表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛のかたち  作者: 高山 由宇
第3部
17/23

第2話 重さと距離の関係

 陽の家の隣には、洋風な造りの一軒家がありました。

 白い壁の二階建てで、日当たりの良いベランダもついています。

 広々とした庭もありましたが、建物の雰囲気と打って変わって、その庭は極めて和風な造りをしていました。大きな石で囲むようにして造られた小高い場所には、枇杷(びわ)や白梅、山桜桃梅(ユスラウメ)、金木犀、木苺などのたくさんの木が生い茂っていました。庭のあちらこちらには、シバザクラも地を這うように赤い花を咲かせています。

 しばらくは空き家となっていたのですが、ようやく買い手が見つかったようです。陽が家を出た時、トラックから二人の若い女性が降りてきました。

 二人とも、まだ二十代でしょうか。どちらもとても美人です。そのうちの一人は特に眉目秀麗で、モデルの仕事でもしているのではないかと思えるほどにスタイルの良い女性でした。

「あ、お隣のお嬢さんかしら?」

 モデルのような女性は、ふわふわとした長い髪をかき上げながら声をかけてきました。

「あ、はい」

 答えると、

「そうか。今日から隣に住むことになったんだ。よろしくね」

 もう一方の髪の短い女性が手を差し伸べてきたので、陽は、

「よろしくお願いします」

と言って、その手を取ったのでした。


「今日ね、隣に女の人が引っ越して来たの」

 陽は美菜子ちゃんに報告しました。

「女の人って、一人?」

「ううん。もう一人いたよ。はるかさんと菜々緒さんっていうの」

「姉妹、とか?」

「あ、どうだろう。聞かなかったけれど。でも、二人ともすごく綺麗な人たちだったよ。特にね、菜々緒さんはモデルの仕事でもしているのかなって思うくらい、すごく綺麗でスタイルもいいの」

「へえ、そうなんだね。家、買ったのかなあ。それとも賃貸?」

「さあ? 姉妹なのか友達なのかわからないけれど、何にしてもすごく仲がいいんだろうなって思ったよ」

「一緒に暮らすんだもの、きっとそうだろうね」

 にこりと笑ったところで、

「あのね、かなえちゃんの話なんだけれど」

 美菜子ちゃんは途端に神妙な顔つきになって言いました。

「かなえちゃんね、出会い系で知り合った人と付き合っているんだって」

「え、もう?」

 陽は驚きました。それもそうでしょう。かなえちゃんが出会い系をしているという話を聞いたのは、つい一週間前のことだったのですから。

「……展開が早すぎるよね」

「……うん」

「相手は大学生らしいんだけれどね」

「そうなんだ」

「……」

「いい人なら、いいよね。たとえ出会い系で知り合ったとしても、悪い人ばっかりとは限らないでしょ?」

「……そうだね」

 かなえちゃんのことが心配なのでしょう。その日の美菜子ちゃんは口数が少なく、ほとんど話をすることのないままに降車駅へと着いてしまいました。


 陽は、教室で、自分の席に着きながら、やきもきとしていました。廊下に目を向けては、その視線を机に落とす……その動作を何度も繰り返しているうちに、ついに始業のチャイムが鳴ってしまったのです。

『……どうしたんだろう、美里ちゃん……』

 ちらりと美里ちゃんの席に目を向けます。他のクラスメイトは全員そろっていますが、美里ちゃんだけがまだ来ていません。

『何かあったのかな……』

 そう思い始めた時、教室の戸が開きました。

 ほんの一瞬ですが、微かにざわついた雰囲気が教室中から伝わってきます。それもそのはずです。チャイムが鳴ってから教室の戸が開けば、先生が入って来たのだと誰でも思うでしょう。けれども、入って来たのは先生ではありませんでした。

 美里ちゃんです。

 美里ちゃんは、遅れたことを悪びれる様子もなく、また急ぐこともなく、まるで何事もないかのように、スマートフォンを操作しながら自分の席に着いたのでした。その後、すぐに戸が開かれ、先生が入って来ました。

「……どうした?」

 再びざわつく生徒たちの表情を読み取ったのか、先生が尋ねます。しかし、それに対して、誰も何も言うことができなかったのです。ちらりと美里ちゃんの方を見ると、騒ぎの源だというのに誰よりも落ち着き払っていて、いまだにスマートフォンを操作し続けていました。

 先生は、生徒たちの様子に首を傾げながらも、気を取り直して朝のホームルームを始めました。


「今日はどうしたの?」

 ホームルームが終わり、陽は美里ちゃんに話しかけます。何か事情があって遅れたのだろうと思ったからです。ですが……、

「何が?」

 逆にそう返されてしまいました。

「何がって……今日、遅刻したでしょう? 何かあったんじゃないの?」

「え、遅刻なんかしてないよ」

「え……?」

「だって、先生が来る前に席に着いていたじゃない」

「え、でも……チャイムが鳴ってから入って来たよね?」

「ばれてないでしょ?」

「……ばれる?」

「遅刻したら、遅刻届っていうのを書かされるでしょ? 私は書いていないもの」

 陽は口を閉ざしました。

『……先生に見つからなかったから……遅刻届を出さなくていいから……だから、遅刻じゃないってこと……?』

 少しの間困惑していると、

「ねえ、ハッチ。アドレス交換しようよ」

 美里ちゃんが普段通りの調子で言ってきたのです。

「あ……スマホ、買ってもらったの?」

「うん。でも、本当はもっと早く欲しかったんだけどなあ。買うの遅いんだよ、うちの親」

「え、そう? でも、まだ持っていない人ってたくさんいると思うけど……」

「そんなことないよ。中学生の頃から持っている人だっているし」

「中学生? それは早いね。家庭の事情で持たされている人は二人だけ知っているけれど、ほとんどの友達は高校生になったら買ってもらえるって喜んでいたもの」

「小学生の時にだっていたよ」

「……そんなに、多かったの?」

「え?」

「小学生の頃から、スマホを持った友達がたくさんいたの?」

「……みんなってわけじゃないけど。いたことは事実だし。もっと早く買ってくれたっていいじゃん」

「……小学生なら歩いて行ける距離に学校があるし、特に電話を持たせる必要はないって思ったんじゃないのかな」

「電話?」

 美里ちゃんが、唐突に大声を上げて笑い出しました。目を見開く陽に、

「電話なんか使わないよ」

 美里ちゃんが言います。

「スマホはね、電話じゃないんだよ」

「……どうして?」

「だって、電話機能なんか使わないもの。使うのは、メールかネット。あと、アプリ」

「お母さんやお父さんと連絡とるのもメールだけなの?」

「うち、父親いないんだ」

「え……あ、ごめん」

「別にいいけど」

「……あの、ね。私もいないんだよ」

「へえ、なんで? 死んだの?」

「え……う、うん」

 ずきり、と胸に違和感を覚えました。

 お父さんが亡くなったのは物心つくよりも前のことです。幼い頃には寂しかったこともありますが、もうとっくに克服できたと思っていました。けれども、こんなにもはっきりと尋ねられ、それもどこかにやにやと笑っているような表情に、陽の胸は少しばかり痛みを感じたのです。

「うちは離婚したんだ」

「……そう、なんだ」

「勝手に離婚するとかありえないんだけど」

「何か、事情があったんじゃない?」

「でも、離婚したせいで貧乏になったし。だから、スマホも今まで買ってもらえなかったし」

「それって、離婚したせいかな……」

「そうだよ!」

「そう、かな……」

 陽が再び口を閉ざすと、美里ちゃんはスマートフォンを操作しながら声高らかに言います。

「ねえ、ハッチ、これ見た? あのグループのボーカルが不倫していたんだって!」

 そう言って陽に突きつけられたのは、芸能人のスキャンダルを取りまとめたインターネットニュースでした。


「でも、その子、私立の高校に入学した上にスマホも買ってもらっているよね?」

 翌朝、昨日あったことを電車の中で話すと、美菜子ちゃんは呆れたように笑いました。

「本当に貧乏なら、私立には行けないだろうし、スマホも買ってもらえないと思うけど」

「私も、そう思う」

「なんか、何でも他人(ひと)のせいにしちゃう子……なのかな?」

「さあ。まだ、わからないけれどね」

「そうだね。最初から決めつけるのは良くないよね」

「うん」

「陽以外の人は、その人のことをどう見ているのかな?」

「なんかね、浮いていると思う」

「浮いている?」

「他の人に話しかけているのを見かけたことはあるけれど、なんか、馴染めていないみたい。遠くから見ていただけだから詳しくはないけれど、みんなが唖然としている中で、その子だけが笑っているの」

「空気が読めていないってこと?」

「そうなのかな。あとね、その子が楽しそうに話すこと、何が楽しいのかよくわからないって思うことはあるよ。芸能人のスキャンダルとかね。不倫したとか、離婚したとか……そういう話」

「ああ、なるほどね」

 喉元に突っかかっていたものがようやく呑み込めたと言わんばかりに、美菜子ちゃんはひとつうなずいて言いました。

「いるよね、そういう人」

「美菜子の周りにもいるの?」

「うん。かなえちゃん」

「え……かなえちゃん?」

「ところどころね、その子とかなえちゃんが重なるんだよねえ」

「そうなの?」

「うん。不倫や離婚とかのスキャンダルが好きでね、いつもスマホ片手にそんな話ばっかり。授業中もスマホを手放さないっていうところも似ているかも。あと、学校に来るのも遅いよ。遅刻にはなっていないけれど」

 それから、美菜子ちゃんは少しうつむきました。

「美菜子?」

 陽が声をかけると、

「……なんかね、ちょっとたいへんなことになりそうなんだ」

 そう言って、美菜子ちゃんはふうっとため息を吐き出しました。

「どうしたの?」

「ほら、かなえちゃん、出会い系で知り合った大学生と付き合い出したって言ったでしょ?」

「うん」

「なんかね、その彼氏から、殴られているみたい」

「え……っ?」

 あまりの衝撃に、陽は目を見開いて美菜子ちゃんの次の言葉を待ちます。

「この間、学校に来なかったことがあったの。理由を聞いたらね、彼氏に閉じ込められていたんだって」

「どういうこと?」

「彼氏の家に行ったらね……」

「家に行ったの? メールだけでしか知らないのに。それも、知り合ってまだ一週間ぐらいなんでしょ?」

「うん。私も、それは本当に驚いたんだけれど……」

「……」

「朝、学校に行く前に彼氏の家に行ったんだって。そこで閉じ込められて、夕方にようやく解放されたみたい。だから、親にはばれていないって言っていたけど」

「ばれていないとかの問題じゃないと思うけど……」

「うん……」

「もう会わないようにした方がいいよ。殴られているんでしょ?」

「うん。腕とか足に痣があったよ。見せられた」

「それなら、何とかしてあげないと」

「……難しいね」

「どうして? まずは大人に相談しよう。何とかなるよ。かなえちゃんは、助けて欲しくて美菜子に相談したんでしょう?」

「それなら、いいんだけれどね……」

 ふうっと、美菜子はまたもため息をもらしました。

「問題なのはね、かなえちゃんがそれを喜んでいるってことなのよ」

「え……」

「むしろ、あれは自慢だと思うの」

「……自慢?」

「愛されているっていう、自慢」

「愛されて……?」

「そう」

「どこが? 監禁したり、殴ったりすることが、愛なの?」

「陽、バッキーって知っている?」

「バッキー?」

「束縛する人のこと。男の人に多いみたいなんだけれどね。たぶん、かなえちゃんは勘違いしているのよ」

「……」

「でもね、かなえちゃんにそれは勘違いだよ、普通は好きな人を殴ったりしないよってそう言ってもね、かなえちゃんは聞こうとしないの。だから、私はかなえちゃんに何もしてあげられない」

「美菜子……」

「私ばかりが手を伸ばしてもだめ……。かなえちゃんも手を伸ばしてくれないとね、引っ張ってあげられないの」

 この時の美菜子ちゃんの言葉は、陽の胸に重く圧しかかりました。


 夕食を終えた陽は、自室で望遠鏡を取り出しました。今では、長い牛乳パック一本分ぐらいの重さがあります。それを目に当ててのぞいてみると、いつものようにもわもわと映し出されました。

『……やっぱり、見える。……黒い靄が……』

 陽は、もう驚くことはありません。

 この頃の陽には、普段から何となく見えるようになっていたのです。美里ちゃんと話しながらも、彼女を取り巻く黒い靄に気がついていたのでした。

 美里ちゃんは、何やらお母さんに当たり散らしているようです。

 美里ちゃんが口を開くと、黒い靄が鋭いナイフのようになって飛んでいきます。そして、それが、すべてお母さんの胸に突き刺さりました。そのたびに、お母さんは顔を歪めています。もちろん、お母さんにそのナイフが見えているわけではないでしょうが、胸の苦しみは感じているのでしょう。

『……美菜子の言う通りかもしれない』

 陽は思います。

『どんなに助けたいと思っても、向こうもそう思ってくれないと、助けてはあげられないのかな……』

 ふうっとため息をつくと、陽はそっと望遠鏡から目を離しました。

 望遠鏡の重さを感じながら、ふと顔を上げた陽は目を見開きます。

 それまで地平線の彼方にあった望遠鏡の先が、目視できるほどの距離にあるのです。

『……近づいている……?』

 のぞくたびに重くなることは知っていましたが、その距離が近づいて来ていることにはまったく気がつきませんでした。

『一回のぞくたび、どれぐらい近づくのかな……』

 しかし、それはきっと一律ではないのでしょう。重さの増え具合も一律ではないように。

 ただ、おそらくは、重さに比例するのです。少ししか重くならなければ少ししか距離は近づかず、たくさん重さが増えれば距離もその分だけ縮まるのではないでしょうか。

『のぞき続けたら、いつかは望遠鏡そのものが消えちゃうのかな』

 けれども、それなら、望遠鏡の重さはどこへ行ってしまうのでしょうか。

 いくら考えても答えは出ません。それならばと、陽は考えることをやめました。

 ただ、今後は、望遠鏡をのぞく回数を減らそうと、そう思ったのでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ