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間話 ブリュンヒルデの暗躍

よろしくお願いします。

見渡す限りの土地には人間を含めた生物の気配に乏しい。


夏だというのに緑の草木すら生えていない。

いや、下草程度なら散見されるが、それは丈の短い茶色く色痩せた雑草程度。


当然のことながら水源は見当たらない。

砂と砂利と石ころの混じった土地は痩せ、例え大量の人足をもってしてもこの土地を開拓することなど不可能だろう。



だがそんな不毛の土地の中に、生命力に溢れた緑の森…いやオアシスが存在していた。





白鳥(・・)はそのオアシスを目指して飛んでいる。





フラフラ、ヨタヨタと力なく飛ぶ白鳥は墜落するようにオアシスに着水した。





ぱしゃんっ



大きな波紋ができあがり、やがて水面(みなも)は落ち着いたのだが、湖面からのろのろと立ち上がったのは甲冑を纏った小柄な女性。


彼女は重い脚を引きずるようにして湖畔にたどり着くと、水辺に自生していた果実にむしゃぶりつく。



「がふがふっ。うぐうぐっ。げほっ、げほっ」



空腹であったのだろう。

女性は無言で果実を食べ続ける。

勢いよく飲み込みすぎて時折咳き込んではいたものの、それでも食べるペースは衰えない。





「…はあぁぁ。やっと人心地ついた」



彼女の足元には果実の食べカスが山となっている。

そして自らの姿が水でぐっしょりであることに今更ながらに気づき、鎧を脱いで枝に引っ掛ける。

そしてあたりに誰もいない事を確認すると、そのまま下着姿になって服を乾かした。



今日も日差しが強い。

少女は木陰で涼みながら、日向に並べられた服やら鎧を眺めている。



「それにしても、こんなところにオアシスがあったなんて。これは神々の思し召しに違いないわっ」



彼女の名はブリュンヒルデ。

由緒正しい戦乙女(ヴァルキュリー)である。



先だって宿敵である妖精族(アールヴ)と一触即発となり、更にはとある戦士(ヘルマン)を巡って他の戦乙女(ジエラ)と決別した経緯がある。


あの後、ブリュンヒルデはアースガルズに帰還し、大神オーディンに進言することで正式にヘルマンの(エインヘルヤル)を回収する任務に就こうとしたのだが、あいにくとその目論見は失敗に終わっている。


何故なら戦乙女(ヴァルキュリー)は大神オーディンの命令で様々な人間界(ミズガルズ)に降臨するのであるが、帰還する際は戦士の魂(エインヘルヤル)と共に在って初めてアースガルズに帰還が叶うからだ。


そのためブリュンヒルデはあちこち飛び回り、何処か適当な戦場がないか、適当な戦士が死んでいないか探したのだが、あいにくと世は平穏で小競り合いすらも起きていなかったのである。



そのうち手持ちの食料も尽き、空腹で朦朧としながらもこのオアシスにたどり着けたのは正に幸運の賜物であった。



「…だけどのんびりしてられない。こうしている間にも愛しのヘルマン様がジエラに穢されているのだから」




⬜︎ ⬜︎ ⬜︎ ブリュンヒルデにとって都合の良い妄想 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎



「ヘルマン! どうしてボクの愛を受け入れてくれないのっ!?」


「貴女の愛…。そんなもの俺には不要だと言っている。貴女は俺を騙していたと分かった以上、貴女とは共にいる義理もない」



ヘルマンと呼ばれた男。

鍛え抜かれた鋼の肉体美。

それも見てくれの筋肉ではない。

戦う者として十二分な雰囲気を醸し出す美丈夫。


そしてヘルマンに邪険にされている女性。

美しすぎるだけが取り柄の戦乙女で名をジエラという。

彼女はかつて優秀な戦乙女(ヴァルキュリー)であったが、現在は肉欲と色欲、さらには獣欲、そして性欲の権化へと変わり果ててしまっていた。

ヘルマンはブリュンヒルデによって見出された優秀な戦士であったが、ジエラが彼を騙して連れ去ってしまったのだ。



「いい加減にしてくれ」


「ああっ」



ヘルマンは「煩わしい」とばかりに己に縋り付くジエラを乱暴に払い除ける。



「どうしてっ!? キミはボクのすっごいカラダを好きに弄んで良いんだよ!?」


「…穢らわしい。俺はそのような事を望んではいない。をれに俺は自分に相応しい女性をすでに心に決めているのだ」


「そ、それは誰なのっ!?」


「………」



ヘルマンは思い出す。

かつて出会った戦乙女を。

彼女の名はブリュンヒルデと言った。

あの時はジエラに騙されていたため彼女の聡明さ素晴らしさに気づけなかった。


どうして、あの時(・・・)あの素敵な女性(ブリュンヒルデ)を邪険にしてしまったのか。


ああ、彼女にもう一度出会えるなら、あの時の事を謝りたい。


そして彼女…ブリュンヒルデと今度こそ添い遂げるのだ。



「ブリュンヒルデ。…俺が悪かった。どうか許してほしい。そしてお前のために戦い、死んでみせよう」


「ううっ。ヘルマン…。ボクは、キミがいないと…カラダが夜泣きしちゃうのに…」



ヘルマンの目にはブリュンヒルデしか見えていない。

あとに残されたジエラは、女々しく泣き崩れるフリをする。



(…諦めない…ヘルマン。絶対にモノにしてみせるんだから…!)



狡猾なジエラは、ヘルマンとの既成事実を狙おうと虎視眈々と狙うのであった。




⬜︎ ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎



そう。

ブリュンヒルデには崇高な使命がある。

戦乙女(ヴァルキュリー)の誇りを忘れた大淫婦・ジエラから、清廉かつ清冽な戦士・ヘルマンを救い出すのだ。



「ヘルマン様…。私が必ずやお助け致します…ッ! どうか戦士としての輝きを失わないでくださいっ」



ブリュンヒルデはそう言いつつ手持ちの果実を握り締めるが、果実は砕けるわけもなくペコ(・・)と指の形にわずかに凹むのみであった。


残念ながら戦乙女であるブリュンヒルデは非力であり、護身ならともかく自ら戦う能力はない。

本来、戦乙女とは大神オーディンの命令を受け、ターゲットである戦士が戦死するように策謀を巡らしてその(エインヘルヤル)を回収するのが本分であるからだ。


故に同じく非力な戦乙女であり、更には肉欲に溺れるジエラは敵ではないだろう。

だが彼女にはブリュンヒルデたち戦乙女とは不倶戴天である(リョース)(デック)の二人の妖精(アールヴ)が付いている。

黒妖精(デックアールヴ)であるサギニは気流操作による石飛礫(いしつぶて)を得意とするようだが、彼女の主人という白妖精(リョースアールヴ)の能力は未知数である。

少なくともサギニよりは強敵に違いないが、妖精族が聞きしに勝る露出狂の痴女であるからには大したことはないだろう。

だが万が一にも戦乙女たるブリュンヒルデが妖精などに遅れをとるワケにはいかない。


とは言っても元よりブリュンヒルデは武術で戦うわけではない。

ブリュンヒルデたち戦乙女(ヴァルキュリー)にとって真の武器は己の智謀である。

己の策謀と智謀を以て人間たちを誑かし、ジエラや妖精を駆逐し、ヘルマンを迎えに行けば良いのだから。



「ヘルマン様…。私がもうすぐ貴方を戦死させてみせます。ジエラや妖精が貴方をこれ以上弄ぶのを許すわけにはいきませんからっ!」




だがブリュンヒルデは知らない。


ジエラは戦乙女(ヴァルキュリー)でありながら、生身で最強神である雷神トールに互する武人であるという事を。

オマケに『黄金のチョーカー』の特殊効果によりジエラの肉体は傷つくことはなく、更には神剣魔剣を駆使すれば、トールすら及びもつかないというチート存在なのである。


黒妖精(デックアールヴ)…サギニは制限されていた能力が開放され、更にはニンジャとしての才能に開花している事を。

戦闘能力もさることながら、彼女にかかれば如何に屈強な者でも容易に暗殺し得るのである。


そして白妖精(リョースアールヴ)…ベルフィに至っては精霊の支配者である事を。

おおよそ自然現象の括りであるならば彼女に出来ないことはない。

つまり天変地異は元より、人間界(ミズガルズ)の成り立ちから滅びまでの全ての自然現象は彼女の思うがままというバケモノ妖精なのである。





すっかり乾いた鎧を着たブリュンヒルデは、改めてヘルマン奪還の策を練ろうと考えた。


よくよく考えれば放浪癖のあるオーディンに簡単に会えるか分からない。

それに裁可を待っている間にジエラがヘルマンを腎虚させてしまうかもしれないのだ。


ならばこそ、オーディンから「ヘルマンの魂回収をブリュンヒルデに命ずる」との任務を受けるなどという大義名分を待つよりも、ヘルマンを戦死させるべく暗躍した方が効率的である。



「…さてと、この地を統べる人間に会うには、どういう口実が良いかしらね?」



会ってしまえば後はブリュンヒルデの舌先三寸で人間の領主など如何様にも言いくるめられるはずであった。



「人間の軍を以ってすればジエラや妖精などひとたまりもないに違いないわ。大丈夫、命を奪ったりはしない。私のヘルマン様を嬲り者にした報いをその身に受ければ良いのよ。ふふふ。雑兵たちの慰み者となって己が愚かさを悔いるといい…!」



するとブツブツと独り言を言うブリュンヒルデに声をかける者がいた。



「女。貴様は何者だ。余の領地であるオアシスに許可なく踏み入るとは?」



その者は豪奢な衣装に身を包む人間の男だった。


一目で身分が高そうな貴族と思われる。


ブリュンヒルデは早々に身分の高そうな人間に出会えた事に運命の女神に感謝した。



「これはこれは、大変失礼いたしました。私は旅の者でブリュンヒルデと申します。貴方様の(・・・・)オアシスがあまりに見事なものなので、つい見とれて立ち寄ってしまったのです」


「ほう。そうであったか」


「この荒野の中にあってこれ程までに見事なオアシスにお目にかかれて感動しております。……ああ、なんという事でしょう。私は旅を続けておりましたが、偉大なる人物に出会うことはありませんでした。ですが貴方様という偉大なお方に出会えたことは、まさに旅人が荒野でオアシスに巡り合ったと同じ…。まさしく天の配剤でしょう」



ブリュンヒルデは目の前の人物が偉大な人物とは考えていなかったが、とりあえず身分が高そうなので適当な事を言ってご機嫌をとってみる事にした。



「何? 余が偉大な人物だと? …それは間違いないが、初対面のお主がなぜそう思うのだ」


「はい。荒野の中にあってこれほどまでに豊かなオアシスと豊穣の土地…。これは天上の神々が貴方様の徳を讃えてお授けになったのでしょう。…つまり貴方様は神々が天恩をお与えになる程の偉大お方であるという証左であると思います」



…このオアシスは白妖精(ベルフィ)が愛するジエラの避暑のため、そしてジエラの水浴びを覗くために即席でこしらえたシロモノであり、事実神々の恩寵でもなんでもないのだが、それは知らぬが花である。

更にはこのオアシスはコーリエ伯国ではなくナキア伯国に属するのでブリュンヒルデの賛美は些か的外れであるはずなのだが、着飾った男…コーリエ伯爵、ショヴァン・アブリストスはブリュンヒルデの評を聞いて上機嫌であった。


彼はこのオアシスが発見されてから度々訪れるようになっていた。

今日も仰々しく召使いを引き連れてこの地に出向き、この見事なオアシスを眺めながらナキア伯国以上の発展を夢想していたのである。



「そうかそうか! いやいや、若さに似合わぬ中々の慧眼である! お主、旅の途中と申したな? ならば我が宮殿に立ちより、もっと面白い話を聞かせてもらいたいものだ。賢人を歓迎するのは貴族としてしかるべきである」


「ありがとうございます。ですが私は浅学菲才の身。私程度の知識が偉大なる貴族様のお役に立てますかどうか…」


「はははは!」



そしてショヴァンは改めて自己紹介をする。

ブリュンヒルデは目の前の貴族が領主であることに大げさに恐れおののき、改めて己の無礼を詫びたが、彼女の過剰な卑屈な態度はショヴァンの自尊心と虚栄心をくすぐりまくっていたので、初対面であるのにも関わらずショヴァンはさらにブリュンヒルデへの評価を上げる事となる。



「ブリュンヒルデよ、余の臣下共は思考が閉塞しておるために余の足枷となっておるのだ。どうかお主の智慧を貸してほしい。特に隣国ナキアの無能領主が驚き慄く程に、余の名声を広く知らしめるのだ」



ショヴァンは智慧者らしいブリュンヒルデからナキア伯爵を心身ともに屈服させる方策を得られるかもしれないと目論んでいた。



「ショヴァン様。既に天に愛される貴方様ならば、何を難しいことが御座いましょう」



そしてブリュンヒルデはいきなり目的の人物…この地を統べる人間に出会えたこと、そしてその人間が深みも厚みもない見栄っ張りの小人物である事に神に感謝するのであった。


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