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ハージェス侯国の末路 ②


ハージェス侯国のほぼ中央。

村々から外れた僻地。

ベルフィの傅役にして、ジエラの忠実なるニンジャ・サギニが精霊と交信していた。



(……おのれハージェス侯国め…。ジエラ様の温情で生かされている分際で…あまつさえベルフィお嬢様を…! …いけない。集中せねば…)



雑念が入る度にサギニは気を取り直す。

そして思う。

イメージする。

数多の精霊がハージェス侯国を蹂躙する様を。



(…コレはジエラ様に知られてはならない。何故なら私はニンジャなのだから。ニンジャの仕事は主人の敵を人知れず闇に葬るが使命…。そして…ジエラ様が幸せになれば…きっと私をお召しに♡…ジエラ様。……ジエラ様ぁ♡)


「…ッ!?」(ブバッ)



サギニは鼻血を噴く。

己の能力を超えて精霊を行使しようとしたため、精神と肉体に負荷がかかり過ぎたためだろうか。

それともジエラとの愛欲の日々を妄想したためだろうか。




そんな事を繰り返していると…。





(…確かディードベルフィ様にお仕えする…黒妖精(デックアールヴ)殿…でしたかな?)





サギニの前に地、水、火、風の四大精霊を従えた妖精王が顕現したのである!

妖精王は立派なカイゼル髭を蓄えた偉丈夫のような半透明な姿をしている。仮にその姿を見る事が出来る者がいるとすれば、神と見紛う程の存在感を放っていた。


本来、黒妖精は体術に優れているため、精霊術の行使は比較的苦手としている者が大部分だ。

それでも上位精霊を支配下に置くのは容易であるため、人間界(ミズガルズ)での活動には全く支障がない。

だが相手が精霊王である場合は話が違う。

精霊王は人間界の自然活動を統括する王。上位精霊とは存在のレベルが桁違いなのだ。

サギニは妖精国(アールヴヘイム)の名家の血筋であるベルフィ付きであるため、他の黒妖精よりも精霊の扱いに優れている。精霊王の支配も容易ではないが困難というわけではない。

しかしここまで苦労するとは、この人間界の精霊はサギニとの相性が悪いのかも知れない。

決してジエラとの肉欲を妄想…その雑念が原因ではないと信じたいところである。



(…ようやく我が呼び掛けに応じてくれましたか)


(ふふふ。我を喚び出すのにかなり苦労した様ですな。黒妖精殿よ、そこまでして御身は何を望むのです?)


(それは…)



サギニは理由を語った。

とある人間がベルフィの尊厳を踏み躙ろうとしている事を。

だが人間の邪な陰謀がベルフィに知られては、彼女の耳が穢れてしまう。

そこで彼女に黙って災いの原因となる人間の国をこの世から消し去ろうというのだ。




(…何だと! 何だと言うのだ!? その人間共は!? 許さん…、許さんぞ人間共よ! 我が支配せしこの世界から消し去ってやろうではないか!)



精霊王の怒りに空間がビリビリ震える。

彼(?)はまるでこの人間界に住まう人間全てを消し去らんばかりの怒りのオーラを発していた。

周囲に付き従う四大精霊も怒っているが、精霊王の怒りに掻き消されているようだ。



(精霊王よ、貴方の力は私が指定する範囲に解き放って頂きたい。くれぐれも無関係な国を巻き込まないように)


(ええい面倒な!)


(全てを滅ぼしますとベルフィお嬢様が悲しまれますよ)


(…むう。そう言われても、我はクニと言われても分からんが…)


(大丈夫です。全て準備(・・)しています)




するとサギニの身体から銀色の光が迸ったのである。

その光はサギニを中心に四方八方に流れていく。

かつてサギニとヴェクストリアスが停止(・・)させたハージェス侯国の農地にマーキングしていく。

ハージェス侯国はアリアンサ連邦最大の耕作地であるため、国土の多くが農地なのである。



精霊力を失った畑。


その畑同士を繋げて()にする。


点と線を繋げて()にする。


その面とは、即ちおおよそのハージェス侯国の国土だ。




(…おお、滅ぼすべき目標はそこか!)



大精霊たちが光輝く。

サギニの周囲を精霊王、上位精霊が舞う。



(ディードベルフィ様の怨敵、即ち世界(われら)の敵!)



王たる精霊の声が轟き渡る。

そして王の喚びかけに応じた無数の上位精霊が滅びの声を輪唱する。



(二度と大地の恵みは訪れないでしょう)


(干上がるといいですわ)


(火の恵みもイラネェよな!)


(大気も澱んじゃえ!)




精霊の光が天を覆い尽くし、光は収束してハージェス侯国に降り注いだ。


しかしそれは天恵の光ではない。


ハージェス侯国からあらゆる精霊を奪い去る…いや未来永劫にわたり『精霊の呪い』をもたらす死の光だった。







ここはハージェス侯国宮殿・内政官執務室。

既に執務室には諦観が埋め尽くしていた。

空席も増えた。

内政官たちの多くは職を辞している。

侯国を見限り、他国に走った者も多い事だろう。



そもそもハージェス侯国は、農奴(ハーフエルフ)及び雇った精霊遣いによって豊作が約束された国である。


どれほど連作を行なっても土地が痩せる事はない。

新たな耕作地の開発も農機具ではなく精霊魔術。

日照りがあっても、水を喚びだすことが出来る。

大雨でも水害を防ぐことができる。


故に、こと農作物の安定生産という限りにおいて、侯国内政官の業務は精霊遣いの管理だ。

必要な地域に必要とされる精霊遣いを派遣する、いわば人材派遣業務である。

だが精霊遣いたちの精霊魔術が機能しない以上、彼らは役立たず以外の何者でもなかった。



「東方の6の村の村民が難民として他国に逃亡した模様!」

「西方の18の村も同様です。各村には猫の子一匹おりません!」

「南方の9の村は苦役と食糧難に耐えかねて暴徒化しました! しかし現在、国内に盗賊が跋扈しており、鎮圧の目処は立っておりません!」

「北方の14つの村は既に離散!」



既に死に体。


あらゆる農地は既に壊滅している。

だが『連邦の食料庫』とも言える侯国のプライドのため、今期の出荷分に関しては国中の備蓄食料をかき集め、それでも足らず商人から食料を購入して間に合わせるという暴挙。


足元を見た商人から質の悪い安価な食料を購入し、それを各村に支給した。それでも十分な量とは言い難い。


壊滅した農地の復旧、更に新たな農地を開墾しようにも精霊が働かず、開墾に必要な農機具もない。

よしんば耕作作業が上手くいったとしても、大地の精霊は沈黙しているため収穫が期待できないという。


農民に重労働を課すも失敗する結果が見えているため、かえって彼らの反抗を招いた。


農民は難民や盗賊と化し、各地に派遣した農奴は逃亡しているという。


他国から強制的に連れてこられたハーフエルフたち精霊遣いは「どうにもなりません」との報告のみ。

そのため拷問を受けているという。



「…さて、何処から手をつける…か。やはり治安か。暴徒が侯都になだれ込んでは問題だからな」



しかし侯都の物資が不足しているためか、今では住民の数も大幅に減少している。

更に衛士の数も減り、内の治安維持すらも怪しい程で、外からの襲撃を防ぐには力不足であった。



「…ふ」



侯国宰相たるマルティンは嘆息する。

宰相たる者、各責任者が己の職責を全うしているかを監視監督するのが主業務である。

侯国の危機に監視どころではなかったが、実践経験がない故に、この場はどの様な一手が有効なのか見当がつかない。



「…うん? そう言えばバリシオ殿の出仕はどうした。かの御仁はこの状況でも諦める事なく書類と格闘していたが?」



すると近習が苦しそうに報告する。



「か、閣下。バリシオ様は…昨夜…ご自害、との事です。今朝、奥方様がご報告に…」


「そう…か」



マルティンは周囲を見渡す。

この場に残っているのは無能(・・)揃いだ。

いや、平時であれば彼らは有能(・・)と言われていたかもしれないが、人材派遣業しか知らない彼らは非常時には無能なのだ。

彼らはこの非常時においては何も解決策を見出せない。

逃げ出そうにも他国では侯国の内政は通用しないため、受け入れる国などなく、今もこの場で時間を潰す程度の事しかできない。



「…ふ。無能か。私も…同じ穴の貉であるな」


マルティンはそう呟くと、執務室を後にする。





彼が向かったのは彼の主人たるハージェス侯爵の私室。


ハージェス侯爵ブルーノ・ブランデルは酷く酔っていた。



かつて紅顔の伊達男として知られた彼だが、無精髭が目立ち、服も乱れている。

その顔は酒精に犯され、宮殿よりも安酒場が似合う風貌である。



「…如何した。我が宰相よ。何か光明でも見えたか?」(キラッ?)


「いえ、全く」



ガツンッッ


ブルーノは手にした酒杯をマルティンに投げつけた。

彼の額は傷つき、ワインが顔にかかる。



「愚か者! 代わり映えのない連絡なら小僧にもできる! かような些事にかまける暇があれば、一分一秒でも知恵を絞らんか!」(キラッ!)


「………」



マルティンは微動だにしない。

無言である。


少し考えればわかるだろう。

土地が完全にやせ衰えている現状では、加えて開墾すべき労働力が皆無である現状では、地方の治安が最悪な現状では、どのような施策もなんら意味がないと。


ブルーノもマルティンも分かっているのだ。

この状況を打破するには最初に豊かな大地が必要なのだと。

土地が十分に肥えて、働けば確実に大豊作が見込めるという確約さえあれば、逃げ出した農民が戻り、治安が回復し、侯国は元の姿に戻るのだと。



だが、それは不可能なのだ。



「…ええい! 話が終わったならさっさと戻らんか! 今後、改善が見込めない以上、余の前に姿を見せるでないぞ! …むッ、な、なんだ、この光は…!?」(き、キラ!?)」


「…!?」




カアァァァ……



するとその時、宮殿の外が眩い光に包まれた。

部屋の中にいた二人も眩しくて目を開けられないほどである。





光は数秒間続いた。





「一体何事…。………ッッ!!?」



彼らが目を開くと、窓から見える景色が一変していた。

二人は窓にすがりつくようにして、食い入るように目を凝らす。




見渡す限り一面の灰色。


空は厚い雲に覆われ、陽の光も満足に届かない。


森や林、川があったはずだが、それは光と共に消え去り、ただ灰色の地面が在るのみである。


まるで地獄と入れ替わってしまったかのような光景だった。



彼らはバルコニーに出て宮殿の周囲を見渡す。



それだけでその異様な光景、雰囲気が理解できる。

出来てしまう。

全て理解出来てしまう。



この大地は何も恵みをもたらす事はない。


水は枯れ果てた。


火は灯る事はない。


風は止まり、ハージェス侯国旗が二度とはためくことはない。


ふと気がつくと、宮殿も急速に朽ちていくかのようだ。




つまり。

ハージェス侯国は死んだのだ。



「は、ははは。なんだ、なんなのだ、これはあぁぁッッ!!?」(キラァーッ!?)



ブルーノは絶叫する。



それに応じるようにマルティンは呟いた。



「…侯爵様。お覚悟を決める時期でございます」


「覚悟? …何の覚悟だ!」(キラッ!)


「冥府への同道は私めが致しますので」



バギャッ

ブルーノは酒瓶でマルティンを殴りつける。



「…ハージェス侯爵家、最後の当主(・・・・・)として国土を地獄に変えた責を…」

ガッ

さらにブルーノはマルティンを蹴りつける。



「何を狂った事を言っておる! これは余の責ではない! 自然に起こる事ではない! 忌まわしき存在が我が国を呪ったのだ! …きっと…呪い? 呪いだと!? ははっ、そうか、呪いか!」(ギラリ!)



ブルーノは口角泡を吹き飛ばしながら嗤う。



「これは亜人どもの仕業だ! 我が国の繁栄のために死んでいった亜人どもが、冥府から呪詛を寄越しているのだ!」(キラッ!)



マルティンは思う。

ハージェス侯国は国家の発展のために亜人を奴隷として差別、酷使し続けてきた。

それは侯国の人間として常識であり、当然の認識である。

仮にブルーノの言う通り、この惨状が人間に殺された亜人共の呪いだとしよう。

だが、歴代の侯爵や宰相が差別を改めなかったのだから、やはり責は逃れられないのだ。



しかし、ブルーノは吠え続ける。

見苦しい。

大邦ハージェスの当主としてあまりにも…。



「愚か者共が! 亜人なら侯国のために喜び死ぬべきなのだ! ならば報復せよ! 呪いなら呪い返すのだ! まずは役立たずのハーフエルフ共を血祭りにあげよ! それでも収まらなんだら連邦…いや大陸に巣食う亜人共を血祭りにするのだ! かの野蛮で劣った種族の血を以って我がハージェスの未来は拓けるのだ…! げあああっはっはっは! …は?」(キラ…?)




けたたましく嗤うブルーノは、不意にバルコニーから墜落した。





そしてまもなく、外の世界の異常さを報告するために侯爵の親族、臣下たちが部屋に駆けつける。



彼らは頭から血を流し、ワインを被っている宰相と、バルコニーから墜落して身体が捻れている侯爵に息をのむ。



だがマルティンは淡々と、駆けつけた者たちに告げた。



ハージェス侯爵ブルーノは、侯国荒廃の責は全て自分にあるとして立派に自害したと。


口頭だが遺言もあったという。

今まで仕えてくれた廷臣たちは、宮殿に残されたわずかな財貨を持って他国へと逃げる事。

また、親族たちには絶縁申し渡す。侯爵家の咎が及ばぬように今後ブランデルの名を名乗る事は許さぬ。ナキア伯国にいる嫡子ジェロームにもそのように伝える事。



「…以上が侯爵様の御遺言だ。ゆめゆめ疑ってはならぬ」


「さ、宰相閣下は…これからどうなさるのです?」


「…私か。妻や子供たちには申し訳ないが、私は侯爵様と共に冥府へと参ろうと思う。…私は無能な宰相であった。侯国をここまでにした責は私にもある。故に、お主たちは侯国の不始末について中央から問責があった場合、全て宰相の指示であったとせよ。公文書にもそう記すが良い」



そう言うと、侯国最後の宰相マルティンは皆が止める間もなく、バルコニーから階下へと落下していったのである。






かくしてアリアンサ連邦を構成する侯爵家の一角・ハージェス侯爵家は滅んだ。

連邦最大の穀倉地帯であったハージェス侯国は、全ての精霊に見放され、大陸の中で最悪の地獄と化したのである。



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