教練場の誓い
ヘルマンとグスタフ。
彼らは今日も鍛錬に勤しんでいる。
ヘルマンが出立するその日まで、彼らは寝食を共にしているのではないかとばかりにお互い切磋琢磨していた。
そんなある日。
とある高齢の文官が慌てた様子でグスタフとヘルマンのもとに駆け込んできた。
「ぐ、グスタフ様、お気をつけ下さい。御身に危険が迫っております…!」
「わあっはっはっは! 一体何事だ。いきなり危険だの言われても意味がわからんぞ」
その文官は内政官の中で数少ないグスタフの支持者だった。
いや、支持者というよりはグスタフが幼い頃から彼の人間性を褒め、同時に心配していた老文官である。
彼は高級内務官たちの陰謀を耳にしてしまったのだという。
グスタフに迫る危機。
それはナキア伯国の高級避暑地にある貴族住居区画での大事件が発端だ。
ハージェス侯爵公子であるジェロームが多数のエルフを拉致し、農奴として侯国に送る計画が発覚したという。
しかも彼は事が露見して焦ったのか、居合わせた貴族を口封じしようとしたのか、突如発狂してレイピアを抜いて暴れまわった。
たまたまその場に居合わせたコーリエ伯爵公子テオドールは、貴族たちを守るため、やむなくジェロームを魔術で倒したとの事だった。
「な、なんだと…。従兄弟殿。そこまで思いつめていたか…」
さしものグスタフもジェロームの凶行を笑い飛ばす事が出来ない。
凶行の果てに斃れた従兄弟の魂が、せめて安らかであるよう祈る。
だが文官の話には続きがあった。
なんと、ナキア宮殿のエルランド派の家臣たちが、グスタフを完全に排除する事を目論んでいるというのだ。
内政官たちは前々からグスタフを陥れる策謀を練っていたのだが、今回のジェロームの一件を利用するつもりだという。
つまり、「ジェロームは大量のエルフを拉致したが、これは彼の手勢だけではどうすることも出来ない。
きっと協力者がいる。それはジェロームの親しい友人にして従兄弟・グスタフに相違ない」という陰謀を明るみにするというのだ。
グスタフは既に廃嫡されており、伯爵位を戴くことは不可能となっている。
しかし依然として軍の人気が高いグスタフを彼らは恐れているようだ。
故に彼らはグスタフをジェロームの共犯者とすべく、尤もらしい証拠を準備し始めているという。
そして伯爵家から不名誉を出す訳にはいかないという理由から、でっち上げた証拠を盾にグスタフに人知れずの自害を勧めるための準備なのだという。
仮に上手く行かずとも、グスタフの支持者は激減するだろうとの目論見のようだ。
「…むむむ」
唸るグスタフに、彼の部下たちは憤る!
「何という悪辣な…!」
「おのれ文官ども! グスタフ様を廃嫡するだけに飽き足らず…!」
「こちらも軍を結集して対抗しようにも…、いや、その場合内乱にまで…!」
喧々諤々。
かつてグスタフの廃嫡された裏には内政官たちの運動があったと兵士たちは理解していた。
その時も兵士たちは憤慨したが、グスタフが「いやいや、それがナキア伯国のためになるならそれで良い! むしろ肩の荷が降りたわ。わあっはっはっは!」と笑い飛ばしたのだ。
だが、今回は違う。
エルフの大量誘拐事件の実行犯であり、更には衆人環視でのアリアンサ貴族殺害未遂事件の共犯を疑われ、最悪、死して伯爵家の名誉を守らねばならないのだ。
「…むう。近いうち、俺はこのナキア伯国から出奔するつもりだったのだがなぁ」
グスタフは誰にも聞こえないように嘆息する。
「…グスタフ様」
「ご母堂様のご実家が健在であれば…このような事には…」
兵士たちは項垂れているグスタフに同情しようにも、何と声を掛けていいか分からない。
そして文官たちはグスタフの死を望んでいるという。
しかし。
国や新伯爵のために戦場で死ぬのならともかく、陰謀によって死を強要されるのはグスタフの本意ではない!
「……グスタフ殿」
ヘルマンもグスタフの心情を慮るも、何と声をかけていいかわからない。
だが。
「わあっはっはっは!」
グスタフは笑う。
「お陰で吹っ切れたぞ! やはりコソコソと逃げ出すように出奔するのは俺の性に合わんな!」
周囲の無念を笑い飛ばす。
「やはり誰にも言わんから俺の敵がアレコレと策謀を練るのだ。俺が間違っていた!」と思い直したのだ。
「皆に言っておく! 連中の期待通り、俺は死ぬ事にするぞ! 無論、今ここで命を捨てるわけではない。俺は当てのない武者修行の旅に出ようと思う。以降、俺が何処かで野垂れ死んだとしても、何処かの戦場で果てたとしても、それはグスタフ・リンドバリではないという事を覚えておけ! 」
「おお、グスタフ様…」
「そしてこれは俺の遺言だ! 今後、お前たちに含む事があってはならん。ナキア伯国兵士は今度も俺の弟・エルランドに従い、尽くして欲しい! 決してナキア伯国を割ってはならんぞ! わあっはっはっは! 皆に黙って出奔してはこういう大切な事も言えずじまいであったわ!」
そう言うとグスタフは己の首に下げられた徽章を引き千切る!
ブチブチッ
その徽章は彼がグスタフ・リンドバリである事を証明する一品物である。
アリアンサ連邦のみならず、例え他国にあろうともグスタフの出自と身分を保証してくれる物だ。
グスタフはその徽章を無造作に地面に放り捨てると、メイスで叩き潰す!
「…俺が旅だった後、頃合いを見計らい徽章を父上殿に渡してくれ。グスタフは魔物に喰われて死んだ、コレが遺品だとでも伝えてくれれば良い。改めて皆に言おう。既に此処にいる俺はグスタフ。グスタフ・リンドバリではない! 」
「…グスタフ様…」
「わあっはっはっは! 〝様″は余計だ!」
しかしそうは言うものの、皆はグスタフにどう接したら良いか分からない。
いかにグスタフが普段から礼儀に無頓着とはいえ、突然「俺は只のグスタフだ」と言われても、主筋に対して対等など、心が理解できないのである。
しかし。
真っ先にグスタフの話に乗ったのはヘルマンであった。
「…グスタフ。お前の恰好は庶民にしては些か上等すぎるな。それに旅には道具が必要だ。これから街に行って色々揃えねばならんぞ」
「おお、それもそうだな! 旅の準備か。いやいや楽しみだな。わあっはっはっは!」
グスタフも笑う。
それを皮切りに兵士たちもグスタフに声をかける。
「…ぐ、グスタフさん。道中、水には気をつけてください!」
「わあっはっはっは! 俺の胃袋はヤワではないぞ!」
「お一人で金勘定は大丈夫ですかい? あっという間に路銀が尽きて、野垂れ死なんて事になったら目も当てられねいですぜ」
「 その時は魔物でも食うかな! わあっはっはっは!」
彼と彼直属の部下たちは肩を叩きながら別れの挨拶をしている。
皆、笑いつつも今生の別れを涙していた。
そんな彼らの輪を外から見ていたヘルマンに、先程の老文官が声をかける。
「…ヘルマン殿、幼い頃からグスタフ様は人が良すぎるのです。清濁併せ飲む事ができません。人間としては美徳ですが、上に立つ者…特に貴族としては最悪の特性。今回の事件がなくとも、いずれ国を追われた事でしょう」
「………そうなのですか。俺はグスタフ殿ほど清々しい人間には出会った事がありません」
文官はヘルマンの言葉を受けて、無言で頭を下げる。
そして話を続ける。
「…グスタフ様はこれから頼る者もおらず、天涯孤独の身になると言います。しかしかの方は裏表のないお人好しですから、不要な苦労を背負い込むのは目に見えております。しかし、ヘルマン殿のような偉大な戦士殿が気にかけていただければ、グスタフ様の支持者…いや友人として、この上なく安堵できるというもの」
そして文官は「私ではグスタフ様の力にはなれません。どうかヘルマン殿、今後、グスタフ様と関わる事があるときに、彼が困っていたらお力をお貸し願いたいのです…。どうか…!」と頭を何度も下げる。
「………」
そしてヘルマンは強い意志をもってグスタフを見つめる。
「グスタフ、 話がある…!!」
「…どうした、ヘルマン殿?」
グスタフを囲んでいた兵士たちが離れ、今度はグスタフとヘルマンを囲むようにして様子を見守る。
「……その、ヘルマン〝殿″というのはやめてくれ」
「おお、そうだな! …ヘルマンよ、これはすまなんだ! わあっはっはっは!」
そしてヘルマンは一呼吸置く。
「…グスタフよ、俺の父母は既にこの世にはいない。兄弟も、親類も……俺は…いや俺も天涯孤独という身の上だ」
「………」
「だが俺は幸運にもジエラ様に出会い、戦士としての道を照らしていただいた…。グスタフ、お前も俺とともにジエラ様に同道し、かの方の照らす武の道を極めようではないか…!」
だがグスタフは残念そうな表情をした。
「…その話は一度断ったはずだ。俺は女性に泣きつくワケにはいかん。そういう性分なのだ」
しかしヘルマンは引き下がらない。
「グスタフよ、お前は俺には無いモノを持っている。それは俺も同じ。だから俺たちはお互いに補い合ってこそ、武の高みに登る事が出来るのではないか…!?」
「……ヘルマン」
「そしてジエラ様に恥ずかしくない武人となって、己の信念のために共に戦うのだ。…グスタフよ、俺たちはジエラと共に歩む同門…いや兄弟としてジエラ様の為に…!」
「……ぐむむ」
グスタフは唸る。
そして思う。
尊敬すべき戦士・ヘルマンと、絶世の女主人・ジエラを。
グスタフは単なる馬鹿力で体力、持久力自慢な男である。
他に自慢できる特技もない。
そんな国に必要とされない自分を…目の前の戦士は…。
「……俺が必要というのか、ヘルマン。…いや…兄者」
「…ああ、弟よ、お前は俺の糧に、俺はお前の糧になろう。そして共に武の高みに登るのだ。そこにはジエラ様がお待ちになっているぞ!」
しかし、グスタフはジエラが強者と言われても、その実力を目の当たりにしたわけではなかった。
義兄であるヘルマンの言葉とはいえ、容易には信じられなかった。
「わあっはっはっは! 兄者の誘いは無下にはできん! だが俺がジエラ殿に従うか否かは、俺がこの目で確かめるとしよう!」
「うむ。それでいい。グスタフよ、ジエラ様は俺が足元に及ばぬ存在。それを身をもって知るがいい。…仮にお前がジエラ様の武を信じず、我らと同道しない事があろうとも、俺たちが兄弟なのは変わりない」
「ああ、兄者よ!」
ナキア伯国教練場。
数十名の兵士と一人の文官が見守る中、ここに二人の豪傑が義兄弟となった。
二人を取り巻く皆は、彼らの武勲と武運をひたすらに願い、只々頭を下げたのである。




