とある悪魔
旧ハージェス侯国の中心部。
ハージェス侯都。
もはや旧ハージェス侯国は地獄もかくやと言える大地。
地獄に相応しい何かが発生しようとしていた。
誰もいない侯都の大通りを歩く人影があった。
サギニ配下のニンジャ・ヘキセンとヴェクストリアスである。
ニンジャである彼女たちはジエラとは別行動をとっている。
斥候任務としてジエラ一行の周辺の哨戒を行うためだ。
その際、旧ハージェス侯国に不穏な気配を察知したヘキセンは、ヴェクストリアスを伴って旧ハージェス侯都を訪れていた。
都はすでに何百…いや千年は経過したかのように朽ち果てている。
「…ヒィッヒッヒッヒ。こりゃあ酷い有様だ…。まるで魔界と入れ替わっちまったようじゃないか」
「そうだな。しかし自業自得というものだ」
「…ヴェクストリアス。アンタはナニが原因が知っているのかい?」
「サギニ様の御業だ」
ヴェクストリアスは語る。
ハージェス侯爵家はジエラとベルフィを害しようとしたため、サギニによって滅ぼされたのだと。
「精霊は去ったが人や家畜には影響ない。森林に住んでいた獣共々この地より逃げ出した。その森林も精霊王の御心のお陰をもって旧ハージェス侯国の外に移ったという。死んだのはハージェスの国土、そしてハージェス貴族家の連中のみだ」
「おやおや。恐ろしいねぇ。…サギニ様にもそのような御力があるのかい」
「うむ。サギニ様は精霊王とも心を通わせることが出来る御方だ」
「………」
ヘキセンは黙る。
彼女はジエラとベルフィを神かそれに近い存在だと察していたが、サギニも同類なのかと認識を改める。
そしてその神々(?)が家事や下着屋をしていた事については「神の御心は計り知れんというが、まさにその通りだ」と考えない事にした。
そして改めてジエラたちの下僕としての立場に感謝した。
「ヒィッヒッヒッヒ。まぁアタシらはニンジャとしてサギニ様がお喜びになる事をするのみさね。そうすればジエラ様方の覚えもめでたい」
「そういう事だな」
二人は異変の核心部。
かつての宮殿に来ていた。
しかし宮殿は廃墟同然。
それは勤め人や住民たちが逃げ出す際に、徹底的な略奪がなされた結果だ。
かつて華麗さを誇った大宮殿の廊下や壁、そして天井は壊され、汚れている。
都市と同じく、何百年以上も無人であったかのように思える程だ。
精霊に見放された大地にあるため、風化が激しいのだろう。
そして宮殿でもっとも豪華な場所…謁見の間と思われる場所で、何か尋常ではない力場が発生しているのをヘキセンは見逃さない。
「…こんな場所だ。魔界から良からぬ連中がチョッカイ出そうとしているのかねぇ。アタシの力でどうにかなれば良いんだけど、…ま、敵わないときは逃げるだけさね」
「貴女の魔術、そして私の上位精霊をもってしても無理か?」
「アタシも若い頃は魔界の住人を使役していたもんだがね。連中にも格の違いってもんがあるのさ。アタシらで何とかなれば良いが、そうでなければ迅速にサギニ様にお伝えするため、逃げに徹しようじゃないか」
ヘキセンは気楽に言いながら、杖をついて目的地へと向かう。
そして謁見の間にたどり着いた。
かつて侯爵が座っていたであろう豪奢な椅子。
丁度そこに禍々しい魔力が渦巻いている。
それは空間に空いた大穴のようで、まるで異なる世界と繋がっているようにも見える。
それを興味深く見物するヘキセン。
しかし油断はない。即座に大魔術を放つ準備が出来ている。
ヴェクストリアスもニンジャ刀を取り出し、上位精霊を呼び出す準備を始めた。
「…この気配。なんだか懐かしい気がするねぇ」
何か良からぬモノが顕現しようとしているのにも関わらず、ヘキセンは呑気にそんな事を言いつつ、ソレが現れるのを待った。
ヴェクストリアスは、かつて経験した事のない気配に、緊張を高めていく。
やがて。
魔力の奔流が収まり、そしてそこに人影が現れた。
いや、人影と言って良いか不明だ。
何故ならその者が放つ雰囲気は、ニンゲンのそれとはまるで異なる。
「…ふう。何て心地いいの。精霊の影響が失せているなんて素晴らしいわ」
バサリと翼を翻し、ウウンと伸びをする人影。
それは全裸の美女だった。
いや、只の美女ではない。
背中からはコウモリに似た大きな翼が生えており、小さな角が生えている。
手足の指の爪は長く研がれている。
人間の犬歯と比べて大きな歯…牙が口元から覗いている。
そして美女のもつ妖艶な雰囲気は、あらゆる意味で尋常なモノではない。
その肢体の豊かな乳房と尻は、男を弄ぶ事に特化したかのよう。
人間の男が彼女を見たら、恐怖よりも先にその妖艶さに股間を膨らませてしまうだろう。
その美女は悪魔だった。
そんな女悪魔を眺めているヘキセンたち。
そして女悪魔もヘキセンたちに気づいた。
女悪魔が声をかける。
「…こんな所に人間の老婆?エルフ? 若い男なら相手してやっても良かったけど……」
女悪魔はそこまで言って沈黙してしまう。
そして彼女はヘキセンをまじまじと見る。
彼女は「この魔力…。何か覚えがあるわ」とブツブツ呟く。
そしてヘキセンは口を開く。
「久しぶりじゃないか淫魔王。いや、カトリーヌ。アタシが辺境に追放されて以来だねぇ」
その声を受けて淫魔王と呼ばれた存在は瞠目する。
そしてガタガタ震えだした。
「ま、ま、まさか…この魔力は…ヘキセン。貴女様はヘキセン・トリスメギストス…様?」
「ヒィッヒッヒッヒ! いかにも此の身は〝三倍偉大″さね。元気そうじゃないかカトリーヌ」
その言葉にヴェクストリアスの緊張も緩む。
どうやら目の前の大悪魔に敵対しなくて済みそうだ。
彼女自身、悪魔に上位精霊魔術が効果的なのか未知数であったため、仮に撤退する場合に無事にサギニに情報を持ち帰られるかが不安だったのだ。
「ヘキセンの縁者らしいな。私はヴェクストリアスだ」
「これはこれは。ヘキセン様のお仲間なら、私にとっても主筋。私はカトリーヌの名を与えられし淫魔王でございます。どうかお見知りおきを」
・
・
思いもよらぬ旧知との再会にニタリと笑うヘキセン。
ヘキセンは悠久の時を生きる大魔女だ。
かつての魔術が栄華を極めた古代統一王国において〝三倍偉大″と称されたヘキセン。
そんな彼女はかつて若かりし頃、研究助手として悪魔を何体か使役していた事がある。
カトリーヌと呼ばれたサキュバスロードもその一体だ。
かつてヘキセンに召喚されて隷属契約を施された当時、彼女は一介の淫魔であった。
しかしヘキセンが「私に従うのだから、それ相応の存在にしてやろう」と、彼女を魔術的に強化し〝王″の存在まで引き上げたのだ。
カトリーヌとはその時に付けられた名前である。
そして淫魔王カトリーヌは主人の命令で精魔術の材料集めのために男たちを襲い、搾精しまくった過去を持つ。
そしてヘキセンを師として魔術を学んだ弟子でもあった。
ヘキセンの姿が老婆となっていても、彼女にしてみればそれは些細な事らしい。
カトリーヌは改めてヘキセンの前に跪き、配下の礼を取った。
「…ヘキセン様におかれましては何百年ぶり…いえ千年以上となるでしょうか。かつて貴女様によって王の力を与えられ、さらに貴女様のもと魔術の研鑽に努められたことは珠玉の経験でございました…」
全裸の悪魔が老婆に跪いているのは些か滑稽な光景だが、彼女の目には忠誠心が滲み出ている。
「ま、お互い積もる話もあるかもしれないけれど、それは置いておこう。…ところでアタシはアンタを喚んでないんだけどねぇ。何処ぞの誰かに喚び出されたのかい?」
するとカトリーヌは「とんでもない」とばかりに首を振る。
「私は終生ヘキセン様にお仕えしております。他の者に膝を折るなどとんでもない事です。私は…懐かしきこの地が何やら心地よくなったようなので、つい顔を出してしまったのです」
どうやらカトリーヌという悪魔はバカンス気分で此の世界に顔を出したようだ。
「しかし、こうしてヘキセン様にお会いできるとは誠に僥倖にございます。かつてと同じように男どもの精を絞り抜きましょうか」(じゅるり)
カトリーヌは舌で唇を濡らす。
その仕草も艶かしい。
「ありがとうよ。しかし、あいにくアタシの精魔術は完成しちまったんだ。もう研究のために精液を集めてもらわなくても大丈夫さね」
「え?」
「まぁ、アンタ程の悪魔がせっかくこの世界に顕現したんだ。せっかくだからあちこち見て回るといい。そうだ。アタシの仲間と主人を紹介してやるから人間に変化しておくれ」
「え、え?」
カトリーヌは驚く。
かつて孤高の大魔女として多くの大悪魔を使役した恐るべきヘキセン。
その彼女が命題として取り組んでいた術式が完成し、更には彼女に仲間がおり、更に仕える主人がいるという。
「わかりましたヘキセン様。それにしてもヘキセン様にお仲間、そして主人とは…。まるで想像できません」
そしてカトリーヌは人間の女性に変化する。
やや耳が尖っている事以外は全く人間の美女にしか見えない。
男を籠絡し、その精を絞り抜くのに特化したかのような肢体をもった、妖艶な美女であった。
「…この姿をとるのも久しぶりです。しかし、搾精は無用と仰られても、私は淫魔として男の精を得られない事には弱ってしまいます」
そしてカトリーヌは申し訳なさそうに俯いた。
「それに第一、好き勝手してしまっては…前回と同様、人間どもに討伐されてしまうでしょう」
そう。
かつてカトリーヌはヘキセンが辺境に追放になったあと、魔術師たちによって地獄に送り返されたのだ。
だがヘキセンは苦笑する。
「まぁ、昔なら学院の魔術師たちが結集すればアンタくらいの悪魔でもなんとか対処できたかもしれないけどねぇ。最近アタシも旅を始めたんだけど、昔は掃いて捨てるほどいた魔術師が全然見当たらないんだよ。まあ竜を殺す程の魔術師がいるらしいから、少数精鋭になったってことかねぇ」
だがカトリーヌの言うように、彼女が次から次へと男共を性的に襲ってしまっては人間たちの反感を買うだろう。昔と違って討伐の危険は少ないかもしれないが、ヘキセンとしてはせっかくの昔馴染みが消えるのも忍びない。
せめて身を守る程度の手助けをすべきだろうと考えた。
「アンタは淫魔だから、身を守る魔術も攻撃魔術もヘタクソだったからねぇ。…今も基礎初級魔術くらいは使えるかい?」
「は、はい! ヘキセン様に与えられた術は全て問題なく! …ですが、ヘキセン様もご存知の通り、私は男の精を貪る悪魔なので、外部に干渉する程の魔力が決定的に不足しているのです」
「ならアタシの精魔術を分け与えてやろう」
ヘキセンはそう言うと、カトリーヌの下腹に手を当てながら常人では解読できない言葉で何事か呟いた。
すると、銀色の光がカトリーヌの下腹から染み出し、やがてハート型を模した複雑な紋様となった。
それはヘキセンの下腹に在る黄金色の『精魔淫紋』に似ているが、一回り小さい淫紋だ。
カトリーヌの白い肌に刻まれた銀色の淫紋がなんとも美しい。
「こ、これは!?」
「ああ。それがアタシの研究成果さ。アンタも知っての通り、アタシの研究は精液から魔力を精製することだった」
「は、はい」
「その研究成果がこの『精魔淫紋』さ。アンタに刻んだのは、その『従の淫紋』。この淫紋によってアンタの子宮はアタシの子宮と魔術的に結合されたんだ。アンタの子宮に注がれた精液はアタシの子宮を通じて魔力を成す事ができるから、もう魔力不足に頭を悩ます事はないよ」
「そ、そのような貴重な研究成果を…私ごとき従属悪魔に…!」
カトリーヌは感動で震えている。
そして「さっそく男を籠絡しなくては!」と息巻いている。
「そうさねぇ。アタシも丸くなった…ということかねぇ。ああ、そうだ。これから紹介する主人と仲間だけどね。ここにいるヴェクストリアスはもとより、他の女性の皆様方には絶対に敵対するんじゃないよ。特に主人の側にいる男共には手出し無用だからね」
「…他の女性? その者はどういう?」
ヘキセンはゴクリと生唾を飲み込む。
そして心底、自信なさげに語った。
「…知ろうとするでないよ。滅ぼされたくなければね」
◇◇◇
南方に向かう道すがら。
サギニの説明だと、周囲を調べているヘキセンさんとヴェクスから連絡が届いたらしいんだ。
なんでも彼女たちは精霊さんを通じて遠くからでも連絡を取り合う事ができるらしい。
それによるとヘキセンさんは昔馴染みのサキュバスと再会したんだって。
そんでもって、そのサキュバスもボクに挨拶したいみたいで連れて帰るって言うんだ。
で、でも…サキュバスって…その…エッチな悪魔さんでしょ?
ヘルマンに目をつけたら大変だよ!?
⬜︎ 妄想 ⬜︎
「あら♡ 良い男っ♡」
「ムッ。貴様何者だ! ニンゲンではないな!」
「アタシはサキュバス♡貴方を美味しく頂くアクマよ♡」
サキュバスは妖艶にヘルマンに迫る!
しかしヘルマンは体を動かす事ができない。
男はサキュバスに狙われたら身動きが取れなくなるかのようだ。
「うふふ。他の女のコト考えているでしょう? いいわ。すぐ忘れさせて、あ、げ、る♡♡」
「や、やめろ! 俺には敬愛する主人が! 大切な義妹が…!」
・
・
チュンチュン
翌朝。
「…すごく…良かったわぁ♡」
「………申し訳ありません…ジエラ様。セフレのため、他の女に惑わされないと誓った身でありながら…」
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
うわぁぁッ!!??
ダメダメ! そんな展開絶対にダメーーッ!!
ボクは野営の準備をヘルマンたちに任せて、彼らとは距離を置いてヘキセンさんと合流する事にする。




