精霊の国
ルフタネン王国は日本のような島国だ。
ルフタネン語で東西南北という意味の名前がそれぞれついた四つの島を、全部まとめるとパプアニューギニアくらいの広さはあるんじゃないかな。
王都があるのが東島で一番でかい。大陸側にあり帝国との貿易で栄えているのが北島。カカオがあるのが南島で、海峡の向こうの国々との貿易が盛んなのが西島だ。
平和路線の優秀な王様はもう何年も体調が思わしくなく、ほぼ王太子が仕事を代行している。
王太子は二十四歳。まだ独身。
シュタルク王国の王女との縁組が整いそうになった時に、第二王子の暗殺で話が流れて、それ以降は王位継承争いの真っ最中で結婚どころではないらしい。
昔、四つの島はそれぞれ別の国で、民族は同じでも、戦国時代の日本のように領土を取ったり取られたりしていた。それを東島の王が統一したのが三百年前。その百年後に転生者が東島に現れた。
転生者が生まれたのは王家だったので、精霊王と懇意になって王になり、王族が力を確固たるものにして栄え、ルフタネンは精霊の国と言われるようになった。
アロハの転生者は国王になったのか。
国家規模でのアロハ推進運動かよ。
王族に生まれて広めたのがアロハって、ほんまもんのハワイアンか日本人の二択だろ。
転生者が亡くなった後、精霊王と人間の関係が徐々に希薄になっちゃって、今では帝国の方がずっと精霊の国に相応しくなっている。
東島の王族の影響力も弱まっちゃって、前の王様は若くして暗殺されて、現王が即位したのが二十二歳。今の王太子くらいの歳だね。
どこの島の娘を嫁に迎えるかで揉めに揉めて、結局、全部の島から嫁を貰うしかなかった。
嫁さん、四人だぜ? 体力も気力もよくもつな。そりゃあ体調悪くなるだろう……と、笑い話には出来ない。なぜなら体調不良の理由は、毒を飲まされ続けたからだという噂があるからだ。
精霊は何をやっていたんだよと思うじゃん?
どうやらペンデルス共和国は精霊獣の実験の成果として、精霊を一時的に動けなくさせるような道具を開発しているらしいのよ。
つまりルフタネンにもペンデルスとニコデムス教の魔の手が伸びているってことだね。
そんなもんを大事な精霊に使われたら、ブチ切れものよ。
ともかく嫁が四人。王子が五人。そりゃあ、争いも起こるわ。
第一王子と第二王子は東島出身の第二王妃の子供達。西島出身の正妃は女の子ばかりが生まれて、王子は第三王子になってしまった。王位継承権の決まりでは、正妃の子供でなくても妃の子供であれば年齢順に王位継承権が与えられる。
そして第四王子が南島。第五王子が北島出身の妃から生まれている。
カミルが帝国に訪れているのも、母方の出身が北島の侯爵家だからだろう。
ただそれぞれの島が王国だったせいで貴族が多くて、公爵になってもカミルは今のところ領地を持てていない。母方の侯爵家は広大な領地を持っているけど、そっちにだって後継者はいるし、王位継承者争いが激化しているから、下手に領地を持たせると王位継承権を放棄しているからって、生かしておいてくれるとは限らなくなってくる危険がある。だからコーレイン商会の世話になるしかなかったんだろう。
今思えば、以前公園で会った時にカミルが泣いていたのは、第二王子が暗殺されたからかもしれない。時期が同じだったはずなんだよね。
北島って金持ちなのよ。精霊との関係も一番よくて、精霊獣持ちも多くて、おかげで安全に航行できる船舶も多い。
余裕があるから王位継承権にも興味が薄いし、カミルは末っ子だし、王太子と第二王子との関係も良好で、可愛がられていたみたいだ。
南島も似たようなもので、カカオやナッツなどの特産品が多いから、それほど王位に興味があったわけじゃなかったのに、第四王子はヤンボーだった。
王としての資質は自分が一番高いと言って、暗躍しているらしい。
でも一番やばいのが、正妃なのに生んだ王子が第三王子になってしまった西島だ。
第二王子を暗殺したのも、ここのやつらだと思われている。
なんでそんなに王冠が欲しいかね。
王様になれば幸せになれるとでも思っているの?
今まで暗殺を仕掛けていたやつが、暗殺される側になるだけじゃないの?
私には関係ないし、カカオが手に入ればそれでいい。
チョコレートをそう簡単に作れるとは思っていないけど、ココアはいけるでしょう。学園にもっていけば話題になるよね。
ココアと言えばミルク。
ミルクと言えばバート。
バートってリーガン伯爵の嫡男で、イレーネのお兄様ね。
牛を愛し、牛を研究し、牛のために生きている。
食べ物を変えると乳の味がどう変わるかとか、美味しさを失わない殺菌の仕方とか、いろいろ研究しているのよ。そのために魔法を使いたくて精霊を三属性精霊獣にした男なのだ。
牛乳はそこから買えば問題ない。
あの美味しい牛乳を確保するためなら、ミルクチョコレートの共同開発をしてもいいかもしれない。
よし。政治的な話は大人に任せて、私はチョコレートづくりにまい進するぞ!
……と、楽しいことに逃避していたのに、翌日、ブラントン子爵から使いの者が来た。
明後日のコーレイン商会の打ち合わせに、子爵も顔を出して、商売の話とは別に直接相談したいことがあるんですと。私に。十歳の子供に。
やだーーー。絶対に面倒な話じゃないですかー。
「西島がベジャイアを後ろ盾にするなら、王族は帝国を後ろ盾にという話でしょうね」
「違うだろ。ディアドラに相談という事は、精霊王を後ろ盾にしたいんだろう」
呆れた顔のパウエル公爵と、にやにやとおもしろがっている皇太子。
まったくさあ、なんで私宛に使者を寄こしたのよ。これがお父様当てなら、皇宮に話を持ち込まないで、ベリサリオの判断で断っちゃえばよかったのよ。
でも私宛なうえに、前回、カミルが精霊王のことで相談があるって言ってたじゃない。
そうなると勝手に断れないじゃん。
だからお父様に相談して、皇太子にも話が行って、只今、皇宮の一室でお話中ですよ。
皇太子殿下と、その後ろ盾の辺境御三家とパウエル公爵、近衛騎士団長のビジュアル系公爵までいるよ。
友人だったジーン様が亡くなって、一番近くにいたのに何も出来なかったと落ち込んだランプリング公爵は、せめて国のために何かしたいと、あれ以来仕事の鬼になっているらしい。少し痩せたかな。
「ディアドラはどうしたいんだ?」
「断ればいいんじゃないですか?」
「ぶふっ」
噴き出したのはノーランド辺境伯だ。
もうみんな、四年前のバントック派の事件のせいで私の性格わかってるし、四年間後ろ盾をしてきたから皇太子の性格もわかっているから、自分達しかいないと態度がだいぶ砕けているのよ。
「貸しを作るいい機会かもしれませんぞ」
「貸しを作っても得することなど何もないでしょう。ディア宛というのが気に入らん」
コルケット辺境伯は会って話だけは聞いた方がいいと言うんだけど、お父様が怒っちゃってて聞く耳を持たない。
「クリスはどう思うのだ?」
「そもそも、なぜ僕がここにいるのでしょう」
「オーガストが私の後ろ盾の仕事をおまえに任せて、自分は領地に帰ると言い出したからだな」
すげえな。皇太子の後ろ盾のひとりが十五歳の成人したての青年ってありなの?
次の新年の祝賀会ではお兄様が皇太子と一緒にテラスに立つのか。
……私、下の広場に紛れ込めないかな。
ビジュアル系公爵も護衛のために一緒に並ぶんだよね。うわ、最高。
「ディア、聞いているのか?」
「あ、はい。なんでしょう」
「おい」
ついつい現実逃避してしまっていた。
もうさあ、私の頭の中はチョコレートと初めての学園生活でいっぱいなのさ。
悪いけど、他国のためにうちの兵士達を戦場に送る気はないし、私自身も動く気はないから。
「子爵と会う時にはパウエルも同席させる」
「はい」
「パオロ、近衛騎士団からも何人か護衛をつけろ」
「私が同席しても?」
「かまわんぞ。子爵が不敬な態度を取った時には、すぐに捕らえろ。歯向かうようなら殺しても構わん」
は? 何を言っているの?
「殿下。そこまでする必要がありますか?」
「ある。たかだか子爵風情が簡単に会えるとなれば、他の国も黙っていない」
「元王族が一緒です」
「王族なら会うのか」
「全属性精霊獣持ちで精霊王に関する相談がある王族なら会いますよ」
「……」
皇太子もうちの家族も、いや、ここにいるみんなが心配してくれているのはわかる。
精霊王の後ろ盾を持つ私は、この国ではかなり特別な存在になってしまっているし。
だからって調子に乗って、私にまかせろーなんて思ってないからね。出来るだけめんどうなことには関わりたくない。
「近衛騎士団が動く時には、私の許可が必要だと命じていただきたいです」
「駄目だ。どうせおまえは、事が大きくならないようにという事を第一に考えるだろう。それに、自分が命じて誰かの命を奪う覚悟があるのか」
「……何をいまさら。私の行動の結果として、何人もの人が処刑されているんですよ」
「それは間接的だろう。おまえが殺せと命じたわけではない」
なんで会うだけで殺す話をしないといけないの?
いくらなんでも大袈裟でしょう。
「では近衛騎士団は来ないでください」
「おまえはまだ自分の価値を理解出来ていない」
「そんなことはありません」
「ならば騎士団については団長のパオロに任せる」
「必要ないと……」
「ディア」
お父様とクリスお兄様に止められた。皇太子の決定に不満を言うのは本来なら許されない。それが許される立場なのだから、注意が必要なのはわかっている。
でも皇太子は、私が利用されると思っているんでしょう?
ブラントン子爵は私を利用する気で、私がころっと騙されると思っているんだ。
「僕達も傍にいるから大丈夫だよ」
「そうだよ、ディア。少し落ち着こう」
「落ち着くのは殿下ではないですか?」
「なんだと」
パウエル公爵に殿下は押さえられ、私は家族に押さえられ、その場はお父様に任せて私は退室した。
だってさあ、バントック派の時には私が矢面に立つのに賛成したじゃん。
何かまずいことがあった時、皇太子ではなく私のせいに出来るようにって考えだって少しはあったはずなのよ。精霊王が後ろ盾の子供がやったことだから仕方ないよねって、言い訳にする気だったわけでしょう。
なのに、なんで今回は皇太子が決めるのよ。
近衛騎士団が出てきて捕える気満々なのはなんなの?
「アンドリューはディアを守りたいんだよ」
こういう時だけ男共は、私をか弱い女の子扱いするんだから。
……うちの家族はいつもだけど。
守ろうとしてくれるのはありがたいよ。だけどさあ……。
そして当日。
フェアリー商会の建物ではなく、本館に招かれたカミルが連れて来たのは、いつもの毛深い色男のコニングさんと、グラマーと言えばいいんだろうか。アマゾネス系美女のリアさんと、うちに顔を出すのは初めての十代後半の目つきの鋭い長身の青年がひとり。
あれ? この青年が子爵?
「先日は身分を偽り申し訳ありませんでした。私はイースディル公爵。王位継承権は放棄しましたが、ルフタネン王国の第五王子です」
しょっぱなからぶっちゃけやがった。
さすがにうちの家族もパウエル公爵もビジュアル系公爵も、目が点になっている。
家族全員顔を出しているベリサリオもどうかとは思うのよ。お母様までいるんだから。
過保護すぎて恥ずかしいだろうって思っていたんだけど、そんなことは吹っ飛んだよ。
カミルの顔つきの変わりようもすごいよ。
この間は俯いていたり、私や精霊をじっと見て考え込んでいたのに、今日は口元に笑みを浮かべて瞳をキラキラさせて、顔つきが明るい。
吹っ切れた顔ってこういうのを言うんだろう。
「……ブラントン子爵は、どちらに?」
お父様の頭の上に「?」マークが見えるような気がする。
きっと私も同じような顔をしているはず。
「ああ、彼とは意見が相容れませんでしたので、連れてはきませんでした」
皇太子と喧嘩までした原因の近衛騎士団が、全く無駄になったぜ。
なぜかまた恋愛から遠ざかっている気がしますが、そ、そんなことはないんですよ。
ちゃんと恋愛路線に向かってますよ。
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