茶会は廻る
今回は三人称視点です
案内された席の前に立ち、パトリシアは眉を顰めて唇を噛んだ。
本来、皇族の誕生日には舞踏会か夜会が行われるものだが、エルドレッドはまだ七歳。代わりに行われる茶会は、テラスから見た中庭の美しさが有名な広間で開催された。
テーブルには花がふんだんに飾られ、給仕の者達の態度もしっかりとしている。しかし用意された席は皇子の席から一番遠く、さも無理矢理後から付け足しましたという席だ。前の席との間の通路に観葉植物が並べられているため、視界が遮られて前の方の席は見る事が出来ない。
たしかに開催直前に人数が増えたのだから、こういう席が出来上がるのは致し方ないかもしれない。だがパトリシアは公爵家令嬢だ。身分も皇族との近さでも、招待された者の中で一番上だろう。ベリサリオ辺境伯が格上扱いされても、それはなんの文句もない。バントック侯爵家も将軍の実家だ。まあしかたない。でも許されるのはそこまでだ。
本来なら皇子のすぐ近くに席が設けられているべき家柄の者が、広間の入り口近くに隔離されるというのは、明らかな悪意だ。
「これはひどいな」
いつもは軽い雰囲気の兄のデリックでさえ、さすがに眉を顰めている。
「子爵家が公爵家より上座ですか」
オルランディ侯爵が呆れた声で呟いた。その隣には娘のスザンナが扇で口元を隠しながらため息をついている。
「まあ様子見と行きましょう。テーブルをふたつ用意してくれたようですが、十人座れるならこちらにまとまってもいいでしょう」
招待状は三日前に話をした全員に届けられていたが、半数以上が今は謁見の間にいる。席は空席だらけだ。ノーランド次期当主であるコーディは、黒い笑顔を浮かべながら腰をおろした。父とは違って魔法専門だが、血の気の多さは変わらない。バントック派を潰す気満々だ。
「アラン様はまだいらしていないのね」
隣に腰をおろした娘のモニカは、慣れない場に緊張しているイレーネを隣に呼んで話しかけている。イレーネの父のリーガン伯爵は、胃のあたりを押さえながら無言で席についた。
全員が席に着くと、皆の前に様々な種類の一口大のケーキの並んだケーキスタンドが置かれ、てきぱきとお茶の準備がされていく。今日はまず王子の挨拶があるはずなので、誰もお茶に手をつけずに雑談を始めた。
皇子の席には御令嬢ばかりが座っている。どう見ても皇子とバントック派に所属する貴族の令嬢のお見合いの場だ。ディアドラの招待をドタキャンしたご令嬢は全員この場に出席しているようだが、元々バントック派だったふたりの侯爵家令嬢は皇子の両隣に座っているのに、伯爵令嬢ふたりは、皇子とは離れた隣のテーブルに座らされていた。
彼女達は地方の貴族で、親はバントック派ではない。ディアドラに一緒に誘われていた御令嬢の親に悪い感情を持たれ、自分の両親に怒られ、皇子の傍にも行けない。自分達だけ皇子の傍に座る御令嬢達に、ふたりは苛立ちの目を向けていた。
だがそれすら後方の席に座るパトリシア達にはわからない。厨房側への出入り口ならよく見えるため、忙しげに行き来する給仕の者達の様子だけはよくわかった。
「皇子の挨拶がされているようですが、まるで聞こえませんな」
「ここまで態度がはっきりしていると、いっそ笑えます」
オルランディ侯爵とコーディも、ここまであからさまな態度を取られるとは思っていなかった。これでは宣戦布告と同じだ。
「せめてお茶くらいは楽しみませんか?」
あくまで遠慮がちなリーガン伯爵に、オルランディ侯爵は苦笑して頷いた。
「きみはあいかわらずだなあ。だが確かに文句ばかり言っていても仕方ない。あとで挨拶に来るかどうか」
「どう出るか楽しみです」
コーディがにこやかに答えながらティーカップを手に取った。
パトリシアもカップに手を伸ばそうとして、
「パトリシア!!」
不意に横から腕が伸びてきて手首を掴まれた。
そんなに大きな手ではない。まだ子供の手だ。でも細いパトリシアの手を掴むには充分な大きさで、ぐいっと手を引く力も強く、体ごとよろめきながら顔をあげた。
「飲んだのか?」
そこには切羽詰まった顔をしたアランがいた。公式の場なのでセットしてきたのだろうに、赤茶色の髪が乱れ前髪が少し落ちている。真剣な光を帯びた透き通った灰色の瞳に見つめられ、パトリシアは慌てて首を横に振った。
「デリックは?!」
「一口だけ……」
「解毒! 回復!」
アランの声に応えて、精霊獣がデリックに回復魔法をかける。
「毒?! お兄様に回復と解毒を!」
もうアランが回復したというのに慌てたパトリシアが叫んだため、デリックの精霊まで回復を行い、三人分の魔法を浴びて光が重なって、デリックの姿が見えなくなるほど眩しくなった。
「ありがとう……もう平気……目が死ぬ」
「毒? ……ぐっ」
紅茶を飲んでしまっていたオルランディ侯爵が胸を押さえるのと同時に、彼と娘のスザンナの精霊が解毒と回復の魔法をかけた。
「イレーネ、念のためにみんなに解毒と回復!」
「はい!」
精霊獣になっているため、イレーネの解毒や回復は精霊しかいない人よりレベルが高いのだ。
アランがみんなを呼び捨てにして指示をしているのを、気にする者はいない。もう全員が食事に毒が入れられていたというのを察していた。
「どういうことだ?」
「説明はあとで! 殿下!!」
指示だけ出して走り去るアランをパトリシアは呆然と見送りかけ、殿下という言葉に我に返った。
「エルディ?!」
急いでアランの後を追いかけてすぐ横を追い抜いた人物は、皇太子の側近のエルトンだった。
「私は回復に向かいます。向こうには精霊がいない」
ガシャンと食器が割れる音や、どさっと重たい音がいくつも聞こえてくる。立ち上がって観葉植物の向こう側に目をやり、コーディは先に精霊獣を行かせながら振り返った。
「デリック様、娘達をたのみます。向こうの状況は見せない方がいい」
「あ……ああ、わかった」
「毒が違う?」
「ええ、あちらは即死系の毒だったようです」
席が離されていたのは、このためだったようだ。
こちらは全員精霊を持っている。しかも元々招待されていなかったメンバーだ。
だがバントック派は、あまり熱心に精霊を育てていなかった者が多く数が少ない。子供達はようやく三日前に精霊を持てるようになったばかりだ。
「狙いはバントック派か」
無事な男手は、オルランディ侯爵とリーガン伯爵とコーディだけだ。
皇子の元にも行きたいが、すでにアランとエルトンが向かう姿が見えた。エルトンは弟を心配して皇太子が待機させていたのだ。
「近衛はどうしたんだ?」
「呼んできます」
「我らの手の者もいるはずだ」
「はい」
側近は中に入れなかったため控室だが、外には警備兵や皇子の護衛がいるはずだ。リーガン伯爵が駆け出すのを見送り、コーディはもう一度精霊に回復出来る者がいないか探すように指示を出した。
もうオルランディ侯爵は魔力が続かないだろう。コーディでさえ、がっつりと魔力が減るのを感じるほどに解毒と回復の魔法を使っている。それでも間に合った者はいないようだ。
「即死系では、さすがに無理か……」
そこは戦場の経験がある者にとっても、目をそむけたくなるような状況だった。テーブルに突っ伏す者、背凭れにもたれて喉を押さえ顔を上向けている者、床に崩れ落ちている者。男性も女性も口端から血を流してこと切れている。
即死毒のせいで助けも呼べず、苦しさに喉を掻きむしりながらうめき声をあげる事しか出来なかったようだ。
せめて席がもう少し近ければ。
せめて観葉植物がなければ。
いやそれでも、即死毒に対応出来たかはわからない。
「いったい誰が……」
「バントック侯爵とキャナダイン侯爵があちらに」
ふたりともすでに死んでいるのは間違いない。
政敵とはいえ、まさかこんな最期を迎えるとは。
あまりに呆気ない幕切れに、ふたりは苦い思いを噛みしめるのだった。
一方、エルドレッド皇子の元に向かったアランを追いかけたパトリシアは、
「防御結界! 皇子を守れ」
精霊に的確に指示を出すアランとは違い、何も出来ない自分に苛ついていた。
こわい。何が起こっているのか理解できない。何をすればいいのかわからない。パニック状態になりかけていると自覚がないまま、それでも皇子が心配でドレスの裾を掴んで走っていた。
意外なことに聞こえてきたのは金属音だ。
皇子を背に庇った青年がふたり。彼らは給仕の制服を着て短剣を持っている。頭上にいるのは彼らの精霊のようだ。
彼らに相対しているのは、執事の着るような服装の男達三人。全員剣を持っている。明らかに分が悪い。
「時間がない」
「邪魔が入る前に死ね!」
振り上げられた剣は、しかし彼らに届かなかった。
カーンと澄んだ音を立てて剣が見えない壁にぶつかり、その反動で男は後ろによろめいた。
「なんだと?」
他の男も剣で見えない壁を突いてみたが、まるで歯が立たない。
そこへ、横から激しい衝撃波を食らい、三人共ふっとばされて床に転がった。
「殿下、無事ですか!」
「エルトン、来てくれたのか」
アランとエルトンの精霊獣が三人の男を囲み、動けないようにしている。
エルドレッドの無事な姿を見て、パトリシアはへなへなとその場に座り込んでしまった。
「ついてきちまったのか」
皇子の無事が確認できれば自分が出て行く気はないアランは、エルトンにその場を任せ、床に座り込んでいるパトリシアの横にしゃがんだ。
「ひどいことになったな。無事なのは皇子と同じ席にいた令嬢だけか」
皇子が食べ物や飲み物に手をつけなければ、同席している者も手を付けられない。それが今回、彼女達の身を守ったようだ。
「うちの招待状だけ、一時間遅れた時間が書かれていたんだ。念のためにエルトンに確認した」
「そうだったんですね」
それで駆けつけてくれたおかげで、パトリシアは毒で苦しまずに済んだ。
「ありがとうございました」
「? なにが?」
「え?」
「え?」
ふたりして首を傾げているところに、優しい光が降り注ぎ、次の瞬間には謁見の間にいたはずの人々が姿を現していた。
「精霊王が来ていたのか」
アランが立ち上がり、目立たない位置にさっと移動するのをパトリシアは意外な気持ちで見送った。
今をときめくベリサリオ辺境伯の次男だ。堂々と皇子の傍にいればいい。なんで人ごみに紛れるんだろう。
「アランお兄様は相変わらずね」
呆れた声に顔をあげたらディアドラが立っていた。
「パティ、大丈夫? もう安心よ」
他の誰に言われるより、この少女に言われるのが一番安心だと思えるパトリシアは、泣きそうになるのを堪えて頷いた。
どんどん恋愛から遠ざかりサスペンスへ。
恋愛は二章からになりそうです。




