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愛のかたち  作者: 高山 由宇
第1部
8/23

第7話 おそろいのブレスレットと友情の誓い

 翌日、学校に行くと、

「おはよう」

 リコちゃんが挨拶をしてきました。

「……おはよう」

 陽もそれに返します。ただ、それきりです。それきり会話が続くこともなく、昨日のことに触れる気配もありません。陽はもやもやとした気持ちを抱えながら、自分の席に着きました。

 休み時間になると、いつの間に仲直りをしたのか、さつきちゃんと奈々ちゃんが椅子を近づけて談笑しています。まるで何事もなかったかのような変わりように驚いていると、トイレに行っていたリコちゃんが数人の女の子と一緒に教室に戻ってきました。リコちゃんの席の周りには、また輪ができています。そこに、先程まで談笑していた二人が加わりました。

 ごく自然で、普段と何ら変わりない光景がそこにはありました。

「こわいんだね」

 ふと聞こえた声に振り向くと、すぐそばに真尋ちゃんが立っていました。彼女の視線の先は、陽と同じようにリコちゃんを中心とした人の輪に向けられています。

「一人でいるのがこわいんだよ」

「……それは、さびしいっていうこと?」

「そうとも言うのかな。たぶんね、一人になると疎外感を感じてしまうんだよ」

 また難しいことを言い始めた真尋ちゃんの言葉に首を傾げましたが、何となく言いたいことはわかったような気がしました。そして陽は、誰にも寄らず、誰にも媚びない、そんな真尋ちゃんの雰囲気をとても好ましく感じていたのでした。


 陽は、十二歳になりました。

 この春から中学生です。

 そして、今日、六年間過ごした小学校に別れを告げます。

「あ……っ」

 卒業式が終わり、別れを惜しむ子供たちと保護者たちが校庭に集まっていました。その中で、先程からずっときょろきょろと辺りを見回していた陽が、突然声を上げたのです。

「美菜子ちゃん、いたの?」

 隣にいたお母さんが尋ねました。美菜子ちゃんを探しているとは言いませんでしたが、お母さんにはお見通しだったようです。陽は、こくりとうなずきました。

「美菜子ちゃん!」

 呼ぶと、美菜子ちゃんがこちらを振り向きました。隣にいるのはお父さんとお母さんでしょうか。二人ともこちらに気がつくと、小さく頭を下げました。

「美菜子ちゃん、写真とろう」

 そう言って何気なく美菜子ちゃんの手を引きましたが、それを美菜子ちゃんが軽く払います。陽も、陽のお母さんも驚いて美菜子ちゃんを見ました。

「……美菜子!」

 美菜子ちゃんのお母さんが(たしな)めるように声を上げました。ですが、美菜子ちゃんは顔を背けたまま、

「……なんで?」

と尋ねます。

「……なんでって?」

「写真なんか、要らないでしょ」

「美菜子ちゃん、写真がきらいなの?」

「べつに……」

「なら、とろうよ。私は美菜子ちゃんととりたい。思い出になるよ」

「……こんな思い出、要るの?」

「美菜子!」

 また美菜子ちゃんのお母さんの声が響きます。そして、

「ごめんね、陽ちゃん」

と申し訳なさそうに頭を下げました。

「美菜子ちゃん」

 その場に似つかわしくない明るい声に、みんなは一斉にそちらに目を向けます。そこには、ポラロイドカメラを構えるお母さんがいました。

「美菜子ちゃん、お願い。一枚だけ、陽につき合ってあげてもらえないかしら」

「……」

「陽はね、美菜子ちゃんとの思い出が欲しいのよ」

 そう言われ、美菜子ちゃんは背けていた顔を陽に向けました。

「どこで……」

「え……?」

「どこでとるの?」

「あ、そうだね。あそこにしよう」

 陽が指差した方向には、陽たちの通う小学校の象徴ともいえるプラタナスの木が、大きく腕を広げるように立っていました。

 そこは人気の撮影場所のようで、子供たちはその場所でこぞってポーズを取り、保護者たちがそれを写真へと収めていきます。

 場所が空くのを待って、陽と美菜子ちゃんがプラタナスの木を背にして立ちました。

 陽がピースサインを作ってポーズを決める中、美菜子ちゃんはうつむきがちにカメラから目を背けます。

「美菜子、ほらこっち見なさい」

 美菜子ちゃんのお母さんは、必死に美菜子ちゃんに呼びかけます。そのお母さんの手がピースサインを作って、美菜子ちゃんにピースをするよう促していました。

「……」

 陽の耳元でため息が聞こえました。その直後、おずおずと腕を上げた美菜子ちゃんが力なくピースサインを作ります。

「はい、チーズ」

 お母さんの明るい声が届きました。そして、ぱしゃりという音が聞こえ、その数分後、

「はい」

 お母さんが陽に一枚の写真を手渡しました。

「わあ! 見て、美菜子ちゃん」

 美菜子ちゃんにもそれを見せます。

「すごいね! もう現像されちゃったよ」

「ポラロイドカメラだもん。当たり前でしょ」

「うん、まあ、そうだけど」

「……いやそうだね」

「なにが?」

「二人とも」

 美菜子ちゃんは、陽が手にした写真を示しながら言いました。

「いやそうな顔をしている」

「え、そうかな」

 陽は改めて写真を見直しました。美菜子ちゃんは相変わらずそっぽを向いていますが、陽は笑顔で映っています。

「無理に笑っているみたい」

「そんなことないよ! 私は、本当に美菜子ちゃんと写真をとりたかったんだもの。友達と映るのに、どうして無理に笑う必要があるの?」

「友達……?」

「そうでしょ?」

「まだ、そんなふうに思っていたの?」

「だって、美菜子ちゃんは私の友達……」

「友達なんか、いないよ。みんな、私のことがきらいだもの」

「……なんで」

「あんただって、馬鹿にしているんでしょ。私のこと」

「そんな、ちがう……」

「でも、もういい。これで、みんなとお別れだから」

 結局、一度も陽と目を合わせることなく、美菜子ちゃんは帰って行きました。

 学校からの帰り道、お母さんに手を引かれながら、陽はただぼうっと写真を見つめています。

「ねえ、美菜子ちゃん、何かあったの?」

 お母さんに尋ねられ、陽はぽつりぽつりと答えました。

 三年生になって、すぐにいじめられるようになったこと。

 それから美菜子ちゃんとの交流が途絶えてしまったこと。

 いじめが終わってからも、美菜子ちゃんは自分のそばに誰も寄せつけなくなってしまったこと。

 それらを淡々と話しました。

「そうだったの」

 お母さんは納得したようにつぶやきます。

「美菜子ちゃん、本当に私のことがきらいになっちゃったんだね」

 声にした途端、ぽたりと(しずく)が落ちました。写真の中の陽が、まるで笑いながら泣いているようです。

「あら、どうして?」

「美菜子ちゃんがいじめられたのは、私のせいなの。ことみちゃんと同じクラスじゃなければ良かったのに」

「琴美ちゃんっていう子がいじめていたの?」

「うん。男子たちを使って……」

「男子たちを使って……? そう。随分と陰湿的なのね」

「いんしつ……?」

「子供っぽくないやり方だなあってことよ」

「まひろちゃんがね、ことみちゃんは嫉妬深いんだって言っていたの」

「ふふ。真尋ちゃんは大人ね」

「そうだね」

「ということは、琴美ちゃんは陽を取られたくなかったのね。だから、陽と仲の良い美菜子ちゃんをいじめていたのね」

「やっぱり、そうなのかな……」

「でもね、陽。美菜子ちゃんは、陽のことを嫌いになったわけではないと思うのよ」

「……どうして?」

「嫌いなら、口を利かなくたっていいもの。写真だって、一緒に撮る必要はないでしょう?」

「……うん」

「美菜子ちゃんは、陽のことが好きなのよ。ただね、いじめられるという経験をしてしまったから、友達という関係を少しだけ怖がっているのじゃないかしら」

 ふと引っ張られる感覚にお母さんが振り向くと、陽は立ち止まっていました。繋いだ右手が微かに震えています。涙はすでに乾き、流れた跡だけが頬にてかてかと筋を残していました。

「どうしたらいいの?」

 陽が尋ねます。

「美菜子ちゃんね、別の中学に行っちゃうの。……本当に、このままお別れなの?」

 またも泣きそうになっている陽に、しばらく考え込んでいたお母さんが口を開きました。

「陽、美菜子ちゃんの家に行って来なさい」

 ぽかんとした表情の陽を前に、お母さんは自信に満ちた笑顔を向けているのでした。


 呼び鈴を鳴らすと、すぐに扉が開きました。

「あら、陽ちゃん。よく来てくれたね。さっきは、美菜子がごめんなさいね」

 美菜子ちゃんのお母さんが迎え入れてくれました。

「陽ちゃんのお母さんから電話があったのよ。わざわざ美菜子に会いに来てくれて、ありがとうね」

「……いえ。中学生になる前に、もう一度美菜子ちゃんとお話がしたくて……」

「ありがとう。さあ、上がって」

「あ、でも……」

「ん?」

「私、ここでいいです」

「……そう?」

「はい」

「なら、少し待っててね。今、美菜子を呼んでくるから」

 そう言って扉が閉まりました。それからほどなくして、再び扉が開くと、そこには美菜子ちゃんがいました。相変わらず目を合わせようとしない美菜子ちゃんに、陽は喜んで話しかけます。

「美菜子ちゃん、突然ごめんね」

「……なに?」

「美菜子ちゃん、ちがう中学に行っちゃうでしょ? 私ね、このままお別れしたくないの」

「……」

「私、美菜子ちゃんとこれからも友達でいたい」

「どうして?」

「どうしてってなに? 美菜子ちゃん、さっきも言っていたよね。なんで写真なんかとるのって」

「だって、要らないでしょ」

「どうして、はこっちだよ。なんでそう思うの?」

「だって、もう会う必要がないんだよ。学校だって変わるし、無理に友達でいる必要もないのに」

「だから、どうして、無理に、なの? 私は、いやいや友達でいるわけじゃないのに」

「……」

「私は、美菜子ちゃんと友達でいたいの」

 陽は、なんだか、とても悲しくなりました。

「美菜子ちゃんは、私と友達でいたくないの? なら、そう言って。……美菜子ちゃんが勝手に離れて行くのを、私がいやがっているからなんて……。勝手だよ。そんなふうに、決めないでよ」

 美菜子ちゃんが、うつむいていた顔を上げました。そして、ちらりとこちらを見ます。

「美菜子ちゃんは、私のことがきらいなの?」

 一瞬、美菜子ちゃんの瞳が揺れたように見えました。

「もしもそうなら、それは私のせいかもしれない、と思う。私は、美菜子ちゃんにきらわれても仕方がない、と思っているよ」

「……どうして」

 美菜子ちゃんの瞳から、滴が流れ落ちました。

「どうして、私が陽ちゃんをきらうの? そんなわけ、ないのに」

「でも、美菜子ちゃんがいじめられていたのは、きっと私のせい。私が、美菜子ちゃんと仲が良かったから。ことみちゃんに目をつけられちゃったんだ」

「……やめて! あの時のことは……もう、やめて……」

「……ごめんね」

 陽は、手提げ鞄から手の平大の小さな紙袋を取り出しました。それを、再びうつむいてしまった美菜子ちゃんの前に差し出します。

「なに、これ?」

「プレゼント」

 美菜子ちゃんが陽の手からそれを受け取りました。そして、袋を開けて中身を見た美菜子ちゃんは、

「……きれい」

と一言。

 陽は、にこりと笑って言います。

「これね、天然石でできているんだよ」

「天然石? それって、高いんじゃないの?」

「ちょっと、ね。でも、すごくきれいでしょ?」

 美菜子ちゃんの手の中には、水色の石と、紫がかった透明感のある石とで作られたブレスレットがありました。

「この水色の石がラリマーっていうの。それで、この紫っぽいのがクンツァイト」

 話しながら、陽はもうひとつ同じ袋を鞄から取り出します。

「ほら、おそろいだよ」

 にこりと笑いながら、陽はそれを右手首にはめました。

「ラリマーは平和と調和の意味があって、クンツァイトには思いやりの意味があるの。それでね、このふたつがそろうと、人間関係の中で共感し合う力を高めてくれるんだって」

「……どういうこと?」

「えっとね、お母さんが言っていたんだけれど……友情を高めてくれるってことじゃないかって」

「友情……」

「うん。美菜子ちゃん、これ、もらってくれる?」

「……」

「私ね、小学校に入って、初めてできた友達が美菜子ちゃんで良かった。本当にね、そう思っているの。だから、これからもね、友達として高め合っていけたらいいなあって思うの」

「……陽ちゃん……」

 ぽろぽろと、美菜子ちゃんはついに、大粒の涙を瞳から溢れ出させました。それを見た陽も、ぼろぼろと泣き出しました。

 わっと、美菜子ちゃんが陽に抱きつきます。頭ひとつ分の身長差があるので、陽は美菜子ちゃんを下から支えるように抱き止めました。

 ひとしきり泣き終えた美菜子ちゃんが、天然石のブレスレットを陽と同じように右手首に通します。そして、目と鼻を真っ赤に染めながら、にこりと笑ったのです。

 陽は、本当に久し振りに美菜子ちゃんの笑顔を見ました。

「あらあら、どうしたの二人とも」

 扉が開いて、美菜子ちゃんのお母さんが顔をのぞかせました。

「こんなところで、何を泣いているの? さあ、入りなさい。ね、陽ちゃんも、少し上がっていってちょうだい」

 そう言われて、陽はちらりと美菜子ちゃんを見ます。美菜子ちゃんは、目元をぬぐいながら笑うと、陽の手をぎゅっと握りました。そして、

「行こう!」

と、陽の手を引いて家の中に入って行ったのです。それを見つめる美菜子ちゃんのお母さんの目も、少し潤んでいるように見えました。

 陽は今、望遠鏡をのぞいてはいません。ですが、美菜子ちゃんの周りを覆っていた黒い靄は確実に薄くなっていることでしょう。

 目元を赤く染めながらにこにこと笑い合う陽と美菜子ちゃん。二人の頭上には、白い光が差し込んでいるようでした。

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