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愛のかたち  作者: 高山 由宇
第3部
16/23

第1話 運命的な出会いとあだ名

 上り坂に差しかかった時、バスが大きく揺れました。

「あ……っ」

 陽の体は大きく傾き、左隣に立っていた少女にぶつかってしまいました。

「……すみません」

 とっさに謝ると、

「大丈夫ですか?」

と、少女は笑いかけてくれたのです。安心した陽も、少女に笑い返しました。

「あ……もしかして、同じ?」

 少女が何を言おうとしているのか、陽にもすぐにわかりました。

「そう、みたいですね。私、今日からなんです」

「一年生?」

「はい」

「うそ! 私もだよ。一緒だね」

 少女も、陽と同じように真新しい制服を着ています。

「私、中山美里」

 名乗られて、

「私は一ノ瀬陽」

と答えました。

「陽ちゃんね。一緒のクラスだったらいいね」

 そう話しながら三十分ほども揺られたバスは住宅街を抜け、小高い丘の上に建つ私立の女子高の前で停車します。

「長かったねえ」

 美里ちゃんが、すでに疲れを滲ませながら言いました。

「坂道が多かったよね」

 陽も苦笑いで答えます。

「うんうん。しかも、ぎゅうぎゅうだったしね」

「これからは毎日このバスに乗るんだね」

 二人はため息をついたあと、にこりと笑い合いました。そして、これから三年間、お世話になる学び舎の校門を一緒にくぐったのでした。


「陽、お待たせ」

「あ、美菜子。おはよう」

 陽と美菜子ちゃんは、毎朝六時半に待ち合わせをして、最寄りの駅の始発電車に乗っています。そうすると、ホームルームが始まる一時間ぐらい前には学校に着いてしまうのですが、混雑を避けるために陽がそう提案したのです。最初は渋っていた美菜子ちゃんでしたが、何回か遅い電車で登校してみて、満員電車は苦手だと感じたのか、この提案を受け入れてくれました。陽もまた、初めて登校した時のことがあるので、満員で揺られるのはもうこりごりだと思っていたのです。

「美菜子、これ」

「あ、私も」

 高校に入ってすぐ、陽と美菜子ちゃんは呼び捨てで呼び合うようになりました。それは、おそらく、ひかるちゃんと由梨ちゃんに感化されてのことでしょう。陽は、呼び捨てで呼び合う二人を見て、とても親友らしいと感じていたのです。

 そしてもうひとつ、高校生になって新しく始まったことがありました。

 それは、文通です。

 今ではお互いにスマートフォンを持っているので、どこにいてもメールで意思を伝えることが自由にできます。それでも、手書きの手紙というのは特別なものなのでした。

 電車に乗り込んですぐに、二人は手紙を渡し合いました。

「え? 何これ、どうなっているの?」

 陽は、受け取ったばかりの手紙をまじまじと見つめています。それは、平行四辺形の形に折りたたまれていました。

「わ! おもしろい!」

 開こうとしたところ、

「待って! 学校で読んでよ」

と美菜子ちゃんに止められてしまいました。

「うん、わかった」

 陽は素直にうなずいて、制服のポケットにそっとしまい込みます。それを見ていた美菜子ちゃんは、

「ああ、やっぱりいいなあ」

とため息混じりに言いました。

「何が?」

 尋ねる陽の胸元を指差し、

「それ」

と言うので、陽は美菜子ちゃんの指した方に目を向けます。そこには、制服の赤いリボンがありました。首を傾げていると、

「制服よ」

と美菜子ちゃんが言うので、陽はようやく納得しました。

「いいなあ、セーラー服」

「美菜子はブレザーだものね。赤いブレザーにリボンもかっこよくておしゃれじゃない?」

「うん……。でもね、おばあちゃんったら、この制服の色を小豆色って言うんだよ?」

「小豆色……」

「ねえ? なんか、一気にダサく思えちゃった」

「そんなことないよ。私はいい制服だと思うよ」

「そう?」

「うん。ほら、美菜子の学校って、女子は紐型のリボンとか大きなリボンとか、あとネクタイとか、その色まで選べるんだよね? 気分で制服の雰囲気を変えられるなんて、すごくいいと思うよ」

「そうだね。男子はネクタイしか選べないから、その点女子は優遇されているのかも」

 美菜子ちゃんは、男女共学の公立高校に通っています。

「陽、友達はできた?」

 話がひとつ終わったところで、美菜子ちゃんが間髪入れずに別の話題を振ってきました。

「できたよ。美菜子は?」

「私もいるよ。よく話すのは一人ぐらいだけれど」

「私も同じだよ。初めての登校日にね、同じバスだったの。坂道でバスが揺れて、ぶつかった相手が同じクラスでね、しかもすぐ隣の席だったの」

「へえ! すごい偶然だね。まるで漫画の世界みたい」

「でしょ? 中山美里ちゃんっていってね」

「中山……一ノ瀬……あれ?」

「あ、なんかね、席順は五十音順じゃないんだって」

「そうなの? なら、どういう順番?」

「ランダムだって言っていたよ」

「ふうん、そうなんだ」

「美菜子は? その友達とどういうふうに出会ったの?」

「私は、普通だよ。前の席に座っていたその子が話しかけてきて、友達になったの」

「そっかあ」

 そう話すうちに、電車は降車駅に着いてしまいました。

「陽、またね」

「美菜子、また明日ね」

 手を振りながら、二人は駅で別れたのです。


「おはよう」

 始業ぎりぎりの時間になって、美里ちゃんが教室に滑り込むように入って来ました。何事もなかったかのように席に着いて挨拶をかわす美里ちゃんに、

「危なかったね」

と声をかけると、

「なにが?」

と返され、陽の方がびっくりしてしまいました。

『……そっか。これは、美里ちゃんにとっての普通なんだ』

 そういえば、昨日もぎりぎりに登校して来たように思います。何事も心にゆとりを持って行動したい陽とは違い、美里ちゃんは早めに行動することを無駄と感じるのかもしれません。おそらく、時間にさえ間に合えば良いという考え方なのでしょう。

「ねえ、あだ名で呼び合わない?」

 休み時間になると、美里ちゃんが唐突に言い出しました。

「あだ名?」

「うん!」

 陽は首を傾げます。

『あだ名って、呼ぼうって思って呼ぶものなのかな』

 陽は、もともとが短い名前のせいか、これまであだ名で呼ばれたことはありません。ただ、陽には、あだ名とは気がついた時にはそう呼ばれているものというイメージがありました。

「私のことは、サットって呼んでね」

 美里ちゃんの言葉にぽかんとしていると、

「陽ちゃんのことは、ハッチって呼ぶね」

と、なかば強引にあだ名を決められてしまいました。

 次の授業はグループワークです。机を繋げてグループを作るのですが、陽と美里ちゃんは別々のグループとなりました。

「よろしくね」

 陽のグループは六人です。みんなは机を繋げながら挨拶をかわします。

「それじゃあ、自己紹介からする?」

 少しぽっちゃりとした体形の子が提案しました。

「私は、佐藤りん」

 よく通る明るい声が上がります。

「藤田博美」

 りんちゃんに比べて、こちらは低い声質をしていました。また、男の子のように短く刈り上げられた髪が印象的です。

「阿部美穂です」

 とても線の細い子です。

「私は、高橋茉奈(まな)です」

 前髪をピンできっちりと留め、セミロングの髪をうしろでひとつに結わえています。飾り気がなく、とても真面目な印象がありました。

「私は、竹澤伊代」

 こちらもぽっちゃりとしていて、眼鏡をかけています。混じりけのない黒髪が印象的なおとなしい感じの子でした。

 そして最後に、

「私は、一ノ瀬陽です」

と名乗り、グループワークが始まりました。

 話し合いを始めて十分ぐらい経った頃でしょうか。

 ふと違和感を覚えて顔を上げると、隣のグループにいる美里ちゃんと目が合いました。

 美里ちゃんは、じっとこちらを見据えています。

 今はグループワークの時間なのでグループで話し合わなければならないのに、資料を見ることもなく、話し合いに参加する素振りもなく、こちらを見ているのです。

 陽は、そんな美里ちゃんの行動が理解できず、そっと視線をそらしました。


「見て」

 朝の電車の中、陽は美菜子ちゃんに言いました。

「美菜子の手紙を真似して折ってみたの」

 綺麗に折り畳まれた平行四辺形の手紙を差し出します。

「お、もうマスターしたの?」

「美菜子の手紙を何度も開いたり閉じたりしてね。覚えたの」

「そっか」

 美菜子ちゃんは受け取った手紙をポケットにしまい込むと、

「はい」

と手紙を差し出します。それを受け取った陽は、驚愕の声を上げました。

「これ……ハートっ?」

 渡された手紙は、少し(いびつ)ですが確かにハート型に見えます。

「えへへ。いいでしょ」

と笑う美菜子ちゃん。

「いいなあ」

 陽は素直にうなずきました。そして、

「この手紙を研究して、私も絶対に折れるようになる!」

と固く決意したのです。

「どう? 友達は増えた?」

 ハート型の手紙を、皺にならないように気をつけながらポケットにしまい込み、陽が尋ねます。

「うん、まあ、挨拶をするぐらいかな。今のところは、昨日話した子としか話してないよ」

 美菜子ちゃんの返答に、

「そうなんだあ」

と相槌を打ちながら、

「私はね、昨日グループワークの授業があったんだ」

 陽は、そう続けました。

「同じグループになった人の中にね、おもしろいあだ名を考える人がいるの。りんちゃんって言うんだけれどね」

「あだ名?」

「そう。六人グループだったんだけれど、そのうちの三人のあだ名をね、授業中に決めちゃったの」

「どんなあだ名なの?」

「えっと、隊長と神様とお母さん」

「え? ちょっと、何それ?」

 目を丸くしている美菜子ちゃんの反応がおもしろくて、陽はふふふと笑いました。

「博美ちゃんって人が『隊長』なんだけれど、ボーイッシュで、どことなく頼りがいもあってね、本当にそのあだ名が合う人なの。それから、美穂ちゃんって子が『神様』。その子はね、マリア祭実行委員に選ばれていてね」

「……マリア祭……?」

「ほら、うちはカトリック系の学校だから」

「マリア様、ってこと? イエス・キリストのお母さん?」

「そう。そのマリア様のお祭りがあるの。それの実行委員だから、『神様』」

「へえ」

「そして、私が『お母さん』なんだって」

「え、陽が? なんで?」

「グループワークの時にね、のりとかセロテープとか、あとはさみやホッチキスが必要になったの。それを私が鞄から出したのを見て、りんちゃんがお母さんみたいだねって」

「陽、そんな物を持ち歩いているの?」

「うん。絆創膏(ばんそうこう)とか、付箋紙とかも持っているよ。いつ、誰が必要とするかわからないもの」

「あはは、確かにそれはお母さんっぽいね」

「それにね、私、ホームルーム委員にもなっていて」

「え、陽が? 目立つの好きじゃないくせに」

「うん。そうなんだけれど。でも、先生が決めちゃったから」

「そうなんだ。それで、『お母さん』か」

 陽ははにかみながら笑いました。

「りんちゃんが次々にあだ名を決めていくものだから、伊予ちゃんって言う子が『私のことはいーちゃんって呼んで』って言い出したりしてね」

「自分から?」

「そう。あだ名って、なんか特別なものなのかなあ。今日だけで、『ハッチ』と『お母さん』ってあだ名をつけられたよ」

「ハッチ……!」

 美菜子ちゃんが吹き出しました。

「そういえば、うちの学校でもあだ名をつけたがる人がいるよ」

「そうなの?」

「そういう年頃なのかなあ」

「年頃って……」

 くすくすと笑いながら、ある幼馴染みの姿が思い浮かびました。

「今、真尋ちゃんを思い出したよ」

「真尋ちゃんって……斎藤真尋ちゃん? 小学生の時にいたよね」

「うん。私、真尋ちゃんとは幼稚園の頃からの幼馴染みなの」

「そうだったんだあ」

「真尋ちゃんは物言いが大人でね。美菜子が『そういう年頃』なんて言うから、なんとなく真尋ちゃんを思い出しちゃったよお」

「へえ。真尋ちゃんって、そういう子だったんだね。確かに、周りと比べてクールな子だなあとは思っていたけれどね」

「でしょ? ねえ、美菜子の方は何かないの?」

 話が一段落したので、陽は美菜子に尋ねます。

「うん、まあ、なくはないよ」

 美菜子が言葉を濁す様子に、

『……何か、良くない話なのかな』

 陽はそう思い、笑顔を引っ込めて身構えました。

「実はね、よく一緒にいる友達、田島かなえって言うんだけれど……この子、出会い系をやっているみたいなの」

 聞き慣れない言葉に、陽は首を傾げます。

「知らない? 出会いを求めている人同士が知り合えるサイトなんだけれど」

「出会いを求めている人同士が知り合えるなら、いいんじゃないの?」

「でも、その目的の大半は男女の関係になりたいってことだから」

「あ! 男女だけ? 友達としての出会いじゃないの?」

「ない、とは言わないけれど……。でも、少なくとも、かなえちゃんがやっているのは男女の出会いを求めるサイトだね」

「それって、危なくないの?」

「わからない。でも、高校生が手を出していいものとは、私は思わないよ」

「どうして、そんなものに……?」

「かなえちゃんね、会った時から『彼氏が欲しい』って言っていたからね。高校生になったらすぐに作るんだって思っていたんだって。だから共学にしたみたいなんだけれど……引っ込み思案なのかな。男子と話すこともあまりできなくて」

「それで、出会い系?」

「うん。ちょっと心配だよね」

「……そうだね」

 その時、降車駅を知らせるアナウンスが車内に鳴り響きました。陽は、少しの不安とともに電車を降り、手を振りながら美菜子ちゃんと別れると、陽の通う高校に向かうバスに乗り込んだのでした。

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