ヘルマンと巨大生物
◇◇◇
ヘルマンの指図に従い、ジエラは少年…テオドールのもとに向かう。
テオドールは伯爵公子だ。
さすがに怪我をさせるわけにはいかない。
しかしテオドールは「あわわわ」と泡を吹いて気絶していた。
身分高い彼が、このような寂れた海辺にいた理由。
それは彼の想い人であるベルフィが娼館堕ちした事に人生を悲観し、誰もいない海岸で黄昏ていたのだ。
「…抱えて離れるのも面倒だし、ここで待機していればいいか。何か飛んできたら弾き飛ばせば良いしね」
ジエラはテオドールの側でヘルマンの戦いを眺める事にした。
「むんッ!」
「GOAAAA!!」
ザギンッ
巨大生物はヘルマンを押し潰そうと動いている。
ヘルマンは巨大生物の動きを掻い潜り、太く短い脚に一撃を加える。
基本的にこの繰り返しなのだが、ヘルマンの剣撃を以てしても効いているのかいないのか分からない。
巨大生物が大きすぎるのだ。
確実に脚の鱗が傷つき、剥がれているのだが、巨大生物の動きに変化はない。
いや、正確にはジワジワと動きが鈍くなっている。
確実に巨大生物の体力と生命が時間と共に削られているのだ。
しかし巨大生物の生命を削っているのはヘルマンの剣ではない。
巨大生物の体内で猛威を振るっている精霊によって、巨大生物は死に近づいているのだ。
この巨大生物はかつてベルフィを喰らおうとし、逆に返り討ちにされた存在。
その結果、魔力の大部分は失われている。
失った鱗をなけなしの魔力で補修したが、強度は本来の状態とは程遠い。まるでハリボテとも言える状態で海の底で静養していた。
ところが精霊王の怒りに触れた事で体内が精霊で荒らされ、更に海岸に打ち上げられていたのだ。
巨大生物は動く事すら体力と魔力の無駄と考え、その温存と回復、そして精霊への抵抗に努めていたのだ。
しかしジエラの照れ隠しで生命の危機を感じ、辛うじての抵抗を試みているのである。
巨大生物の本来の動きならば、既にヘルマンは挽肉にされていたはずだ。
巨大生物の本来の鱗ならば、ヘルマンの剣を以てしても傷一つつかないだろう。
しかし、巨大生物の緩慢な動きはヘルマンを捉えることはできず、ヘルマンの剣は確実に鱗を削っている。巨大生物は破壊された鱗を修復する事も出来ない。
「…う〜ん。このままいけばヘルマンは負けないだろうけど、なんだかいたぶっているようで可哀想だなぁ。ボクなら一瞬で退治できるけど、ヘルマンの思いも汲んであげないと」
ジエラは巨大生物が哀れに思えてきた。
なるほど、こんな悍ましい外見をした巨大生物は害獣に違いないだろう。
だが害獣といえども退治するときは苦しまずに退治すべきだ、とも思う。
同時にヘルマンの修行の機会の妨げをするワケにはいかない。
更にヘルマンが「お前は俺が守る!」と言ってくれた手前、ヘルマンの戦いを見守る必要も感じていた。
すると。
「ジエラ様! ヴェクストリアス、只今参上致しましたっ!」
ジエラの側にサギニ配下のニンジャ・ヴェクストリアスが現れた。
彼女は娼婦としてのエナメルビスチェ姿ではなく、全裸網タイツのニンジャスタイルである。
顔は覆面で隠しているが、大切な部分が◯っこう仮面ばりに丸見えな仕様だ。
まだ昼日中であるため、精霊の力で光を操作し、己の姿を消す事でジエラの後を追って来たらしい。
「ヴェクス。わざわざ来てくれたの?」
ヴェクストリアスはジエラからはヴェクスと呼ばれていた。
「はッ。サギニ様にはジエラ様の護衛を任されておりましたが、予約客のせいで遅れてしまい申し訳ございません」
「大丈夫だよ。…ところでアレは何? 知ってる?」
「……」
ヴェクストリアスは巨大生物を眺める。
「確証はありませんが…。ナキアの海にはドラゴンが棲むと聞き及んでおります。おそらくは…ドラゴンかと」
「えッ!?」
ジエラはヴェクストリアスの言葉を疑う。
何故なら彼女の記憶…とは言っても生前の漫画等の記憶だが…ドラゴンとは『恐竜と翼竜が掛け合わさって、更に格好良いフォルムをしている』という先入観があったのだ。
オオサンショウウオのようなずんぐりむっくりした外見の何かが巨大化した生物…しかも今にも倒れそうな生物がドラゴンと言われても信じられなかった。
「まさか〜。あんなに弱そうなのに?」
「…確かにそうですね。噂に聞くドラゴンは数百年の間、英雄や軍を退けたと聞いております。アレでは時間を掛ければ数を頼みに押し潰せるでしょう」
「だよね!」
「おそらく単なる巨大な害獣でしょう。もしかすると噂に聞くドラゴンの正体がアレだったのかも知れません。先人たちのドラゴンに対する恐怖が噂となり、長い時間を経て事実を捻じ曲げたのではないでしょうか」
「なるほど。幽霊の正体見たりってやつか…」
ジエラは「あんな弱くてカッコ悪いドラゴンモドキを退治するのに拘らない方が良いかな」と思い直す。
「私ならばニンジャとなった時に上位精霊と契約しております。その力を振るえば容易に滅ぼせると思います。…あの男に加勢しますか。…もちろん…その…姿を隠してですが…」
「いや。あっさり斃しちゃったらヘルマンの修行にならない。キミは…そうだね、あのヒト…ヘルマンの剣が届かないあたりを狙って精霊魔術で攻撃して欲しいんだ。…そうだ、キミも精霊魔術攻撃の練習をしたら良いよ。あんなに的が大きいんだ。威力を抑えて精度を優先にね」
「承知しました!」
ジエラは巨大生物をいたぶる罪悪感よりも、ヘルマンの修行を優先する事にした。
ヴェクストリアスも巨大生物から一定の距離を取りながら中空を跳ねる。
ジエラに精霊魔術の出力を絞るように提案されたが、姿を隠しながらの戦いの場合、上位精霊を制御仕切れない。自ずと下位から中位精霊魔術程度の威力の攻撃魔術を巨大生物に当て続ける事となった。
「GYAAAAAAOOOOOOッッ!?」
巨大生物は四肢と腹をヘルマンに斬られ続け、背をヴェクストリアスの精霊魔術攻撃に晒されながら、ジワジワと滅びに向かう。
巨大生物…いや、永きにわたりナキア近海を恐怖に陥れたドラゴンはその理不尽さに怒り、恐怖し、嘆く。
(何故だ! ニンゲンなど我が戯れに殺す塵芥のはず! 何故、ゴミ如きが我を追い詰める!? 我は無数のゴミを殺しただけではないか! 何故我がこのような目に遭わねばねらぬ!!?)
ドラゴンは人間の時間でいう数百年の年月にわたり、この海を縄張りにしてきた。
また、ドラゴンは魔力を糧とするために他の下等生物のように飲食を必要としない。
己こそが強者であるという自負から、人間などの身の程知らず供を屠り、喰い殺してきた。
しかし先日、ベルフィに鱗を奪われ、身体を砕かれてしまい瀕死の重傷を負った。
九死に一生を得たのを幸いとして海底にて回復に努めていると、突如、体内を精霊が荒れ狂い始め。身体を内部から破壊し始めたのだ。
おまけに強力な海流によって強制的に浜辺に打ち上げられてしまった。
ドラゴンは一連の出来事に対処するのに手一杯であった。
同時に理不尽な状況に憤慨しながら、精霊への抵抗と、魔力と体力の回復のために活動を休止して眠っていたのだ。
そんな時、唐突に恐るべき膂力の打撃を受け、無理やり目覚めさせられたのだ。
彼は怒りを覚え、目の前の人間を腹いせに殺そうとしたのだ。
人間の悲鳴を聞けば、少しばかりは気が晴れる。
それだけの理由だった。
だが、結果としてヘルマンに窮地に追い込まれることになった。
ドラゴンは体内の異常が原因で満足に動くことも叶わない。
しかし、このままでは人間如きに滅ぼされてしまうだろう。
そのような恥辱を受け入れるわけにはいかない。
滅ぼされる前に人間を殺してくれよう。
ドラゴンはそう考えた時、離れたところに人間のメス…ジエラが佇んでいるのに気付いた。
メスを殺せば、煩わしいヘルマンも気を取られるだろう。
何より、ドラゴンは人間の悲鳴が聞きたかった。
だがメスは離れた距離にいる。
攻撃しようとすれば炎の吐息でないと届かない。
吐息は強力だが、無論、必中ではない。
そのため、今の魔力不足の状況では躱されるリスクのある攻撃は逡巡された。
魔力の無駄遣いは死を早めるだけである。
しかし、大人しそうに佇むメスであれば万が一にも躱される事はあるまい。
オスがメスを助けに動くようなら二人まとめて焼き殺すことが可能。
オスがメスを見放すようなら、ブレスを中止して別の手段を考えよう。
とにかく、今の状況を変えねばならない。
煩い人間を殺せば、精霊への対応に集中できる。
耐え忍べば、いずれ解放されるだろう。
ドラゴンは決断する。
体内の魔力を振り絞り、人間のメス対して炎の吐息を喰らわそうとその大アギトを拡げる。
「GAAAaaa……ッ!!」
「むうっ!?」
ヘルマンはドラゴンの喉奥に炎が揺らめくのを見てとった。
そして大アギトはセフレと少年を向いている。
炎の吐息などヘルマンは知識として知らないが、それでもドラゴンが何らかの手段で彼らを攻撃しようとしているのではないかと悟った。
だが。
「くッ! ヤツの口をどうにか…」
ドラゴンは巨大であり、口もそれなりに高い位置にある。
ヘルマンも巨漢ではあるが、ドラゴンの大アギトに剣が届かない。
また、ドラゴンの脚を攻撃しても倒れないのだ。
当然、ヘルマンが盾になる事も出来ない。
その時である。
ヘルマンの視界の側に女…エルフの女が出現した。




