたようで、ナイフをディエゴに向けたまま仲間を立ち上がらせて逃げ出した。
ディエゴはベルティーヌの護衛を最優先にして後は追わなかった。他にも仲間がいるかもしれないからだ。
深夜の発砲音に驚いて近所の人達が飛び出してきて大騒ぎになった。ディエゴが集まってきた人たちに『警備隊!警備隊!』と公用語で叫んでいる。
「お嬢様!お怪我は?」
「ドロテ、大丈夫よ。これに懲りてうちに侵入するのは諦めてくれるといいんだけれど。ディエゴ、怪我は?」
「私はかすり傷です。お嬢様、ライフルの腕は衰えていませんね」
「まあね。射撃の練習が本当に役に立つ日が来るとは思わなかったわ。全く物騒ね」
駆けつけた警備隊に事情を説明してディエゴは用心のために店舗部分で夜を明かし、ベルティーヌは近所の人に騒がせたことを詫びてから再び寝ることにした。
彼女が眠っている間、この国ではほとんど出回っていないライフル銃の話は警備隊からセシリオのところまで届けられていた。





