不穏の来訪
エニードの傍付き侍女に誰がなるかについて、侍女たちの間では壮絶な取り合いが行われているのだと、朝の支度を整えてくれたルーミアという名の侍女がエニードの髪をとかしながら口にした。
「取り合いですか」
「はい。皆、エニード様のお傍に侍りたいのです。もちろん、以前のようなふとどきな理由からではありません」
「不届き?」
「はい。大奥様がいっしゃった時代、その権力のおこぼれにあずかろうと、皆必死に、大奥様の傍に侍ろうと蹴落としあっていたのだといいます。私たちは、大奥様がいなくなったあとにクラウス様によって雇われましたので、大奥様とかかわりを持つことはなかったのですが」
「そうなのですね」
一体、クラウスの母とはどんな人なのか。
大層な浪費家で、浮気性だったとクラウスには聞いたのだが。
けれど、少なくとも同情の余地はある。
クラウスの母が浪費家になり若い男を侍らせるようになった原因は、クラウスの父の浮気だ。
物事を判断するには、原因と結果を考えることは不可欠だと、エニードは思う。
これは、フィロウズに「軽犯罪者など適当にさばいておけ、俺はセツカを信用している」と、言われているからだ。
エニードは何も考えずに量産型悪人を新兵訓練所に送っているわけではない。
一応、どの程度の罪を犯したのかについて考えて、判断しているつもりである。ざっくりと、だが。
「はい。エニード様の傍に侍りたいと願うのは、エニード様のお世話を是非させていただきたいからです。エニード様はご苦労なさっているのでしょう?」
「苦労?」
「はい。差し出がましいようですが、護衛もつけずに一人で馬に乗るご令嬢など、私たちは知りません。エニード様はお美しいですが、手は少し荒れていますし、髪も肌も手入れをあまりなさっていません。私たちはエニード様の美しさにさらに磨きをかけたいのです」
「苦労はしていませんが、ありがとうございます。私は着飾るよりも、馬に乗る方が好きで、踊るよりも狩りをする方が好きなのです。もちろん、踊りも得意ではあるのですが」
男性と踊ることは不慣れだが、一人で剣を持って踊る剣舞などはエニードに踊らせたら右に出るものはいないぐらいである。
男性役となって女性と踊ることもある。過去、エニードは騎士になるために男と自分を偽っていたので、そのあたりも抜かりなくきちんと練習をしている。
あの時代、女の騎士など一人もいなかった。エニードが騎士団に入りたいと言っても、訓練所にさえ入れてもらえなかっただろう。
男と偽り、嘘をついていたことは騎士道に反するが、何事にも不可抗力というものはある。
エニードの強さが認められてからは、実は女であったことは特に問題にはならずに、ごく自然に騎士たちに受け入れられた──と、エニードは思っている。
「まぁ、素敵です! けれど、それならよかったです。レーデン伯爵家のことを私たちはよく存じあげないのですが、ご苦労なさっているのかと勘違いをしてしまいました」
「レーデン伯爵家は今は兄が継いでいます。困窮しているわけでもなく、かといって特別豊かというわけでもありません。祖父は騎士でしたが、父は本を読むほうが好きで、兄もそうです。私は祖父に似たのです」
「そうなのですね。颯爽と馬に乗るエニード様、とても素敵でした。お爺様もとても素敵な人だったのでしょうね」
「はい。祖父のことは尊敬しています。大好きでした」
侍女たちは顔を見合わせて、それぞれ安堵したように「よかった」「よかったです」と口にした。
彼女たちは困窮していたエニードをクラウスが冷たくあしらったか、ひどいことをしたのだと思っていたらしい。
冷たくあしらわれてはいないし、ひどいこともされていない。
そう言うと、「でもクラウス様が何かしてしまったら、私たちに相談してください」「私たちはエニード様の味方です」と力強く言ってくれた。
ルトガリア家の侍女たちは、クラウスと同じで生真面目なのだろう。
雇人というのは、主に似るのだ。
まださほど関りのないエニードに親切にしてくれるのだから、ありがたい話だった。
恩には恩で報いなければいけない。
彼女たちもまた、エニードの守るべきものである。
「エニード様、ところで、豆大福というのはとても美味しかったです」
「丸くて、ふにゃりとしていて、可愛らしいのですね」
「白くて、まるで子犬のようでした」
「子犬というよりも雪うさぎかもしれません。ともかく美味しかったので、料理人に頼んでルトガリア家でも作ることができるようにいたします」
侍女たちが口々に言う。豆大福でこんなに喜んでくれるのだから、お土産を買ってきてよかった。
来週もまた何か買ってこよう。
けれど──また不在にしたら、侍女たちは不安になるのではないだろうか。
せめて侍女たちには、自分がセツカだと伝えるべきか。
ルトガリア家の侍女たちは、エニードとははじめましてであるし、セツカの顔も見たことがないだろう。
両方の顔を見ている筈なのに未だ気づく様子もないクラウスとは事情が違う。
「皆、話が──」
エニードが特に隠しているわけではない秘密を口にしようとしたとき、エニードが支度をしているドレッサーのある支度室の扉が叩かれた。
「支度中に申し訳ありません。大奥様がいらっしゃいました」
扉の向こう側から、キースの硬い声がする。
侍女たちは青ざめて小さく悲鳴をあげた。
エニードは、色々話はきいているが、はじめて会うクラウスの母親なのだからきちんと挨拶をしなくてはなと──特に慌てるわけで緊張するわけでもなく考えて、ドレッサーの前の椅子から立ちあがった。




