ヘルマンの誤解
エルフの女…ヴェクストリアスは赤面しつつ手のひらをドラゴンに向けながら上位精霊の力を練っていく。
彼女は巨大生物が何やら力を溜めていることを察知し、全力で迎え撃とうと姿を現したのだ。
彼女は姿を隠すために精霊の力を行使していると、それとは事なる系統の精霊を全力で行使出来ないのである。
(…し、仕方ないとは…いえッ。は、恥ずかしい…!)
彼女が赤面しているのは、ヘルマンに全裸全身網タイツ姿を見られているためだ。
このような昼間に何という露わな格好を晒しているのか。
顔は覆面で隠しているとはいえ、異性に己が秘部からナニまで全部見せてしまっている羞恥心のせいなのだ。
(み、見られてる…ッ。ぜ、全部ッ。いや、集中するんだ! ジエラ様に万一の事があってならない!)
主人であるジエラを護るために、全力を出すために姿隠しの術を解除したのだ。
今更、男に全裸を全身余すところなく見られたところで、後悔などあるはずがないのだ。
ドラゴンは体内の魔力を練り上げるのに苦労している。
ヴェクストリアスは羞恥心を堪えながら上位精霊の行使に集中している。
両者の攻撃が同時に完成したのは偶然だったのかも知れない。
そして。
ドラゴンの大アギトの輝きが最大限に近づくと共に、ヴェクストリアスの手から巨大な水塊が顕れ、それはドラゴンの大アギトに向かって迸る!
そのままドラゴンの口腔内を水塊で埋めると、一呼吸置いてドラゴンは「ゴバッ!」と大量の水を吐いたのだ。
まるでドラゴンの体内の全てが水で埋まり、行き場を無くした水が口から溢れ出たかのようだ。
(お、おのれ……)
ズズゥゥゥン
ドラゴンは、ゆっくりと、力なく横倒しになる。
ドラゴンは体内を炎の精霊で荒らされていた。
そこに更に水の上位精霊の力が流し込まれたのだ。
相反する精霊が猛威を振るう事によって、ドラゴンはついに斃れる事となった。
無論、炎の吐息も消え失せている。
ドラゴンの目論見は外れた。
起死回生の一撃のつもりで練り上げた魔力は霧散してしまった。
少なくない魔力を無駄にしたことで、体内を暴れる精霊は更に猛威を振るう。
ドラゴンは力尽きて動けない。
ヘルマンはドラゴンが倒れた事を好機と捉え、今まで攻撃出来なかった箇所への攻撃を始める。
ヘルマンの剣は鱗を破壊し、更には肉を削り続けた。
抵抗出来ず、動けないドラゴンにとって、もはや一方的な蹂躙。
ドラゴンは浅くない傷が増えるたびに血と魔力を失っていく。
バキィィィッン!
ドラゴンの大アギトが裂け、牙が弾け飛んだ。
かつてニンゲンを食い殺してきた恐るべき牙が破壊されたのだ。
(……何故だ…)
ドラゴンは自問する。
身体を完膚なきまで破壊されていなければ、鱗が万全であれば、体内を精霊が暴れていなければ…!
(…ニンゲン如きに…我が……)
ヘルマンはドラゴンの頭上で大剣をジゲン流の『トンボの型』に構える。
右手に剣を持ち、それを振り上げる。左手を添え、肱を胸の前に固定する。そして剣を握る手と脇を渾身の力で締め上げる。
ドラゴンは数百年にも及び、この海に君臨してきた暴君だった。
暴君はこの海の頂点とも言える存在であったが、先日黄金のオーラを纏う恐るべき存在に出逢ってしまった事で一気に凋落してしまったのだ。
(…あの存在は何だったのだ。アレにさえ出会わなければ…こんな事には…)
ドラゴンは、かつて食い殺してきたニンゲンごときに滅ぼされる屈辱から逃避するように、黄金に輝くの存在を虚空に問いかける。
だがドラゴンの問いかけなどに誰も答えてくれなかった。
ヘルマンは裂帛の気合をもって大剣を一気に振り下ろす!
「ぬおぉぉりゃあぁぁァッッ!!」
バギンッ! ゴギャァッ! ベキベキッッ!
ズドォン!
「GGGIIIAAYYAAAaaaa……ッッ!?」
ヘルマンの渾身の打ち下ろし!
ドラゴンの鱗、そして頭蓋は破壊される!
ドラゴンはヘルマンの大剣を脳天に受け、悲鳴のような大音声、いや断末魔と共に、遂に絶命したのだった
・
・
「…斃した…か。…むッ!?」
ヘルマンはドラゴンに深々と突き立てた剣を放置しその頭上から急ぎ降りると、ヴェクストリアスのもとへと走った。
彼女は羞恥心で精神が不安定な状態で全力で上位精霊の力を行使した結果、身体と精神に負担がかかったのか、いささかフラついているようだ。
ヘルマンは倒れそうになっている彼女を支える。
「…大丈夫か?」
「………」
ヘルマンはヴェクストリアスを見つめている。
ヴェクストリアスは何とか自分の足で立とうとしつつ、腕と手で己が胸と股間を隠すが、ヘルマンと身体が触れ合っているので動揺しているようだ。
「…助かった。俺だけではどうしようもなかった。俺はヘルマン。貴女の名は?」
「その…私…私の名は…、す、済まない! 言えないんだっ!」
「そうか。なら詮索しないが…。その姿はサギニ殿と似ているな。彼女と近しい者なのかな? 機会があれば後でサギニ殿によろしく伝えてくれ」
「え? あ、貴方はサギニ様と…?」
「ああ。サギニ殿とは共に戦った事がある。もっとも俺は未熟で彼女の足を引っ張ってばかりだったがな」
ヘルマンは爽やかに笑う。
そして彼はヴェクストリアスのニンジャ姿に対して、好奇や好色の視線を一片たりとも向けなかった。
(……ああ。この男は私を露出女ではなく、戦う者として見てくれているのだ。それに敬意を以て接してくれている)
ヴェクストリアスはヘルマンの紳士的な態度を感じて、身体を隠そうとモジモジしている事を恥じた。
そして「私はサギニ様配下のニンジャなのだ。そしてこの男…ヘルマンはサギニ様の知人。私が失礼な態度をとる事はサギニ様の恥となる」と思い直す。
ヴェクストリアスは、胸と股間を隠していた腕をほどき、さも当然のように堂々と腕を組む。
そのために彼女の豊かな胸は寄せて上げてで大変な事になっているが、ヘルマンは微塵も動揺せず、視線を彼女の胸に向けなかった。
それを見てヴェクストリアスも本来の調子を取り戻したようだ。ヘルマンに対して敬意を信頼を感じている。
そして「この男になら名乗っても良い」とまで思った。
「失礼した。私はサギニ様にお仕えするニンジャだ。名はヴェクストリアスという」
「ヴェクストリアス殿、か。貴女に感謝を」
「い、いや。貴殿の剣も中々のモノだった」
「では、また共に戦う機会があr…グハァッ!?」
ドゴォッ!
「見損なったよヘルマン!」
突如、ジエラが横からヘルマンを突き飛ばしたのだ!
「どうしてヴェクスと楽しそうにしてるの!? ボクのために死ぬって言葉はウソだったのッ!? 見損なったよヘルマンッ!」
ジエラはヘルマンが他の女性と話す事を許さないほど狭量というワケではない。
だが今回は巨大害獣を斃した後、真っ先に駆けつけてくれず、しかも他の女とカラダを寄せ合いながら(?)話している事に嫉妬に似た怒りを感じているのだ。
更にヘルマンが娼館を訪れた意図…浮気の疑いが掛け合わさり、ヘルマンへの疑惑が燃え上がったのだ。
ちなみにヘルマンは相手が男性であろうとも女性であろうとも、強い者に敬意を抱いている。
今回の場合、ドラゴンを圧倒したヴェクストリアスに感謝と敬意の言葉を述べたに過ぎない。
ガゴォッ!
バラ…バラ……パラッ
ヘルマンはセフレに突き飛ばされた勢いで、岩壁に叩きつけられてしまう。
その衝撃で岩壁は破壊され、崩れた岩塊がヘルマンを押し潰した。
セフレはヘルマンが埋まっているあたりに向かって叫ぶ!
「おかしいと思ったんだ! ボクが娼館で働いてるって知らないくせして訪ねてくるなんて! きっとボクの目が届かないのを良い事に浮気するつもりだったんでしょッ! そしてジエラと背格好が似ているからってセフレを連れ出して! エッチな事しようとしてたんでしょ! 見損なったよヘルマン!」
「あ、あの…、ジエラ様。彼は…その…」
ジエラはまるで浮気男を詰っているように喚いている。
そしてヴェクストリアスはオロオロしながらヘルマンが埋まっている辺りを不安げにチラチラ見ている。
彼女から見ても今の一撃は相当なモノだった。
ドラゴンとの戦いも疲労こそすれ、特に目立った外傷を受けなかったヘルマンだが、今では瓦礫の下で死に瀕していてもおかしくない。
「それとも…ま、ま、まさかヴェクスを買うためにローレライにやって来たの!? それでヴェクスがご指名中だからって、か、代わりにボクを!? し、信じらんない! 見損なったよヘルマン!」
ヘルマンが娼館を訪問したのは、ナキア領主のアロルドにジエラの居場所を知らされただけであり、それ以上の他意はない。
また、ジエラを連れ出したのは彼女が剣を帯びて居たからだ。
ヘルマンはセフレを娼館の用心棒だと考え、その剣術に興味を持ったに過ぎない。何処か人気のない空き地で模擬戦など出来れば面白そうだ、と考えた程度であったのだ。
「そんでもって、ヴェクスに逢えたもんだから、ボクの事はもう二の次って事!? ざ、残念だったね。ヴェクスの貞操観念は強いんだ! ぼ、ボクなら…き、ききキミが望むなら…前向きに善処する事を検討するのも吝かじゃなかったのに! 女を見る目がないんだね! 見損なったよヘルマン!」
ヴェクストリアスは小声で「人間ですが、ヘルマンになら…その…私の純潔を捧げても…♡」などと呟いているが興奮しているジエラには聞こえなかったようだ。
その後もヘルマンを見損ないまくっているジエラの叱責は続いた。
最後に「ボクの年季が明けたら改めてお仕置きだからね! しばらく頭を冷やすと良いよ!」と締めくくって、ジエラはその場を後にする。
ヴェクストリアスもヘルマンの安否が気になりはしたが、ジエラの態度からヘルマンの生命に支障がないのだろうと判断し、姿を消して娼館に帰還するのだった。
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ジエラはローレライ帰還後に楼主のヘキセンに問われる事になる。
「セフレ、アンタが非番時に男と遊ぶのは構わないよ。だが今は勤務中さね。それにどうやら昔の男と出てったって話だけど、ちゃんとその男に買われてきたんだろうね? 金貨一億は何処にあるんだい!」
「あ、あのっ。それは…」
セフレはナキアの不法滞在疑惑解消のため、年季開けまで娼館で真面目に働かねばならないのだ。
ヘルマンに買われて外出したという事にせねばならないため、少なくとも無料で逢引きしたとは言えない。
そこでジエラは「遊んできたワケじゃないです。大金なんでちょっと待ってて下さい!」と、店の中庭に一足先に移動する。
そして誰もいない事を確認した後、黄金を生み出す神の秘宝…『黄金の指輪』の力を発動させる。
「…まさかこんなふうに使うコトになるなんて…。…金貨一億なんて分からないから、インパクト重視で…!」
セフレはいつもの買い出しに使っている買い物籠に金塊を満載にしてみた。
そしてヘキセンたちの前にデン、と置いてみる。
「「「…………」」」
ヘキセン、そして娼婦たちは息を呑む。
大所帯のための買い物籠である。それなりの容量であり、そこに満載した金塊は相当の重量だろう。それをセフレが女の細腕で持って来たのだから違和感しかないのだが、金塊の輝きに圧倒されて皆それに気づいていない。
「せ、戦士さまったら、ボクのご奉仕に感動しちゃったらしくて、こんなに払ってくれたんですよ!」
「「「………」」」
「き、金貨一億には足りないかな…とは思いますけど、彼を繋ぎ留めるためにも、ここは出血大サービス♡ってコトで9割引…いやもっとかな? しちゃいました!」
「「「………」」」
「明日以降も戦士様とバンバン励みますから! 本気で尽くしまくって浮気なんて絶対にさせませんから! その度に毎回コレくらいの金塊を持ち帰りますから! ボクが真面目にお仕事をこなしているって事にして下さい!」
その後もセフレは毎日の買い物の帰りに同じ量の金塊を持ち帰った。
そして毎回のように「今日も先日の戦士さまに捕まっちゃって、そのままの流れですっごいコトしてきちゃいました♡ ボクの戦士様は絶倫で無尽蔵なんです♡」などと説明する事になる。
しかもセフレはヘキセンに良い顔したいあまり、用意した金塊を全て彼女の取り分として捧げた。
結果、魔術師でもあるヘキセンの悲願・『精魔術』が完成に近づく事になる。
研究の主要な材料である黄金の不足が原因で研究が滞っていたのであるが、それが解消された事で唯一の懸念がなくなったのだ。
「ヒィッヒッヒッヒ! 良い子だよセフレ。その男を絶対に離すんじゃないヨ!」
「はい! 彼の(身も心も魂も)全てはボクのものですから!」
「ヒィッヒッヒッヒ! (財産)全てかい。頼もしいねぇ…!」




