分岐点 イレーネ視点 後編
サブ部タイトルを変更しました
「みなさんようこそ!」
廊下の先で両手を広げて、美しい髪をおろしたままのディアドラ様が立っていた。
濃い緑のドレスは子供には暗すぎる色なのに、胸のあたりまで伸ばした淡い金色の髪の華やかさだけで、ゴージャスに見えるのだから羨ましい。
「ニック、レックス、この先は男子禁制なので荷物はこっちの台に置いてね。ジェマ、荷物を中に運んで。さ、こっちこっち」
ディアドラ様は私の手を引いて、広い部屋の中に連れて行った。
上部が半円になっている大きな窓から、日差しが差し込んで室内は灯りがなくても明るい。そこに豪華なドレスを着せた何体ものトルソーが並べられていた。
「オーレリアさん、このお二方で全員揃ったわ」
「まああ、また可愛らしい方々が。なんてやりがいのあるお仕事でしょう」
「お嬢様、このドレス、切ってしまって本当にいいんですか?」
「ばっさりやっちゃって!」
採寸をしている人、荷物からドレスを取り出して色ごとに並べている人、この場で縫っている人もいる。私達のためにこんなにたくさんの人を集めたの?!
その向こうではお母様方が、優雅にお茶をいただきながら楽しそうにお話している。ここで仲良くなれれば今後のお付き合いに繋がるからと、うちのお母様も気合が入っている。
「イレーネ、精霊車に乗った?」
「スザンナ、あの私、本当にここにいていいのかしら」
見知った顔を見つけて安心して、お針子さんが裾に何種類かのレースを仮止めして見比べている最中のスザンナに駆け寄った。
「いいに決まっているじゃない。……また伯爵家だからって気にしているのね。ほら、今日はマイラー伯爵令嬢のエセル様とブリス伯爵令嬢のエルダ様もいらしているのよ」
エルダ様? エルトン様の妹君の?
先程のエルトン様の様子だと、ここにエルダ様も参加しているのは知らなかったのかもしれない。側近をしているなら皇都で生活しているはずだ。
「イレーネ様ですか? 伯爵家のご令嬢の?」
ものすごい勢いで駆け寄ってきたこの方は、赤毛だからエセル様の方だろう。私が羨ましいと思う艶やかに波打つ赤毛で、切れ長のまなざしがきりっとしたお嬢様だ。
「よかった。カーラ様以外に知り合いはいないし、公爵様のご令嬢もいるしどうしようかと」
「そうなんですよね。緊張します」
「でもエセル様はきっとディアと気が合うと思います」
ディアドラ様と仲良さそうに肩を並べて歩いてきたのは、金色の髪が美しいほっそりとしたお嬢様だった。目元がエルトン様に似ているかもしれない。
あ、笑うとえくぼが出来るのね。
「私もそう思うの。今の歩きの早さは只物じゃないわ。そうそう、みなさん、私の事はこれからディアって呼んでくださいね」
そういえばお父様から言われていた。身の安全のためにもディア様と呼ぶようにって。
高位貴族のご令嬢は、いつも身の危険にさらされているって聞いたことがある。でも私までそんな危険が?
「まあ、本当にきれいな瞳ですわね」
「え?」
エルダ様に顔を覗き込まれて、驚いて目を見開いた。この方の肌、つるっつるよ。卵型の顔に小さな鼻と大きな目のせいで、年齢よりもずっと年下に見える。でも目だけはエルトン様によく似て理知的で、頭のいいお嬢様なんだろうなという印象だ。
「赤い瞳。神秘的だわ」
「そんなことありませんわ。私はエルダ様のような青い瞳の方が……」
「お兄様が、昨日の祝賀会で皆さまとお会いしたことを話してくれましたの。その時に、うち以外にも伯爵家のご令嬢がいるから、お話出来るといいねって。赤い瞳がとても素敵なお嬢様だったよって」
「あらあら」
「エルトン様、実はむっつりね」
かあっと頬が赤くなったのがわかる。顔が熱い。
嫌いだった赤い瞳を褒められるなんて思わなかった。スザンナがうりうりと肘で脇腹を押してくるからよろけてしまった。
「さあて、次はあなたの番よ。脱いで脱いで」
そんな会話をしている間にも作業はどんどん進み、有無を言わさぬ勢いでお姉さま方に連れられて行き、素早くドレスを脱がされてしまった。
「素敵な髪ね、つやつやだわ。このあたりは巻いてボリュームを出して、小さな花を飾ったらどうかしら」
「大人っぽい子だから、暗い色も似あうと思うのよ」
「これなんてどう?」
ディア様が持ってきたのは、ディープロイヤルパープルの地に銀糸の刺繍が入ったドレスだ。
「この辺は切っちゃって、白いレースにするの」
「素敵ですわ。でもよろしいの?」
「お母様のドレスだから大丈夫よ」
ひええええ?! ベリサリオ辺境伯夫人のドレス?!
「ま、まま待って」
「まま?」
「そんな駄目です。私なんかのために」
「だって似合うでしょ。みんな三着ぐらい作っていくって。茶会の分だけ先に作って、あとは出来次第お届けするわ」
何が起こっているの? どう見ても、私が持っているどのドレスよりも高いドレスが、目の前でじょきじょきと……。
「エセル、あなたはこれなんてどう?」
「私は茶会に出ないのに、先程一着作っていただきましたよ」
「もう一着。どうせすぐに背が伸びてドレスが足りなくなるわよ」
「それは誰の?」
「パティの」
「パトリシア様のドレスじゃないですか?!」
公爵令嬢のドレスを手渡されて、エセル様が青くなっている。
うん、仲間って大切だわ。ちょっと落ち着いた。
「私は大きいから、私のドレスなら皆さんちょっとのアレンジで着られるのではないかしら? 反対に皆さんのドレスを私に合わせると、何着も無駄にしてしまって。ノーランドに生まれたから仕方ないけど、私ももっと小柄で可愛く生まれたかったわ」
一通り衣装合わせが終わって、紅茶とチーズケーキをいただきながらお話をした。
モニカ様はハニーブロンドがそれは美しく、お人形さんのように綺麗だし、そんなに大きくもないと思うのに、年上の私やスザンナより大きいのを気にしているみたい。
「そうかしら。殿下方はお父上があの将軍様だけあってふたりとも大きいですし、アラン様も大きいですよね」
「そうね。大きな男性はたくさんいるんですから、全く問題ないわよね」
「あの……ところで何をしているんでしょう」
先程からエセル様が私の背後に立って、髪を編み込みにしては解いてを繰り返している。
「だってするっするほどけるのよ。すっごい綺麗。ランプリング公爵が同じように真っ直ぐな髪をなさっているでしょう。いいなあと思ってたの」
「公爵様? 私は皇宮に行ったのは昨日が初めてで……」
「私もヨハネス侯爵領に避暑にいらしていた時にお見かけしただけよ。カーラ様とあの髪は羨ましいと話していたの」
「エセル、言葉遣いがいつもに戻っていらしてよ」
「あ」
「うん。やっぱり私、エセル様とは仲良くなれると思うわ」
ディア様に腕を握られて、エセル様は緊張した顔で引き攣った笑いをしている。ディア様はどうも自覚がないみたいだけど、妖精姫と言われる彼女は私達から見たら本当にお姫様みたいなものだ。
「イレーネ様、ニックに聞いたんですけど、先程皇宮でエルトン様とお話なさったのですって?」
「まあ、お兄様ったら昨日の今日で、イレーネ様に近付いたんですか?」
「あの方、見た目と違って押しが強いんですよね。そうじゃないと皇太子殿下の側近なんて務まらないでしょうけど」
ディアドラ様の指摘に、エルダ様とカーラ様が驚いた表情になった。
ヨハネス侯爵家とブリス伯爵家もお隣の領地だったはず。濃い緑色の髪の方は珍しいから、たまにお茶会でお見かけして覚えていた方と、こんな形でお知り合いになれて嬉しかったんだけど、もしかしてカーラ様とエルトン様は親しいのかしら。
「え? あの……なにかまずかったですか?」
思わず青くなってしまう。
「いいえ、まったく」
「あ、よかった」
「でも、エルトン様は皇太子の側近でエルダ様のお兄様で、うちの家族も親しくさせていただいている素敵な方ですから問題ないですけど、今後、近づいてくる殿方には注意してくださいね」
「え?」
「カーラ様、イレーネは自己評価が低くて、おうちも田舎貴族だと思っているので自覚が足りないんですのよ」
スザンナはカーラ様の言う意味がわかるようで、呆れた顔で私を見ている。
「あちらをご覧になって」
スザンナが示したのは、私達の保護者がいるテーブルだ。
「ここにいる誰かひとりと親しくなっただけで、あそこにいらっしゃる方々全員と親しくなれるチャンスが出来るのよ?」
「そうそう、我が国最強のママ友軍団結成しているところね」
「ままとも?」
よくわからないけれどよくわかった。
うちが田舎貴族であっても、私と親しくなればアゼリア帝国高位貴族の主だった御令嬢達の親と親しくなる可能性があるんだ。
「な、なんで私がここにいるんでしょう」
我が国最南端の豊かな土地を領地とするエセル様や、有力貴族と親しいエルダ様はわかる。でも私は……。
「そりゃあ、牛乳とバター狙いですわ」
「え?」
「ディア様、そんな身も蓋もない言い方をしては駄目です」
カーラ様に言われてディア様は困ったように首を傾げた。
「でもそうなのよ。フェアリー商会としては、ぜひともリーガン伯爵家には仲良くしていただきたいの。取引だけではなく、商品の共同開発もしたいわ」
夢かしら。
お父様に話したら嬉しくて、倒れてしまうんじゃないかしら。
「それで? イレーネ様としてはどうなんです?」
瞳をきらっきらに輝かせて聞いてきたのはパトリシア様だ。今までお綺麗だけど気が強そうで、お近づきにはなれないと思っていた方が、今はとても可愛らしく見える。恋の話にワクワクしているみたい。
恋? いえ、そんな話は今はしていないじゃない。なにを言ってるの私。
「どうと言われても」
「うちのお兄様、地味ですものね」
「あの、エルトン様はクリス様に用事があっただけで、私は特に何も」
「あらあら、そんな赤い顔で何を言っているのかしら」
スザンナが楽しそうに頬をつついてくる。彼女が口説かれたって話なら何度もしているけど、まさか私の話になるなんて。
「これはみんながからかうから」
「からかってなんていませんわ。イレーネ様がもしお嫌でないのなら、私やディア様、やっぱり妹のエルダ様が言うのがいいかしら。瞳の話をしたらイレーネ様が喜んでいたってエルトン様に伝えれば、きっと彼は動き出しますわよ。こんないい話はないんですから」
そんな真剣なお話なの? カーラ様の目もエルダ様の目も、本気みたいなのがこわい。
「そうよねえ。同じ伯爵だし、妹ともお友達で、中央で生活することになるエルトン様としては赤毛の奥様はプラスにしかならないわ」
スザンナまで言い出したので、慌てて首を横に振った。
「そういう話は、学園に通うようになったらでいいでしょう? まだ私、九歳だし」
「素敵な殿方は、すぐに予約が入ってしまいますわよ」
「私としては、早く皇子方に相手を決めていただきたいですわ。そうじゃないと親が私の話を聞いてくれなくて」
「そうですわね」
そういえば皇子達の妃候補になるような顔ぶればかりでしたね、ここにいる方は。
「お兄様が嫌だったら言ってくださいね。イレーネ様は条件が良すぎて、言い寄る人が多そうなので早めに約束を取り付けたいんだわ」
「いえですから、すれ違っただけなんです」
「では、そういうことにしておきます」
エルダ様、可愛いのにこわい。いつの間にか話を進めていそう。
「イレーネ、ここにいる方は皆さん素敵な方ですけど、高位貴族のご令嬢で妖精姫が選んだ方々だから、そのへんの甘やかされたほんわかお嬢様達と一緒にしたら駄目よ。いつの間にか取り込まれているかも」
「まあスザンナ様、私達、お友達をそんな風にしませんわ」
「そうです。今みたいにちゃんとお話しますよ」
「でもエルトンはむっつり」
「ディア様、意味がわかりません」
人生に分岐点があるというのなら、この日が間違いなく私の分岐点だった。
二日後に起こった帝国を揺るがす事件の後に父が大抜擢され、社交界で私達八人が仲がいいと噂になり、私はすっかり有名人になってしまった。
将来、牛を眺める静かな日々が懐かしいと思うようになるなんて、その時の私は思いもしなかった。
次回からディアドラ視点に戻ります




