暴かれる真実
皇宮の貴族で精霊王に会った者はほとんどいない。皇族とその護衛や補佐官と一部の有力貴族だけだ。パウエル公爵でさえ初めて精霊王と対面したわけだ。
登場の仕方はあれだったけど、生成り色の身体の線がわかる薄手のドレスに、若草色のショールを纏った琥珀は天女のようだ。蘇芳も、ただ立っているだけなのに、将軍や皇帝よりも存在感と威圧感が桁違いに大きい。
彼らを前にして跪かずにいられる人間にはまだ会ったことがない。
跪かないでね、友達だからねって言われているから跪けないだけで、うちの兄妹も本当は跪きたいんだよ? もう慣れたけど、最初は居心地悪いねって三人で言い合ったものなんだから。
「なんの話をしてたっけ?」
『皇帝が無能だって話だ』
「……でしたね」
蘇芳様、容赦ねえな。にやにやしながらこっちを見ないでほしい。完璧に楽しんでいる。
『言いたいことはいろいろあるが、まずは話を聞くとしよう。精霊の森については、いったん話がついている。それを今更蒸し返す気はない。私達は気にせずに話すといい』
琥珀は陛下の目の前に腕を組んで立ち、跪いた陛下を蔑んだ目で見下ろしている。琥珀の声に含まれる苛立ちだけで顔をあげられない陛下の手は、微かに震えているみたい。カチカチと床に腕輪が当たる音がする。
「パウエル公爵が精霊の森を開拓するのを反対しても、自分のところで避難民を受け入れると提案しても、陛下から何も返事がなかった理由がわかりましたね」
呆れた声で私が言うと、跪いたままパウエル公爵が疲れた顔で頷いた。
「まさかここまで他人任せだったとは」
「なかなか決定がされなかったからおかしいとは思った記憶があります。皇帝陛下なのですから命じてしまえばよろしいのにと。その頃はもう避けられていて面会を受けてもらえませんでしたからな。殿下がお生まれになって、妻と娘は会えるようになっても、私が近付けなかったのはバントックのせいでしたか」
グッドフォロー公爵でさえ会えないとなったら、会おうと努力するのをやめる人が出ても仕方ない。親戚だもん。
「ダリモア伯爵は、最初は違う候補地を何カ所も提案していたんですよ。でも陛下はどこも決定しなかった。今考えると、バントック侯爵は自分達の領地に受け入れる気がなかったので、決定できなかったんでしょうね。それで全部、ダリモア伯爵に投げた。彼は精霊に興味がなく、実家のトリール侯爵はあの森が邪魔だった」
今こうして、パウエル公爵とグッドフォロー公爵が会話している姿も、前皇帝崩御の後、ついこの間までは見られない光景だった。そのあたりバントック侯爵派は派閥同士の諍いを起こさせたり、自分に都合のいい噂をばらまくのが上手かった。
「外には出られないぞ」
背後で声がして、皆の話が中断した。
脇の扉から出ようとしていたのは文官ふたりだ。マイラー伯爵の野太い声に驚いて震え上がっている。
お食事会に招いたエセル様のお父様でもあるマイラー伯爵は、熊みたいに大きな人だ。初めて会った赤ん坊は、まず間違いなく泣き出すだろうくらいに顔が怖い。いやまじで悪党面だから。腕っぷしも強くて、海の荒くれどもにも一目置かれているらしい。
なのに娘大好き、奥さん大好きなパパさんで、娘の友達である私にも優しかった。
「ここは結界が張られている。出入りは出来ないぞ」
「ク……クーデターだ……反乱だ」
「おかしいな。誰も武力に訴えてはいないが?」
尻もちをついて震えている文官に、その強面で微笑むのはちょっとかわいそう。笑顔もこわいから。
「誤解されているようですが、私は陛下に退位を迫る気も、誰かを名指しして皇帝にしろなんて言う気もありません。それは私のような子供が口出しすることじゃないでしょう?」
イフリーの背に座って足をぶらぶらさせて、笑顔で話す私を見る陛下の目には、不気味なものでも見るかのような怯えがあった。
どうやら私、UMAから化け物にジョブチェンジしたようです。
「ただこのままバントック侯爵派を好きにさせておくと、中央は潰れますよ。彼らは仕事は他に押し付けて不正、癒着、賄賂と好き放題しているそうじゃないですか。ダリモア伯爵が隠しておいた証拠を宰相が確保してくれていましたよ」
「……おまえはなんだ」
「はい?」
「おまえはなんなんだ」
跪いたまま顔を歪めて私を見上げる皇帝と、それを平然と見下ろす少女。
第三者から見たら、琥珀じゃなくて私がラスボスに見えたりして?
「陛下、よろしいですか?」
皇太子の斜め後ろに立っていたクリスお兄様が口を開いた。
「アランもディアも、僕とほぼ同じ知識があると思ってください。それぞれ得意分野は違いますが、高等教育課程で学ぶ必要がないほどの、知能を有していると思ってもらって結構です」
「ベリサリオってこわいでしょ。だから放置しておこうって言ったじゃないですか。この二年で私は、ベリサリオは好きにさせておくのが一番だと結論を出しましたよ」
とうとう皇太子まで床に胡坐をかいた。
そうか。皇太子が最近話しやすかったのは、ベリサリオに対して悟りを開いたのか。
これはもうほっとこうって。
権力に興味ないんだから、協力関係だけ構築してほっといてくれるのはありがたいな。皇太子とクリスお兄様とは友達なんだから、パイプはすでにあるんだもんね。
「クリスと同じ? 兄妹全部が?」
とうとうベリサリオ辺境伯家全員が化け物認定されてしまった。
クリスお兄様の神童ぶりがそれだけ有名だったんだけど、何かと比較の対象にされてしまうのがちょっと気の毒だ。そのうちクリス上、クリス下とか一クリス、二クリスなんて単位になったりして。
「皇太子もあまり変わらないと思いますが」
「いや、俺には精霊車の発想はない」
「ああ、それはほら、ディアの着眼点と発想力は異常だから」
そこで仲良くお話しているんじゃないの。陛下だけじゃなくて、周りにいる大臣達まで化け物を見るような目で私を見ているじゃない。
『この女は、我々精霊王が普通の子供の後ろ盾になったと思っていたのか?』
『人間の政に口を出す気はないが、大丈夫か? この国』
「面目ありません」
「まさかこれほどとは……」
呆れる精霊王と、いたたまれない顔で頭を下げる臣下達。
陛下も将軍もがっくりと項垂れて、何かを話す気力もなさそうだ。
「陛下にも将軍にも恨まれるのは覚悟のうえです。今までずっと両親の愛情を疑うことなく生きてこられたことを感謝しています。息子としてはこんなことはしたくなかった。でも我々は皇族なんです。この国に生きる全ての者に対する責任がある。皇太子として中央を現状のままにしておけません」
胡坐をかいた足の上に置いた皇太子の手が、時折微かに黄色く輝く。
たぶん無意識に魔力を込めてしまっているんだろうな。それで精霊が反応してしまっている。
「琥珀様との話し合いがすんで、来年からは中央でも前と同じ収穫が得られるようになります。でもこの何年かの不作の影響は大きいですよね。陛下は今後、中央をどうする気ですか? 中央以外はもう二年間、過去最大の収穫量だったんですよ。おそらく来年も同じでしょう。もう作物は足りているんです。今更中央で多くの作物が出来ても、備蓄も終えている地方は買い取りませんよ」
どうしてわかってくれなかったんだと思っているんだろう。皇太子の顔は悲しげだ。
「だから私はバントック侯爵派を解体しなくてはならない。陛下には退位して……」
「ちょっと待ってくれないか」
皇太子の言葉を遮ったのはジーン様だ。
口角をあげて微笑んだジーン様は、陛下に視線を向けてため息をつきながら緩く首を横に振った。
「僕は騙されていたらしい。陛下と将軍はもっとちゃんと国を治めてくれていたと思っていたよ。だって僕を軟禁してまで手に入れた皇帝の椅子なんだから」
「ジーン?」
陛下が驚きに目を見開いた。
「あなた達は宰相が……ああ、ダリモア伯爵がすべて悪いって言っていたじゃないか」
「そんなことは言ってないわ」
「少なくともバントック侯爵の話はしてくれなかったよね。そもそも二年前に会うまで、何年も話をしたことなんてなかった」
「……」
「なのに、私が精霊獣を持っていると聞きつけて突然やってきて、もう外に出てもいい。私が助けてあげよう。だから協力して皇族の敵を排除しようって言ったよね」
なんかもうドロドロになってきたぞ。
ここに不倫とか、色仕掛けで騙していたスパイでもいたら、昼帯ドラマのような展開になるんじゃない?
「女帝も認められているから、私より姉上の方が正当な後継者だ。性別で差別する彼らが、即位の決まりを破っているって聞いていたんだけど、そうじゃないみたいだね?」
ひやりとする声が静まり返った謁見の間に響く。
たぶんジーン様がこんなに喋っているのを聞いたことがある人は、ほとんどいないだろう。私もまさかここで、彼がこんなふうに話し出すとは思わなかった。
「だったら、正当な後継者は私じゃないのかな」
ええ?! この人、即位する気があったの?!
「いや……しかし。あの時は……」
意外そうな声を出したのはコルケット辺境伯だ。
そうだよ、学園の森で話をした時にジーン様はダリモア伯爵になんて言ったっけ?
「そういえばあの時いたのは、陛下と将軍とジーン様と、私達と辺境伯ふたりだけでしたね」
クリスお兄様に言われて気付いた。
皇族が進んで琥珀に責められた話をするわけがない。補佐官や護衛だって口止めされただろう。
だとしたら中央の人達は、あそこでどんな会話がされていたか知らないんじゃない? ずっとジーン様を皇帝にと思っていたダリモア伯爵にジーン様が冷ややかだったことも、陛下達と仲良さそうだったことも、辺境伯達しか知らないって事だ。
「命の危険があったからだ」
「ジーン……きみはなんで」
何か言いたそうなランプリング公爵を無視して、ジーン様はゆっくりと立ち上がった。
「私は今までずっと、姉に人生を奪われてきた。軟禁され忘れられ放置されて来たんだ。自分の人生を取り戻そうとするのが、なぜ悪い」
「あなたに皇帝が務まるのですか?」
アンドリュー皇太子が立ち上がり、ジーン様に向き直った。
「私に向けられた暗殺者の中に、あなたが差し向けた者もいたと気づいていないとお思いか」
「これはとんだ言いがかりだな」
同じ赤い髪と金色の瞳の、面影の似たふたりが向かい合う。
「では私も遠慮はやめよう。私に差し向けられた暗殺者の中に、将軍の手の者もいたのに気付いていたよ」
「私はそんなことはしていない!」
「その言葉をどれだけの人が信じるかな?」
ちらっと横眼で将軍を見て、ジーン様はまたすぐに視線を皇太子に向けた。眉を顰めた皇太子と違い、ジーン様は飄々とした様子で口元に笑みを浮かべている。
『待って』
流れを止めたのは、意外なことに琥珀だった。
『茶会が面倒なことになっている』
「めんどう?」
『飲み物と菓子に毒が入れられていたようだ』
なんですって。
アランお兄様やみんながいるのに?!
「速攻で私を連れてって!」
『落ち着け。みんなまとめて連れて行く』
琥珀と蘇芳がここにいてくれることが、心の底からありがたかった。




