第144話 逆転の一手
覇王とサーシャがそれぞれの敵と闘いを繰り広げる一方、サーシャの別荘は夜の静寂に包まれている。その一室では、ベッドに横になったものの未だに眠れないでいるセレナの姿があった。
これまでユートとの夜のお楽しみを二連続で中断され、今夜こそ三度目の正直とばかりに部屋で待機していたセレナだったが、いくら待ってもユートが部屋を訪れる気配はなかった。
今夜はそのような約束も交わしていない上、ラファエが突然姿を消したばかりなので、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。それでも同じ屋舎にいながら、まだ一度も穢されたことのない若い女の身体を放っておくというのは一体どういうことなのかと、ユートに対する憤懣やるかたない気持ちは抑えられなかった。
やがてふて腐れてしまい、頭に布団を被って眠ることにしたセレナだったが、一時間ほど経ってもなかなか寝付けなかった。何故だか胸騒ぎがしてならなかったからだ。
気分を変えようと、セレナはベッドから身体を起こし、窓のカーテンを開ける。夕方までの大雨が嘘のように、満天の星空が広がっていた。
「あっ……」
その時セレナは、とてつもないスピードで夜空を駆け抜けていく二つの物体を目にした。流れ星かと思ったセレナは、願い事をしなくちゃと慌てて両手を合わせる。流れ星を見たら願い事をするという風習はこの世界にも存在していた。
「えーっと、ユートがずっとアタシの事を、す、好きでいてくれますように。それから、つ、次こそユートと、その……」
部屋には一人しかいないにもかかわらず、まるで観衆に向けて発表するかのように、セレナの頬が羞恥で染まる。そしてなんとか願い事を終えたセレナだったが――
「えっ!?」
直後、閃光と共に爆発音が鳴り響き、夜の闇を明るく照らした。
「ちょ、ちょっと! アタシが願い事をした瞬間に爆発するってどういうこと!? アタシの願いはどうなるの!?」
セレナは思わず窓を開けてそう叫んだ。セレナにとっては何故そのような爆発が起きたかという謎より、そちらの方がよほど重要であった。
しかし目を凝らしてよく見てみると二つの物体は健在であり、そのまま空の彼方へと消えていった。流れ星が爆発したわけではないことが分かり、ひとまずセレナは安堵した。
「……ていうか、あれって本当に流れ星だったのかしら?」
流れ星にしては高度が低かった気がするし、軌道もなんだか不規則に見えた。そもそもさっきの爆発は一体何だったのだろう。そんな疑問を浮かべながら、セレナは静寂を取り戻した夜空をじっと見つめていた。
☆
ラファエとの戦闘開始から、約十分といったところか。
【弱者世界】によるMPの減少によって呪文も満足に使えなくなった僕は、立て続けにラファエの攻撃を受けてしまい、ついには残りHPも100近くというところまで追い詰められてしまった。
「悪魔の頂点に君臨する覇王ともあろう御方が、無様なものですね……」
全身傷だらけになった僕を見ながら、ラファエは傲然と言った。今のラファエは僕を攻撃することに何の躊躇もない。やはり本気で僕を倒すつもりでいる。
「貴方が最初から僕を殺す気でいたなら、【弱者世界】の効力が発揮される前に勝負はついていたかもしれません。この状況を作り上げたのは貴方の心の弱さのせいです、覇王」
「フッ、余の慈悲を心の弱さと取るか。まあよかろう……」
僕が本気だったら戦闘開始と同時に【死の宣告】を発動し、それで幕は下りていただろう。だかこの闘いはラファエを殺すことが目的ではない。
「次の僕の攻撃で貴方は終わるでしょう。どうですか? 死の瀬戸際まで追い詰められた感想は」
「……まあ、それほど悪い気分ではないな」
これは強がりなどではなく、僕の本心だった。
「人間と手を取り合う上では〝弱き者の痛み〟を知ることも必要になってくるだろう。その機会を与えてくれたことに感謝すらしているほどだ」
「……人間と手を取り合う? 何を言っている?」
僕の言葉の意図が理解できないのか、ラファエは怪訝な表情を浮かべる。
「貴様には教えておいてやろう。余の理想は、悪魔と人間が共存できる世界を創り上げることだ」
「悪魔と人間が、共存……?」
「そう。余が人間の魂を取り戻そうとするのは、人間の余に対するイメージを一新するという目的も含まれている。ま、信じる信じないは貴様の自由だ」
沈黙するラファエに対し、僕は言葉を続ける。
「だが――そうだな。もし可能であれば、天使とも共存できたら尚良いだろう。人間、悪魔、天使の三種族が分け隔てなく、手を取り合いながら生きる世界。貴様もそんな夢を懐いたことがあるのではないか?」
と言っても悪魔と天使では水と油なので、僕のイメージを変えただけでは共存は難しいだろう。やはりまずは人間との共存を優先したい。
これを僕がラファエに話したのは、以前からラファエには僕と似たものを感じていたからだ。ラファエならきっと理解してくれると、そう思った。
「……っ!!」
ラファエの拳が震えている。だがどうやらそれは、僕が語った理想に心を打たれたからではないようだ。
「そんな……そんな耳触りの良い言葉で……僕を惑わせると思うな!!」
ラファエの目が殺意の色に染まるのを見て、僕は溜息を洩らした。残念ながら逆効果になってしまったらしい。やはり今のラファエには何を言っても無駄か。
「これで終わりだ!! ウリエルさん、セアルさん、そして大勢の人間を殺した罪を背負いながら逝くがいい!! 呪文【火炎激流】!!」
炎の激流が僕に向かって押し寄せる。今の僕がこれをまともに喰らえば確実にHPは尽きるだろう。だが僕は至って冷静だった。
「……サービスタイムは終わりだ。【時間記録】を解除!」
僕がそう宣言した次の瞬間、場の光景は一変した。
「こ……これは……!?」
ラファエは驚愕の表情で目を見開く。ラファエが放った【火炎激流】は消失し、僕の全身の傷も綺麗になくなっている。なにより一番の変化は――
「上を見てみるがいい」
僕に促され、ラファエは顔を上げる。そこは【弱者世界】によって出現したオーロラも消えており、ただの夜空が広がっているだけだった。




