エルランドの活躍
美少年の名はエルランド・リンドバリ。
次期ナキア伯爵である。
彼は各連邦侯爵家に挨拶回りの外遊を行なっていた。
その目的はハージェス侯爵家に代わる寄親になり得る家を探す事。そして将来、ナキア伯爵の陞爵について後押ししてくれそうな家に目星をつける事だ。
エルランドは若干14歳であるが、貴族としての立ち振る舞いや礼儀作法は十分であったので、経験豊かな補佐官の助言さえあれば父親の名代を立派に務める事ができた。
外遊の途中、とある伯国に立ち寄った時の歓迎パーティ会場にてハージェス侯国壊滅の知らせを受けた。
侯国は神の怒りに触れたのか、それとも悪魔が呪ったのか、一瞬にして滅んだという。
今まで世話になった寄親だったが、パーティーに参席した貴族たちがハージェス侯爵公子ジェロームの事を悪し様に罵るため、エルランドもそれに従わざるを得なかった。
そして本国から早馬で手紙が届いた。
それは父親であるナキア伯爵アロルド、兄であるグスタフからだった。
アロルドからの手紙は外遊を労う内容に加え、ハージェス侯爵公子ジェロームの亜人の大量誘拐事件と乱心事件の顛末。そしてヘルマンの士官話は流れ、彼はナキア伯国を旅立ったという事。更に驚くべき事にグスタフはドラゴンとの戦闘が原因で死亡したという内容だった。
グスタフからの手紙には、「出来損ないな俺とは違いお前は優秀だ。軍のことは俺がよく言い聞かせておいたから心配ない。立派な領主になれ。さらばだ」と、簡潔な内容だった。
ナキア伯国を出発したのち、母国では事件が頻発したらしい。
特にグスタフの死亡とヘルマンの出立はエルランドにとってショックだった。
帰国後、三人で今後のナキア伯国のために手を取り合おうと考えていたからだ。
しかし聡いエルランドはパーティでの噂話と、父、兄からの手紙でナキア伯国の異常な状況を理解した。
兄グスタフはエルランド派の大臣連中にとって処分されたのだ。
何故ならグスタフは悪名高いハージェス侯爵家の血を引いている。
父アロルドは、ドラゴン討伐と引き換えにグスタフが命を落としたという物語を作る事で、ナキア伯爵家の名誉を保持しようとしたのだろう。
そしてヘルマンは伯爵家の都合でドラゴン討伐の功績を伯爵家の都合で奪われ、更に〝ドラゴン討伐において、グスタフを見殺しにして生き残った″という不名誉を被ったのだ。
更に真の竜殺しが居たのでは伯国としても都合が悪いとして、ヘルマンを国外退去させたのだろう。
ヘルマンは高潔な戦士だ。
後日、「真の竜殺しは俺だ。全て伯爵家の陰謀だ」と騒ぐことはないと踏んでの事だろう。
これは全てエルランドの想像だが、おそらく的外れではないだろうと思った。
「…ごめんなさい。ヘルマンさん。このナキア伯国の一連の仕打ち…。もう…恥ずかしくてヘルマンさんに…顔向けできない…」
エルランドは最早「ジエラからヘルマンを奪おう」などと考えていられなかった。
ヘルマンを想い、独り、嘆く。
だがこれからメルカトール侯爵との面会が控えている。
メルカトール侯爵はアリアンサ連邦の全ての商会の管理を任されている侯爵家だ。
ヒト・モノ・カネを支配していると言っても過言ではない大侯爵家。
かつて食料に影響力を誇ったハージェス侯爵家は滅んでしまったため、メルカトール侯爵の影響力は更に増大している。
そんな大侯爵家に挨拶するのだ。
近い将来、父・ナキア伯と共に海洋開発などの協力を依頼するのである。
泣いてばかりではいられない。
◇
エルランドは公王都にあるメルカトール侯爵の宮殿を訪れた。
そしてここはメルカトール侯爵クラウディオ・ガンダルフィの私室。
そして。
チュンチュン
朝。
「あ、ああ…」
「クックック。実に良かったぞ。公子殿」
エルランドはキングサイズのベッドの隅で震えている。
ワイン片手にその様子を満足げに眺めるガウン姿の男は、クラウディオ本人である。
クラウディオは辣腕の商人として知られた男で、働き盛りの壮年である。
〝欲しいものは何でも手に入れる″と恐れられている。
仕事のできる男は性欲旺盛らしい。
「正室など邪魔なだけ。女は愛人で十分」という彼は現在独身であるが、多くの愛人に産ませた子が男女共に複数いる。
当初、彼は塩産業で名高いナキア伯国の公子に興味を持ち、エルランドとの公的な会談後、「俺の娘を正室にどうか」と冗談交じりで話をしていた。
プライベートの時間で酒も入っていたのだろう。
美少年との会話の最中、「そういえば、俺は男を試したことはなかった」と、エルランドを押し倒したのだ。
最初は揶揄い半分だったが、ヘルマンに開発されまくったエルランドは敏感極まりない。
面白いくらいに反応する美少年公子の未成熟な肢体。
昂奮したクラウディオは、無理やりエルランドをその毒牙にかけたのである。
「…ククク。安心するといい。俺の庇護下にあれば、連邦の商会に号令して塩の取引で伯国有利に働かせてやろう。ドラゴン討伐が成された事で塩産業も拡大するだろうし、海産物取引も大いに期待できる。そのための先行投資とすれば商会も納得するだろうからな」
勝手に話を進めるクラウディオ。
「…ぼ、僕は、ナキア伯国は…メルカトール侯爵様に後ろ盾になって欲しいとは言いましたが…こんな…こんな…こと」
「ふん。若いな」
そしてクラウディオは「俺と仲良くしていた方が良いぞ」と書類をエルランドに投げ渡す。
「こ。これは…!?」
それはナキア伯国に隣接する大荒野において隣国コーリエが大規模な農地を開発し、その出荷総額を見積もった資料だった。
それは驚くべき規模で、滅んだハージェス侯国の出荷量と照らし合わせても遜色ない。
しかも農地の支配権は各商会…つまり実質的にはメルカトール侯爵家が握っている。
それはつまりハージェス侯国の財産がメルカトール侯爵家の財産として引き継がれているに等しい。
荒野開発事業について、今までナキア伯国は蚊帳の外だった。
オアシスに別荘地を持つ貴族はナキア伯国の隆盛を快しとしない家であるため、申し合わせてナキア伯国に知らせなかった。むしろコーリエ伯国とナキア伯国の衝突を期待していたのだから。
「…商会連合としても、現状が維持されるのであれば静観する構えだった。しかし問題はあのコーリエ伯爵の存在だ。伯の気まぐれと癇癪は連邦の社交では有名だ。いつ何時、難癖をつけられてオアシス農場の管理に口を出してくるか分からん」
そしてそれを聞いたエルランドはキッと侯爵を睨みつける。
しかしながら美少年は睨むのに慣れていないのか、その仕草さえも微笑ましい限りである。
「この規模…面積は…沃野は明らかにナキア伯国領に及んでいる…。こ、侯爵様は、ナキア伯国領が勝手に開発されると知って、農場開発の資金を…!?」
「ん? 確かにナキア伯国領でコーリエ伯国が開発を行う問題はある。しかし、眉唾だがコーリエ伯国はアオシスを古代魔術で創ったという話だ。その古代魔術とやらが想定外の効果を発揮してナキア伯国領にまで肥沃の大地とした。古代魔術の魔術媒体が使い切りで今となっては手に入らないため、オアシスと肥沃の大地が全てコーリエ伯の所有である、との話だ。詭弁じみておるが実際に沃野はあるのだから無下にはできん」
そして侯爵は「古代魔術が本当かどうか分からんが、コーリエ伯の公子には龍殺しの魔術師がいるという。おそらくその者の仕業とのもっぱらの噂だ」と続けた。
「………」
呆然とするエルランドに、クラウディオは「だがな、俺が最終的に投資を承諾した理由はコレだ」と、新たに一通の文書を投げてよこした。
それはコーリエ伯爵及びコーリエ伯国高級文官一同の連名だった。
内容を要約すると、
『ナキア伯爵とは荒野開発の話がついているが、将来、ナキア伯国側が如何なる異議申し立てを起こそうとも、コーリエ伯爵が先頭に立ち、協力者たる貴族家が一丸となってナキア伯国の横暴からオアシスの権利を守る』
『オアシス開発は、コーリエ伯爵ショヴァン・アブリストスの号令により強行される。その行為の結果は全てコーリエ伯爵に帰属する。メルカトール侯爵閣下の格別の御裁可を賜りたい』
というものだった。
「………」
この文書を見たエルランドは唖然とした。
『ナキア伯爵と話がついている』とは間違いなく騙りだ。
第一、協力者という貴族が何処の家なのか明記されていない。
氏名が明らかなのはコーリエ伯爵のみ。
しかも全責任はコーリエ伯爵にあるという。
まるで何者かが「偉大なるコーリエ伯爵様。ナキア伯爵は閣下の御威光を恐れて荒野開発をお認めになりました。しかしナキア伯は無知蒙昧な忘恩の輩であり、将来は何か難癖を申し出る事もあるでしょう。その時は貴方様がナキア伯国を快しとしない多くの貴族たちを率いて彼の国を掣肘するのです。その行為は至極正当なものでございますし、その功績も全て閣下のものでございます」と、巧言令色を以てコーリエ伯爵ショヴァンを唆したかのようだ。
「………こんな、こんな文書が公式だんなて…誰も変だとは思わなかった…?」
「…公式なぁ。責任はコーリエ伯が取ると伯自らが署名までしているのだ。疑うわけにはいかんよ」
いかなる場合も全責任をコーリエ伯爵がとるという署名文書が存在する。
この文書を作った者は、まるで紛争が起こる事を期待しているように考えてならない。
その期待は実現の可能性が非常に高い。
最悪の場合を待たずして、伯爵の性格を考えると……。
エルランドは侯爵前にして自らの想像に陥っている。
侯爵はそんなエルランドの頤をつまむと、そのまま彼の涙跡ごと頰をペロリと舐め上げた。
「…俺と手を組むのだ。さすればオアシス農場が真なる所有者へと還るように運動してやろう」
「……こ、侯爵様。そうは仰っても…コーリエ伯の性格を考えますと…最悪の結果になるやも…」
そう。
土地の所有を巡り、ナキア・コーリエが衝突するかもしれない。
しかし、メルカトール侯爵はエルランドの決意を促すように話を続ける。
ビシネスパートナーが気弱では困るのだ。
ドサリ、と侯爵はエルランドをベッドに押し倒す。
「公子殿が決心するなら俺も応援させていただこう。当然だが今後もオアシス農場の管理は商会に任せてもらう。その代わり…己の領内に広大な農地があるという事実が明るみとなれば…塩産業、海洋産業、大農地を持つナキア侯国が誕生するだろうな。心配するな。反対する家があれば俺が黙らせる。その代わり…分かるな?」
「ッ!?」
エルランドは一瞬迷ったが、それは正しく一瞬の事だった。
己の身体でナキア侯国が約束されたに等しいのだから。
「………はい。全て…お任せします。侯爵さま」
エルランドとメルカトール侯は、再び互いの信頼を確かめ合うのであった。
◇◇◇
晩秋の吉日。
ナキア伯国海岸において、ドラゴン討伐記念式典が開催されようとしている。
賓客はアリアンサ連邦公王代理や各侯爵の代理を始め、錚々たる顔ぶれである。
ちなみに避暑のためナキア伯国を訪れていたゴヴァルク元帥侯爵アラガンは、糧秣不足に対応するために既に帰国していた。
マレフィキウム魔導侯爵ベルナデッドもまた、ドラゴンの死骸(素材)…主に内臓を研究するからと既に帰国しているのでここには居ない。
すでに死骸からは魔力が失われているとはいえ、研究材料としては十分魅力的である。彼はドラゴンの内臓一切を賄賂として受け取ったのだ。ちなみにガワはコーリエ伯国に譲渡される予定である。
なお、魔道侯爵は竜殺しの魔術師・テオドールと魔術談義をしたのだが、話が全く噛み合わなかったという。
そして。
「今、飛ぶ鳥を落とす勢いのナキア伯国か。素晴らしいものだな」
メルカトール侯爵クラウディオ・ガンダルフィ。
驚くべき事に侯爵本人が出席していた。
彼はナキア伯国産の塩と、新たな特産となる海産物の流通に便宜を図ると約束してくれた。
つまりメルカトール侯爵家がハージェス侯に代わりナキア伯国の新たな寄親となったのだ。
更に内々だが将来のナキア伯爵の陞爵の際にも根回しに協力してくれるという。
「侯爵閣下の後ろ盾に感謝し、我がナキア伯国に更なる発展をもたらす事をお誓い申し上げます」
「…侯爵様。これからも未熟な僕に、ご指導よろしくお願い申し上げます」
エルランド、そして彼の父ナキア伯爵アロルド・リンドバリは、他の貴族が見守る中、メルカトール侯爵に挨拶する。
かつてメルカトール侯爵は農産物の商取引においてハージェス侯と不仲であり、その関係上ナキア伯国とも疎遠であったので、蜜月ぶりを周知させるためであもった。
「いやいや、貴公も優秀な後継者をお持ちになられた。俺はエルランド殿をすっかり気に入ってしまってな。商会の販売網と資金を手にし、ナキア伯国は益々栄える事だろう。貴国の隆盛は連邦の将来に繋がる。これからも積極的に援助させていただこう」
「感謝致します侯爵閣下…!」
「ふふふ。エルランド殿は将来のナキア侯爵だ。どうだろうアロルド殿、彼をしばらく我が侯国で預かり、侯爵としての心構えを教え込みたいと思う。それに望みとあれば俺の娘たちを進呈しようではないか。なあに、正室でも側室でも構わん」
「畏れ多い、願ってもない事でございます! エルランドよ、異存などないな!?」
「はい。ご指導、よろしくお願いします。…クラウディオ様」
浮かれるアロルドは、メルカトール侯爵クラウディオが愛人を見るような目でエルランドを見ている事に気付かなかった。
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そしてコーリエ伯爵ショヴァンは『ナキア伯国の産業に今後一切野心を抱かず、また、コーリエ伯国関係者がナキア伯国領から即時撤退の契約書』にサインしたのだ。
これはドラゴンの死骸の譲渡と、衆人の中、息子テオドールがドラゴンスレイヤーとして賞賛される事で気を良くした結果であった。
侯爵を立会人としての署名だ。
もはや署名を反故するなどあり得ない。
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表向きは竜殺しの魔術師・テオドールを賞賛する式典。
その実態はナキア伯国の繁栄を祝福する式典。
そんな会場の隅にて。
エルランドが独り佇んでいた。
彼には父アロルドが寄り添っている。
「……竜殺しの功績。それはヘルマンさんにもたらされたもの。彼がいなければ今頃オアシス農場を巡ってナキア・コーリエ両国の仲はこれまで以上に険悪となっていたでしょう」
「………」
「それに、貴族の都合に振り回された兄上様が、最後にはテオドール君の引き立て役となってしまいました」
アロルドはそんなエルランドの肩を叩く。
「ヘルマン殿は最後までドラゴンなど知らぬと言ってこの国を去った。気にすることはない。それに彼を我が国に迎えると、色々と火種になりかねん」
「………」
「グスタフは…お前に利用されるなら本望だろう。思えばあれには申し訳なかった。グスタフ自身は死すほどの罪を犯していなかったが…これ程までにあっけなく死ぬとは…。…私は息子を追い詰めていたのだ」
「………」
「エルランドよ。グスタフの死を少しでも無駄にせんよう、お前が国を導かねばならん。だがお前は立派な跡取りだ。我が伯爵家が侯爵となった暁にはお前に家督を譲ろうと思う。侯爵ともなれば真にコーリエ伯国は何も口出しできまい。それまでは油断なく事にあたるのだぞ」
「はい、父上様。軍部を抑えて逝った兄上様のためにも、立派な領主となってみせます…!」
そして、エルランドは心に思い浮かべる。
優しくて偉大な戦士の笑顔。
(さようなら…。ヘルマンさん。僕はナキア伯国…いえナキア侯国を平和で豊かな国へと導いていきます。それに…)
エルランドは思い出す。
その身は既にメルカトール侯爵を受け入れてしまったのだ。
(……だから…、これでお別れです。…ヘルマンさんは、貴方の剣を必要とする人のために…)




