第148話 サーシャの弱点
『邪竜の洞窟』から抜け出たサーシャは、すぐさま斜め上空を飛行するガブリの姿を捕捉した。まだ十分に追いつける距離である。
「逃がすか……!」
サーシャはほぼトップスピードでガブリを追駆する。しかし思いの外あっさり追いつくことができ、程なくしてガブリはサーシャの攻撃圏内に入った。
一方のガブリはそんなことを気に留める様子もなく、サーシャの方を振り返ることすらせず愚直に飛び続けている。不可解に思うサーシャだが、このチャンスを逃す手はない。この距離なら確実に仕留めることができる。
「呪文【星龍の――」
その時サーシャはある異変を察知し、呪文の詠唱を中断した。その異変とは、目の前を飛行しているガブリの〝気配〟だった。先程まで闘っていたガブリの気配と微妙に違う。つまりあれはガブリであってガブリではない。
「呪文【月光砲】!!」
次の瞬間、サーシャの〝背後〟で光のレーザーが射出された。すかさずサーシャは横に回避し、辛うじて直撃を免れた。
「ンッフッフッフ。よく避けたなぁ、大したもんだ」
サーシャが振り返ると、その視線の先には〝もう一人の〟ガブリの姿があった。あれこそ紛れもなく本物のガブリである。
「……呪文で貴様をもう一人増やしたのか」
「大・正・解~! 俺の【月影分身】の力でなぁ。人間共の魂を狩ってた時この呪文には随分お世話になったもんだ」
サーシャを挟んで二人のガブリが口の端を歪める。しかしサーシャが狼狽える様子はなく、むしろ余裕の笑みを浮かべてみせた。
「【死者乱舞】に【月影分身】……。それだけ強力な呪文を連続で発動したとあっては、貴様のMPはほとんど残っていないのではないか?」
「ンッフフ、確かにな。この通り【月影分身】で生成できる分身も一体が限界ってところだ」
ガブリは偽ることなくそう答え、更に言葉を続ける。
「ところでよぉ、一つオメーの弱点を見つけちまったかもしれねーんだが、発表しちゃっていいかぁ?」
「……私の弱点だと? 面白い、言ってみろ」
「なら遠慮なく。オメー、防御系呪文を一つも持ってねーだろ?」
「…………」
沈黙するサーシャ。それは明らかに肯定を意味していた。
不可視の敵と闘う場合、大抵の者はまず身の安全を確保するため防御系呪文を発動するのが定石だと考えるだろう。
だが『邪竜の洞窟』で二体の見えざる竜と対峙した際、サーシャは一度も防御系呪文を発動せず、竜の攻撃をまともに喰らっていた。それをガブリは見逃していなかったのである。
「ハハッ! どうやら図星みてーだなぁ!」
「……確かに私は防御系呪文を所持していない。だがそれがどうした? 呪文で防げなくとも、攻撃で相殺するなり単純に避けるなり、他に対処のしようはある」
サーシャにとっては防御系呪文を所持していないことなど弱点でも何でもない。攻撃は最大の防御というのがサーシャの信条だった。
「それと断言しておくが、頭数を一つ増やしたところで戦況は変えられない。この私を倒したければ、最低でも分身をあと四つ用意することだな」
サーシャの言葉からは絶対の自信が表れていた。だがそれでもガブリは不気味な笑みを崩さず、こう言った。
「何か勘違いしてねーか? さっき言っただろ、真面目に闘うのは俺の性に合わねえってなぁ」
「……どういう意味だ?」
すると何を思ったのか、ガブリの分身がサーシャに背を向け、あらぬ方向へ飛んでいってしまった。
この不可解な行動にサーシャも首を傾げる。せっかく大量のMPを消費して分身を生成したというのに、ここにきて戦力を分散させる意味など皆無に思えたからだ。
「テメーは一つ見落としている。この人間領は俺にとって圧倒的に有利なフィールドってことをなぁ……!!」
ガブリの表情が更に不気味に歪む。次の瞬間、ガブリの分身が【月光砲】を放った。だがそれは明らかにサーシャのいる方向から外れていた。
「ふん、どこを狙って――」
その時サーシャはガブリの意図に気付き、大きく目を見開いた。
狡猾で卑劣な男とはいえ、曲がりなりにもガブリは七星天使の一人。いくらなんでも戦闘の最中に〝そのような手段〟に出るとはサーシャも思っていなかった。だがガブリの卑劣さはサーシャの想像を遙かに超えていた。
ガブリの分身が【月光砲】で攻撃したのは、人間達の住む町だった。
「やめろ!!」
サーシャの叫びを虚しく、光のレーザーは町の中心部を直撃し、一瞬にして火の海と化してしまった。
建物の崩れ落ちる音が響く。子供達の泣き叫ぶ声が聞こえる。今の一撃で、一体どれだけの犠牲者が出たことか。
「ハハハハハ!! いいねいいねえ!! やっぱ人間共の悲鳴は最高だぜえ!!」
「外道が……!!」
サーシャは怒りに満ち溢れた目でガブリを鋭く睨みつける。
「何の罪もない人々を巻き込むな!! 正々堂々闘え!!」
「正々堂々だぁ? 俺の辞書には存在しない言葉だなぁ!」
「貴様……!!」
もはや一秒たりとも生かしておく価値はない。サーシャは今すぐガブリを葬るべく呪文を詠唱しようとしたが――
「それより呑気に俺と喋ってていいのかなぁ? そぅらもう一発だ!」
ガブリの分身が二発目の【月光砲】を放った。このままではまた多くの犠牲者が出てしまうだろう。
「くそっ……!!」
やむを得ずサーシャは標的を切り替え、疾風の如き速さでガブリの分身の方へ向かう。だが今ガブリの分身を攻撃しても、既に放たれた【月光砲】は止められない。サーシャはガブリの分身を素通りし、レーザーの放射線上に身を構えた。
一瞬【星龍の叫び】での相殺をサーシャは考えるが、それでまた先刻のような大爆発が起きれば、結局人々に被害をもたらすことになる。確実に犠牲者を出さないようにする方法は、たった一つ――
「がはっ!!」
レーザーがサーシャの身体に直撃した。そう、それはサーシャ自身がレーザーの盾となることだった。
「ハハハハハ!! そうだよなぁ! 防御系呪文を持ってないんじゃそうやって防ぐしかねーよなぁ!」
ガブリの分身は容赦なく次々と【月光砲】を放つ。サーシャは何の躊躇もなく、それら全てをその小さな身体で受け止め続けた。




