第224話 悔恨
スーとの波乱のデートを終えた僕は、先程の喫茶店の裏口に回った。ここで待機しておけば、キエルなら気配で僕の存在に気付くはずだ。きっと休憩時間になったら出てきてくれるだろう。
そして待つこと数十分。僕の思惑通り、裏口のドアが開いてキエルが姿を見せた。
「悪いな、わざわざ出てきてもらって」
「まったくだ。本来なら戦場においては安息など許されないのだからな」
相変わらずキエルにとってはバイトも戦場と変わらないらしい。しかし改めて見ても制服のエプロンが全く似合っていない。
「お前の方はいいのか? 連れの女がいたようだが」
「ああ。先に帰ってもらった」
「そうか。しかし以前見た女とは違う女だったな」
「うっ」
思わず息が詰まる。そういえばセレナとのデート中にもキエルと遭遇したことがあったな……。
「やはり覇王ともなると、女の一人や二人を侍らせることなど造作もないということか」
「いやこれには深いワケがあって……。そ、それよりキエルこそ、またバイトを始めたんだな。確かもうバイトをする必要はなくなったとか前に言ってなかったか?」
この話は早めに切り上げたかったので、僕は別の話題を振った。
「誰かのお節介のおかげで不本意ながら生き長らえてしまったからな。再び信念を持たざる身となった今、戦場に舞い戻って新たな信念を見出だす旅に奮励すると決めたのだ
「お節介とは人聞きが悪いな。まあバイトするのは結構だけど、七星天使としての責務はいいのか? そっちの事情はよく知らないけどさ」
覇王城で姉のユナと暮らすことになったミカと、身体が人間となったラファエは、七星天使の座を降りたも同然と言える。今や七星天使はキエル一人ということになる。
「フッ、セアル達を葬ったお前にそんな心配をされるとはな。安心しろ、上(天空の聖域)の方は新たに七星天使の座に就いた六人に任せてきた。どうにも俺には戦場の方が性に合っているらしい」
「……相変わらず自由だな、キエルは」
いっそキエルも退役すればいいのにと思ったが、キエルのことだから「それは亡きセアルの遺志を裏切る行為に他ならない」とか言いそうだ。他の六人は良い迷惑だろうけど。
「さて、前置きはもう十分だろう。早く本題に入ったらどうだ? そんな話をする為に俺を待っていたのではあるまい」
「……そうだな」
スーとのデートを打ち切ってまで僕がここに来たのは、キエルにどうしても聞いておきたいことがあったからだ。
「だけどその前に、制服のエプロンを脱いでもらっていいか? さっきから笑いを堪えるの大変なんだけど」
キエルが着ている花柄のエプロンを見ながら僕は言った。あまりにもシュールであり、もはや狙ってやってるんじゃないかとすら思える。これでは真面目に話もできない。
「どこに笑う要素がある? それに安息を取っているとはいえ、今が戦争の最中であることに変わりはない。戦場で自ら鎧を捨てる戦士がどこにいるというのだ」
「……ああそう」
説得は無駄だと感じた僕は、仕方なくこのまま話を続けることにした。
「僕がアンタに聞きたいのは、エリトラのことだ」
予想外の発言だったのか、目を見開くキエル。
「幻獣との戦いから一ヶ月が経つけど、アイツの行方は分からないままだ。エリトラと二度戦ったアンタに聞けば、居場所の手掛かりくらいは得られるんじゃないかと思ってな。エリトラについて何か知っていることがあったら教えてほしい」
無論、居場所の手掛かりなど建前だ。こちらから捜さずとも、いずれ奴とは相見える時が来るだろう。
だが僕は奴に関して知らないことがあまりにも多く、そんな状態で決着をつけることは僕の本意ではない。だからその前に、少しでも奴のことを知っておく必要があると思ったのだ。それが曲がりなりにも奴を支配下に置いていた者としての、最低限の責務だ。
「逆に聞くが、お前はエリトラに関してどこまで知っている?」
「奴が人間であること。そして人間に計り知れない恨みを抱いていることくらいだ」
エリトラが僕に反旗を翻したことは敢えて伏せた。キエルはあまり驚いた様子はなく、腕を組んで息をつく。
「なるほど。既にそこまで知っていたか……」
この言い方だと、どうやらキエルも知っていたようだ。だがエリトラが人間に恨みを抱く理由までは分からない。そしてその理由こそが、僕が最も知りたいことでもある。キエルは何か知っているのか……?
短い沈黙の後、キエルは静かに口を開いた。
「手掛かりになるかは分からんが……。今から七年前、俺は奴と会ったことがある」
「! 七年前に……!?」
「七年前、七星天使によって一つの村が滅ぼされた。その村はメルエス村といった。エリトラは、その時の唯一の生き残りだ」
「七星天使が、村を……!?」
新たに判明した事実に、僕は驚きを隠せなかった。
「キエルも当時は七星天使だったんだよな? 何故そんな真似を……」
「……さあな。俺はメルエス村の事件に直接関わったわけではない。だが、それを止められなかったことは今でも悔やんでいる」
キエルの拳が僅かに震えている。一体何故そのような事件が起きたのか。そしてその事件の裏で何があったのか……。
「だけどそれは、エリトラが人間を恨む理由にはならないはずだ。天使を恨むなら分かるけども……」
「俺にも分からん。まあ、そこから先のことは自分で調べるんだな。正直、当時のことはあまり思い出したくないんだ」
珍しく覇気のない声でキエルは言った。キエルのような男でも忘れたい過去の一つや二つはあるらしい。今はその事件の詳細にまで踏み込むのはやめておこう。
「エリトラについて俺が知っていることはそれくらいだ。メルエス村に行ってみれば、他にも得られることはあるかもな」
そう言って、キエルは僕に背を向ける。
「そろそろ安息の時間は終わりだ。俺は戦場に戻る」
「……分かった。ありがとうキエル」
「フッ、礼を言われるほどのことではない。達者でな」
キエルは店の中へと姿を消した。さて、僕もサーシャのアジトに戻るとするか。すっかり暗くなった空の下を、僕はゆっくりと歩く。
「メルエス村、か……」




