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とある庭師

よろしくお願いします。


男が夜の街を歩いている。


男は何処にでもいそうな…言い換えればすれ違っても記憶に残りそうにない服を着ている。


それなりにくたびれた恰好はどことなく薄汚れているような、それでいてよく洗ってもこれ以上汚れは落ちないだろう程度の、他人も不快に思わない程度の清潔感。


まあ、この街…ナキア伯都では大部分の者がこんな恰好だ。



男の名はエリックという。


彼の出身はハージェス侯国。

元々は凄腕の冒険者であったが、仲間内のトラブルで冒険者を続けられなくなり、食うに困っていたところをハージェス侯爵に拾われた男である。

しかし、彼は二度と武器を持つことなく、武器の代わりに剪定道具を手にして、ハージェス侯爵邸の庭師(・・)として第二の人生を歩む事となった。


…という経歴(・・)だ。


時折、お偉いさんのお使いとやらでフラリと外出することがあったものの、勤務態度は極めて真面目であり、また使用人の間で波風を立てない事から、良くも悪くも皆の興味に残らない男であった。


使用人の間での評価は「いい人」の一言に尽きる男である。


そんなエリックだが、侯国の姫であるスザンナがナキア伯国に嫁ぐことに伴い、ハージェス侯爵の命令でナキア伯国に移籍した。


ナキア伯国での仕事も前と変わらず庭師(・・)であった。



庭師の仕事は忙しい。

庭園を管理し、その見栄えを維持するのは並大抵の労働ではない。

その仕事内容は多岐にわたるが、特にエリックに任されるのは、


伸び過ぎた枝(・・・・・・)の剪定。

()むしり。

そして害虫(・・)駆除。


であった。




今夜も伯爵夫人スザンナの平穏を妨げる害虫(・・)を駆除を行うべく、夜の街を歩いている。



ヒタヒタ…。


薄暗い路をエリックは危なげなく歩く。


街灯などというものはない。


家々の窓から漏れる灯もランプやロウソク程度であるので、今夜のような満月の夜ならかえって月明かりの方がより明るいくらいだ。



しかしエリックは月明かりから逃げる様に、月光の及ばない建物の影を選んで歩いている。



時折、巡回する衛兵を見かけるものの、誰もエリックに気づかな…




火遁(カトン)ッ!」


ぼわぁ…ッッ!


「ッッ!??」


何処からか女の声が聞こえた次の瞬間、突如、エリックの目前に火柱が立った。

咄嗟の出来事に驚くエリック。

しかしエリックは名うての庭師である。

驚いただけで平静を失った訳ではない。

瞬時に跳びのき、状況を把握しようとする。

しかし、火柱はまるで生きているかのように上下左右に細い火炎を放ち、エリックを逃すまいと炎の触手を伸ばしてくる。



「…クッ!?」



エリックは持ち前の身体能力を駆使して、建物を盾に炎の触手から逃げる。

何者かは分からないが、敵がエリックを害そうとしている。

エリックは害虫駆除を前に、このような強敵と(まみ)えるなど想像もしていなかった。

しかし敵はどうやら炎の魔術を得意とするようだ。

一先ず街の中を流れる水路に身を隠してやり過ごそうと判断し、迫り来る炎を掻い潜るようにして水路に身を投げ…



水遁(スイトン)ッ!」


ビシュッ!


「ッッ!?」



なんと、今度は水路を流れる水から投擲槍のような水が射出され、エリックに襲いかかる。

槍も一本ではなかった。

槍衾のように幾本もの水槍がエリックを貫こうと雨あられのように降ってくる!



ビシッ

「ぐ…」



水槍の一本がエリックの腕を掠め、鮮血が舞う。

しかし怯む余裕などない。


ボゴッ

ボゴッ

ボゴッ


エリックは転げ回りながら水槍を躱し、水槍はまるで弾痕のように石畳の路に穴を開ける!


しゅりゅんっ


「うおッ?」


更にエリックを捕まえようと炎の触手が唸りを上げる。

いや、エリックを捕え損ねた炎が誤って街路樹に巻きついた瞬間、木が炎に包まれたところを見ると、炎はエリックを捕まえるのではなく焼死体にするつもりなのだろう。



「な、なんだこれは…! ッ!?」



偶然にもエリックが逃げようとしている先に中空に水の塊がふよふよ・・・・と浮かんでいるのに気付く。


…アレはヤバい。


本能的にそう察したエリックは、足元の木箱を水の塊に向けて蹴り飛ばす。


ジュッ


水の塊にのまれた木箱は瞬時に溶解されてしまった!

仮に水塊に気付かずに突っ込んでいったらエリックは骨も残らずに溶かされていただろう。


迫りくる水塊をヘッドスライディングのようにギリギリで躱す。

運よく塊が盾となって炎の触手と水槍を防いでくれる。


だがそれも僅かな時間。

今度は水槍を取りこんで巨大になった水塊が、強酸の槍を射出し始めたのだ!

水槍が抉った石畳の穴の周囲が溶けている!





必死に逃げるエリックはおかしい事に気づく。


いくら夜半とはいえ、このような騒ぎで誰も起きだして来ない。

夜間巡回の衛兵も現れないとは…?


炎と水から逃げる彼は咄嗟に足元の石を拾い、そのままガラス窓に投げつける。

しかし石は窓ガラスに届く前に失速して地面に落ちてしまった。


そして再び何処からともなく女の声が聞こえる。



「…狙いは良かったですが、あらかじめ風遁(フウトン)闇遁(アントン)を展開しておきました」


「フウトン…アントンだと?」



エリックは魔術師ではない。

しかし庭師としての活動に際して、遭遇するであろう魔術を一通り学んできたはずなのだが、フウトンやアントンなどという魔術は聞いたことがなかった。

しかし、彼の知らない未知の魔術が、投げ礫を妨げ、騒動の音を遮断し、炎の明かりを周囲に漏らさないようにしているのだろうと理解する。

無論、そのような魔術は一般的には知られてないし、存在すらしていない。彼女(・・)が勝手に『遁』を付ければ良いと思っているのだから。



身体中、炎と水による火傷と切り傷が増えてきている。

このままだと間もなく命を落とすだろう。

貴族の庭師として生命など惜しくはないが、己の仕事を途中で放棄しては庭師の名折れである。

少しでも生き残る可能性を探り、そのための抜け道をさがす。

仕事中は闇に紛れ、尋問や脅迫を行う場合を除いて極力無口を貫いていたエリックであったが、ここに来て初めて大声を張り上げた。



「一体、何故俺を殺そうとする! 俺が殺されねばならない理由があるのか! 俺が何をしたと言うんだ!」



…実際は侯国時代から数知れない剪定(・・)やら害虫駆除(・・・・)を行ってきたエリックだったので、心当たりは十分にあるのだが、ここは棚に上げるべきだろう。


ビタリ!

エリックの叫びが届いたのか、炎の触手と水槍がエリックを屠る寸前で停止する。



「俺はこの通り、お前に生死を握られている! 話をしようじゃないか! お前にとって用済みであったり良からぬ事をしようものなら改めて殺せば良いだろうッ!」



エリックは姿なき敵に話しかける。

上手く話に乗ってくれば、この場を逃げ切ることも可能であろうが、相手も相当な手練れである。

そう易々とこちらの思惑には乗って来ないだろうと考えていると、思いもよらない返事が返ってきた。



「……コソコソしていましたから、てっきり悪人だと…」


「……なんだと?」



エリックは思わず聞き返してしまった。

この正体不明の敵は特に理由もなくエリックを殺そうとしたらしい。

夜にコソコソと出歩いているだけという理由で。

いや、そのようなバカげた理由などあるはずがない。

きっと己を油断させる腹積もりだろう。



「…私はジエラ様の命令に従い、我らの根城周辺を見回っているだけ。街の人間が寝静まる夜更けに出歩くなど、貴方はきっと真っ当な人間ではないのでしょう。…話はそれだけですか?」


「…ちょ、ちょっと待ってくれ!」



未だにエリックを殺害しようと水と炎が取り囲んでいる状況に変わりはない。


未だ敵の姿は見えない。

だが敵は『ジエラ様』とやらに仕えているらしい。


『ジエラ』


それは彼が命ぜられた『害虫』の名であるのだ!

なんと、ナキア伯国に害をなす毒婦(ジエラ)には、このように恐るべき手練れが付き従っている!



(………ここは、搦手でいくしかない)



最終的にジエラを暗殺すれば良いのだ。

まずは情報を収集し、此処を切り抜けるのが先だとエリックは考えた。



「こんな深夜までジエラ()の為に働くアンタは忠義に篤い人物のようだ。それにアンタを部下にもつジエラ様という方は、アンタに相応しく、素晴らしいお方なのだろうな! …ッ」



エリックは自分で言っておきながら失敗だと思った。

無駄死にを前にそれだけ平静を欠いていたのかもしれない。

敵が「ジエラ様の正体を探ろうとするとは危険人物だ」と判断するのは明白だと思った。



僅かな静寂の後。


エリックを取り囲む炎と水が消える。



「…失礼しました。貴方は自分の危機にあってジエラ様のすばらしさを理解しているとは、人間にしては中々の好人物のようですね。…光遁コウトン!」



謎の敵は何が何でも『(トン)』をつけたいらしい。

しかも今度の『遁』は遁走の為でも、ましてや攻撃の為でもなかった。



何らかの記念碑の上にスポットライト・・・・・・・が集まる。


そこに立つのは身体のラインを際立たせる服を着た女性。

覆面姿の彼女は全裸に全身黒の編みタイツを着込んでいる。

両腕両脚には黒い装甲のようなものを装着している。



(な、なんだアレは。痴女…?)



だがエリックの想像は事実とは異なる。

この人間界(ミズガルズ)の者は知るよしもないが、彼女はエルフではなく黒妖精デックアールヴのニンジャ。



「私の名はサギニ・クッコロ。ジエラ様にお仕えしていおりますニンジャです」



サギニは行動も恰好も言動も全然忍んでいないニンジャであった。

エリックは開いた口が塞がらなかったが、取り敢えずサギニが何か企み事をしている事はないと確信できた。

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