修羅場? 前編
大事にしないように、私は今回何もしなかったよ?
クリスお兄様だってバーニーを牽制するためにパウエル公爵の名前を出したけど、実際にはまだ連絡していなかった。お母様に事情を説明して、リーガン伯爵夫人を迎えに行ってもらっただけ。
でもイレーネを他の男に取られそうになっているエルトンが、何も行動を起こさないわけないよね。
スザンナも友達が心配で、いろんなところに相談したらしい。
その結果、そろそろ夕食の時間だなって時に、至急城に戻って来いとお父様から連絡が来まして、兄妹そろって転送陣で城に戻ってすぐに連れていかれたのが、城でも一番広い応接室だった。
窓の外は夕焼けで、何日かぶりの波の音が心を落ち着かせてくれる。
部屋の中では、今回の騒動の中心人物であるリーガン伯爵とバート。モールディング侯爵とバーニーが額に汗を浮かべて座っている。だってすぐ隣にパウエル公爵が不機嫌そうに座っているもんね。
パウエル公爵だけじゃない。お父様の不機嫌な顔だって滅多に見られない分、なかなか怖いよー。そして私達三兄妹とエルトン。スザンナもイレーネが心配だったのか顔を出している。
「イレーネは?」
当事者の彼女がなんでいないの?
「イレーネはおとなしいから、こういう場に来たってどうせ何も話せないんですよ」
私と視線を合わせないように、誰もいない壁を見ながらバートが言った。
「何を言っているの? イレーネはそんな子じゃないわ。あなたは牛の事しか考えてないからわかってないでしょう」
「うるさいな。だいたいなんでおまえがここにいるんだよ。関係ないだろ!」
バートに怒鳴られて、スザンナの目が物騒に細められる。ここまできてもリーガン伯爵家はイレーネの気持ちを無視する気なの?
「イレーネを呼んでくるわ」
「余計なことはするな。どうせおまえやディアドラ嬢の前で、あの陰気でおとなしい妹が本音を言えるわけがないんだ。なんの取り柄もないあの子が、おまえ達と一緒にいるのがおかしいんだ」
は? 何を言っているの、こいつ。
私達はどんな関係だと思われているの?
それともイレーネは、本当は私が友人だと思う事が迷惑だったの?
「リーガン伯爵、その子供を黙らせろ。スザンナ嬢ときみの子供達が幼馴染なのは知っている。しかし他家の者がいるこのような席で、侯爵家令嬢やうちの娘にその態度は許されないぞ」
冷ややかなお父様の言葉に慌ててリーガン伯爵が頭を下げ、バートの腕を掴んで注意した。
牛乳を譲ってもらう商談の時、バートには何回も会っている。
純朴な田舎の青年という印象だった。牛が大好きで、どうしたら牛乳の品質が良くなるか夢中になって研究していた。
それがほんの何年かで、なんでこんなに変わってしまったの?
お金が入って、着る服にこだわるようになったんだろう。流行りの服を着て、髪は後ろに撫でつけている。
うちのお兄様ふたりと知り合いだからと、たくさんの御子息やご令嬢に声をかけられるようになって浮かれていると、イレーネが言っていたっけ。
「あの馬鹿のいう事は気にしない」
アランお兄様が肩に手を置いて言ってくれた。
バートはむっとした顔でこちらを見たけど、この状況で私達に文句を言える立場ではないとは理解出来ているみたい。
でも私はそんな風に言われて、いままでのリーガン伯爵家とのお付き合いってなんだったんだろうって思ったら力が抜けて、アランお兄様に寄り掛かった。
でもそれも一瞬だけ。
「バート、おまえ、私にもイレーネが困っていると言っていたな。エルトン殿との縁談もディアドラ嬢が勝手に進めているって」
「はあ?」
思わずご令嬢としてはありえないひっくい声を出して身を起こす。
うちの家族以外の男性陣が、ぎょっとした顔で身を引いたって気にしないわよ。
それはないわ。
私がイレーネとエルトンの関係に気付いたのは最近だ。鈍感だとみんなに笑われたんだから。
「リーガン伯爵も御存じなかったという事ですか?」
エルトンは唖然としている。
「ああ……いや……」
「夫人とイレーネと三人で、何回も皇都でお会いしていたんですよ」
「え? あ」
伯爵は驚いた顔でエルトンを見て、お父様を見て、慌ててバートに顔を向けた。
そのバートも驚いた顔をしている。
リーガン家どうなっているの?
「イレーネはちゃんと自分の考えを言える子よ。陰気なんかじゃないわ。家族にそんな風に言われているなら、そりゃあイレーネは家では本音で会話なんて出来ないでしょうね」
「彼女の刺繍、すごいのよ。みんなの誕生日にプレゼントしてくれたショールが素晴らしくて、これなら売り物に出来るからって、お母様のお店に置いたらすぐに売り切れになったのよ。取り柄がないなんて、私のお友達を侮辱しないでいただきたいわ」
スザンナと私の怒りの言葉に、男共は驚いた顔で、何度も私達とバートの顔を見比べている。
「彼女のこだわり方はリーガン伯爵家らしいと話したばかりなんですよ。刺繍の糸を買いに皇都に出かけた時、三時間ほど迷っていましたから。ディアドラ嬢もいたよね」
「ええ、憶えてますわ。私達、近くのカフェからお茶とお菓子を届けてもらって、お店の方とお話しながら待っていましたの」
「瑠璃色はどの青が近いのかと、ディアドラ嬢の腕を掴んで離さなくて」
私とエルトンの会話を聞くうちに、リーガン伯爵の顔色がどんどん悪くなっていく。自分のしでかしたことにようやく気付いたみたいだ。
もうすぐ奥さんも帰ってくるしね。どう言い訳するんだろう。
「つまり何も知らないのはリーガン伯爵家の御子息の方で、なのに私の目の前で、うちの娘を侮辱したという事か。それもかなり酷い言いようだった。覚悟は出来ているんだろうね」
「あ……いえ……その……」
「申し訳ありません。バートは、ディアドラ嬢に契約は今季限りと言われ、精神不安定になっておりまして」
「そんなことが言い訳になると思わないでもらいたい」
「……す、すみません」
室内に助け舟を出してくれる人はいない。
うちのお兄様達はお父様と同じくらいに怒っているし、パウエル公爵も冷たい視線でリーガン親子を見ている。
「やっぱり私、イレーネを呼んできますわ」
「ご案内します」
「ありがとうございます」
スザンナが立ち上がると、すかさずミーアが近づいた。
転送陣の間に案内するために足早に部屋を出て行ったふたりを、他の執事と侍女が慌てて追いかけて一緒に部屋を出て行く。
だからもう、そういう仕事はしなくていいって言っているのに。未来の公爵夫人が何をしているのよ。
「それではイレーネ嬢が来るまで、こちらの話をしようか」
ゆったりと椅子に腰をおろし、組んだ足の膝の上に手を置いたパウエル公爵は、これぞ貴族! って感じがする。些細な動作も洗練されているってすごいね。
「ひとつ、はっきりさせておきたいことがあります」
答えたのはモールディング侯爵だ。
「私共はイレーネ嬢とブリス伯爵子息との縁組の話は存じませんでした。そういうお話があるとわかっていれば、この縁組を申し入れたりはしませんし、息子がそちらに縁組の打診をした時、リーガン伯爵も御子息もイレーネ嬢は誰とも約束していないと明言していたのです。いったいどういう事なのか、私も是非伺いたい」
「そうですよ。ここまで話が進んでの破棄となったら、こちらとしてはそれ相応の気持ちを示していただけないと納得出来ませんね」
さっき、イレーネの事をいらないなんて言っておいて、詫びに何かをよこせと言い出している。バーニーは話を聞いているのかいないのか、手をいろいろな角度に動かして自分の爪を眺めたり、前髪を摘まんで髪型を整えたりしてたくせに。
「なぜ知らなかったのかね」
「は?」
「エルトンは皇太子殿下の側近だ。皇太子殿下の後ろ盾となった私は、ほぼ毎日彼と仕事をしていて、彼とイレーネ嬢の話を知っていたよ。政に関わる侯爵家の当主として、殿下の側近がどういう若者達でどのような人間関係を築いているのか、知っておくのは当然の事とは思わないかね?」
「そ……それはたしかに、知っておくべき情報ではあったでしょうが」
「きみは私の派閥の一員だと思っていたし、そう公言していなかったか?」
「ええ、もちろんそのつもりです。公爵様には大変お世話になっております」
話の流れる先が見えてきて、モールディング侯爵はハンカチでひっきりなしに顔を拭いている。
「なのに嫡男の縁組について一言も相談がなかったようだが? 相談されていればこのようなことにはならなかっただろう」
「そ、それは……」
「申し訳ございません、公爵閣下」
胸に手を当てて、バーニーが優雅に頭を下げた。
「学園でイレーネ嬢をお見かけし、バートに彼女は決まった相手がいないのかと、私が聞いてしまったのです。そうしたら彼が乗り気で。話がすぐに進んでしまいまして。父は私の気持ちを汲んでくれたのです」
「つまり本気でイレーネ嬢が好きなのだと」
「はい。ですから余計にエルトンとの関係を聞いて衝撃を受けております。私と彼はクラスが同じなのですよ。彼の姿を見るたびにつらい思いをすることに……」
口元を手で覆って俯いて、バーニーは悲しそうに目を伏せた。
背後から思いっきりライダーキックしてやりたい。
なんでこの男が被害者面しているのよ。
「ではこの誓約書はなんだね」
パウエル公爵はテーブルにばさりと三枚綴りの書類を置いた。
「リーガン伯爵、この誓約書をちゃんと読んだかね? 恋愛から始まった縁組だというのに、投資した事業に関しての記載が、婚約の誓約書に書かれているのがまずおかしい。しかもこの誓約書のままで投資を受けると、五年後にはリーガン伯爵家の事業は全て、モールディング侯爵の傘下に収まることになりますよ」
「な、なんだって?!」
「新事業に関してはモールディング侯爵家が主体となって行うとも書かれています」
「バート! どういうことだ!!」
うっわ、えげつない。最初からそれが狙いか。
それでうちとの共同開発が気になったわけね。
やだやだやだ。貴族社会ってこんなんばっかり。
いまになって殿下が言っていた言葉の意味がわかってきたよ。
「きみは、皇帝さえ動かせる力を持ちながら、商会を通して個人の財力も持ち始めている。それなりの立場と力を持つ男を選ばないと、相手の男が潰されるよ」
彼氏じゃないけど、私と知り合いでフェアリー商会と関係がありそうだって事で、リーガン伯爵家が狙われたんでしょ?
今のところ私のお友達は、侯爵家以上か伯爵家の場合後ろ盾のしっかりしているおうちの御令嬢ばかりだけど、身分が低かったり力のない伯爵家の子だったりしたら、妬まれたりいびられたりする可能性もあるんだ。
きっと利用されて潰される。
仲良くする相手は選ばないと、相手に迷惑が掛かってしまう。
「何をいまさらおっしゃっているんですか。最初からこういう約束でしたよ。ですからサインしたんでしょう?」
「そんなはずはない。私はきちんと契約書を読んだがそんな記述はなかった」
「ほお、では私があなた方を騙したとでも?」
バーニーは眉をグイっと上にあげて顎を突き出し、わざと相手の顔を見下すように睨みつけた。この男の性格をよく表した表情だわ。
でもその顔をすると、ぶっさいくに見えるよ。
「その誓約書は、おかしいですよね」
クリスお兄様が首を傾げながら呟いた。
美麗な十五の少年のこの仕草、あざとい。
「フェアリー商会は、あくまでリーガン伯爵家と契約を交わしたんです。そちらの経営体制が変更になるのなら、それをこちらに連絡して、うちとの契約書も変更しなくてはいけませんよね。それもしないうちに当然契約が続行される前提で誓約書を作っているんですよ」
「そ、そうだとしてもリーガン伯爵家はこの誓約書を了承したんだ。それで婚約がなりたたないとなったら我が家に恥をかかせたことになるだろう」
「クラスで自慢していたからな」
ぼそりとエルトンが言った。
「ディアドラの親友と婚約して、フェアリー商会と新事業を立ち上げるって」
「うるさい! 私の方が結婚相手として上だとイレーネ嬢も理解するべきだ。きさまなど男爵にようやくなれるかどうかという男ではないか」
「つまり身分以外に誇れることはないと」
「なに!」
意外にもアランお兄様が言い出した。
我が家の突っ込み要員は、こういう席でも突っ込まずにいられなかったのかもしれない。
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